プロが教えるわが家の防犯対策術!

29歳の男です。今悩んでいます。
現在祖母と同居しているのですが、話をしたくありません。また、話し掛けてきても答えを返さないことが多く、かかわりあいたくないがために話し掛けられても怒鳴ってしまったりします。そのことでトラブルが絶えません。昨晩もそうでした。
我が家は私が幼い時に両親が離婚し、父方が引き取った為半分祖母に育てられたような感じなのですが、成長の過程で、今考えると厳しい育てられ方だったと思います。
具体的には、小学生までは家の周囲約1キロ以上(地名があるのですが割愛します。その地区までという意味です)遠くに遊びに行くと怒られたり、友人と遊んでいても夕方になると呼びに来たり、また、昔は父と祖母でしょっちゅう親子喧嘩をしていました。そうすると、そのとばっちりが私たち兄弟に来て、普段怒らないようなちょっとしたこと(たとえばTVを見ている、部屋が散らかっている等)で怒られたり・・・かなり緊張度の高い家庭でした。その後大人になっても、「育ててやった恩」だとか「あの時はどうこうしてやった」などといわれます。ただ、祖母にしてみれば私がにくいわけではなく、愛情だったのかなと思っています。
現在は祖母もかなり丸くなり、優しくしてくれ、話し掛けるのも一般的な内容なのですが、今度は私が拒否しています。
祖母には感謝の気持ちもあるのですが、なにせ2人になったり話し掛けられたりすると、むかつくの先にきて、まともに話が出来ないのです。
ちなみに職場や友人のコミュニケーションにはまったく問題がありません。
ただの私の正確の問題でしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

詳しい心理分析は無理ですが私の生育環境も複雑だったことと養育者に対する反発心は理解できる部分もありますので…



まず最初に感じられたのは御質問者が一番スペースを割いて訴えておられる養育者としての、おばあ様の態度。
なるほど「過干渉」タイプではいらっしゃったようですね。しかしこれは他からの御指摘にもあるように、ひとえに責任感からのことで貴方御自身が良く御承知でいらっしゃることでしょう。

せんだって、どのカテゴリでしたか、おかあさんと同居の無職の女性が彼女のおかあさんのライフスタイル面について「いかがなものか」というような質問をさ
れているのを見かけましたが回答者のかたに
『50代ともなれば、いかに我が子でもイイカゲン面倒見るのが大儀です。仕事もせずにブラブラしている子にイライラを募らせているのは、むしろ、おかあさ
んのほうでないか』
というふうに諭されていました。

貴方のおばあ様も貴方がた御きょうだいを己が手に引き受けさせられたとき
『はあ~あ。この歳になって、また子育て…』
内心溜め息をつかれたのではないかと、お察しします。子育ては重労働と経験者の殆んどは仰るようです。若い親でも振り回されてヘトヘトになるのですから、まして、おばあ様の場合…。
『何かあってはならぬ』
と貴方がたが、お外で遊んでいる間じゅうも気が気でなかったことでしょう。
孫を猫可愛がりするのは祖父母ならではの何とも言えない楽しみなのだそうですが貴方のおばあ様は、その楽しみを奪われてしまったのですね。

私の母も先妻が残して行った男の子を育てましたが、はたで見ていた私の目から見ても大変な気合と言うか私に対する何倍もの情熱で接していました。母に言わせれば
『自分の産んだ子なら気楽なもの。他人が産んだ子を預かっているのだから失敗は許されない!』
と、よく言っていました。

貴方の御両親が、どうした理由で御別れになったか分かりませんが、もう若いとは言えない御歳で幼い子どもたちを委ねられ、疲れがたまれば被害意識のような
ものもムラムラと湧いてきて、それが貴方がた御きょうだいへの叱責に変わりもしましたでしょう。
このへんは他の御回答者様が仰っておられるとおり
『祖母は母の代理ではなく「祖母」という一人の女性である』
ということを思い起こされてください。

実両親であっても問題や軋轢を抱えて生きてきた人は大勢いることでしょう。私自身そうですが、こうした立場にある者が養育者に寛容な気持ちを呼び起こすと


『まことに不完全な、しかし、その者なりに必死の、ひとりの女であり男であった』

ということを思うのです。それは自分自身が、まさに不完全な人間であるということを思い知るとともに、です。

ところで私自身、思い当たることですが、いわゆる「過干渉」な養育者に育てられた者は一本立ちするのも遅れがちな傾向があるように感じます。その分いわば「反抗期」も遅い。或いは、いつまでも引きずる。
私も心の底では複雑さを抱えながら本当に親から離れたのは大分イイトシになってからでした。

御質問者様は29歳とのこと立派な働き盛りの男性ですね。そろそろ本当の意味で一本立ちするときがやってきたのでしょう。
私が周囲で見聞きする限りでは男の子は、ある年齢に差し掛かると俄然、家族に対して冷淡な態度になったり干渉を極度にきらったりするようになって独り立ち
する準備に向かって行くように思います。むしろ、これがないと、いつまでも、おかあさんにベッタリしていたり、いいことばかりではないようです。
貴方の御心境は自然な流れなのかも知れません。

でも、いよいよ御年を召して身体的にも弱っていく時期に差し掛かった、おばあ様のお寂しさも、お分かりになりましょう?
どうしても素直になれない、むかつく気持ちが先に立ってしまうのであれば、距離を置かれてみるのもいいと思います。

多分、貴方の心理としては単純に解釈すれば
本当は、おばあ様の、いまのような穏やかな態度を子どもだったころの自分に示して欲しかったのに、いまごろになってなんだ…という御気持ちがあるのでしょう。
それが子どもっぽい、29歳の男にふさわしくないということもわきまえていらっしゃる故に葛藤がある。

いずれは、おばあ様の支えになってあげなければならない日もやって来ましょう、その日に備えて大人の男の冷静さを身につけられるよう御自身を鍛えてください。

「虐待」とひと口に言っても、何を虐待と捉えるかも人によって違います。それへの耐性も、それぞれです。
家庭や養育環境に問題があったと言う人は往々にして友人や職場の人間関係においても不適応に悩んでいることが多いようですから、そこへいくと貴方はラッキ
ーですよ。
あまり思い詰めないでください。

なおマルチポストということで先の投稿が削除されましたので、こちらへ再投稿させてもらいました。ついでに他のかたへの御返事を拝見しましたところ、御結婚を控えていらっしゃるんですね。でしたら好都合なことと思います。
多分そのこともあって、いよいよ物理的に離れるときが来た、ここに至って最後の葛藤を、おばあ様に分かってもらいたい子どものままの貴方が暴れているのでしょう。

これから多分、御子を授かり育児を経験されることで今の御自身から脱皮されることを期待しましょう。そして他の御回答者からの御指摘どおり「死」を間近に経験されることで否応なく変わらざるを得ないことと予想します。

御多幸をお祈りします。
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素人の私見であること、及び推測に基づいた記述が混在することを最初にお断りしておきます。



あなたにとって祖母は母親の代理でした。母親を恋しく思うあなたにとって、祖母は母親を父から奪った憎っくき仇のようなものです。
これはあなたの妄想のように受け止められるかもしれませんが、実は真実に近い解釈である場合が多いのも事実です。

母親(祖母)の息子(父)に対する愛情は元来特殊なものです。
女性が無意識にコンプレックスを持つ男根を備えた人間を自分が生み出したのです。
一個の人格として認識するのと、自らの所有物として扱いたい気持ちとの葛藤が必ず生じます。

通常は配偶者(祖父)の厳然たる引力に自身を委ねることによって正常な愛情へと昇華しますが、様々な齟齬が生じる場合が往々にしてあります。
祖母の精神の拠り所、避難所としての父が形成されることになります。
父の配偶者(母)は、祖母にとって息子(父)の略奪者です。
理屈では違うとわかっていても、祖母の無意識はそれを許しません。
よくある嫁姑の争いがこれです。さらに根が深いと実際に嫁をいびり追い出すこともあるでしょう。
本人(祖母)には、大抵の場合正当な理屈がありますから罪悪感がありません。
それどころか正義を行なったと思っています。

わかり易くするためにあなたの場合に当てはめて述べさせていただきましたが、実際にあてはまるかどうかはもちろんわかりません。
ただ、このような一般的な構図になりやすいことは事実ですし、表面は平穏な家庭においても深層心理では多かれ少なかれこのような葛藤が存在します。

その結果から類推して、あなたが祖母に母親を奪われた、あるいは祖母が両親の仲を引き裂いたと感じたとしても何の不思議もないでしょう。
しょっちゅうしていた親子喧嘩も、あなたにとっては夫婦喧嘩と似たような印象をもたらしていたのかもしれません。

また、祖母にとっての孫とは、本来殆んど責任を持たなくても良いペットのようなものです。(責任は親が取ります)
しかし、責任を持たなければならなくなった時、とまどいと同時に『必要以上の責任感』を感じるでしょう。
乱暴に言ってしまえば、祖母は「愛より責任感」であなたを育てたのかもしれません。
祖母にしてみてば「責任感こそ愛」と思っていたようにも思います。
あなたはそれに対して感謝している。
しかし、どうしても得られなかったものがあると感じているのではないでしょうか。
それは「無条件の愛」です。
理屈で説明できない無条件で無私の愛です。
そして、それを与え得るのは母親より他にいないということを、あなたは良く知っているのでしょう。
それが事実かどうかは別ですが、それをあなたが求めているのは確かなように思います。

端的に言うと「祖母が一生懸命でなかったなら、もしかすると母親は戻ってきていたかもしれない。」という深層心理が目を覚ましたということかもしれません。
寡黙になるのは、一方で受けた恩に対する理性的な判断があるからでしょう。

個人的には、お父上と良く話をされて(離婚当時のことなど)、あなたのお母さんに対する意識を顕在化させることによって、祖母は母の代理ではなく「祖母」
という一人の女性であるという自明のことを実感として理解できるような方向に進めれば、多少は良い展開につながる可能性もあるのではないかと考える次第で
す。

勝手な推測交じりの文でお腹立ちの箇所もあったかもしれません。お詫びします。
述べたことそのままでなくとも、何かひとつのきっかけとして、あなたとそしておばあ様が団欒の日々を送ることができますようお祈りいたしております。
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私も「恩」だの「年寄りを粗末にすると罰が当たる」という風に幼い頃から言われて、学生時代は無理して接していました。

親しみがわかない人に無理して接し続けることが辛く、その行為そのものが罰のような気もしていました

世の中には、仲が悪いわけではないけれど、祖父母や両親と正月しか会わないとか、数年会っていないことを何とも思っていない人がいます。そういう家族のありかたについて、その家が上手く回っていれば誰も問題だと思わないようです。

失礼だと思いますが、あえて言うと、お婆様は心が狭いのではないでしょうか?恩着せがましく言われても、子供は一人では大きくなれないのだから、仕方がないですよね?

私の場合は、他の親戚から、祖母が若い時に老人に不義理をしていた話を聞いて、なんとなく心が解放されました。恩着せがましく言うことでしか、彼女は自分の暇をつぶせないし、そういう風にしか人を繋ぎ止めない。このことを気の毒にも感じました。

人の人格形成に遺伝が関係していたとしたら、私は彼女に似るのでしょう。そして環境が関係していたとしても、私は彼女にどこか似てしまうのだと思います。でも、自分に子供ができ、孫が出来た時は、便りがないのが元気な証拠だと思って、多少の寂しさは自分の趣味で紛らわすことのできる老人になろうと考えています。

この先、子供や孫をあてにしないで生きていく道を選べば、今、お婆様と仲良くできない罰を受けることができるのではないでしょうか?
あてにしないけれど、したってきた時は喜んで受け入れる夢は持ちつつ、これからの人生を歩めば良いのではないでしょうか?
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悩んでいるというのは祖母を相手にできないことを、なのでしょうか。

無理してでも相手にするべきか、ということでしょうか。厳しく育てられたということがあるにしてもなんでむかついてしまうのか、性格に何か問題があるのか、だったらどうすればいいのか、ということでしょうか。

そのいずれかとして私見を述べさせていただきます。

まずおばあさんを相手にできないことを悩む必要はありません。できないものはできないのです。
しかしながら「できない時期がある」という認識が必要です。それは背景に何か理由があるはずですが、表立ってはおざあさんが象徴しあなたに与えているものに対する反感、反発なのであり、そういうものがあること自体はとても健全なことなのです。
もちろん、破壊的な方法でそれを表現する必要はありませんが、今無理だと思うのであれば、無理にしないことです。何故ならば、家族の関係とはそういう形骸化した態度や上辺の心ない交わりでは成り立たないからです。これが二つ目の答えでもあります。

なんでむかついてしまうのか。
これは勝手に他人が分析したり断言できることではありませんが、少なくとも今までずっと抑圧されてきた何かの感情が今になって吐露されているのは間違いないと思います。仕事や他の人間関係、年齢的なものからくる将来や現状に対する不安不満、そういったものが理由のことも多いみたいです。その吐け口がたまたまおばあさんであって、そういうことは誰にでもいつでも起こり得るものです。特にご両親が離婚したりしたご家庭の場合では通常とは少し違った生活形態になるわけですから、そういうことが出せるような今のような環境になって起こっても至極当然のような気がします。
誰が悪いわけでもなく、むしろむかついていることに対する嫌悪や罪悪感のほうが問題で、それが心を蝕んでしまいます。そしてそのこと自体にもいらついてしまうのかも知れない。
自分には不必要なまでに厳しいと感じた子供時代の記憶が今になっても残っているとのことですが、「育ててやった恩」だのという話は誰でもしますので、はいはいどうもでしたね、と受け流すことも覚える必要があるでしょう。
すぐ感情的に反応してしまうのは疲れます。どこの親も大なり小なり持っている気持ちであり、ましておばあさんは既に自分の子育てを終わっているにもかかわらず、もう一度子育てをしたわけですから、今になってそれを言っても当然です。そうしないとおばあさん自身の今までの存在価値が実感できないのです。苦労の理由を知って欲しい、少しはわかって欲しいのかも知れません。そしてある程度わかっているようなことをくどくど持ち出されてしまえば、むかついて当然でしょう。別にあなたの性格に問題があるわけではないので、ご安心下さい。

そして、今後どのように振舞えばいいか、ですが、まずはただの明らかな事実を認識しないといけません。
即ち、おばあさんはいずれ死ぬことになります。それもそう遠くない未来です。棺おけに寝ている死に顔には深いしわが刻まれているかも知れません。小さくやせ細ってしまっているかも知れません。寂しそうな表情が見えるかも知れません。あなたはその傍らに立って、何と言うでしょうか。後悔でしょうか、感謝でしょうか。
何を言えるかは、今のあなたの行いによって決まってしまいます。険悪なことを言われつつもそれが実は寂しさの裏返しであったと後になって気が付いても、もうどうすることもできない。自分の中にとどまった後悔は相手が死んでしまうと二度と消えません。消す機会をなくすからです。
それであるならば、せめてたまには好き勝手なことを言わせてあげた、我慢して聞いてあげた、とちょっと自分を誉めてもあげられるほうがいいではないでしょうか。
積極的に「肩でももんであげようか」と言ってみたら、ぱたりと愚痴らなくなった、なんて話はいくらでもあります。
無理はする必要はありませんし、いずれそのうちもっと穏やかになって接することが自分にはできる、と言い聞かせ、今はワガママさせてもらうもよしです。時間が経ってみると何をそんなにむかついていたのかさえもわからなくなっているかも知れません。だから、自分もおばあさんも悪く思う必要はありません。
けれども、相手はもう力ないお年寄りなのだから、若いほうが少し機嫌のいい時くらいは声のひとつもかけてみてはいかがでしょうか。
これも順番なのだと思います。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
実はリリフランキー氏の東京タワーを読んで以来、祖母の死についてはずっと考えていました。自分は死ぬ間際になって、祖母の手を握って声をかけてあげることができるのか と。
来春の結婚が一つの転機になるかもしれません。自分自身が幸せになればきっと変わってくるでしょう。全てを受け入れようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/29 18:41

いったん離れて暮らしてみることはできませんか?



ご両親が離婚されて、質問者さんにしかわからない不満であるとか、恨みであるとか、複雑な思いがあると思います。
私も両親が離婚しているのですが、周囲が、「面倒を見てやった恩」とかそういうことを言うと、両親が離婚さえしなければこんなこと言われなくてもすんだのに、っていう思いと、面倒をみてもらった恩を感じることと両方の気持ちがあります。
それで、実家では祖父母とも暮らしていたのですが、私も母親を含め家族と話をしたりあったりするのがすっごく嫌になりました。
転勤で一人暮らしをはじめたのですが、たまにしか会わないとやさしくできます。
毎日毎日会うとうんざりしますが、たまにだとむこうも余計なこと言いませんし、こちらもたまになら大きな気持ちになれます。

機会があれば、いったん離れられることをおすすめします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
来年の春に結婚しますのでその時に家を出る予定です。
私が家にいないほうがうまくいくのだとは思っているのですが、すむ予定のマンションがまだ建設中で3月半でないと入居が出来ないもので、そこまでは家にいさせてもらおうと思います。すぐにでも引っ越したい気持ちはあるのですが。
じつは昨晩のトラブルも、その結婚についてでした。親や兄弟には住む物件の事等は話をしていたのですが、祖母には例によって話をしていませんでした。そして、祖母が自分には話さずに、他の人には話していたことを面白くなく思ったのだと思います。ちょっと今回は長期戦になりそうです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/29 18:25

こんにちは。



35歳の既婚者(女)です。

わたしも子供の頃、両親の事情で祖母に育てて頂いた時期があります。
反抗期を迎える前になくなってしまったので
ケンカしたくとも出来ませんでしたが。

で、質問者さまの悩みですが。
性格の問題ではないと思いますよ。
「愛憎」って言葉があるでしょう。
愛情と憎しみって表裏一体なんですよね。
愛が強ければ、憎しみも強くなる。

育ててもらった恩、ありがたみ、おばあ様への愛情、
子供時代の満たされなかった想い、悔しさ、悲しさ、
厳しく躾られた不満、いろんな感情が混じっていませんか?
おばあ様が質問者さまに話しかけることにより
心の中で微妙なバランスを保っていた色々な心が
雪崩を起こしてしまうのでは?
質問者さまの気持ちがいろんな想いを抱えすぎて
混沌としてしまうのでは?

心の雪崩に対する不安を「むかつく」という言葉に置き換えて、おばあ様を功撃、退ければ、その場は平安が
戻ってきますよね。

自分たちの離婚で勝手にあちこちに預けられたわが身の不幸を嘆き、親を恨み、憎み、それでも、親の愛情を求めてしまう自分自身の矛盾にイラついた頃もありました。

自分が結婚して、幸せに暮らしている今は
そんな気持ちもあったなあ。。。って懐かしく思っています。
矛盾する自分も間違いなく自分ですよ。
受け止めてみませんか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
このままではいかんと思いながら、いざ目の前にするとなにもいえずにつっけんどんになってしまいます。祖母にしてみれば、なんて恩知らずな奴なんだと思っていることでしょう。ただ、祖母の前では喋れなくなるというのは伝えないようにしようと思います。せっかく育てた孫から「あなたの前では喋れない」といわれるのはショックだと思いますので。
後数ヶ月で私は結婚し家を出ます。私の今までのつらかった思いは、わが身を削ってでも私の家族には絶対させないつもりです。そして時がたてば、N01さんのように思える日がくるかもしれませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/29 18:17

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