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7月20日付の質問とよく似ているのですが、やはり学校のレポートで、「生涯体育における運動やスポーツの意義とその方法について述べよ」と言う課題が出されました。
前回の回答で、「生涯スポーツとは何か」ということとその目的はわかりましたがその「意義」とか「方法」ってどういうことでしょうか?
「勝ち負けにこだわらず楽しむ」ってのも「意義」なんでしょうか?

A 回答 (3件)

>「生涯体育における運動やスポーツの意義とその方法について述べよ」


そういえば、チェスもスポーツの仲間だよね~!(the sport of kings はBookshellによれば競馬のことだし)
そういう観点で、レポートするのも面白いかもしれないですね。

>「勝ち負けにこだわらず楽しむ」ってのも「意義」なんでしょうか?
意義に入るとおもいます。(もしも競馬が、いつも必ず勝つようなものであれば、逆につまらないかな?とも思います。勝ったり負けたりが面白いのであって、勝ち負けにこだわるから競技は楽しいともいえますよね。)
「勝ち負けにこだわらず楽しむ」ならスポーツではなくて運動という言い方になるのかな?
「気晴らし・慰安」もりっぱな「意義」だと思いますが、それでは、物足りないかもしれませんね。

>「方法」
生涯体育というと武道・武術なども入ると思いますが、
武道家や武術家に「貴方のやっている事は、スポーツだ!」とか「運動ですね!」といったら嫌な顔されるだろうな。格闘技はスポーツなので選手の引退があるけれども武道・武術は引退がないので死ぬまで研鑚して能力が向上している人がいますよね。生涯体育ということを考えるには、格好の素材かもしれませんよ。
また、生涯体育に対応するような言葉に身体教育(somatic education)という言葉も最近出てきていますよね。老いて死ぬまで身体教育は成り立つのですが、その方法論-私が知っている範囲で-は従来の運動・スポーツのイメージからはかけ離れているので、研究してみると面白いでしょう。(運動ということをより深く捉えることができるようになると思います。)

ただ、レポートをこなすだけだとつまらないと思いましたので、発想の助けになるかな?と思ったものを、書き連ねてみました。雑文について来てくれてありがとう。
(安易にレポートをこなすだけなら、先輩や誰かのコピーに手を加えるだけで充分ですよね。)
健闘を祈ります。
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この回答へのお礼

雑文だなんてとんでもない。こちらこそ愚問にお答えいただきましてありがとうございます。
ただレポートを書くためじゃなく自分を見つめ直すために3名の方に意見を賜ったのですが、きちんと筋が通っていますよね。
僕が誰かに回答をするときでも自分の思うことを書き連ねてるだけなんでそういう意味でも「聞くは一時の恥」ですね。

お礼日時:2001/12/14 21:36

固い事を言うようで恐縮ですが...



その「意義」とか「方法」とかを自分なりに考えるのがレポートの目的じゃないのでしょうか?
レポートをまとめる(書く)事も大事な技術だけど、「考える」事がもっと大事なような気がします。
(そうじゃなかったら先輩に去年の回答のコピーを貰った方が早いですよね)

「意義」は、生涯体育の意味を踏まえた上で運動やスポーツがどう係わるのか、なぜ必要とされているのかなど。
「方法」は、具体的な方法や運動・スポーツ名、自分なりに新しいパターンの運動の提案などとそれらの理由付け。
そんな事を考えてみてはどうでしょうか?

頑張って下さい。

この回答への補足

お礼の補足&書き直しみたいな感じなのですが、質問を読むと、「自分で考えるのが面倒だから誰かに聞こう」ということだと思われたのでしょうね。
このレポートは学年末試験の代わりですから、そのものズバリだと、カンニングと変わりませんよね。ましてや誰かに貰うと、これはカンニングですよね。
文章が下手なんで少し勘違いを生んだみたいですが、質問の本質をわかってくださり、適切な回答を頂けたことに感謝します。

補足日時:2001/12/14 21:06
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この回答へのお礼

自分に出された課題なのだから、自分で何とかしなさい。という答えがくることはわかってました。しかし、言葉の定義とずれたレポートを書いてはいけないと思い「どういうことか」ということにしました。
決して他力本願で仕上げようなんて言う考えはありません。

お礼日時:2001/12/14 16:30

たまたま本日、中部地方では最も有名と思われる、あるスポーツ新聞を読んでおりました。



その中に、この質問に関連すると思われる、興味深い言葉に出会いました。
「スポーツは大きく分けて2種類ある。スポーツそのものを目的とする、目的論のベクトルを持つスポーツと、スポーツから生まれるさまざまな要素(よろこび、健康など)を目的とする、意義論のベクトルを持つスポーツである。」

…ちょっと違ったかな?まあ、そういう意味の記事でした。芯からスポーツが好きな人にとっては、もちろん、スポーツは目的論でしょう。意義は、結果としてついてきます。

でも、現実には、意義論のベクトルからスポーツを行う人が実に多い。

「このスポーツをすることによって、こういう結果が得られる」「このスポーツでは、こんな健康法につながる」といった、結果的に得られる副産物を目的に取り組むのです。質問文から読み取られる「意義」という言葉にも、その副産物的なにおいを感じます。

それは、健康であり、健全な精神であり、友情であり、人生の豊かさであり、人間的な視野の広がり、生きがいへとつながっていくのでしょう。

しかし、私が興味を引かれたのは、「その方法」という質問文です。

そう、副産物ばかりを求めて始めるスポーツなど、そうそう長続きするはずがありません。目的論でスポーツをしている人たちのように、そのスポーツを好きになることだけが、生涯にわたってスポーツを愛好していくためのかぎとなるのだと思います。

とすれば、その方法とは、好きにさせる方法。

(指導者の立場としては)興味を引かせるようなアプローチでせまるもよし、びしびしとしごいて、あとで喜びにつなげるもよし。とにかく、その種目の持つ本当の意味での魅力にたどり着かせることができるのならば、よいのではないでしょうか。

小手先の指導や、ちょっと見の魅力で、生涯スポーツは期待できません。そのスポーツが本当に魅力を持ったものであり、かつ、その魅力にたどり着くことができたとき、生涯体育の意義は達成されるのだと思います。

そういう意味では、朝のラジオ体操ファンのみんなも、その領域にたどり着いているんでしょうね。

この回答への補足

お礼の文章ではこっちの勝手な都合でぶっきらぼうな文面になりましたんで、ここで改めて。
自分勝手な質問に丁寧な回答をいただきましてありがとうございました。
上の回答にあるとおり、この回答をそのまま使うとテストのカンニングに似てしまうんであくまでも参考程度にさせていただきます。
こういう疑惑を招かないように質問するのも難しいものです。学校のレポートだとか宿題で質問すると、他力本願じゃないかと質問者も回答者も思ってしまいますからね。

補足日時:2001/12/14 21:19
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。 詳しい説明までいただきまして。

お礼日時:2001/12/14 17:03

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