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・日中戦争の原因は何ですか?昭和40~50年代の歴史の授業では、盧溝橋の一発の発砲が発端を教えられました。
・アメリカは偶然にも日本の真珠湾攻撃の信号を傍受して、攻撃されるのを待って参戦のきっかけを得たそうすね。真珠湾は浅かったので沈没した艦艇は全て修理して使用可能になったとか、、、

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A 回答 (4件)

ドイツ相手に苦戦中のチャーチルにとって、アメリカを戦争に引きずりこむことは、英国が敗北を免れる唯一ともいえることでした。

ルーズベルトにとっても、議会の戦争反対の声を封じ込め参戦を果たすには、「敵からの一撃」がどうしても必要でした。

1940年、アメリカ海軍情報部極東課長、A・H・マッカラムなる人物は、ルーズベルトの側近宛にA~H8項目からなる覚書を送ります。その中には
F 現在ハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持すること
G 石油に対する要求をオランダが拒否するように主張すること
H (英国と協力して)日本との全面的な通商禁止
をあげ、
「これらの手段により、日本に明白な戦争行為に訴えさせることができるだろう。そうなれば、益々結構なことだ」と記しています。
アメリカの一研究者は、これを「戦争挑発行動計画」と呼んでいますが、その後の展開は、FDRがこの政策に沿って対日政策を展開したことをうかがわせます。

ハワイのホノルルでは、日本外交官森村正(本名は吉川猛夫海軍少尉)がアメリカ軍基地、艦艇の状況など細かな情報を収集します。しかし、彼の正体に気づいていた海軍情報部は、FBIから捜査権を奪い、行動は監視するが制約しない=「泳がせる」手段をとります。(もちろん電話の盗聴、電報傍受など通信はすべて掌握します)

また、アメリカが日本の外交暗号(紫暗号)や海軍の五桁暗号の少なくとも4種は解読していました。したがって、12月2日の「新高山ノボレ」(一部には平文であった、との証言もありますが)の意味するところについても、当然知っていました。しかし、この間の暗号解読や電文、その他の記録については、今なお米海軍の極秘扱いです。(ちなみに、真珠湾攻撃後、米海軍は暗号解読にかかわる全ての文書を回収し極秘扱いとし、そのほかの文書もすべて焼却するように、解読関係者に命令しています。)

ただ一人、事態を(部下の情報将校からも)知らされていなかったのが、H・E・キンメルアメリカ太平洋艦隊司令長官でした。「奇襲」による被害の全責任は彼に押し付けられます。一方、フィリピンなどでは、開戦前に艦隊をオランダ軍基地に移動させるなど、いち早い対応策が講じられています。

チャーチルは、真珠湾攻撃の報告を聞いた日の日記に「これでやっとぐっすり眠れる」と記したそうです。

真実は、暗号解読の実態などが今なお極秘事項のため闇の中です。しかし、多くの状況(証拠)から、アメリカの政治・軍事指導者の一部にとって、日本の真珠湾攻撃は「アメリカの参戦・対枢軸国戦争プログラム」にはプロローグとして折込済みであったことは間違いないといえるでしょう。
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この回答へのお礼

情報ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/10 22:05

No.2ですが失礼しました。

真珠湾攻撃は12月7日でしたね、ごめんなさい。
ところで日中戦争ですが、原因を考えれば日本軍駐留のきっかけとなった第一次世界大戦や日清・日露戦争、そのころの世界情勢にまでさかのぼると思いますよ。
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この回答へのお礼

日本軍駐留のきっかけとなった第一次世界大戦や日清・日露戦争、そのころの世界情勢ですか、、なかなか日中戦争のきっかけが見えなくて、、助かります。

お礼日時:2005/12/10 22:06

 ルーズベルトが真珠湾攻撃を知っていたかどうか、諸説分かれるところだと思いますが、面白い話をご紹介します。


 アメリカは真珠湾攻撃もまさに前日という12月3日、商船を擬装したいわゆる“一寸法師艦隊”を南シナ海に走らせ、日本軍に『最初の』一撃を加えさせようと企てたらしいのですが、日本軍哨戒機がこれを無視したため、空振りに終わったのだそうです。
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日中戦争の原因は盧溝橋での一発が原因です。

ただ、こういう事件はこれまでも何度もあり、このどこの誰が発砲したか不明の一発が泥沼の戦争の発端になろうとはそのときは誰も考えてはいませんでした。
それが、どちらも譲らずどんどんエスカレートしてゆきとうとうああいう泥沼の戦争となったものです。
真珠湾攻撃についてはルーズベルト大統領や一部の政権幹部は知っていたようですが、現地の太平洋艦隊司令官や他の指揮官には知らされていませんでした。
これはドイツと戦争をしたがっていたものの理由がなく、日本を徴発して戦争が起これば三国同盟によりドイツがアメリカに宣戦布告をすることになっていましたので、アメリカのほうから戦争をはじめたことにはならないし、真珠湾をだまし討ちにされたということでアメリカ国民の怒りを戦争への積極的参加に持ってゆこうとしたものだと考えられます。
真珠湾については、そのとき湾内に残っていたのは旧式戦艦が多く空母などは訓練のため出港していていませんでしたので犠牲にしても対して影響はないと考えたのかもわかりません。(ただ、まだその頃それほど空母の価値を認めていたかどうかは疑問ですが。)
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この回答へのお礼

あらー、一発が発端ですか、、同じ時期に上海などでもイザコザが有ったようなブログも見ましたが、、

お礼日時:2005/12/10 20:24

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Q日中戦争は何故おきたのですか?

世界史の授業などでは盧溝橋事件が発端であると習いましたが、
本当にたった一発の銃声で戦争が起きる物なんでしょうか?

最近も北朝鮮では韓国に対して砲撃や小規模な銃撃が起きていますが
それが大規模な戦闘に繫がる事はなく遺憾の意だけで終わってしまいま
すよね。

Aベストアンサー

質問1 日中戦争と言うのは誤りとおっしゃいますが教科書には「日中戦争」とはっきり書かれてますよ。

回答1 日中戦争という呼称は戦後、日教組が呼称したものです。そもそもシナ事変で日シ共に宣戦布告を起なっていないのは本当です。従って教科書の記載が誤りです。


質問2 停戦協定を守らなかったというのは日本が上海に入植、占領した事への中国人の抵抗であり正当防衛ではないでしょうか。

回答 2 質問の意味が解りません。
昭和12年7月7日が盧溝橋事件です。それから第二次上海事変に至る迄のシナ側の協定違反です。
7月13日、大紅門事件。支那兵が北平(北京)大紅門で移動中の日本軍トラック2台に手榴弾を投げ込み日本兵4人が死亡。
7月14日、中国兵が日本の騎馬兵を惨殺。
7月25日、郎坊事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月26日、広安門事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月29日、日本人居留民約260名が虐殺される通州事件が発生。
8月9日、船津和平会談の日だったが、中国軍が日本兵2人を惨殺してぶち壊した。
8月13日、第二次上海事変。
となります。

質問3 私が知りたいのは帝国陸軍が何を考えて油田もボーキサイトもない華南、華中に攻め込んだのかです。占領した処で得るものもないし結局8年の時と資源を浪費しただけに終わった日中戦争の原因ときっかけは何だったのでしょうか?

回答3
原因はシナ人特有の「平気で約束をやぶる。嘘をつく。」等の協定違反です。
きっかけは、盧溝橋事件で例えますが、最初の砲撃は、コミンテルン共産党員が犯人です。シナに日本を釘付けさせたかったためです。しかしあくまでも盧溝橋事件は現地で停戦しておりますのでシナ事変に含んで考えるのは誤りです。

シナ事変の目的などありません。日本は本当にシナの土地など欲しくないのです。
泥沼化した原因は、近衛文麿氏のブレーンに尾崎秀実氏がおり北進させなかったためです。

質問1 日中戦争と言うのは誤りとおっしゃいますが教科書には「日中戦争」とはっきり書かれてますよ。

回答1 日中戦争という呼称は戦後、日教組が呼称したものです。そもそもシナ事変で日シ共に宣戦布告を起なっていないのは本当です。従って教科書の記載が誤りです。


質問2 停戦協定を守らなかったというのは日本が上海に入植、占領した事への中国人の抵抗であり正当防衛ではないでしょうか。

回答 2 質問の意味が解りません。
昭和12年7月7日が盧溝橋事件です。それから第二次上海事変に至る迄のシ...続きを読む

Q小学生でもわかる第二次世界大戦の流れ

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
説明してほしいと頼まれましたが、しゃべった内容が難しかったのか
ぽかーんとされてしまいました。自分が完ぺきに理解しているというわけでもないので
説明しながら自分でもわからなくなってしまいました。

そこで、子どもにも簡単に説明できるような第二次世界大戦の
開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

Aベストアンサー

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
  命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より
  国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人
  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
  となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。

 ごめんなさい。やはり難しいですね。でもこれを下敷きに

もっとお話し的に変えたらどうでしょう?

 

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメ...続きを読む

Q太平洋戦争の原因について

自分は今まで太平洋戦争の原因は
日本が満洲や朝鮮を植民地にし、その結果アメリカと戦争になり
戦争の原因は日本が悪いと思っていました。
しかし、ある時下のリンクにある内容を読み
どちらが悪いかわからなくなりました。

本当の戦争の原因は一体何だったんでしょうか?

詳しい回答お願いします。


http://www1.toptower.ne.jp/~katumata/sub514.html

Aベストアンサー

☆一言で言うとアメリカは、その矛先を…つまり、市場確保や権益確保の矛先として、終始一貫して中国を狙っていた。
 幕末から、ず~~っとね。
 それを日本が独占しちゃったから、アメリカは”いずれ日本は叩き潰さねばならない!”と決意していた。
 結果、太平洋戦争が勃発した。

 以下に歴史的詳細を書き記す。

 幕末にペリー来航す。
 目的は、建前的には、捕鯨船の為、寄港地として、そして燃料補給地としての日本の港の開放にあった。
 しかし、本音は、巨大な人口を要する中国市場(常に、歴史上世界人口の5分の1を占める巨大市場)と貿易するための中継基地として、日本の港の開放を欲した。

 当初、アメリカはそうあからさまに日本を植民地化しようとは考えては居なかったようである。
 ただ、そんな考えは状況次第では、いくらでも変わるであろう。
 当時は何と言っても帝国主義の全盛時代だったのだから…。

 でも、その後アメリカでは南北戦争が勃発して国外に眼を向ける余裕がなくなった。

 で、話しを日本に戻す。
 幕末から明治にかけて、日本は欧米列強の脅威にさらされていた。
 植民地になっても全然おかしくはなかった。
 特に、ロシアとイギリスの脅威はやばかったと考える。
 ただ、当時のアジアの情勢が日本にとって、吉と出た。
その1:インドにてセポイの反乱が発生す。
その2:中国にて太平天国の乱が発生す。
いずれも鎮圧に多くの時間と兵力と資金を消費した。
これを踏まえて、イギリスは、アジア人を安易に植民地化すると思わぬしっぺ返しを食らうと言う経験を得た。
 又、イギリスは薩英戦争によって、思ったより日本(と言うより、正確には薩摩藩)は手ごわいと言う事を理解した。
(未だに、イギリスの海軍の記録書の中において、薩英戦争は大英帝国海軍にとり、恥辱的海戦であると位置づけている)
 アングロサクソン人(イギリス人やアメリカ人)は、手ごわい相手に対しては、結構評価するのである。
 アングロサクソン人は、まず1発殴ってみる。
 弱かったら、それまで!
 で、結構強かったら…

“なかなかやるじゃないか!日本人も!!”、と……
 と、相手を評価するのです。

 これにより、イギリスは、日本の事をあまり、強くでるよりも味方につけた方が良いと考えるようになっていきました(自国の国益に反しない限りは…)。
 それに、日本よりは、はるかに中国やインドの方が、うま味が大きかったのでそちらを優先した経緯もあります。

 又、1900年頃に中国にて勃発した義和団の乱にても規律正しい日本軍を高く評価して、その流れも踏まえて1902年の日英同盟へと発展していきました。

 もう一つの強国ロシアが残っております。
 ロシアは一貫して南下政策をとっておりました。
 理由は不凍港の領地が欲しいと言う一種の病的なまでの本能ともいえる国策にそった結果、ロシアは中国東北部(後の満州国方面)、そして朝鮮半島に徐々に勢力を浸透させつつありました。
 
 奇跡の明治維新を成し遂げた日本ではありますが、国力はまだまだ未熟です。
 又、国防上、朝鮮半島方面の安定化は必要不可欠です。
 最低でも日本にとり、中立の勢力が支配している事、あわよくば、日本の勢力圏に収めるのが国防上望ましい環境です。
(現在の北朝鮮の情勢を鑑みれば、如何に半島方面の安定化は必要不可欠であるかは、理解できると思う)

 で、朝鮮は歴史的に中国を宗主国としてあがめてきた国(地域)です。
 また、中国もそれを自負していた。

 本来であれば、日本・朝鮮・中国が一致団結して欧米列強に対抗できればよかったのですが、ダメでした。
 当初は日本もそういう考えの政治家もいたのですが、その朝鮮・中国(清)が全然当てにならない。
 朝鮮・中国ともに近代化しようと言う気配すらなかった。
 これにより日本は単独にて自主独立の道を選択したのであった。
 当時は帝国主義の真っ只中です。
 国力が未熟なまま、座して欧米列強の植民地になってしまうか?
 あるいは、悪い事とは知りながらも敢えて国力増強の為、欧米列強と同様の手法をとり、植民地(朝鮮や中国方面)を獲得するか?
 史実において、日本は後者を選び、帝国主義の道を進みました。

 話しを戻します。
 以上の如く、朝鮮の権益を巡って、日本と清は衝突しました。
 俗に言う日清戦争(1894~1895年)です。
 これに勝利した日本ではありましたら、次なる大国がいよいよ登場しました。
 ロシアです。
 1900年頃のロシアは世界一の陸軍兵力を保持する。
 海軍もイギリスに次ぐ世界第二位の戦力を保持していた。
 
 そのロシアがいよいよ、朝鮮・満州方面に勢力を伸ばし始めた。
 慌てたのが、日本です。
 清との戦争で勝利したのもつかのま、直ちに、ロシアがドイツ・フランスと共に三国干渉をしてきました。
 やむなく、日本は承諾して遼東半島を清に返還する。
 しかし、あろうことか、その遼東半島の一部をロシアが租借する。
 日本としても、たまらなかったでしょう。

 ただ、ロシアの中国進攻を問題視していたのは、日本だけではありません。
 イギリスも懸念しておりました。
 当時イギリスは中国方面のみならず、アフガニスタン方面でもロシアの南下政策に頭を悩ませておりました。
 そこで、せめて極東方面だけでも何とかしたい。
 そうだ日本と手を組んでロシアの南下を阻止しよう。
 そして、中国に於けるイギリスの権益を保持しよう!
 と考えた。

 そして、もう一つの国も同様にロシアの中国への南下政策を阻止したく考えていた。
 そう、彼のアメリカです。
 アメリカは、幕末から終始一貫して中国への進出を狙っていた。
(その証拠に、後の中国の“門戸開放”を列強に対して主張した位ですから…もっとも、どの列強も耳を貸さなかったですけど…)

 アメリカとしては、上手く日本を利用してロシアの中国への南下を押さえようと考えた。
 アメリカから見たら、広大な領地を持ち世界レベルで影響を与えるロシアよりかは、せいぜい東アジアレベルへの影響力しか保持しえない日本の方が御し易いと判断していたのであった。

 結果、日露戦争(1904年~1905年)にてかろうじて辛勝した日本はようやく、明治からの国家戦略上の目的、即ち安全保障上の観点からどうしても欲していた朝鮮半島への優越的地位の確立に成功する(特に、ロシアに対して)。
 
 アメリカとしても、朝鮮半島までは日本が支配することを容認していた。
 桂―タフト協定にて、日本が朝鮮を支配する事とアメリカがフィリピンを支配する事を相互に承認する協定を締結した。
 
 イギリスも日本が朝鮮を支配する事を容認するかわりにイギリスがインドを支配する事を容認する条約を締結した。

 フランスとも互いに“ベトナムー朝鮮”の相互支配を承認しあった。

 ロシアに関しては、日露戦争に敗北した事により、朝鮮はおろか、中国東北部から、大きくその勢力を後退せざるをえなかった。

 ただ、ここから、日本とアメリカの関係がぎくしゃくし始める。
 アメリカとしては、中国方面に経済的に進出して経済的利益を得たいと考えていた。
 一方の日本は、日清戦争・日露戦争という二つの大きな戦争を経て多くの兵の犠牲の上に、ようやく獲得した中国東北部の権益を独占したいと考えるようになった。
 現に、満州鉄道問題にていったんは、アメリカの富豪(企業)に鉄道敷設の権利を与えると言いながら、土壇場でキャンセルして日本は権益の独占を図った。
 これに対して、アメリカは反発した。

 次なる、ターニングポイントは第一次世界大戦です。
 アメリカを除く列強は欧州での戦争に集中せざるをえなくなった。
 この状況下にて、日本は火事場泥棒的に中国に於ける権益拡大に走った。
 世に言う“対華21か条の要求”です。
 これに対して、アメリカと同盟国であるイギリスは日本に対して不信感を募らせた。
 特に、イギリスは“中国における自国の権益が脅かされるかもしれない…加えて、日本はわが国からの要請である重巡洋艦(金剛クラスといい、当時の世界水準から見てとても強力が軍艦であった)を地中海方面に援軍として派遣して欲しいと頼んだのに、駆逐艦を派遣して誤魔化した。日露戦争の時には、さんざん日本のためにロシアのバルチック艦隊が日本海へ遠征するときの寄港地を制限したり、スエズ運河を渡航禁止にしてバルチック艦隊を疲弊せしめて、日本海海戦の影の支援者として助けてやったのに…。これならば、日本はあまり頼りになりそうもない。ならばいっその事アメリカと組んだ方が国益に沿うな”
 と考え始めたのです。
 アメリカも当時締結されていた日英同盟をひどくやっかんでおりました。
 何とか破棄させようともくろんでおりました。
 結果として、第一次大戦後のワシントン条約の軍縮の流れの中、日英同盟をどさくさに紛れて解消させました。

 日本の運気は、この日英同盟の解消以降確実に下がっていきました。

 ちょっと先に、第二次世界大戦の二大遠因について述べておきます。

1、多額賠償金による国の疲弊(ドイツが該当する)。
2、世界恐慌(1929年)の発生に伴う、ブロック経済化。(日本・ドイツ・イタリアが、これにより疲弊する)

ブロック経済化とは…世界恐慌に対処するべく列強は、それぞれ独自の勢力圏を設定した。
勢力圏を設定することにより、その他の国からの輸出入品に莫大な関税を掛けて、その他の国を締め出す。

アメリカ:南アメリカ大陸と北アメリカ大陸を勢力圏と設定。
イギリス:広大な植民地(アフリカやインド・オーストラリアなどの英連邦など)に設定
フランス:自前の植民地(アフリカやベトナムなど)と東欧を勢力圏に収めて設定した。
ソ連:広大な領地があったので賄えた。又、5ヵ年計画の真っ最中にて殆ど世界恐慌の影響を受けなかった。

 以上は、何とか自前にて必要なもの(石油とかゴムとか鉄鉱石とか)を自国の設定した勢力圏にて賄えた列強である。
 これらを持てる国と言う。
 一方、残った列強はどうなったか…
 
ドイツ:ようやく賠償金による国内不況から脱しつつあったその矢先に世界恐慌の洗礼を受けて、どうしょうもなくなった。
イタリア:殆ど植民地をもっておらず、また自前で賄えそうな資源にも恵まれていなかった。
日本:言わずとしれた無資源国です。
外国に商品(せいぜい生糸製品ですが)を売って、外貨を稼いで世界恐慌による経済打撃を立て直そうとするも、どこもブロック経済化していて高関税にて売却できない。
 じゃあ、どうするどうする…仕方ない。中国方面を日本の勢力圏に収めて他国と同様に中国を含めたブロック経済化して少しでもこの難局を乗り切ろう。
 そう考えた日本は中国に対して日本製品を優先して買うように求めるが、中国は拒否する(まあ、当然ですね^^;)。
 
 ならば、…とばかりに死中に活を見出そうと中国方面への軍事的進攻を目指した。(日華事変の発生…後の日中戦争へと発展した)

 これに強行に“待った”を掛けたのが、アメリカです。
 アメリカは、虎視眈々と中国市場への参入を狙っていた。
 これに対して、まずはロシアが邪魔となった。
 よって、日本を上手く使用してロシアの勢力を駆逐することに成功する。
 しかし、今度は日本がその勢力を中国に伸張し始めてしまった。
 で、それ以降は、日本の存在を邪魔に思うようになった。

 ドイツやイタリアも日本同様に世界恐慌の荒波に飲み込まれてしまい経済的に抜き差しなら無くなってしまった。
 
 それで、ドイツやイタリアは全体主義にて国難を乗り越えていこうと判断した。
 日本も同様に全体主義にて対応した。

 自国の経済ブロックの拡大を目指して日独伊は勢力拡大に乗り出した。
 ドイツは中欧(オーストリア方面)や東欧へ
 イタリアはエチオピア併合
 日本は中国(満州方面)への進攻

 これら3国は近代経済を支える原油・鉄鉱石・ボーキサイト(アルミの原料)などを産出する地域を殆ど有していなかった。
 自国経済の破綻を回避するべく、やむなく対外侵略の手段に訴える事となった。
 
 アメリカ・イギリス・ソ連は殆ど自分の勢力圏にてこれら原料を確保できる“持てる国”だったのに対して日本・ドイツ・イタリアは“持たざる国”だったのである。

 ただ、既に世界の勢力圏の割り当てはほぼ決定していた。
 いずれの地域もどこか列強の勢力圏だったのである。
 そうなると、持たざる国が国益確保の為に進出しようとすると十中八九既得権益を要するその他の列強(持てる国)と衝突するのが必至であった。
(数少ない空白地といえるのが中国であった。この中国も列強が侵出して半ば半植民地状態であったのだが…)


即ち、第二次世界大戦は持たざる国が持てる国に対して起死回生の一手として、戦争と言う手段に訴えたのが実情である。

で、1939年に第二次世界大戦の勃発。
破竹の進撃を続けるドイツに対して、連合国の一つであるフランスは開戦からわずか、1ヶ月で降伏する。
オランダも本土を占領されてかろうじて亡命政権がイギリス本土にて落ち延びる。
 イギリスは、かろうじて海軍力にて勝っているのでイギリス本土上陸を阻止しているが連日深夜のロンドン爆撃に痛めつけられていた。
 同時に有名なドイツ海軍のUボートにより商船を沈められ、本土補給線をズタズタにされて青息吐息の状態であった。
 イギリスのチャーチル首相は残っていた大国アメリカの大統領ルーズベルトに助けを求めた。
 
 アメリカとしても、もともとの故郷(出身地)と言う思いのあるヨーロッパがナチスドイツの支配下に収まることをよしとは考えなかった。
 又、ドイツ国内においては、有名なユダヤ人虐殺が始まった。
 当時、アメリカの政財界においてじょじょにその勢力を広めつつあったのがユダヤ人であった。
 ユダヤ人たちは何とかヨーロッパの同胞を助けようと考えた。
 アメリカ大統領ルーズベルトも本来、植民地であったアメリカが宗主国イギリスを始めとしたヨーロッパに救世主の如く颯爽と登場してヨーロッパをナチスドイツの手から開放するという設定に強くひかれていた。
 
 ただ、アメリカ大統領ルーズベルトは選挙公約として“アメリカ市民の皆さんやその息子さんを戦場に送らない事”を公約して3選を果たせたという経緯から、アメリカから先立ってドイツに対して開戦するという選択肢を持ち合わせていなかった。
 何とか、ドイツから先にアメリカに先制攻撃させたかったのである。
 しかし、ドイツも第1次世界大戦の苦い経験から工業大国のアメリカの参戦により敗北したという経験から、幾らアメリカがドイツを挑発しても先制攻撃しようとはしなかったのである。

 このとき、アメリカは気づいた…そうだ日本とドイツは同盟関係にある。
 日本を挑発して日本を追い詰めて日本に先制攻撃させたらドイツは三国同盟の関係からドイツもアメリカに参戦してくる。
 そうなれば、アメリカは正々堂々とドイツを攻撃できる。
 そして、ドイツと日本を倒したら戦後の覇者は我がアメリカとなる。
 中国・そして、ヨーロッパを新たにアメリカの勢力圏に収められる!と……

(それに、ルーズベルト大統領は反日本・親中国だったので、なお更、日本たたきに走ったのであった。
 ただ、補足説明しておくと、アメリカとしてもあまり日本を追い詰めようとは考えていなかったフシも見受けられる。
 しかし、日米激突が必至となったターニングポイントは1940年の日本によるフランス領土インドシナへの侵攻からであった。
 日本としては当時ナチスドイツの傀儡政権であったといて、ヴィシー政権から承諾を得てのインドシナへの進攻であったが、これがアメリカの逆鱗に触れた。
 インドシナとアメリカの植民地フィリピンとは眼と鼻の先である。
 このままではアメリカの国益が侵害される。日本を止めねばならない。とアメリカは考えた)

当時の日本は近代国を支える石油や鉄鉱石代わりにくず鉄をアメリカから輸入していた。
それの輸出をアメリカは止めた。
近代工業国家にとって、原油は必須である。
あいにくと、当時の日本の勢力圏(日本本土・朝鮮・満州)には、原油産出地がなかった。
(戦後、満州方面にて原油の産出地が見つかるが当時は発見できていなかった)
 で、アメリカは、日本に最後通牒、いわゆるハル-ノートの受諾を迫った。

1、日独伊三国同盟の破棄
2、フランス領土インドシナからの撤退
3、中国からの撤退。
大きな要素はこの3つです。
日本にとり、一番障害となった条件は3の中国からの撤退でした。
上述の如く、世界のブロック経済化からの不況から脱出する為にやむなく中国に進出した日本であったが、その中国から撤退してしまっては、経済的に立ち行かなくなる。
 特に満州国からの撤退は日清戦争・日露戦争と言う多くの日本兵士の犠牲の上に獲得しえた既得権益と日本の陸軍の中枢は考えていたのでどうしてもその要求を呑む事ができなかった。
 アメリカとしても、中国の国民党の蒋介石の顔を立ててあえて中国からの撤退の条件の中に満州国からの撤退も含めるかどうかについて曖昧にしていたようである。
 場合によっては、満州国からの撤退は別と捉えていたフシもあるが、日本の中枢は少なくとも中国からの撤退とは満州国も含むと判断した。

 原油がなくては日本国内も工場も停止してしまう。
 それまでは、対米避戦を考えていた日本海軍も(このままでは海軍の軍艦を動かせる石油の備蓄が1年半~2年でなくなる!と切羽詰って)次第に対米戦もやむなしと考え始める海軍の実力者も出始めた。

 こと、ここに至って日本は対米戦もやむなしと判断して太平洋戦争への突入していった。
 
 1941年の太平洋戦争の直前となっては、もうアメリカは対日本戦をやる気、満々だったので幾ら日本が外交上譲歩しても戦争は不可避だったでしょう。

 それこそ、日本がハルノートを受諾して中国から撤退して、日本の国民が何千万人(2千万人くらいだったかな?ちょっと記憶があやふやで申し訳ない)もが、飢餓で死亡して日本経済が滅茶苦茶になってもOKだったら、何とかなったかもしれない。
 要するに、アメリカの要求は幕末(幕末の日本の人口は2600万人~3000万人)にまで領土を戻せ!と言ったようなものですから。

 (因みに、ABCD包囲網についてだが、オランダ(D)はイギリス本土に亡命政権を持ちイギリスの意向には逆らえない。
 イギリス(B)は何とかアメリカの支援(参戦)が欲しい。
中国(C)国民党もアメリカにせっせと武器支援も貰っていて、アメリカの意向には逆らえない。
 で、アメリカ(A)は、日本と戦争する気が満々。
 日本の近場の石油産出地のボルネオ島はオランダの植民地だから、幾ら日本がオランダに石油の輸出を希望してもオランダは拒否する。)

こういわれたら、日本としては、にっちもさっちも行かないので戦争に活路を見出そうと考えたのです。
 日露戦争も大体似たような国力差がありましたが、奇跡的に辛勝できたので、“夢よもう一度“と言った感じだったのでしょう。
 ただ、日露戦争当時は、当時の求められる最良の同盟国イギリスがおりました。
 仲介国たるアメリカもおりました。
 しかし、太平洋戦争にはいずれも存在しなかった。
 日本海海戦に相当する大勝利もなかった。
 
 結果、日本の敗戦となったのです。

 アメリカは、日本に先制攻撃(ハワイ奇襲攻撃)させることにより、得たり!とばかり参戦していった。
 つまり太平洋戦争の勃発です。

総括:

 東京軍事裁判ははっきり言って茶番です。
 日本は確かに侵略国であった。
 中国や朝鮮から責められても仕方ない側面もあった。
 しかし、同時に日本が欧米列強からの被害国でもあった。
 即ち、植民地を獲得して国力増強に努めねば、早晩どこかの植民地にならざるを得ない世界情勢にあった。
 
 欧米列強も同じ穴の狢である。
 アメリカ:フィリピンを植民地化
 イギリス:インド・シンガポール・アフリカなどに広大な植民地を持つ
 フランス:フランス領土インドシナ・アフリカなどに植民地を持つ
 オランダ:現在のインドネシアを植民地にもつ。
 
 以上を踏まえると日本以上に欧米列強は帝国主義を貫いて植民地を保持していた。
 
 ソ連は、日本と日ソ中立条約を締結して条約期間中であったにも拘らず、日本に攻めてきた。
 明らかな条約違反をした。

 日本を悪者と設定するのであれば、欧米列強は日本以上に悪者です。
 ただ、まあ、国際関係は単純に勧善懲悪にて判断できるものではない事を付記しておきます。

 私の考えは以上です。
 


 
 

 

 

☆一言で言うとアメリカは、その矛先を…つまり、市場確保や権益確保の矛先として、終始一貫して中国を狙っていた。
 幕末から、ず~~っとね。
 それを日本が独占しちゃったから、アメリカは”いずれ日本は叩き潰さねばならない!”と決意していた。
 結果、太平洋戦争が勃発した。

 以下に歴史的詳細を書き記す。

 幕末にペリー来航す。
 目的は、建前的には、捕鯨船の為、寄港地として、そして燃料補給地としての日本の港の開放にあった。
 しかし、本音は、巨大な人口を要する中国市場(常に、...続きを読む

Qなぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

なぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

関東軍の暴走や、5.15事件、2.26事件…。
真珠湾攻撃の前には既に南方で勝手に戦端が開かれていたとか。
それから、敗戦時にも玉音放送を中止させようと陸軍のクーデターが起こるなど、なぜ戦前の日本では、軍事がコントロール不能になってしまったのですか?

当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?

※これはド素人の質問ですので、質問文中に認識違いなどがあった場合は遠慮なく指摘して頂いて結構です。その際はどうぞお手柔らかに…

Aベストアンサー

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良かったのでしょう。
内閣・国務大臣も戊辰戦争を戦ってきた人々でしたからね。

時代が進むにつれて、「統帥権」の変容したのが、軍部の暴走した要因だと思います。
大日本帝国陸海軍には行政組織の陸軍省と海軍省が有り、それぞれに大臣がおりました。
これらは内閣の一員の行政組織で、人事権、徴兵などを行政事務を行ないます。
それとは別に海軍には軍令部、陸軍には参謀部があり、軍令部総長・参謀総長がおりました。
実際の作戦立案、実行を一手に握っていました。

最初は海軍省>軍令部、陸軍省>参謀部の関係でした。
現役の軍人とはいえ、官僚ですのである程度の常識を持ちイケイケの軍人を抑えていたのですが
それに不満を持つ軍人が「天皇は陸海軍を統帥す」の文言を盾にとり、統帥権の独立を画策し始めました。
次第に省令等を改定し、海軍省<軍令部、陸軍省<参謀部の力関係になりました。
つまり、軍人の文が弱まり、武が強くなってきました。
国会議員が異議や反対意見を述べたりすると「統帥権干犯」を持ち出し、反対意見を封殺していきました。
つまり、建前上、天皇のみしか軍隊を指揮命令する事が許されない
神聖にしてだれも犯す事の出来ない武力集団に仕立て上げたのです。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tousuikennnokannpann.htm

しかるに、昭和天皇は皇太子時代、大英帝国を訪問し、英国の立憲君主制に触れ、それを模範にするお考えが有りました。

国王・皇帝が独裁的に指揮・指示・命令をするのではなく、それを輔弼する内閣・国務大臣の政策を承認する形を取りました。
それで、天皇の名の下に、自分の都合よく相手国に武力行使を独断専行で行い、全て事後承諾で戦争へと進んだのです。
結局は、降伏か戦争継続かで意見が分かれ、収集が付かなくなり、昭和天皇のご聖断となった訳です。

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良か...続きを読む

Q韓国人が一発で黙る歴史の真実

東アジアでは昔から「王」は「皇帝」の家来です。
従って朝鮮王と名のることは中国皇帝の家来ですと宣言することです。(日本は天皇がいた。)
このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

Aベストアンサー

失礼な表現、記載、誤記等ありましたら済みません。

>このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

私も激しくなる事はあっても黙らないと思います。
まず、李氏朝鮮は古くは明、後に清に冊封していた事は明らかです。
韓国でどういう歴史を教えているか知りませんが
嘘の多い韓国の大河ドラマですが「チャングムの誓い」「イ・サン」「トンイ」で世子(セジャ・次期朝鮮王)、世孫(セソン)を世継ぎとして明や清に認めてもらうと言う場面が多々あります。
少なくとも、李氏朝鮮は明や清に朝貢、冊封していた事は認めています。
もし、そう言う認識が韓国に無いのならばこのドラマを作った監督は韓国マスコミや民衆に袋叩きになっていると思います。

中国に対しても韓国5000年の歴史と大統領が発言したりして中国より歴史があると言ったりしています。歴史観でほんの少しでも日本寄りの発言をすると韓国メディアや国民から袋叩きにあって社会的に抹殺されます。
それがソウル大学の教授でもですよ!
まだ、社会的な抹殺で殺人でないだけ良いですが…
(添付YouTubeを見てください)

韓国の有識者は日本併合(植民地)時代の本当の歴史等を知っているとは思いますが全体としては臨時政府などと言い方を変えたり、テロリストを反日であれば英雄にしてしまうように都合のいい歴史観にしています。
考古学的に何の検証もしていない神話レベルの話で韓国5000年の歴史と大統領が発言してもはばからない国です。
現在は日本は、歴史は歴史で神話とは別というのが日本人の共通認識のはずですが韓国人がどこまで区別しているのか、全く分かりません。

何せ、韓国では日本は悪でなくてはならない国であり、韓国は常に正義であり善であると教えている国です。
今の韓国には日本人が何を言っても逆なでする事はあっても肯定する人はなく無駄な気がします。
多少の隠れ親日派は作れるかもしれませんが公に口にする人はいないと思います。
韓国で権威のある歴史学者、大学の教授の発言でも親日でなくとも日本を少しでも擁護する内容であれば叩かれます。

李氏朝鮮末期の記録は欧米の記録や写真などが多少なりとも存在しています。
そう言った物、資料を直視する韓国人は少ないのです。
今の韓国と日本で歴史観を埋めようとしても一方的に韓国の歴史観を押し付けられるだけです。
今のうちに、そう言った客観的な資料を集めておくとか、日本、中国の文献を集めておくとか準備しておくくらいしかないと思います。
あまり人の事を言える立場では無いですが慰安婦問題なら「韓国軍のベトナム人大虐殺」「米軍慰安婦」とかで対応するしかない。

添付YouTubeでも言っているように
韓国とは暫く距離を置いて付き合うのが無難だと思います。

【日韓問題】 韓国人から見ても異常な…韓国人ブロガー・シンシアリー氏 .
↓↓(YouTube)

https://www.youtube.com/watch?v=cluHbI5i7gU

失礼な表現、記載、誤記等ありましたら済みません。

>このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

私も激しくなる事はあっても黙らないと思います。
まず、李氏朝鮮は古くは明、後に清に冊封していた事は明らかです。
韓国でどういう歴史を教えているか知りませんが
嘘の多い韓国の大河ドラマですが「チャングムの誓い」「イ・サン」「トンイ」で世子(セジャ・次期朝鮮王)、世孫(セソン)を世継ぎとして明や清に認めてもらうと言う場面が多々あります。
少なくとも、...続きを読む

Q弾劾裁判とは?

ニュースを見ていたら弾劾裁判が行われたと言っていましたが、弾劾裁判ってなんだろう?と気になってしまいました。ご存知の方教えてください。。。

Aベストアンサー

弾劾裁判とは重大な非違のある裁判官を罷免するために行われる特別な裁判です(憲法64条を参照)
 
 弾劾による罷免の理由としては以下の二つがあります。
(1)職務上の義務に著しく違反しまたは職務を甚だしく怠っ た時。
(2)その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著し く失うべき非行があった時。
        *裁判官弾劾法20条

 弾劾裁判所は各議員においてその議員の中から選挙された各7人の裁判員で組織されます(国会法125条、裁判官弾劾法16条)。

 要するに悪いことをした裁判官を裁判するのが弾劾裁判ですね。通常、裁判官というものは手厚くその身分が保証されているものです。そうでないと司法権の独立が保てません。この弾劾裁判は憲法(64条)が認めた例外なのです。

 今回の弾劾裁判によって村木判事は罷免されることになりました。携帯電話の伝言サービスなどで知り合った当時14―16歳の少女3人に現金を渡してわいせつ行為をし、裁判官としての威信を著しく損ねた、というのが理由です。止む無しという気がしますね。

 因みに弾劾裁判で裁判官が罷免されるのは20年ぶり、1947年の制度発足以来、5人目だそうです。

*憲法64条
「(1)国会は、罷免の訴追を受けた裁判官をするため、両議  院の議員で組織された弾劾裁判所を設ける。
 (2)弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。」

弾劾裁判とは重大な非違のある裁判官を罷免するために行われる特別な裁判です(憲法64条を参照)
 
 弾劾による罷免の理由としては以下の二つがあります。
(1)職務上の義務に著しく違反しまたは職務を甚だしく怠っ た時。
(2)その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著し く失うべき非行があった時。
        *裁判官弾劾法20条

 弾劾裁判所は各議員においてその議員の中から選挙された各7人の裁判員で組織されます(国会法125条、裁判官弾劾法16条)。

 要するに悪いことをし...続きを読む

Qイキサツ 満州事変

満州事変について資料をみても、あまり理解できません。満州事変とはどういういきさつで起きたことで、どんなことがあったのですか? また満州事変が起きたことで、なにか大きな戦争や、事件、問題のようなものは歴史上や現在ありますか? 今まで勉強不足だったもので、できるだけわかりやすい言葉がいいです。お手数ですが、どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

>満州事変とはどういういきさつで起きたことで

そうですね、深く説明するときりが無いですが、簡単に経緯だけ。。

まず日本は、19世紀の終わりに朝鮮半島を巡って中国(清)と対立、戦争をして勝利、朝鮮半島を影響下におきます。
朝鮮半島国境(今の北朝鮮中国側国境)に隣接たところが満州と言われる地域ですが、ロシアがこの地域への進出を狙っていました。

1900年に、清が国内の外国勢力に宣戦布告すると(義和団事件)、ロシアは大軍を満州(正確には中国東北部)に送り込み、朝鮮半島にも圧力をかけ始めました。このため、日露戦争となり、アメリカの調停によって日本は満州の鉄道の利権を得ます。

これを足がかりに、日本は満州の権益を確立してゆきます。第一次世界大戦後、満州における利権の拡大のため、当時内戦状態だった中国(清は滅亡)で、満州を支配していた張作霖と手を組みます。しかし、利用価値がなくなったと知るや、満州の警備に当たっていた関東軍は、張作霖を殺害してしまいます。

張作霖の息子が満州地方での指導者になると、ここから日本の勢力を取り除こうとしました。陸軍の関東軍はこれに危機感を募らせ、武力によって満州を中国の主権から切り離して、日本の支配下におこうと計画します。

そこで関東軍は、自ら経営している南満州鉄道を爆破し、それを中国軍の仕業だとして軍事行動に出ます。そして、満州の各要地をことごとく占領します。この一連の軍事行動が「満州事変」と言われるもので、1931年9月から翌年3月まで続きました。

3月になると、滅亡した清の最後の皇帝(映画ラストエンペラーの人物)を迎え、「満州国」の建国を宣言しました。

>満州事変が起きたことで、なにか大きな戦争や、事件、問題のようなものは歴史上や現在ありますか?

まず、この日本軍(関東軍)の行動は国外で強く批難されました。国連の調査団がきて、日本軍の撤退要求が出されると、日本は国際連盟を脱退して、国際的に孤立するようになります。

更に日本は、華北方面(北京の方)にも侵略を企てようとして、翌年中国軍と激突し、日中戦争がはじまります。
日中戦争が泥沼化する中、今度は中国の日本進出を快く思わないアメリカと対立が深まり、紆余曲折を経て日米開戦に至ってしまいます。

また、満州国が建国されてから、日本政府は積極的に国内の日本人を満州に移住させようとして、多くの日本人が満州に移り住みました。
しかし、終戦直後にはソ連が満州に侵入し、多くの日本人が殺され、また捕虜として捕らえられシベリアに抑留されました。中国残留日本人孤児は、このときの混乱によって置き去りにされた子ども達です。

簡単に、、、と言いましたが、長くなってしまいました。
でも、これでもかなり省略しましたので、本当はもっともっと複雑な国際関係が絡んでいます。
まずは簡単な世界史の本でも読んでみることをお勧めします。

疑問点がありましたら、またお尋ねください、かなりはしょって書いたので。。。

>満州事変とはどういういきさつで起きたことで

そうですね、深く説明するときりが無いですが、簡単に経緯だけ。。

まず日本は、19世紀の終わりに朝鮮半島を巡って中国(清)と対立、戦争をして勝利、朝鮮半島を影響下におきます。
朝鮮半島国境(今の北朝鮮中国側国境)に隣接たところが満州と言われる地域ですが、ロシアがこの地域への進出を狙っていました。

1900年に、清が国内の外国勢力に宣戦布告すると(義和団事件)、ロシアは大軍を満州(正確には中国東北部)に送り込み、朝鮮半島にも圧力をかけ始め...続きを読む

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む


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