No.4ベストアンサー
- 回答日時:
たくさんいますよ
有名なのは
鉄腕ゲッツことゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン
喧嘩が三度の飯より好きという人物で、ある時右手を切り落とされたため鉄製の義手をして戦った騎士です。義手は現存しています。
それからルイ13世直轄の近衛銃士隊隊長を1640年から1648年まで指揮し、リシュリーと共にフランス全盛期を築いた名隊長・ダルタニヤン
ガーター騎士団の名隊長・ウィリアム
ロビン・フッド、ウィリアム・ウォレスも有名では
ロビン・フッド!実在したのですか?
ゲッツは知りませんでした。
面白そうな人物ですね。喧嘩が三度の飯より好きっていうのが、いいですね。間違いなく酒もすきでしょうね。
なんだか興味深いので、
いろいろ教えていただいた人物について調べてみようと思います。
No.12
- 回答日時:
No.10さん。
スプリング鋼は当時の技術で貧乏な私にはかえません。スプリング鋼のよいものは焼きを入れた時の青い色がでて大変美しいものです。私のものは重いステンレスです。プレートアーマーのしたにはチェーンメールを着ることもあります。実際我々のグループではこの着方をする人がいます。私には体力的に出来ませんが。
彼は体重110kg、プレートが30kg、チェーンが20kg
鎧だけで50kgです。私が体重55kgプレートが25kgです。体重と鎧の比重では2人とも半分いかないくらいですが、チェーンメールの分だけ彼のほうが「硬い」わけです。しかし、バトルの最中は負荷のかかりかたは同じです。
鎧の問題は瞬発力ではなくて持久力です。ですから坂道の上り下りや長距離移動は大変な体力を消耗します。
参考URL:http://avalon.tsukaeru.jp/
No.11
- 回答日時:
クレシーの戦いの件ですが、フランス軍に大打撃を与えたのは、イギリス軍の徒歩の騎士たちです。
長弓兵の矢に、馬を失い、落馬したフランス軍騎士たちが、重い鎧を着込んだまま坂の下から昇ってきて、疲れ果てたフランス軍を、イギリス軍騎士が、捕虜にしてゆきます。
それを見て、フランス軍は、落馬したことが負けた原因と考え、次のポワチエの戦いでは、始めから馬に乗らずに徒歩で突撃し、同じ目にあっています。
イギリス軍の長弓は、鎧を着込まないクロスボウ兵、騎士の従者、馬に多大な被害を与えましたが、騎士たち自身には、それほどの被害を与えていないようです。
当時の鎧は、チェーンメイルで、頭の先から膝下まで一体となっている物で、間接など考慮したものではなく、動きにはかなりの制約がありました。
チェーンメイルの重さが大体25kg~30kg、その他に剣や盾、槍、冑などの重量を併せると、40kg程度はあったようです。
40kgを身にまとい、坂道を登ってくるのですから、その労力は大変なものです。
また、死ぬ事は無いにしても、矢は、チェーンメイルの隙間から、多少なりとも被害を与えますから、何も無いところを歩くのとは訳が違います。
長弓の有効射程距離が、100m強ですが、坂の上からだと、もう少し射程距離が伸びたでしょう。
>戦い方がそもそも中国と西洋じゃ違うのでしょうが
基本的には同じです。
中国でも、三国志の時代を除けば、豪傑のような人は目立ちません。(水滸伝のような架空は除く)
有名になるのは、指揮官ばかりです。
豪傑が力を発揮するのは、少人数の場合だけです。
三国志の時代は、中国の人口が最も少なかった時代と言われています。
諸葛亮の時代で、蜀の人口が100万~150万人程度、魏でも3000万程度とされています。
そのため、一回の戦いに動員できる兵力は、最大でも数百人程度となり、豪傑の働きが目立つ事になります。
既に人口がだいぶ回復してきた鐘会よる蜀滅亡時、鐘会軍は、(軍の数は忘れましたが)数万で蜀を滅ぼしています。
No.10
- 回答日時:
再々補足です。
shizumoさんのお持ちの鎧の材質がスプリング鋼製との事ですがこれは特殊鋼に属する硬貨な合金鋼で、確かに薄い板金でも十分な硬度が得られると思います。
しかしクレシーの戦いのあった当時このような合金鋼が製造可能とは思えませんが如何でしょうか?
従って当時の鎧の重量はもっと重かったのでは?
Scullさんの仰るように現在の歩兵の負担重量はかなりの重量に達します。
しかしお説のように車両輸送時で徒歩移動では短距離以外相当量は後方に残置するのが常です。
空挺部隊の装備は軽量になるよう種々の工夫がされるもので小銃や機関短銃も銃身長を短くし射程を犠牲にして軽量化されています。
戦略、戦術の重要なことは当然の理です。
騎兵の突撃の衝撃力は人馬一体の重量と速度があってこそ歩兵の一団を蹴散らす威力が発揮出来るものです。 馬を失っては歩兵と変わりません。
何度もありがとうございます。
興味深いものの、だんだんついていけなくなってきました。
同じ時代として、タイマンで、呂布よりつよい兵士は、西洋にいたでしょうか?なんて、
こういうのが馬鹿げているけど、夢があるなぁと...。
戦い方がそもそも中国と西洋じゃ違うのでしょうが...。
No.9
- 回答日時:
話題が鎧に移ってきているので、悪のりさせて下さい。
重さについて当時の鎧が25kgていど、確かに普通に考えたら相当しんどそうですが、実は現代の歩兵の装備は一式で(銃火器類の武器・弾薬、食料、通信装備、ボディアーマー・ヘルメットなどの防具類他)40~60kgあると聞きます。もちろん戦場までは輸送車両などで向かうものがほとんどですが、中には空挺部隊などで徒歩が主移動方法という場合もあります。
そう考えますと「身動きがとれない」というのは、あり得ないでしょうね。ただ、戦闘に関して云えば「上をとった方が有利」なのは孫子の頃からの鉄則ですから、その何とかの戦いについては鎧云々よりも「戦略・戦術面で語られるべき」なのでは?
テンプル騎士団は今地下組織化して(ローマから「異端」とされているので)、聖ヨハネ騎士団はマルタ騎士団の名でボランティア団体として存続しているようですね。聖ヨハネ騎士団は当時から「ホスピタル騎士団(敵味方の別なく、怪我人などの救護にあたった)」の別名がありましたから。
ありがとうございます
なるほど、現代の兵士も重装備なんですね。
でも、現代の兵士の防具は、動きやすくなるような工夫はされているのでしょうね。
No.7
- 回答日時:
No3の補足です。
クレシーの戦いについてNo5のご回答でご指摘がありましたので補足します。
この戦いでは高地に陣取った英国軍に対しフランス軍騎士が突撃したのですが、確かに板金鎧に長弓があまり有効ではなかったとしても乗馬の馬鎧は鎖帷子など脆弱でしたから馬が負傷し、騎士が落馬して乗馬のまま突撃する事が出来なかったことは想像できます。
しかも乗馬を補佐する従者は鎧をつけていず脱落しています。
この為徒歩で接近を図ったのですが登りの坂道に鎧や武器をもっての移動は体力を消耗させます。
たとえ25Kgとしても大変な負担です。
それにNo5の方がご使用の板金鎧がどんなものかわかりませんが当時の冶金治術では板厚も厚くしなければならなかったのでは・・・
剛勇の騎士の例にテンプル騎士団や聖ヨハネ騎士団を忘れていました。
十字軍に参加したテンプル騎士団は中東でのエルサレム奪還戦や中東都市国家の防衛に、聖ヨハネ騎士団はロードス島防衛戦を戦い抜き、マルタ島に転じてもよく守備の任を果たしました。
テンプル騎士団や聖ヨハネ騎士団ですか。
ネットで調べて見ます。
だれが同時代で最もタイマンで強い!っていうのは、西洋では議論にならないんでしょうか?あるいは、実際には時代がずれていて、戦うことはありえないけれど、
もし戦わば?みたいな。
No.6
- 回答日時:
No.5の方を補足します。
そもそも「満足に動けない鎧」が存在したとして「誰が戦場に着用する」でしょうか。騎士としての体面はあるでしょうが、それ以前に戦場で落とすのは「自分の命」です。
アニメや漫画の鎧ならいざ知らず(これらで描写されているもののウチ、使えるものはほとんど無い)、実際の鎧は「如何に動きやすくするか」「如何に疲れにくくするか」「如何に体を守れるか」については徹底的に考えてあります。
私は「実際に剣の傷が入った金色の鎧」の写真を複数の文献(同じ式典用の鎧を写した別の写真でしたので、有名な鎧なのでしょう)で観た事があります。これを見ますと当時の鎧がどれだけ頑丈であったか、また、どれだけ実用に耐えたかがよく判ります。
また騎兵戦闘用の鎧の他に、全身を覆った徒戦(かちいくさ=歩兵戦闘)用の鎧もあったようです。近世からルネサンス前期頃まで、鎧はとっても発達したようです。
エドワード・ブラックプリンス、リチャード・ライオンハートの頃の鎧は後世の板金鎧ではなく、鎖を編んだチェインメイルが主力でした。
ご回答ありがとうございます。
チェインメイルは、忍者の鎖帷子のもっとごつい感じのものでしょうか。
しかし、鎧も発達していったというのは、よくわかります。
そういえば、NHKの新撰組でも、捨助が、鎌倉時代のような鎧兜で馳せ参じて、なんだそれは?って笑われていたシーンがありました。
No.5
- 回答日時:
1の方は認識を誤っておられますので訂正させてください。
板金甲冑を着た騎士が動けず倒れたら起き上がれないとありますが、これは大きな間違いです。この間違いは次の馬上槍試合の間違いと連動しています。
まず、鎧の重さですが、わたしがいつも来て戦うものは25kgで体重55kgのわたしには半分少しいかないわりあいです。25kgは持つと重くよろけますが、着込んでしまうと想像以上に素早く動けます。私はこれを着て両手剣をもったまま、飛び込み前転ができますし、体を一回転させての回転攻撃が得意です。鎧は手で持つと体の重心の片側に全てきますが着ると、体の前後左右に密着する為重さが分散します。やじろべえのようなものです。
つぎに、馬上槍ですが、戦闘の時と槍試合のときの鎧は全く違います。槍試合ようのものは腕を固定し槍と手綱をもち、ヘルムも重いものでした。これはそれ専用に作られた物で戦闘では使えません。例えて言うならば、自動車といってもF1のレースカーとファミリーカーを同一するほどに間違った認識です。
3のクレシーの闘いですが、フランスが負けた理由はいくつかあります。地形のことや馬が使えなかったこともそうです。鎧の重みで長時間の移動は確かに大変です。しかし長弓がプレートアーマーぶちぬいたということは正確ではないようです。つまり矢が鎧のプレート部分を打ちぬけたというのはまずありえなかったことで、偶然によい角度で強い矢があたれば打ち抜いたこともあったでしょうが、磨き上げた板金は滑りやすく、相手は静止しているわけではありません。これは目の隙間や、関節の裏など板金の装甲ではない所にあたったことが曲解して語られたと思います。
証拠として、アメリカの友人から聞いたことですが「板金鎧をつけて中に人が入り、当時とおなじ張力の長弓でリアルポイントをつけて撃つ実験をしたらしいのですが、矢はことごとく跳ね返されて、その間鎧は「ダンスステップを踏んでいた」とのことです。
No.3
- 回答日時:
歴史上に名を残しているのはエドワード黒太子とリチャード獅子心王くらいでしょうか。
黒太子は黒い甲冑をトレードマークにしましたが、勇猛で多くの戦闘で勝利を収めたことは有名です。
リチャード獅子心王も名前のようにライオンハートと呼ばれる勇者でした。
実在かどうか疑問はありますがアーサー王の騎士ランスロットはその勇武で有名です。
確かに日本の剣豪や三国志の英雄のように個人的武勇伝は騎士の場合は少ないです。
騎士による馬上槍試合は双方が激突し落馬した方が負けですが、これについての武勇伝は「アイバンホー」という小説で有名です。
フランスのクレイシーの戦いではフランス軍の騎士団が英国軍の陣に突撃しましたが英国軍の長弓隊の射撃で惨敗しました。 これは馬を失って徒歩で英国軍陣地に接近しましたが重い甲冑でヘトヘトになりたやすく討ち取られたためです。
ご回答ありがとうございます。
エドワード黒太子とリチャード獅子心王。確かに強そうですね。
ランスロットも聞いたことがあります。
私は、それぞれのエピソードはわからないのですが、
名前から判断すると「剛勇」って感じですね。
三国志の呂布や関羽のような。一群をひきいつつ強いんでしょうか。
小次郎タイプではないですね。
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