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「欲しがりません勝つまでは」という言葉を良く聴きますが、どういう意味でしょうか?

いったい具体的に何を欲しがらないのかよく分かりません。どういう時にどういう状況で使用される言葉なのでしょうか?

戦時中から使われていたようなのですが、語源などもわかりましたらうれしく思います。

ご存知の方いらっしゃいましたらよろしくお願いいたし増す。

A 回答 (5件)

これは「戦時中」に使われていた標語です。


欲しいとは言いません。戦争に勝つまでは。。。ということです。
国民は「戦争に勝つまでは、自分を犠牲にして貧しい中で我慢して行きます」ということであり、戦争の張本人たち(天皇陛下たち)が自分たちに都合が良いように並べたてた標語です。
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 蛇足ですが、「暮しの手帖」を創刊した花森安治氏が、大政翼賛会にいた当時、標語の選考・普及にあたったとされており、そのためか「花森氏の作」という説もあったようです。


http://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200303/t …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E6%A3%AE% …


広告批評の天野祐吉氏は、「僕の勝手な想像では」と前置きして、
「…暮しに知恵も工夫もなく、やたらに物をほしがったりするようなことが、彼にはたまらなく野暮なものに見えたのだろう。…だから彼にとっては、戦意高揚のためのものではなく、あくまでも日常生活の心がまえだ。そして、それはそのまま、『暮しの手帖』の基本精神ともなった。」
と書いています。(ちくま文庫「もつと面白い廣告」)
 政府・軍・翼賛会の思惑とはもちろん別ですし、花森氏がそう語ったわけでもないようですが。
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第二次世界大戦中特に後期、大日本帝国(現在の日本国とは違う国であることを認識して下さい)は主な働き手である若い男性を戦地に送り、ちっぽけな島国の物資を戦争につぎ込んでいました。



食料や服など生活必需品まで自由にならない程になり、民衆が欲しいと思うものを欲しがっていてはどうにもならない時代だったようです。

そんな中戦争が終わるまでみんなで我慢しようという意味で使われた標語です。実際は軍上層部や政府高官などは贅沢をしていたでしょうし、この言葉は民衆を抑えるために作られ意図的に流布されたものです。
つまり民衆が欲しいものを手に入れられなかった時代にその気持ちを抑圧するために流布された言葉なのです。

ですが戦時中とは一種の熱病のようなもので、軍上層部から最後の一人となっても戦うといったバカげた思想を振りまいて置きながら、民衆の気持ちを汲んで戦争を続けなければという緊張が終戦間際にあったとか。戦争に向かっていった軍も、世論をコントロールするためにこういった標語を流布した新聞社も単に悪だと言うことは簡単ですが、実際はそう簡単な問題ではないことは注意したほうがいいかもしれません。

まあなんにせよ、あまり良い言葉ではありませんね。
これを機に色々勉強してみてください。
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戦争って、お金がかかるんですよ。


飛行機も艦隊も、燃料がなければ動きませんし、武器に食料。
必要な物はたくさんあります。
近隣の国と戦争をすれば、国内の備蓄で食いつながなければなりません。
田畑が燃えれば収穫も減ります。労働力は戦争に駆り出されています。
国内の食料は不足し、生活必需品は品薄になります。
お寺の鐘まで徴集して弾をつくっていたくらいです。

これで、国民が「もっと食料を配給しろ」とか言いだすと困るので、こんな標語をつくってそんな気持ちにさせていたのです。
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ググってみました(以下抜粋です)



太平洋戦争開戦1周年に、大政翼賛会と朝日・東京日日(現毎日)・読売の3紙が公募した「国民決意の標語」の入選10の中の一つで1942(昭和17)年11月27日に発表され、当時最も有名になった。


参考になりますでしょうか?

参考URL:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hosigari …
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