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「もし・・・なら」という意味の中国語(普通話)は、
ぱっと思いつくだけでも
要是
如果
・・・話
があります(日中辞典によれば、もっとあります。)が、
この意味・ニュアンスの違いを教えてください。


如果・・・話
の代わりに
要是・・・話
という言い方は可能ですか?
可能なら、意味・ニュアンスはどう変わりますか?

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A 回答 (6件)

 こんばんは。



 まず、「・・・話」ではなく、「・・・的話」のように覚えましょう。

 それから、「もし・・・なら」という意味の中国語と言えば、次のような言い方は全部ありえます。意味は同じで、言葉の硬さぐらいの違いなので、お気軽に考えてください。

書き言葉、話し言葉
1.如果      

話し言葉
2.如果……的話  
3.要是      
4.要是……的話
5.……的話     

 「如果」はちょっと硬い感じの言葉なのですが、それでも会話でしばしば使われます。

「もし明日雨が降ったら、私は行きません。」

1.如果明天下雨,我就不去。
2.如果明天下雨的話,我就不去。
3.要是明天下雨,我就不去。
4.要是明天下雨的話,我就不去。
5.明天下雨的話,我就不去。

 硬さを順に並べると、1>2>=3>4>5のようになっていると思います。また、条件節を受ける働きとして、よく二番目の文節に「就」が来ます。

 ちなみに、「明天」を「如果」と「要是」の前か後ろか、どちらに置いてもかまわないのですが、「我」を「就」の前に置くべきです。つまり、このようなことです。

○如果明天下雨,我就不去。
○如果明天下雨的話,我就不去。
○要是明天下雨,我就不去。
○要是明天下雨的話,我就不去。
○明天下雨的話,我就不去。

○明天如果下雨,我就不去。
○明天如果下雨的話,我就不去。
○明天要是下雨,我就不去。
○明天要是下雨的話,我就不去。
○明天下雨的話,我就不去。

×如果明天下雨,就我不去。
×如果明天下雨的話,就我不去。
×要是明天下雨,就我不去。
×要是明天下雨的話,就我不去。
×明天下雨的話,就我不去。

×明天如果下雨,就我不去。
×明天如果下雨的話,就我不去。
×明天要是下雨,就我不去。
×明天要是下雨的話,就我不去。
×明天下雨的話,就我不去。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

つまり、硬い感じは、
如果>要是
・・・的話 無し>あり
如果・要是 あり>無し


二番目の節は
主語 + 就 + ・・・

お礼日時:2005/12/18 09:31

留学していた時に意味は両方とも一緒だけど如果は書き言葉、要是は話し言葉って習いました。

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この回答へのお礼

皆さんの回答からしてもそのようですね。

お礼日時:2005/12/18 09:23

No.2 です。


No.1 さんの回答を見たときには仮定法とかの単語も頭に浮かびましたが(笑)、厳密に「非現実」かどうかという切り分けはできないと思うので、そういう英語的な解釈では、うまく表現できないでしょうね。
それで、「難しい表現には」という言葉を使ったのですが、No.3 さんのおっしゃるように、直球勝負みたいなところが「要是」にはあると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/18 09:22

中国人です。


中国語文法の専門ではないので、自信がありません。

「如果」はいくつかの可能性の中から一つを設定し、客観性があるような気がします。
「如果明天下雨、~」は、くもり、晴れ・・・いくつかの可能性から「雨」という状況になる仮定で、その状態になれば、対応して何かの行動をとる意味になります。

「要是」は話しての希望(目当て)含みの仮定で、主観性があるのではないでしょうか。
「要是明天下雨、就~」は、「雨」目当てで、そうなったら決まった行動を行うニュアンスがあります。他の天気状況を排除します。

「如果要是能考上就好Le。」
ここでは「如果」と「要是」の順番は置き換えられません。

この回答への補足

ありがとうございます。

客観性と主観性ですか。

補足日時:2005/12/18 09:21
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要是の方が話し言葉によく使われると辞書にもありますね。


あまり難しい言い回しには、要是は使わないですね。

接続詞で言えば、但是と不過の関係のような感じでしょうか。

この回答への補足

>要是の方が話し言葉によく使われると辞書にもありますね。
>あまり難しい言い回しには、要是は使わないですね。

ご回答ありがとうございます。
私は、なんとなく「要是」のほうが難しい言い回しだと思っていたのですが、それは間違いなんですね。

No.1の方がお答えになった「非現実の仮定」ということは考えないほうがいいですか?

補足日時:2005/12/16 14:38
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中国語では節を並べるだけでも仮定の表現が出来ます。

要是と如果は互換性もあると思います。
でも、英語でいう非現実の仮定を表すときは「如果」が使われるような気がします。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
>中国語では節を並べるだけでも仮定の表現が出来ます。要是と如果は互換性もあると思います。
>でも、英語でいう非現実の仮定を表すときは「如果」が使われるような気がします。

「英語でいう非現実の仮定」というのは、英文法でいう仮定法過去とか仮定法過去完了のようなものですね?
手元の日中辞書には、例文として
・如果明天下雨,運動会就延期。(明日雨が降れば運動会は延期だ。)
・我要是イ尓,就不参加。(もし私があなたなら参加しない。)
と書いてあります。この例文によると、「英語でいう非現実の仮定」を表すときは「要是」が使われるような気がします。
それとも、「我要是イ尓,就不参加。」の「要是」は、「要是・・・話」とは別に考えたほうがよいのでしょうか。

補足日時:2005/12/16 14:31
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「是的」は、その通り・合っているなどの肯定を表す意味になります。

例:「ni是日本人ma?」→「是的」(あなたは日本人ですか?→そうです)


あと、正反疑問文の「好不好?」「是不是?」で聞かれた場合は、その動詞に対応して回答します。

・「好不好?」→好/不好     ・「是不是?」→是/不是

ご参考までに。

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こんにちは。私も単なる中国語の“いち学習者”ですが、大変懐かしい疑問でしたのでお答えします。
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Q(中国語)就是について・勉強方法もおしえてください!

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それとも、ないと文法的におかしいのでしょうか。

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「~有一点舒服、可是就是唯一就是朋友都不在。」
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どうすればいいのでしょうか。
(不是~就是などの構文は使うことは出来るつもり…)

あわせて勉強方法も教えていただけたら嬉しいです。(中級者)
今はこのインタビュー記事を聴き取り、内容を理解し
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でもつい就是のような細かい(?)部分が気になって
先に進まないというか…。
気にせずにどんどん暗記したほうがいいのでしょうか。
これから中国語スクールにも通う予定です。

どれかひとつでも構いません。
アドバイス等よろしくお願いいたします。

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この場合の就是は、日本語の「ほんとに、やっぱり、まさに」と言った意味の使い方ですね。すっごく強調したい、まさにこう言いたい。
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Q中国語の「都」を見たとき、どう訳せばいいですか?

「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
  とりあえず、ほぼ日本に行かない。と「ほぼ」という言葉にしてしまって訳すのですか?
 「ほぼ」や「大体」なら、別の単語があります。

他们都不去日本。

この彼らの人数しだいで、勝手に厳密には、全員でないので、「全て」と訳さないパターンだろうと、
こちら側で適当に、全員ではない事にしたり、全員にしたりしていいのですか?

仮に、この彼らが、中国人全員のことを言っているとするなら、
厳密には、全員ではないだろうと、勝手に判断して、本当に全員日本に行かない。
と言っているのに、
都合よく「全て」という意味の「都」ではないと判断してもいいのですか?

それに、「全て」という意味でなかったとしても、
この「都」は、無視して訳さないのですか?
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「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
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Aベストアンサー

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があったとすれば「ほぼ全部」「大多数」という表現をする方が「適切」でしょう。
しかしながら、会話の文章などでは、話者がどう思っているのかということがすべてです。
聞いた側は話者の言うことをすべて信用するとすれば、「全部」であると理解するほかはありません。

> (1)都は、「すべて」「みんな」と言う意味の副詞です。
> 全てと言わないなら、入れてはいけない。まずこれが基本である。

前回のご質問で上記のようにお書きになられた通りです。
どう考えても「すべて」ではないと聞く側がわかっていたとしてもですね。

これは中国語という言語、言葉、文法の規則の問題ではなく、その背後にある文化、考え方の問題と言ってもいいでしょう。
日本語(日本)では、なるべく相手の側に立って話をするという一種の美徳があります。
間違っているかもしれないこと、例外があることに関して、相手が誤解しないように言葉を加えることはごく当たり前に行われます。
しかしながら、外国語(外国)では、自分の意見や主張を表現することが第一であり、他人から見て間違っていようが、自分の意見や主張を表現する場合に遠慮はしません。

まあ、日本でも「みんな(そうしているよ)」などと言い切ってしまうことはありますが。(笑)
このように「みんな(そうだよ)」と言われたことはありますよね?
本当に「みんな」でしょうか?違うこともありますよね。でも、「みんな」と言うのです。
中国語では、特にこの種の言い切りだとか、強調が多いのです。
そういう場合には「都」、「也」、「就」などが頻繁に使われますが、時に日本語には訳しにくくなります。

前回のお答えでは、「都を使っていても、必ずしも論理的に全部を意味しない」ということであって、「都をすべてとは訳さない」とは申しておりません。
ほかには「ほぼ」「大体」については、そのように訳するとも申しておりませんし、回答内に使用しておりません。
似たような語を使っているのは、「都を使うときの気持ち」を説明している部分で、

「ほっとんど、みんな、そうしているんだよ」、「いつでも(どこでも)そうなんだよ」、あるいは「みんな、もうそうしているよ」「とっくだよ」という気持ちで語る場合には、「都」はあるのが当たり前

という部分です。

話者が仮に頭の中で感じているのが「アバウト」であったとしても、ひとたび言葉で「都」と言った時点で「すべて」だと言い切っているのですから、聞いた側は「すべて」と訳すしかありません。

他には人数にこだわっておられるようですが、二人でも三人でも「みんな」であれば「都」は用います。

ということで、前回と今回のお答えが疑問点とずれていて、単純に文法的な回答をお求めの場合は、「都=すべて」とだけご記憶になられて学習を進めていただいた方がよいでしょう。
いつか、中国語の言葉の裏だとか、表現の特性を知りたくなったり、単純に文法規則で解釈できなくなった場合に思い出してください。

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があった...続きを読む

Q中国語で「そういえば」ってなんていうんですか?

質問2つあるんですが。

「そういえば」と「とにかく」って中国語でなんていえばいいんでしょうか?

誰かわかる方教えてください!

Aベストアンサー

いつもお世話なってます。

「そういえば」⇒「说起来、・・・」あるいは「对了、・・・」
「とにかく」⇒「不管怎么说、・・・」あるいは「总之、・・・」

となります。

ご参考になれば幸いです。
よろしくお願いします。

Q還是の使い方

今中国語の勉強中です。
文法で分からないところがあるので教えてください。
還是の使い方です。
1,それとも
2,やっぱり
3,還是~吧←この意味もやっぱりの意味ですか⁇
1は問題ないですが、中国語の先生に3は色々と考えた結論の還是だと言われて⁇です。例文みると2,3も吧があるかないかだけのようですが、何が違いますか?
あと、完了・過去の了と把が苦手です。
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質問多くてすみません。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

2も3も日本語では「やっぱり」と訳せる使い方だと思います。

ただし、先生が2の「やっぱり」でお教えになっているのは、「相変わらず、やっぱり、依然として」という意味での使い方でしょう。
辞書には「行為・動作・状態に変化がないことを表す」とあるような意味でしょう。

それに対して、3の「吧」が付く使い方は、「吧」があってもなくてもよいのですが、いろいろな選択肢がある中で「やっぱり」(それがいい、そうした)という意味での使い方でしょう。
「やっぱり~した方がいいよ(いいよね、いいんじゃないの?)」というニュアンスで「吧」はよく用いられます。

なお、「了」は「過去」の意味はないと考えた方がよいです。
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「了」は「動作や行為の完了」と「状態の変化」で覚えておくのがよいでしょう。

Q「会」の使われ方がよくわかりません

中国語を独学している初学者です。

中国語で以下の文章を書いたところ、日本語を勉強している中国人の大学生からいくつかの添削が入りました。
いずれも、“会”の使い方がダメらしく、文中“ ”でくくったように“会”についてたくさん間違いを指摘してもらいました。
どうしてここに“会”が必要なのかが、よくわかりません。

#1 自分の故郷が舞台になっている映画について書いた一節:
所以看了这部电影,我就经常"会"想起我故乡。
(だから、この映画を見ると、私はいつも故郷を思い出してしまいます。)

#2 友だちが、クリスマスにホームパーティーに招待してくれた時のエピソードの一節:
每年她的丈夫都"会"为(/给)我们做许多晚会的料理,我"会"提供几瓶日本酒,而别的朋友也"会"提供几瓶葡萄酒。
(毎年彼女の夫が私達の為にたくさんの料理を作ってくれます。私は何本かの日本酒を、別の友達は何本かのワインを提供します。)

“会”そのものの意味の他、たぶん、自分は中国語的な文章のつくり方・発想が理解できていないのだと思います。
日本語に、意訳でなく、直訳していただけるとその発想の違いが感じ取れるのかもしれません・・・。
どうぞよろしくお願いいたします。

中国語を独学している初学者です。

中国語で以下の文章を書いたところ、日本語を勉強している中国人の大学生からいくつかの添削が入りました。
いずれも、“会”の使い方がダメらしく、文中“ ”でくくったように“会”についてたくさん間違いを指摘してもらいました。
どうしてここに“会”が必要なのかが、よくわかりません。

#1 自分の故郷が舞台になっている映画について書いた一節:
所以看了这部电影,我就经常"会"想起我故乡。
(だから、この映画を見ると、私はいつも故郷を思い出して...続きを読む

Aベストアンサー

「就」や「都」などの副詞や「会」、「能」などの助動詞(能願動詞)は、日本語に慣れているとなかなかうまく使えませんね。
語気助詞を含めて、ニュアンスを出す話法は、本場の会話で雰囲気をつかまないとなかなか頭では理解できても使えません。

まず、#1 の「会」は、英語の「must」で考えるとわかりやすいかもしれません。
「~しなければならない」の方ではなく、「~に違いない」「~のはずだ」の方です。
「当然、そうだ」という場合の「会」で単に辞書にある「可能性」よりももっと強いものです。
可能性よりも必然性と言ってもいいでしょう。必ずそうなるのです。

なお、否定したときの「不会」には「できない」以外に「~はずがない」という用法があります。

つまり、淡々と「いつも思い出す」のではなく「本当に(←就)いつも、必ず(←会)思い出す」のです。
このようにして、自分の言いたいことを誇張気味に話すのが中国語の特徴です。
相手に伝えたいことがある以上、控えめなんてことはありません。(笑)

#2 の用法では、#1 と同様に「当然のように~する」という意味があります。
辞書にも「~するものだ」という意味が出ていると思います。
それ以外にも「会」には「上手である」という意味もあります。
つまり腕前を強調しているので、単に「毎年恒例なので当然~する」以上に「うまくこなせる」「手馴れている」という意味にもとれます。
「会」がはいっていないと単純な習慣の事実を記述しているだけですが、「会」が入ると、毎年やっていて生き生きとした動作と楽しげな雰囲気が感じられるようになります。

以上、個人的な解釈が多分に含まれていますので、文法的な正解を踏み外しているかもしれませんが、それが言葉と言うものだと思っています。

「就」や「都」などの副詞や「会」、「能」などの助動詞(能願動詞)は、日本語に慣れているとなかなかうまく使えませんね。
語気助詞を含めて、ニュアンスを出す話法は、本場の会話で雰囲気をつかまないとなかなか頭では理解できても使えません。

まず、#1 の「会」は、英語の「must」で考えるとわかりやすいかもしれません。
「~しなければならない」の方ではなく、「~に違いない」「~のはずだ」の方です。
「当然、そうだ」という場合の「会」で単に辞書にある「可能性」よりももっと強いものです。
可能性...続きを読む

Q就~了の意味がわかりません

(1)
A
合子
他们 能听懂 我说的话 吗?
彼らは、私の言うことが分りますか

B
王兰
没 问题
問題ないです

A
和子
那 我 就 放心 了
それなら私は安心です


就:副の(8)の意味になるんでしょうか?
http://www.excite.co.jp/dictionary/chinese_japanese/?search=%E5%B0%B1&match=beginswith&id=12875


(2)
时间 长 了 就 习惯 了
時間が経てば慣れますよ

ここでの就は、「すぐ」の意味じゃないと言われたんですが、正確な意味が何なのかはっきと聞くことができませんでした。

文末の了は、1の意味でよいでしょうか?
http://www.excite.co.jp/dictionary/chinese_japanese/?search=%E4%BA%86&match=beginswith&id=14605

Aベストアンサー

1.
「条件や因果関係の強調」ということで理解すれば、よろしいと思います。
ただし、「就」自体が「それならば」という日本語訳になるのではありません。
というのも、もとの文自体に「それならば」という意味が含まれているからです。
つまり「~であれば、○○」という表現をする場合には、なるべく「就」を用いて「本当にそうであるならば」「それが本当であれば」と強調することが一般的であるからです。
「就」や「也」などの副詞は、中国語では多用されますが、日本語に訳す場合、他の接続詞に意味が含まれるので訳さないでもいいことがあります。

2.
「就」は、1.で書いたように「強調」です。
ここでは、「時間が経てば」→「時間が経ちさえすれば」あるいは「時間(経過)だけの問題」というように強調されていると考えればよいでしょう。
(意味、訳については使われ方、文脈に依存するので、常に上記のように訳せるわけではありません。)
ですから「時間的なすぐ」ではありません。(この文も「時間が経てば」ですから、時間的に「すぐ」ではありません。)

「了」は、1ではなくて、2です。
文末に置かれる語気助詞の「了」ですので、動作の完了ではなくて、「慣れる」という状態に変化した(する)ことを表わしています。

1.
「条件や因果関係の強調」ということで理解すれば、よろしいと思います。
ただし、「就」自体が「それならば」という日本語訳になるのではありません。
というのも、もとの文自体に「それならば」という意味が含まれているからです。
つまり「~であれば、○○」という表現をする場合には、なるべく「就」を用いて「本当にそうであるならば」「それが本当であれば」と強調することが一般的であるからです。
「就」や「也」などの副詞は、中国語では多用されますが、日本語に訳す場合、他の接続詞に意味が含まれ...続きを読む

Q文末の 的 の意味

文末に的がついている事がありますね。
この場合の「的」はどのように訳し、
どのようなときに使うのでしょうか。

どうも頭の中で理解出来ません、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

文末が「的」で終わるのは、一つは過去のできごとに対する強調を表現する「是~的」の構文があります。
たとえば、
他是昨天来的。(彼は、昨日来たのです。)
これは、「昨日」を強調しています。
この構文では「是」が省略されている可能性もあります。
その場合でも「的」の前の語が強調されていると考えれば意味が取れるでしょう。

もう一つは、所有を表す「的」のあとの名詞が省略されている場合があります。
しごく簡単な例では、
那是我的。(それは私のです。)
誰の「何」であるのか、特に言わなくてもわかる場合、往々にして省略されます。
この場合は「的」の前の名詞が所有する主体になっており、何か省略されている「もの」をあとに補えば、意味が取れるでしょう。
以上、とりあえず。

Q中国語を話せるようになりたい。は中国語で何というのでしょうか?

中国語を話せるようになりたい。は中国語で何というのでしょうか?
中国語勉強中ですが、作文は本当に難しいです・・・。

Aベストアンサー

こんばんは(^。^)

我想会説中文。

で良いと思いますよ。


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