時代劇で岡引の黒門町の伝七って銭形平次のように架空の人物ですか?

A 回答 (2件)

そのとおり、架空の人物です。



銭形平次と同様、もとは小説なのですが、作者は一人ではなく、「捕物作家クラブ」(現在の文芸家クラブ)の共同キャラクターとして創造されたそうです。
多数の作家が執筆したようですが、主に執筆した陣出達郎の代表作シリーズのひとつとなっています。

1992年に光文社文庫から縄田一男編「競作 黒門町伝七捕物帳」が出版されていますが、これに収められている作家は、
山手 樹一郎、村上 元三、高木 彬光、横溝 正史、角田 喜久雄、城 昌幸、野村 胡堂、戸川 貞雄、邦枝 完二
となっています。

http://www.bk1.co.jp/product/835467
http://homepage3.nifty.com/kakeya/ys_pedia/study …
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この回答へのお礼

詳しく回答いただきどうもありがとうございました。

お礼日時:2005/12/16 22:57

作家仲間の捕り物同人で作られたキャラクターのようです。


したがって、架空の人物といえるでしょう。

参考URL:http://homepage3.nifty.com/kakeya/ys_pedia/study …
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/12/16 22:55

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>>平安時代、鎌倉時代、室町時代などと、一般常識としてそれぞれの時代に名称がありますが、それを名付け、且つ特定の日時をその時代名称の変わり目と定めた人物又は団体とは、一体誰(何)なのでしょうか。

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>>平安時代、鎌倉時代、室町時代などと、一般常識としてそれぞれの時代に名称がありますが、それを名付け、且つ特定の日時をその時代名称の変わり目と定めた人物又は団体とは、一体誰(何)なのでしょうか。

明治5年の学制により学校制度が作られて以降、小学校への就学を促進するための親に対する啓蒙的な教育として、1885(明治18年)に「通俗教育」が初めて文部省の事務章程に規定されました。
この、全国民的な学校教育が開始され、それまでの「寺子屋」...続きを読む

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 僕は基本的に時代劇や歴史ドラマなどを見ませんが、それでもこうしたエンタテイメントの質が余り高くもないことにある種の危機感も感じています。
 昨年、一部で物議を醸した『平清盛』は歴史学の見地からすれば、相当に緻密な考証がなされていましたが、それでも「一般レベル」では「つまらない」などの低評価がかなり散見され、残念な印象を受けています。
 なにも華々しい合戦や戦闘シーンだけが時代劇の全てでもないはずですが、それを勘違いしているお年寄り達が非常に多いことも背景にはあるでしょう。なかにはそうした馬鹿馬鹿しいシーンなどには興味もないとの方もいらっしゃいます。何も「歴史は戦の歴史である」などとの定義はどこにもありません。
 「戦」は歴史事象であって、何がその事象をもたらしているのかが語られねば、戦の意味を綴ることにもならないでしょう。
 確かに「必殺」はおもしろく、このシリーズがスタートした当時、僕はリアルタイムでみています。梅庵や左内そして元締めの音羽屋などはアニメの『ルパン三世』に似ている感もあります。でもこれらはあくまでも「仮想現実」の一つでしかありません。
 時代劇愛好家の方には残念な印象を与えてしまいますが、「時代劇」はフィクションであり、参考になるなどの作品は数える程しかありません。それも江戸時代を背景とした作品は皆無に等しいと申し上げさせていただきます。

 「時代物」といえば、そのほとんどが江戸時代中心で、時代考証なる部分を担当している人物も稲垣史生や杉浦日向子といった方々が有名所です。しかしながらこの方々は「歴史小説家」ではあっても「歴史研究者」ではありません。そしてなぜかこの方々は江戸時代以外には手を出さないことでも知られています。あるいみ「江戸時代オタク」ともいえるでしょう。
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