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 三島由紀夫の自決事件から四半世紀経ちますが、彼は何がしたかったのでしょうか?。
 国を憂いていたらしいのですが、日本のどういう点を憂いていたのでしょうか?。
 そして、自決の意味とは何でしょうか?。
 自決してまで国民に気づいてほしかったの?。

A 回答 (3件)

物語を作り出したかったのだと思います。



割腹自殺によって終焉する1つの物語。最期まで日本精神を振りかざしたかった彼自身の物語。

国家と国民をどうしようという意味ではなくて、どちらかというと、気づいて欲しかったというよりは、西洋主義に糊塗されて眠ってしまった――天皇など日本民族主義を無視し、土地の生んだ思想を捨てた――国民を放置して自らが抱く理想像の日本人として終結したかったのではないかと思っています。

三島を如何に生きている我々が捉えるか、っていう物語に趣があると思いませんか。自衛隊が動かないのは大体知っていて…自暴自棄になったなどとも言われますが、それを除けば…自分自身へのはなむけとして伝説を作りたかったということに尽きます。
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三島由紀夫の小姓である美輪明宏がTVで言ってましたが、


「三島は死に場所をさがしていた」
なぜ探したのか?
美輪は「年老いて醜くなるのが耐えられなかった」と言って、ビデオは終わるのですが・・・

>日本のどういう点を憂いていたのでしょうか?。

日本が日本の伝統を無視して、アメリカナイズされたことでしょうね。

>自決の意味とは何でしょうか?

いわゆる「切腹」で、日本の伝統でしょうね。

>自決してまで国民に気づいてほしかったの?。

気づいてほしかったというより、彼は日本に絶望したんでしょうね。
彼は自衛隊本部で「君達自衛官は、このままでいいのか?」という演説をして切腹しました。自衛官は、ヤジを飛ばしました。
それで絶望して切腹、というのではなく、そうなることは解っていたのでしょう。
というか、最初から日本に絶望していて、最後に自衛隊に、頼って「やっぱりそうだったんですね」
ということでしょう。
美輪はTVで、「三島はこれから日本で子供が親を殺したり、親が子供を殺したりする時代が来る、と予言していた」
と言ってましたが、
そうなりましたね。
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これは三島ではなくわたしの考えですが、あのころ逆の立場からは、浅間山荘事件などが起こりました。

三島の定義によれば、当時の日本は、外ではベトナム戦争に象徴されるような東西の対立があり、日本の国内でも内なる戦いがあったといっていたような気がします。政治的行為というのはすべてなんらかのデモンストレーションだと思いますが、よど号事件も浅間山荘事件も、そして三島の事件も、立場は違うが一種の政治的意思表示であったと思います。
その効果は、この事件の後の日本社会は特にこの事件を契機にして急速に現実主義的、保守主義的な..さめた政治観に支配された社会になったと思います。
その意味で大変大きな社会的衝撃をもった事件でした。
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