安楽死についてずっと考えていました。もう頭がちょっとパニック気味です。安楽死をさせて医者が殺人罪になった大きな事件があったのですが、安楽死は殺人ですか?私は殺人だとは思いません。安楽死に賛成ではありません。それでも、殺人とは思いません。安楽死の定義にもあいまいさが多すぎてわからなくなっているのです。尊厳死は患者の意見を尊重しますが、安楽死においても患者はあいまいな形で死にたいといったかもしれません。分からないです。

A 回答 (5件)

「殺人」だと思います。



なにか手を下して(あるいはわざと手を出さないで)人を死なせる(殺す)のですから、医者であろうと家族であろうとたとえ本人でも。

ただ、それなりの事情は勘案したいです。
#3の方の言葉を借りるなら、「いい殺人」もありうると思います。

そしてそれは、ケースバイケースで「殺した」ことの「罰」をどうするかという裁判でのみ認めるのがよいと思います。
安楽死、尊厳死はことばだけのものです。事実は「殺した」ことですので、「罪」は消えないのです。事情によって、罰さない場合があるというだけ。

安楽死、尊厳死という一切をひとまとめにして思考を止めてしまうような法律は、あってはならない。

と考えています。
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現在の刑法では、たとえ安楽死を患者や家族が願っていても


処置を行った医師は、患者さんを意図的に死なせたことになるので、
業務上過失致死ではなく、殺人罪が適用になるのだと思います。

話しは違いますが、脳死に陥った患者さんからの臓器移植について
数年前に法案が国会で可決されています。
ではこの臓器移植法で取り入れられた「脳死」という考え方と
安楽死ではどう違うのでしょうか。
それは、不可避か可避の違いではないかと思います。
脳死は患者さんにも家族にも不可避であり、言わば運命であるとしたら
安楽死は可避であることに問題があると思うのです。
脳死を死と認めたことは意義あることだと思いますが、
その判定には幾重にも医師のチェックが入りますが、
安楽死は、一人の医師と患者家族だけで決められることにも
問題があるとおもいます。
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法律というルールの視点で言ったら、安楽死、尊厳死、自殺、どれも、殺人になるでしょう。



わたしも、人生をどう生きるか、と考えると、どう終わるか、という点も考えてしまいますね。

ただ、『安楽死や尊厳死は、それが本人のためだから、「いい殺人」、だから罪にはならない』
って論理は、私は受け入れられません。

「私は、以下の状況になったら、安楽死を望みます。
 
 (1)事故で植物状態になったとき。
 (2)相当な苦痛を伴い、完治することがなく、かつ専門医  余命が六ヶ月以内と診断されたとき。」


など、自分が尊厳死を考慮してしまうような状況になっていないのに、尊厳死したい状況を場合分けして設定するってのは、あまりにも非人間的な論理だと思います。
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安楽死はよく議論されるテーマですが、実は安楽死は問題の核心ではありません。



その前の問題です:自然の摂理を受け入れて、死ぬべき時に死ぬことができない世の中になっています。

人生は長ければ長いほどいいというものではない、いかに丁寧に生きることこそ重要です。

現代社会において、全てがシステム化されていて、感動を覚えることも、残忍さに気付くことも、あまりできない仕組みになっているのです。

どちらかといいますと、『楽(らく)』であることが追求されつづけてきました。

一方、人間の欲張りのせいで、数えきれないほどの動物が食われる為に生まれ、一生狭いところで育ち、殺される運命になりました。

環境破壊も進み、毎日沢山の種が滅亡している様です。

それにしても、なにがあろうと、彼達の最後まで生きようとする無言の努力は感動ものです。

なのに、人間は『安楽死』の是非について、議論をしている...あまりにも醜い構図です。

良し悪しの問題ではなくて、「人類はこんなに情けない生き方でいいのかよ!」ということです。
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では、かなり個人的な意見で...。



私の考えでは、「安楽死」,「尊厳死」,「自殺」の全てが「殺人」の位置付けですね。

ただ、「良い」or「悪い」の判断では有りません。

根本的に、人の社会自体が不自然な形で均等を保とうとしてると考えており、
それ自体に善悪の判断を行う事が困難と考えて居ります。

その中でこののケースも「良し」「悪し」の判断では無く、「法律」と言うそれを保とうとしている物で判断されているのだと考えています。

勿論、私自身がこの中で生きている以上は、私なりにそれを認識しているつもりでは居ますので、それらを軽視している訳では御座いません。

例えばこのケースでも、その結果どうなるかを知らなかった場合は論外として、知って行った行為については、その後の事も考慮されて居たのでは無いでしょうか?
「安楽死」が「殺人」と同意で罪として問われるかどうかの論議は、まだ完全な結論も出ていませんし、それぞれのケースでも変わって来る事と思います。
その事は、この医師も御存知だあったと考えて居ります。
それを承知の上であれば、私としては反対する必要性を感じては居ません。

ただ、これらの事件や事象で私自身が必要と感じている事は、「考える」事は必要だと思って居り、それを意識し続けて行きたいと思って居ります。

何か、中途半端な文章で申し訳無いです...。
(ここでの討論は無理ですし、考える所の全てを文章化出来る程の文才も無いので...。)
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