このカテゴリーでいいかどうか、迷いましたが、思い切って質問します
このパンドラーの箱の物語のストーリが出ているサイトを教えていただけませんでしょうか?
あらすじ でもけっこうです
正確な意味を知りたいんです

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A 回答 (3件)

 


  すでに紹介のリンクがありますので、わたしは、あらすじと背景、解釈、言葉の意味などを記します。
 
  「あらすじ」: 人間が生まれた時、プロメーテウスは、神々の長ゼウスの意向に反して、みじめな人間に、「火」を贈り物として与えた。これによって人間は豊かになり安楽な生活ができるようになった。しかし、人間はそれによって驕りを抱くようにもなった。ゼウスは、自己のいましめを破ったプロメーテウスを罰すると共に、人間も罰するため、工匠神ヘーパイストスに命じて、粘土を材料に人の形を作らせ、オリュンポスの神々がこれに協力して、非常に美しい姿と魅力を持ち、しかし恥知らずな心と、ずるい気質を備えた「最初の女」を造らせ、これを人間のもとに送った(これはギリシア神話です。わたしが女性を「恥知らずな、ずるい気質の存在と考えているのではありません)。
 
  彼女は、神々から多数の贈り物を授かったので、パンドーラー(Πανδωρα, Pandora)と名付けられた。pan- は「あらゆる・すべての」の意味で、doraは「贈り物」を意味する女性名詞であるが、この名を、「すべての贈り物である女」と訳する。プロメーテウスの弟エピメーテウスは、兄から、ゼウスからの贈り物には気を付けるよう忠告されていたが、その名の通り、浅はかであったので、美しいパンドーラーを迎え入れ、自分の妻とした。
 
  パンドーラーには、神々が、贈り物を与え、それは厳重に封印された瓶(かめ)のなかに入っていた(後世、「瓶」から、「小箱」に解釈が変化する)。ここは何か、『旧約聖書・創世記』のエヴァの蛇による誘惑のような感じがするのですが。恥知らずで、ずるい心を持ったパンドーラーはある時、好奇心のあまり、開けてはならないとされている瓶の蓋を開け、なかを見てみた。すると、なかには、病気だとか飢えだとか老いだとか不和だとか、ろくでもないものが一杯入っており、蓋が開けられたので、世界中に広がってしまった。「希望(エルピス, Elpis)」だけは、いつもの通り「頼りなく・ぐずぐずしていた」ので、最後まで瓶のなかに残り、パンドーラーが慌てて蓋を閉めたので、瓶のなかに、それだけが残ってしまった。
 
  この話には別の説があり、瓶のなかには、色々立派なものや良いものが一杯入っていて、それが人間への贈り物のはずであったが、軽はずみなパンドーラーの行為で、瓶から失われ、人間の手には入らず、ただ、頼りなくぐずぐずした「希望」だけが、はかなくも人間には残ったという説もあります。
 
  この話が「パンドーラーの小箱」ですが、この話は何を語ろうとする話なのかです。別説に従っても、人間に最後に残ったのは、「希望」であったということを語っています。しかし、それはポジティヴな意味で、つまり、人間には、最後の最後まで「希望」があると言う意味で、人間は「希望の存在」であるということを言いたいのか、または、人間には「空しく頼りない希望」しか残されておらず、希望にしか頼れない人間はみじめで悲惨な存在であり、それは、女の祖先パンドーラーの軽薄な行いからもたらされたのだ、という意味か、どちらなのかと言うことです。
 
  プロメーテウス(Prometheus)という名は、プロメーテース(promethes, 先慮、先見)という名詞から造られた名で、「先見ある者」の意味で、エピメーテウス(Epimetheus)は、「後悔する者・浅はかな者」の意味で、農耕民アベルと、狩猟民カインの対比に似て、人間の類の二つの代表を示しているとも言えます。先見の明と技術によって、神々を出し抜いた人間は、その浅はかさで愚行を犯し、後で後悔するのです。そして、この物語では、「女性」は災いの元となっています。
 
  浅はかな人間や女は、浅はかなことをして、悪をもたらしたり、価値あるものを失い、結果、「希望」にすがることになるという意味だとすると、「希望」というのは、頼りにならないものとも思え、また、「希望」だけは、最後まで人間には残るという意味にもなるでしょう。
 
  この「パンドーラーの箱」の話を現代で考え、神々の贈り物を、「自然からの恵み」と理解すると、先見ある人間は、自然の恵みから良きものを数知れず手に入れることができるが、浅はかな愚かな人間は、自然の恵みを悪しきものに変え、その災いの結果に後悔し、希望しか頼るものがなくなるとも言え、現代の地球環境破壊は、パンドーラーの箱の話に通じているとも言えるでしょう。
 
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神話のサイトはいろいろありますが、


私が面白く閲覧させて頂いているのは
下記のサイトです。
神話題材の絵や芸術作品とかも紹介されているので
一見の価値があります。
そのサイトから「パンドラ」を選んでいただくと
簡単に解説されています。

参考URL:http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/Greek/
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この回答へのお礼

ありがとう御座いました
さっそく見てみます

お礼日時:2001/12/07 19:46

音楽附きのURL


http://www.yachitomi.co.jp/gate/top.htm
「世界のはじまりと神々の誕生」
「プロメテウスの火とパンドラの箱」が参考URLです。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/typho/sinwa/soseiki/p …
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この回答へのお礼

ありがとう御座いました
上記のnagatsuki様の参考URLとは違って、これまた面白いですね

お礼日時:2001/12/07 19:57

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Q哲学カテゴリー…

私は大体「アンケートカテゴリー」にいる20代・女性なのですが、


「哲学カテゴリー」って…。


なんか、「知識のひけらかし」の場になってる気がするのは
私だけ!?


もちろん基本的にこういうサイトは、
どのカテゴリーでもそうなのかもしれませんが、

特に「哲学カテゴリー」が、
使ってる言葉が一番やたら難しいし、

「こんなに難しい言葉使ってるオレってすごい。」
みたいな…。

まぁ~もっちろん、
単に私が低レベルなだけなんでしょうけどね!!
え~そうですとも!!

だけど…。
これだけ難しい言葉使って、難しいこと考えて、
結局何がわかりましたか?みたいな…。

“考えることが好きな人達が、いろいろ考えることができて、
いい時間潰しになっただけ?”みたいな…。

私は、どうしてもそう思ってしまうんですけど。


ケンカ売ってるような質問だということは百も承知です。
でも、ずっと前から思ってたことだし、聞かざるを得なかったので…。

でも別に、ケンカ売ってるわけではなく、
ただ単に、純粋な疑問なので、
是非とも冷静にお願いします…。

それで、
特にココ
“これだけ難しい言葉使って、難しいこと考えて、
結局何がわかりましたか?”

これを、
是非教えて下さい…

私は大体「アンケートカテゴリー」にいる20代・女性なのですが、


「哲学カテゴリー」って…。


なんか、「知識のひけらかし」の場になってる気がするのは
私だけ!?


もちろん基本的にこういうサイトは、
どのカテゴリーでもそうなのかもしれませんが、

特に「哲学カテゴリー」が、
使ってる言葉が一番やたら難しいし、

「こんなに難しい言葉使ってるオレってすごい。」
みたいな…。

まぁ~もっちろん、
単に私が低レベルなだけなんでしょうけどね!!
え~そうですとも!!

だ...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

失礼な、回答かもしれんけど、かるく聞き流してください。

[哲学]って、単なる思想だよ。

質問者様自身にも、あるはずだよ。
例えば、
>結局何がわかりましたか?
ていう疑問は、裏をかえせば
哲学なんて、生きていく上で何の約にも立たない。
と思っているからでてきたんじゃないのかな。

でも、質問者様自身は、自分が生きていく上で、
これはしてはいけない、この場面では、こうしなければいけない、等の
考え(思想)をもっているでしょ。
それが、質問者様自身の哲学だと、おもうよ。

あと、むずかしい言葉つかうとかいうけど、
結局、先人の言葉を、使ってしか説明できないから(先人に対する崇拝の意識が大きいんだな。)、そうなるわけであって、
また、むずかしい言葉つかったほうが、万人に対して、
優れた思想であるかのような錯覚を起こさせる可能性が高いと、
思っている人が多いからじゃないかな。
と、アタイは思っている。

これまで、哲学という学問を勉強したことがない、人の戯言とおもって、聞き流すんだよ。
回答になってない、気がするな。

おじゃましました。

こんにちは。

失礼な、回答かもしれんけど、かるく聞き流してください。

[哲学]って、単なる思想だよ。

質問者様自身にも、あるはずだよ。
例えば、
>結局何がわかりましたか?
ていう疑問は、裏をかえせば
哲学なんて、生きていく上で何の約にも立たない。
と思っているからでてきたんじゃないのかな。

でも、質問者様自身は、自分が生きていく上で、
これはしてはいけない、この場面では、こうしなければいけない、等の
考え(思想)をもっているでしょ。
それが、質問者様自身の哲学だ...続きを読む

Qカテゴリー

カテゴリーは述語か?

Aベストアンサー

個人的には「カテゴリー」は物事を分けていることを表す単語なんで述語でよろしいかと。

でも、本来の意味ではギリシャではただ単に物質の基礎的な元素のことを言うみたいなんでなんとも言えませんが。(ウィキより。)

あまりたいした答えでなくてお力になれず、すみません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BC

Q宗教のカテゴリーが無い

教えて!GOOの質問カテゴリーの中で宗教のカテゴリーが見当たりません。
哲学のカテゴリーの中に宗教的なテーマが結構あったりするんですけど、なんで宗教カテゴリーに分けないんでしょうか?

宗教カテゴリーの作成依頼を管理者に頼む人って結構多い気がするのですが。
これは管理者に何らかの意図があるのでしょうか?
もし、ご存知の方がいたら御教唆お願いします。

Aベストアンサー

昔はあったらしいです。
問題が多くてやめたらしいです。

↓宗教カテゴリーについての過去の質問
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=34832

↓OKWebからのおしらせ
 (この一番下に書いてあります)
http://www.okweb.ne.jp/info.php3?view=info2001

※教えてgooとOKWebは同じです。
http://www.okweb.ne.jp/info.php3?view=oshietegoo

私は当時を知らないのですが、もうすこし待てばさらに詳しい回答が得られるかもしれません。

Q宗教についての質問はどのカテゴリーでしょうか?

私は今行っている教会についてはなはだ疑問を抱いています。

Aベストアンサー

>>私が感じていることは、金権主義、と男尊女卑
沢山献金した人には愛想のいい牧師です。

宗教は、権力をもつ支配者が人々を支配する道具として利用してきた面があります。また、イエスが生きていた昔から男尊女卑は続いていると思います。
現代は、ITや科学の力により、腕力・体力を使わないで仕事ができますので、男尊女卑の傾向は減っています。
とはいえ、出産・子育ての面で、どうしても女性が不利になる面もありますが。

そして、組織運営をするには、お金が必要です。牧師さんは、集めた献金額が自分の成績評価につながると思いますから、愛想が良くなるのも、まあ人間であれば当然かもしれません。

>>私の知り合いに障害児を持って苦労している人がいます。また夫を亡くしぎりぎりの生活をしている人もいます。
こういう人を教会に連れて行ったら、牧師のご機嫌を損なうのは目に見えています。

そういう人々を現実的に救うには、お金と人手が必要になります。どうてい教会の力だけで救いきれないでしょう。
現代では、そういう仕事は社会福祉として宗教ではなく、政府が行っている面があります。
ただ政府がそれをきちんとできない場合、宗教が引き受けている面がありますね。
本来の宗教の役割は、そういう物質的なものを与えることでは無いと思いますけどね。

>>それが私の行っている教会です。聖書の教えとは矛盾がありすぎます。

たぶん、聖書の教えを、原理主義的に守ったなら、現代ではまともな社会生活はできなくなると思います。また「人間、罪の子」という考えを持ったら、明るい気持ちで生きてはいけないでしょう。
ですから、教会の教えは根本の部分で、間違ったもの、捨てる必要があるものを含んでいます。

宗教の役割として考えたとき、あの世からこの世に、なんらかの使命を持って生まれてきた一人の人間として、どう生きるか?どうやって悟るか?という小乗仏教的な面があります。
それは、山奥で滝にうたれたり、座禅をしたりして修行するようなもので、ある意味、個人主義的なものです。

それとは別に、「困っている人々を救いたい!」という、キリスト的、ナイチンゲールやマザーテレサのような、市民運動、大衆救済を目指す大乗仏教的な役割もあります。
この小乗と大乗は矛盾する面があります。

No.3への回答にもありますけど、人間は完璧ではありませんので、80点とれれば良いって感じで、矛盾の存在を認めながらも、大人の知恵?を使って、でも、心の中では理想を目指すってことでしょうか?

>>私が感じていることは、金権主義、と男尊女卑
沢山献金した人には愛想のいい牧師です。

宗教は、権力をもつ支配者が人々を支配する道具として利用してきた面があります。また、イエスが生きていた昔から男尊女卑は続いていると思います。
現代は、ITや科学の力により、腕力・体力を使わないで仕事ができますので、男尊女卑の傾向は減っています。
とはいえ、出産・子育ての面で、どうしても女性が不利になる面もありますが。

そして、組織運営をするには、お金が必要です。牧師さんは、集めた献金額が自分の...続きを読む

Qカント 純粋理性批判 カテゴリー表を獲得する意味 

初めまして、純粋理性批判冒頭について質問させていただきます。

超越論的論理学において、カントが判断表ではなくわざわざカテゴリー表を使用しなければならなかったことの意味について把握しかねています。

私の今の考えでは、
判断表とカテゴリー表によって表されている悟性の統一機能はどちらも同じものであるものの、判断表においては、それは既に獲得された概念と概念とを結合するものとして考えられているため、どちらかと言えば一般純粋論理学に属する。
一方でその統一機能を、直観における表象間の結合に即して考えた場合、それは対象とのかかわりを持つために、超越論的論理学に属する。
したがって、超越論的論理学についての議論においては、悟性の統一機能の場を、概念間から直観における表象間へと”次元の繰り下げ”をしなくてはならなかった。

ということが理由なのかなと思っています。
とはいえ、なぜ表象の多様なものを扱ったとたんに、悟性の統一は、対象とかかわりあうようになるのか、などという点で全く疑問が解消されません。

どなたか、純粋理性批判のこの箇所について、理解のための助言をいただけませんか?
お願いします!!

初めまして、純粋理性批判冒頭について質問させていただきます。

超越論的論理学において、カントが判断表ではなくわざわざカテゴリー表を使用しなければならなかったことの意味について把握しかねています。

私の今の考えでは、
判断表とカテゴリー表によって表されている悟性の統一機能はどちらも同じものであるものの、判断表においては、それは既に獲得された概念と概念とを結合するものとして考えられているため、どちらかと言えば一般純粋論理学に属する。
一方でその統一機能を、直観における表象間の結...続きを読む

Aベストアンサー

あまりカントに詳しくないので、間違っているかもしれませんが、「カントが判断表でなく、カテゴリー表を使用しなければならなかったことの意味を把握しかねています」という場合の、判断表とかカテゴリー表というのは何なのでしょうか?
判断表というのは形式論理学の判断形式だと思いますが、カントはそれをカテゴリーに流用して、それを純粋悟性概念といいました。

古代ギリシャのアリストテレスにとって、カデゴリーとは述語のこと、それに対して主語がヒュポケイメノンといわれるもの、実体とか基体という意味でした。
アリストテレスは10個のカデゴリーを挙げていました。

実体、量、質、関係、場所、時間、状況、所有、能動、受動

このうち、実体は主語であって述語ではなかったので、アリストテレスは苦し紛れに、それを第一実体といい、残りを第二実体といいました。
だけどアリステテレスのカテゴリーは、どちらかといえば恣意的で、カテゴリー同士、重複するところがありました。
アリストテレスにとってカテゴリーとは論理学上の分類でしたが、カントにとってカテゴリーは認識の客観性を保証するものです。
つまり主観的な知覚判断を客観的なものにすること、対象を感覚器官を経由した感覚データを直観の形式である時間・空間で整理・整頓することで、それに形式論理学の判断形式を当てはめて、カテゴリーと総合統一することで認識を客観的なものとして作り上げます。

したがってカントのカテゴリー表は形式論理学の判断形式を流用したものです。
「カントが判断表でなく、わざわざカテゴリー表を使用しなければならなかったのか」ではなく、形式論理学の判断形式をそのままカテゴリー表として使ったのです。
形式論理学の判断形式とカントのカテゴリー表は同じものだと思います。
その違いは形式論理学の判断形式が、論理的な分類なのに反し、カントの場合、認識の形式、主観的な知覚判断を客観的なものに作り変えるための分類だというだけです。

「したがって、超越論的論理学についての議論においては悟性の統一機能の場を概念間から直観における表象間へと、次元の繰り下げをしなくてはならなかった」

・・・・・と、おっしゃいますが、カントにおいてカテゴリーはアリストテレスとは違って論理学上の区分・分類ではなく、認識論上の分類なので、最初から知覚判断に適用してそれを客観的なものとして作り上げるためのもので、「次元の繰り下げ」などというものではなかったと思います。

カントの哲学は超越論的哲学と言われ、その場合の超越論的とはフッサールとは違い、認識の成立している可能性の条件を遡行して、それを探究するもののこと。
どのような条件があれば、認識の客観性が成立するか、その答えが純粋悟性概念であるカテゴリーでした。
カントはそのカテゴリーの超越論的演繹を行ない、それが対象に適用できることを証明しました。
もっとも、カントは「純粋理性批判」をほとんど書き上げていたのに、その演繹の章を書き上げるのに10年の歳月を要したと言っています。

「なぜ、表象の多様なものを扱ったとたんに、悟性の統一は対象とかかわりあうようになるのか」

・・・・・と、おっしゃいますが、考え方が逆です。
表象ではなく、現象。
外界を感覚器官で感覚データとして受容し、その現象を直観の形式である時間・空間で、整理するだけでは認識は成立せず、それを悟性の形式であるカテゴリーによって総合統一することで初めて、認識が客観的なものとして出来上がります。
そして現に認識が成立している以上、悟性は対象と関わりあわなければならないものですから、なぜ? といって疑問に思うようなものではありません。
認識が成立している以上、そのようになっていると思うしかありません。

カントにとって、カテゴリーは実在ではなく、フィクション、構造主義でいう「構造」のようなもの、あると言えばあるけど、ないと言えばないもの。
それにカントは4×3の12個しかカテゴリーを挙げていないけど、それは形式論理学の判断形式を流用したからで、その12個以外にも、まだあります。

最後にステファン・ケルナーの「カント」より、引用して終わります。

「カントにとって、カテゴリーを適用するとは、純粋直観における多様なものを統一することによって客観的関係を与えることである。客観性の担い手、主観的な印象の単なる集積とは対立する対象が直観において算出されないなら、判断によって客観性を与えることは不可能である。カテゴリーの適用によって客観性を与えるのではないとすれば、直観の内には何らの対象も存在しない。われわれが純粋な多様なものを統一することにより、直観において対象を産出するのでなければ、客観性の何らの徴表も存在しない。そればかりか、直観における対象の産出とカテゴリーの適用とは、同一の過程の二つの側面なのである」

あまりカントに詳しくないので、間違っているかもしれませんが、「カントが判断表でなく、カテゴリー表を使用しなければならなかったことの意味を把握しかねています」という場合の、判断表とかカテゴリー表というのは何なのでしょうか?
判断表というのは形式論理学の判断形式だと思いますが、カントはそれをカテゴリーに流用して、それを純粋悟性概念といいました。

古代ギリシャのアリストテレスにとって、カデゴリーとは述語のこと、それに対して主語がヒュポケイメノンといわれるもの、実体とか基体という意...続きを読む


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