大奥ってなんですか?

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A 回答 (3件)

(回答1)


フジテレビ系列で放映されているTVドラマのタイトル。
木曜日22時~。
詳しくは、こちらのサイトをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A5%A5_ …

(回答2)
「誰々の妻」を意味する言葉に「おくさま」とか「おくがた」という言葉があるのはご存知ですか?
漢字では「奥様」・「奥方」と書きます。
これは、昔は妻は家の区画のうち「奥」といわれるところに居住していたからです。
江戸時代には「将軍」がいました。
将軍は武士の中では一番地位が高い、偉い-とされていました。
その将軍の妻は「御台所」と呼ばれていました。
将軍は江戸城に住んでおり、武士の中では一番地位が高い人ですから、その妻の「御台所」が住んでいる江戸城の中の「奥」は、別の家の「奥」と区別するため、特別に「大奥」と呼んでいたのです。
詳しくは、こちらのサイトをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A5%A5
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大奥というのは江戸城で御台所の居住する区画です。


大奥といっても御台所のいる御殿と、御台所へ仕える置く女中の居住区画である長局、そして事務所であるお広敷の3区画がありますが、このうち御殿と長局は女性だけの世界で、男子で入れるのは将軍だけです。
大奥でも広敷には男性の役人が詰めていました。
また老中や留守居はめったにはありませんが、職務上の大奥御殿に入ることはありました。
大奥は将軍の日常の住居である中奥とは2ホンのお鈴廊下でつながっており、将軍が大奥に出入するときは鈴を鳴らして知らせました。
このお鈴廊下を通って出入できるのは男子では将軍だけでした。
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大奥とは「将軍」の奥様の事です


因みに「側室」と言うのもありますよ
詳しくは、参考サイトをご覧下さい

参考URL:http://www.union-net.or.jp/cu-cap/sokusitu.htm
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Q大奥おすすめ

フジテレビドラマの
大奥面白いなと思って
DVDBOXを買いたいと思うんですが
『大奥』
『大奥~第1章~』
『大奥~華の乱~』
で迷っています!

どれも全話は見たことありません(・ω・`)

どれが一番オススメですか?

Aベストアンサー

はじめまして。

「大奥」
これは13代家定~15代慶喜までの話ですね。
天璋院篤姫を、菅野美穂さんが演じています。
あと皇女和宮を安達祐美さん、実成院を野際陽子さん、大奥総取締役瀧山を浅野ゆう子さんが演じています。
本当はこの時期ではなかった「江島生島事件」が登場します。

「大奥~第1章~」
2代秀忠・3代家光の頃です。
春日の局を松下由紀さん、江を高島礼子さん、お万の方を瀬戸朝香さんが演じています。
秀忠の頃からというか、春日の局が家光の乳母になる少し前から話は始まります。
第一ラウンド春日の局VS江、第二ラウンド春日の局VSお万の方といった感じですか。

「大奥~華の乱~」
5代綱吉の時代の話です。
多分、ドロドロ度まっくすかも。やけくそ?(^^;)
大奥の女君全面戦争の感があります。
御台所を藤原紀香、側室達には内山理名さん、小池栄子さん、中山忍さんが演じています。

NHKの「篤姫」を見ていらっしゃった方には、「大奥」は違和感があります。
私の姉がそうでした。
第1章が、一番違和感なく話を受け入れられるかもしれません。
基本的に大奥は女性の世界なので、ドロドロバトルありきですが、無責任に女のバトルを見たいなら、華の乱がありかもしれません。

参考になりましたでしょうか・・・(^^;)

はじめまして。

「大奥」
これは13代家定~15代慶喜までの話ですね。
天璋院篤姫を、菅野美穂さんが演じています。
あと皇女和宮を安達祐美さん、実成院を野際陽子さん、大奥総取締役瀧山を浅野ゆう子さんが演じています。
本当はこの時期ではなかった「江島生島事件」が登場します。

「大奥~第1章~」
2代秀忠・3代家光の頃です。
春日の局を松下由紀さん、江を高島礼子さん、お万の方を瀬戸朝香さんが演じています。
秀忠の頃からというか、春日の局が家光の乳母になる少し前から話は始まります。
第...続きを読む

Q孝弟を学べって孝弟ってなんですか?書物ですか? 孝弟を学んだら、次は忠信を学べと言われたが、孝弟と忠

孝弟を学べって孝弟ってなんですか?書物ですか?

孝弟を学んだら、次は忠信を学べと言われたが、孝弟と忠信をAmazonで検索してもそんな書はなく孔子の論語が表示されます。

どうやって孝弟と忠信は学ぶんですか?

Aベストアンサー

孝弟ではなく孝悌ですね。
儒教では仁義礼智信忠孝悌節恕勇譲が根幹思想とされていますが
そのうちの仁義礼智信忠孝悌が八つの徳、つまり八徳と呼ばれます。(里見八犬伝にも出ます)

「孝」は目上の人や親を敬うこと、「悌」は兄弟が仲の良いことです。

「忠」は目上の人や主君のために尽くすこと、「信」は相手に嘘をつかないこと、また相手を信じることを言います。

>どうやって孝弟と忠信は学ぶんですか?

私は聖人や君子ではありませんが、目上の人や親をどうすれば敬えるか、どうすれば兄弟が仲良くできるか
どうすれば人のために尽くせるか、人には嘘はつかない、相手のことを信じようという気持ちを常に持っていれば
そういう境地になれるのかもしれません。できればそういう人間でありたいですね。

Q下らない質問です。大奥に関するアンケート。

(1)男性へ質問。
あなたは「将軍になって大奥へ入りびたりになれたら幸せだな」と考えたことはありますか。
(2)女性へ質問。
あなたは大奥の女になりたいと考えたことはありますか。あるいは、大奥に憬れる男をどう思いますか。

(参考)大奥の女は働かなくてもいい、楽な生活が出来たみたいですよ。なお、私は男です。大奥に憬れてま~す。

Aベストアンサー

(2)女性へ質問。
あなたは大奥の女になりたいと考えたことはありますか。あるいは、大奥に憬れる男をどう思いますか。

考えたことないけど、今考えてみました。
殿が私好みのイケメンなら大奥の女になってもいいけど、殿様がバカ殿でおまけにチビデブハゲなら拷問ですね(>_<)
大奥に憧れる男ですか?ハーレムみたいですね。権力をカサに・・・アリだと思います。

Q大奥 何故、お万は子供を産んではいけないのですか?

大奥を見て、疑問に思っていた事が2点あります。
1点目
春日の局は、「お万様にお子が産まれる事はあってはならない」と言っていました。
お万が懐妊した時、春日の局は流産させる為に必死に薬を持ったり策を巡らせたりしていました。
上様は、流産させる事には反対しながらも、「子供は男とは限らない」言っていたし、懐妊を知った時は、ただ驚いただけで、顔は引きつっていて、子供が産まれる事を、そんなに喜んではいませんでした。
お万が解任したとき、お万の父?が、大奥に来たのと、関係が有るのでしょか?
根回しをしてお玉が産んだ事にした最終回。そんなに複雑な政治が関わっていたのでしょうか?

2点目
将軍を、「上様」と呼んでいたり、正室である貴子の彼や、側室お楽の家族は、「くぼうさん」と呼んでいたりしてますが、単に呼び方が違うだけでしょうか?
上様は、お万の父を嫌っていましたが‥‥何か因縁みたいなものがあるのでしょうか?

Aベストアンサー

回答と言うより、蛇足です。

既に回答されていますが、幕府?徳川家?将軍?には「皇室や公家の血を混ぜてはいけない」とする不文律があったとする俗説があります。
所詮は娯楽番組での作り話なので、そうゆう時代背景があったとの想定でドラマが作られた、としか言いようがなく、その意味では深く詮索するだけ無駄です。

しかし、私は「血を混ぜてはいけない」とする不文律について個人的に興味津々なので、以下にコメントします。興味がおありになれば、読んでやって下さい。

この不文律は皇族・公家出身の御台所がほとんど出産していないことからの、単なる後付の解釈です。
但し、幕府勢力の中に、皇室や公家と血が混ざることの嫌悪感を抱いていた者がいたのは事実だと思います。ただ、毒を盛るなどの実力行使を実際に組織的に大奥で行っていたとするのは話の飛躍も甚だしいです。側室同士の女の争いのレベルの話なら、敢えて否定はしませんが。

例えば、家綱の危篤に際して皇族(有栖川宮)から将軍を迎えようとの案も出ています。主張したのは幕閣トップの大老・酒井忠清です。

今の日本は一応階級はないですが、それでも片方が「ええとこ」の坊ちゃん・嬢ちゃんの場合は、両家の「つりあい」が問題になる場合がまだあります。
将軍の場合、親藩か譜代の大藩か外様の大大名の娘を御台所とするのが「つりあい」ですし、将軍の権力をもってすれば、大名の娘を側室に所望することなどは、容易であったはずです。それをしなかったのは、言うまでもなく将軍の母方の実家による政治介入を恐れたからです。
外戚政治を防止するためには、正室・側室が実力の低い家の娘であれば良い訳です。オスマン(トルコ)帝国では、皇妃は奴隷商人から買っていたという話すらあります。
大奥は、側室の供給源としてうってつけの制度です。中下級役人にすぎない旗本や町人の娘に女中奉公させ、その中からお手がついたら上廊(側室)に昇格という制度ですから、誰にお手がついても外戚の心配はありません。
更に、日本では丁度よいことに、実力は失ったが権威だけはある皇室とその臣下の公家という階級がいたので、そこから正室を調達すれば、将軍の妻が一般大名の妻に見劣りすることもありません。
なお、側室にも公家の娘がいますが、これは御台所が京都から連れてきた(呼び寄せた)侍女にお手がついたものです。「お万」など一部例外もいますが。

もし、将軍に「公家の血を混ぜてはいけない」とする不文律が本当にあったとすると、梅渓通条という公家の娘から生まれた「家治」は闇に葬られたはずなのですが、これをどう説明するのでしょうか。
家治は家重の長男として生まれ、幼名も通例どおり竹千代と名付けられるなど、何の妨害もなく世継とされています。
家治自身も皇族の姫宮(閑院宮倫子女王)を御台所に迎え、2人の姫が生まれています。このことから、家治の場合はあくまでも例外とコメントされる場合も見られます。しかし、例外の理由は示されていません。

更に、慶喜の母も皇族の姫宮(有栖川宮吉子女王)です。慶喜の将軍就任には妨害が入りましたが、母が皇族だからという理由が語られるのを聞いた記憶はありません。母が‥ではなく水戸は‥というのなら、聞いた記憶が有りますが‥

なお、あまり知られていませんが、家宣の場合も公家出身の正室(近衛熙子)が男女1人の子を産んでいますが、これは甲府藩の時代のことなので、あっさり例外だと言われそうですね。
実は江戸城に入ってからも、大五郎・虎吉という2人の男子を産んだ公家出身の側室(園池季豊の娘 お須免)がいます。もし大五郎が4歳まで生きていたら、家継の兄にあたるので将軍になっていたのかもしれません。


蛇足の蛇足ですが、後水尾天皇の皇子女が闇に葬られていたという話がありますが、こっちの方は恐らく事実でしょう。
後水尾天皇には徳川和子の入内の前に1男1女がいましたが、それ以後12年間は徳川和子の子しか産まれず、その後25年間に6人の女官から25人の子が産まれるという明らかに不自然な皇子女の出生をしていることから、絶好の小説ネタになっています。

幕府の立場からは、徳川和子の産んだ皇子に皇位継承させるまでは他の女官たちの子は闇に葬るという「12年間」の行為の証拠と見て取れます。

一方、朝廷の立場は極めて明確です。皇位継承は堂上公家の娘から生まれた皇子に限定され、徳川はその身分ではありません。これは皇室の不文律ですが、実に良く守られています。例外は下記の通り。
六条天皇  外祖父は伊岐致遠 神官出身の下級官吏 後白河院に歯向かった二条天皇を退位させるために擁立された幼帝
安徳天皇  外祖父は平清盛  (平清盛一族を新興の堂上公家と見るなら例外にはあたらない)
後円融天皇 外祖父は紀通清  石清水八幡宮の社僧 足利義満のいとこ。母が姉妹。
明正天皇  外祖父は徳川秀忠 
光格天皇  外祖父は岩室宗賢 医師        皇位断絶の危機。聖護院門跡を継承する予定であったが、急遽還俗して即位。
古代は除いています

明正天皇による八百年ぶりの女帝復活は、徳川系皇室を目論む幕府に対する「1代限り」の意思表示であることは言うまでもありませんが、その前提として、徳川和子の産んだ2皇子の夭折があります。
いくら徳川憎しと言っても、後水尾天皇が自らの手で皇子を始末したとは考え難いので、朝廷勢力の誰かが天皇の意向に関係なく2皇子を手に掛けた可能性は大ですね。

回答と言うより、蛇足です。

既に回答されていますが、幕府?徳川家?将軍?には「皇室や公家の血を混ぜてはいけない」とする不文律があったとする俗説があります。
所詮は娯楽番組での作り話なので、そうゆう時代背景があったとの想定でドラマが作られた、としか言いようがなく、その意味では深く詮索するだけ無駄です。

しかし、私は「血を混ぜてはいけない」とする不文律について個人的に興味津々なので、以下にコメントします。興味がおありになれば、読んでやって下さい。

この不文律は皇族・公家...続きを読む

Q大奥で御台所が大老と対面する場面

NHKの大河ドラマ「篤姫」で、御台所の篤姫が大老 井伊直弼と広間で会見する場面や茶室で二人だけで話し合う場面がありました。

大奥と言えば、上様以外の男子禁制の場所だと思いますが、大老と会見する広間や茶室は大奥の中ですか。それとも、御台所が侍のいる表に出かけるのですか。どちらも、従来の大奥の常識から見れば、不自然な感じがするのですが、会見場所や茶室が大奥の中なら表から大奥へ、会見場所や茶室が表なら大奥から表まで、どうやって行くのですか。上様が表から大奥へ渡るのは御錠口かと思うのですが、同じところを通るのですか。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まずは、大奥の区画についてですが、大別して以下の3つになります。
(1)御殿向(ごてんむき)
将軍(公方さま)の大奥での寝所である御小座敷、御台所の居室である新御殿や御切手の間、側室や御世継以外の子女の居室、奥女中の詰所などからなっています。
※将軍のことを江戸時代は「将軍さま」とは呼ばず「公方(くぼう)さま」または「大樹(たいじゅ)さま」と呼びました。良くTVで「将軍さまのお成り~」などと叫びますが、これは、単なる視聴率を上げるための所業。
※公方さまは、通常は、中奥の「蔦の間」で寝起きをし、子作りに励まれるのですが、時には、大奥で寝起きをすることもありました。
※御切手の間とは、老中などから「許可」を受けた者が大奥へ入る時に、「通行手形(通行許可書)」を改める者の詰所です。
※奥女中の詰所に詰めるのは、「お目見え(公方さまに顔を見せられる位の役職者)」以上の者で、多くは、公方さまが大奥へ入られた時に「身の回りの世話」をする者とか御台所の「身の回りの世話」をする者たちの詰所でした。
(2)広敷向(ひろしきむき)
大奥の事務や警備等を担当する男性役人の詰所。唯一、男性の入ることのできた区画ではあるが、御殿向や長局向(ながつぼねむき)などには入れませんでした。広敷用人、御用達、広敷番、広敷伊賀者などの詰所からなる。
※広敷用人・・・大奥の御台所や上臈(じょうろう)御年寄など、大奥の上級お女中から頼まれた仕事をする。
※御用達・・・・用人の指示により、出入りの商人から買い物を調達する掛り。
※広敷番・・・・大奥女中が城外への出入りとして使う「平川門」の警護や御錠口(御殿向と広敷向との境にある扉)の警護や七つ口(長局と広敷との境の扉(朝五つ<午前8時>に開き、夕七つ<午後4時>に閉めたことから「七つ口」と呼ばれるようになった。ここは、鑑札を持った出入りの商人が商品を売りに来た場所の警護。
※広敷伊賀者・・・大奥の上級者たちがお寺参りなどに出掛ける時の「警護役」。
(3)長局向(ながつぼねむき)
大奥の御台所や上級者以外の居住区画。2階建になっており、下級お女中たちの寝所などがあった。

>>大奥と言えば、上様以外の男子禁制の場所だと思いますが、

確かに、おっしゃる通りが定説となっていますが、大老、老中、若年寄りなどの役職者は、御用がある時には、大奥に入りました。
意外と思われるかもしれませんが、前文でも述べたとおり、男性の区画もあったのです。
また、警備上の理由で月に一回は「老中見回り」、三ヶ月に一回は「御留守居見回り」があり、男子が「女の園」に入ることができました。男に飢えたお女中たちが、この時ばかりと、特別に着飾って色目をつかったが、見て見ぬ振りをすることが義務付けられていました。 

>>大老と会見する広間や茶室は大奥の中ですか。それとも、御台所が侍のいる表に出かけるのですか。

大奥にも「対面所(たいめんしょ)」という部屋があり、御台所や大奥の上級御年寄りたちが、許可された者と会見する場所がありました。これも、3つ位あり、約20畳の部屋、約10畳の部屋、約8畳の部屋とあり、用途や会見する人数などにより、部屋を決めました。
また、通常は、たとえ御台所さまでも「表向」へ行くことは「禁止」されていましたが、篤姫は、夫である家定が死んだ時、表にある「安置所」に出向いています。まあ、幕府も衰退する頃でしたので、そうした「暴挙」も許されたのでしょう。
公方さまが死んだ時は、誰かを次期将軍として「指名」していなかったような場合、幕府政治の「空白期間」ができるため、幕府は、死亡の発表を遅らせて、諸大名たちが「謀反」を起こさないようにしたりしました。

>>会見場所や茶室が大奥の中なら表から大奥へ、会見場所や茶室が表なら大奥から表まで、どうやって行くのですか。上様が表から大奥へ渡るのは御錠口かと思うのですが、同じところを通るのですか。

まず、大奥にも「茶室」はあり、御台所や上級御年寄たちの「たしなみ」の場とされました。井伊直弼は、この大奥の茶室で篤姫と会見しました。
「対面所」では、御台所などにしても、必ず、付添い人がいますので、「秘密の話」ができない。そこで、どうしても「密談」をしたい時には「茶室」を利用しました。
「表向」からは、「御錠口」を入り、「御鈴廊下」を通り、公方さまが大奥に入る時は、「上御鈴廊下」またの名を「上ノ錠口」から入りました。また、公方さまの生母へ出向く際は「下御鈴廊下」から入りました。しかし、時代により違いがあり、特に、篤姫の頃のように幕府の秩序が乱れてきた時代では、公方さま以外でも許可された者が「上ノ錠口」から入った者もいます。

(よもやま話)
大奥御女中の階級
※上臈御年寄(じょうろうおとしより)・・・御台所さまに次いで大奥での最高位で、儀式や典礼をつかさどり、京都の公家出身者が多かった。
※御年寄(おとしより)・・・大奥の事実上の権力者。奥向きの万事を差配し、表向きの老中に匹敵する。
※中年寄(ちゅうどしより)・・・勤め向きはすべて御年寄の指図に従い、代理も兼ねる。御台所さまだけに付き添った。
※御中臈(おちゅうろう)・・・公方さまや御台所さまの身の回りの世話。公方さま付きの中から側室が選ばれた。ちなみに、公方さまと一夜を共にすると、翌日からは「お手付き中臈(おてつきちゅうろう)」と呼ばれ、部屋も20畳位の個室や化粧室などが与えられ、世話をする女中もあてがわれた。ちなみに、それ以外は「お清の中臈(おきよのちゅうろう)」と呼ばれた。
※御小姓(おこしょう)・・・御台所さまのお側に給仕し、煙草やお手水の世話をした。
※御錠口(おじょうぐち)・・・表と中奥の境の「御錠口」や中奥と大奥との「上ノ錠口」に詰めて、連絡掛り。
※御坊主(おぼうず)・・・公方さま付きの雑用掛り。50歳前後の剃髪した者。
※表使(おもてつかい)・・・御年寄の指図を受けて、広敷役人と応接し大奥の一切の買い物をつかさどった。
※御次(おつぎ)・・・仏間や御膳部、御道具などをつかさどり、催事には遊芸なども披露した。
※御右筆(おゆうひつ)・・・日記や諸向きへの通達などの書状を書く者。他家への進物などの選定にもあたった。
※御切手(おきって)・・・七つ口よりの出入りの人々を改める役目。また、女中の親または親戚などが面会に来た時や御用達商人(女性に限られていた)に切手(許可書)を渡して、その用向きの部屋へ案内した。
※呉服の間詰(ごふくのまつめ)・・・公方さまや御台所さまの服装や裁縫をつかさどった。
※御三の間詰(おさんのまつめ)・・・御台所さまの居間の掃除や湯水、火鉢、煙草盆の管理をつかさどった。

ここまでが、「御目見得(おめみえ)」。
つまり、公方さまと顔を合わせても許される者たち。

※御仲居(おなかい)・・・御膳所に詰めて献立の一切の煮焼を担当。
※御火の番(おひのばん)・・・昼夜を通して各部屋を幾度となく巡回し火の元の注意をする者。
※御使番(おつかいばん)・・・御年寄などの御代参のお供や文書、進物などを受け取って御広敷に渡す役目。
※御末(おすえ)・・・もっぱらの雑用掛り、風呂や御膳所の水汲みや御三家および御三卿の御廉中(正室)の大奥登城の際には御広敷から御三の間(控え室)まで乗り物を担いだりした。「御端下(おはした)」とも呼ばれた。

以上、「上臈御年寄」から「御末」までを「直の奉公人」。その他としては、

※お犬子供(おいぬこども)・・・各部屋に5~6人配置された、まったくの雑用掛り。

などの階級制度となっていました。

あなたのお役に立てたでしょうか。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まずは、大奥の区画についてですが、大別して以下の3つになります。
(1)御殿向(ごてんむき)
将軍(公方さま)の大奥での寝所である御小座敷、御台所の居室である新御殿や御切手の間、側室や御世継以外の子女の居室、奥女中の詰所などからなっています。
※将軍のことを江戸時代は「将軍さま」とは呼ばず「公方(くぼう)さま」または「大樹(たいじゅ)さま」と呼びました。良くTVで「将軍さまのお成り~」などと叫びますが、これは、単なる視聴率を上げ...続きを読む

Qだんごばらってなんですか?

 息子の学校の宿題で出されたものなのですが、「だんごばら」とはそもそも何のために始まった行事なのでしょうか?そしてどんな事をするのでしょうか?

Aベストアンサー

下記サイトにこのような記述があります。
http://d.hatena.ne.jp/caramelmaffin/20080113
>繭玉飾り(だんごばら)
小正月に山ぼうしの木の枝に餅や団子をつけて
五穀豊穣を祈願する飾りを行うものであり、特に
養蚕地帯では繭玉と称し、繭をかたどったものを飾った。

Qドラマ大奥の第3話?の内容

大奥で高岡早紀さんがお城に来る回を見逃してしまいました。
簡単な展開でいいので覚えている方教えてください。

(1)高岡早紀さんはなぜ大奥に行く決心をしたのか?
(2)その後の放送を見ていると高岡早紀さんは大奥ではどういう立場なのでしょうか?
側室とは違う立場に見えるのですが?

Aベストアンサー

こんばんわ、とりあえず覚えている限りで解答させてもらいます。

(1) 右衛門佐は大奥の中は女性が唯一社会を動かせると
   ころだ的な理由で大奥の中で出世するためにきまし
   た。ただこれはそういっているだけなので本当は違
   う理由もあるのかもしれません。

(2) 初め綱吉は右衛門佐の美貌と素養が気に入り、側室
   に迎えようとします。そこで、右衛門佐が気転をきか
   せ。逆に、桂昌院の許可が無いとなれない大奥総締
   と言う役職につくことを綱由に認めさせ、大奥総取
   締に就任しました。

私の覚えてるのはこんな感じです。
検索すればもっと詳しく解説してるサイトがあると思います

Q生魂ってなんですか?

http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46316_25542.html
折口信夫氏の「盆踊りの話」の中に
生魂・死霊、生きみたま・死にみたまという言葉が出てきます。

生魂=生きみたま
死霊=死にみたま
と考えていいですか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E9%9C%8A
死霊については上記に説明がありました。

「死霊は生霊(生きている人の怨念から、その人の魂が分霊したとされる、その人の姿で幽かに可視化した、禍をもたらす霊)の相対語としても使われる。」
と説明がありますが、ここに記されている生霊は生魂とば違いますよね?

生魂ってなんですか?
教えて下さい。

Aベストアンサー

折口先生の研究では、
霊と生きている時の魂は同じもので区別が無かった。

となります。

ですので生霊と言う概念や解釈ではありません。

例えが悪いかもしれませんが、

エーテル体みたいのが行き来する。
そう考えていた。

と考えて理論構築をしてみてはどうでしょう?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E4%BD%93
(折口先生の研究では、です。)

Q大奥の衣装。。。

「大奥の衣装」とは、「大奥の女性の衣服」とか何とか示すのですか?

文脈は:
「大奥の衣装からゴマの成分まで、依頼があれば何でも調べる!」

Aベストアンサー

大奥には女性しか過ごしていないので、
女性の衣服と捉えて宜しいかと思いますよ。

Q久米城ってなんですか?

総合の授業で調べているんですが、常陸太田市にあるらしいんですけど
webで検索してもでてこないんですぅ~(泣)
どうしたらいいんですか?
教えてくださぁい。

Aベストアンサー

http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/satake1HP/kume.htm

結構出てきます。

まだ謎が多いようですね。


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