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 幼いころからこの疑問を常に抱いています。
 
言葉で表現するのは、難しいですが自分の顔は、自分で見ることができません。このことから自分の目は、自分のものであり内側から見ているイコール自分は、存在すると認識できるのですが、自分以外の人は、本当に存在するのでしょうか?
 
 たとえば、それは青いというのは自分の脳が青色に見せているものだと聞いたことがあります。実際に、自分以外の他人は、人間のようにみえるように脳が映し出しているのかとも思います。また、こうして質問を書き込んでいる最中に後ろを見ることはできません。自分の後ろには、本当に世界は存在しているのでしょうか?
 
 このことに対する答えは、ないと思います。ですが、少しでも私が楽に考えることができるヒントを教えてくださるかたがいらしましたら教えてください。

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A 回答 (20件中1~10件)

他者が存在するかどうかということは、(1)自分以外に存在一般は成り立つのか、(2)自分以外に精神は存在しえるのかという二つの問いに分けてアプローチできます。

これに関して何がしか示唆できるかもしれないことを他の質問に関して書きましたので、ここにほぼそのまま写し、私の提案する一つの可能性とさせていただきます。

 「ものそれ自体」というのは存在するのかというのは、哲学史上何度も論じられてきた古い問題ですが、私はこれに、「証明は不可能」とやや折衷的に回答します。
 存在について語るには存在をいかに認識するかという問題を避けるわけにはいきません。そこで考えてみたところ、私たちは五感をなしにものの存在は認識できません。仮に私が神経が極度に衰退する病気になり、五感すべてを失ったとします。このとき自分の外に存在を認識できるかというと、恐らく不可能でしょう。ゆえに存在の認識には五感が不可欠だと考えられます。
 次に五感によっていかに存在を把握するかですが、直接的に最初の経験で把握することは出来ないと思われます。私の目に映る風景は、それ自体で考えるなら、無数の色が散りばめられた一つの絵に過ぎません。ゆえに視覚による経験はリアルタイムに変更はなされていくものの、その一瞬においては単一な経験だと捉えられます。この事情は他の感覚においても同様であることは、日常の経験を反省してみても確かめられると思います。
 ではいかにそこに個物としての存在を認めているかといえば、差異を頼りにした分化によると思われます。例えば色がまったく同一か、いかなる飛躍もなく連続的に変化している面は、私たちには一つの面だと思われる、ということを考えるとわかりやすいかと思われます。そしてそのような差異の分布から、私たちは各々の感覚による地図のようなものを組み立てます。私とどのような位置関係にどのような差異があるかを把握するわけです。差異は一つでも存在を推定する根拠たりえますが、経験上結びつきえるいくつかの感覚による差異が同一の場所に現れたとき(このような地図の重なり合ったもの、あるいは総体的な地図群を私はその主体にとっての世界と呼びます)、その存在可能性はいっそう高まります。けれども最終的には存在していて欲しいという私たちの願いが、私たちにとって存在を存在たらしめます。
 このように考えれば、ものそれ自体があるから私たちはそれを見たりするというより、むしろ逆の順に存在の認識はなされているものと考えられ、最も高いレベルの存在の明証性は私たちの信仰にのみ存すると考えられます。
 こうした立場からすると、自分が持っている「心」以外の「心」を想定することは困難に思われます。それは感知し得ないからです。けれど、「心」の定義を少し変更したのなら、それは上の信仰を持つ者にとっては明確に存在する原理になります。
 単に存在の認識を考えただけでは、認識されたものがなぜそのように認識されたのかがわからず、そうであったからそうなのだとしか言えません。けれど存在を信仰する立場からは、ある存在がそのようであり、そのように差異を統合し、私の世界に差異を作り、変更していく原理は、その存在そのものに求められます。それを私は「心」と呼びます。
 一般的な「心」も「目は口ほどにものを言う」などといわれてるほど、他者に語りかけるものであったことを考えると、私の「心」もさほど食い違う考えではありませんが、私は私が私の姿を今こうであるように他者に認識させている働きも「心」に含める、という意味で、いくらかその範囲を拡大しています。
 上記のような考え方に立てば、心も物質も、私の言う信仰によるという留保はありながら、同程度に存在し、同程度に確実であると思われます。ここから、私の信仰によるならば、他者は存在します。
 折衷的な考えで、何の答えにもなっていないかもしれませんが。
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>言葉で表現するのは、難しいですが自分の顔は、自分で見ることができません。


それは、目が顔についているから。。
じゃ、目をつぶったら、意識してないときは?例えば寝てるとき。
自分はあるでしょうか?
答えは無いわけではない。
ただ、自分の内側を見ているから、自分以外(自分の外側)が見えないのでは?
円を考えてください。この円周が、自分のようなものと考えてみてください。内側も、外側も、自分ではありません。
視座は点ではなく、円周のような輪郭である可能性を考慮できないでしょうか?
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goo辞書から引用。



そんざい 0 【存在】

(名)スル
(1)人や事物があること、いること。また、その人や事物。【以下略】

うーん、私はもう少し厳密に言う必要があると感じます。

そんざい 0 【存在】

(名)スル
(1)ある主体が、その対象を知覚しつづけている、あるいは、なんらかの体験を元に思念・思考しつづけているときの、その対象を包含している状態、またはその包含体系。

例えば、「私」という主体がいます。
それを、理解よくするためにあなた自身と捉えてもらっても構いません。
例えば、「私」という主体(あなた)が今【存在】していると確かに言えるものは、知覚しつづけているもの=五感によって確証づけられているもの、具体的にはテレビの画面や聞こえる隣家の会話、さっき食べた鶏肉、放屁の匂い、タイピングするキーボード等々、のみです。
ひとたび、目を瞑れば、テレビはそこにあるかどうかわからない。その時、「知覚しつづけている」状態とは言えないため、「私」という主体(あなた)が持っている「テレビ」というのは厳密には【存在】しないことになります。
我々が家に常に「テレビ」が【存在】すると思っていられるのは、それが勝手になくなったり、目を瞑った瞬間だけなくなるとは考えられないという、経験則から来ているからです。
でも、実際には分からないわけですから、「知覚」しつづけていないものに関しては【存在】を認定することはできません。
そういう意味で、まず「その対象を知覚しつづけている」状態というのが、【存在】だと考えます。

では、「自己」は【存在】しているか、という問いです。
あなたの論では、「自分の顔は、自分で見ることができません」と述べられているとおり、「知覚」の不充分性は認めておられますが、「自己」の【存在】肯定理由を「自分の目は、自分のものであり内側から見ているイコール自分は、存在すると認識できる」という心もとない論で裏付けておられます。
私が言ったように、その対象が【存在】するかは「知覚」されているという状態が一先ずの第一条件ですが、あなたの論では、主体、この場合では「自己」ですから、主体も対象も同一のものですが、主体の持つ「知覚」能力に、すなわち対象の【存在】性を委ねている点が問題です。
「テレビ」が目を瞑れば【存在】が不確かなように、「自己」も鏡の前にいない時、【存在】は不確かになる。
もっと極端な例を出せば、例えば盲目の人間に「自己」は【存在】しないのか、という命題を考えてみればよい。
詳しい持論の敷衍は省きますが、ここで大切なことは、「知覚」の次に、ある主体にとってその対象が【存在】するかどうかは、実は感覚器官を越えた、脳の機能が重要だということです。
なぜ、我々が自分は【存在】していると言えるのか。
それは、とりもなおさず、常に「自己(自分)」のことを考えているからです。
「自己」というものを常に意識している、私の先程の定義でいくと「体験を元に思念・思考しつづけている」ため、我々にとって「自己」すなわち自分は、確かに【存在】していると認識されるのです。
我々は、幼少期から自分にまつわるさまざまな事柄を“体験”して、それを蓄積していきます。そして、それを元に「自己」を“思念・思考”しつづけるため、「自己」が【存在】するのです。
それは他者でも、同様です。「私」という主体にとって他者が【存在】するかどうかは、「知覚」しつづけているかどうかだけでなく、「なんらかの体験を元に思念・思考」しつづけているかが関わってきます。
友人や恋人でも構いませんが、「私」という主体が常にそれらの対象を「知覚」しつづけていることはありません。しかし、その「私」という主体にとって友人や恋人などの他者が【存在】するのは、「なんらかの体験を元に思念・思考」しつづけているからです。
ある瞬間、他者のことを「思念・思考」しなかった場合には、「私」という主体から他者は【存在】しないことになる。
同様に、「私」という主体が「私」を「思念・思考」しなくなると、「私」も【存在】しないことになります。ですから、時々壮大なマリンブルーの海で目を瞑ると、なにもかも忘れてしまって「自己」が【存在】しなくなったような気分になる、というようなことを聞いたりしますが、そのことは、つまり【存在】というものを「思念・思考」しつづけている状態かどうかという点を根本に考えると、説明ができるわけです。

以上を踏まえて、結論部ですが、あなたの問い「自分以外の人は、本当に存在するのでしょうか?」の私の回答としては、「知覚しつづけている限りは存在していると言えるでしょう。ただ、知覚から外れて、思念・思考しなくなると、自分以外の人は存在しなくなります」となります。
続いて、「自分の後ろには、本当に世界は存在しているのでしょうか?」という問いには、「自分の背後の世界というのは知覚しつづけてはいないので【存在】していません。ただ、我々は経験則から判断して、後ろの世界があるのだと信じ込んでいるということはできます。だからと言って、それが【存在】しているということではありません。我々が背後の世界はあるのだと「思念・思考」しない限り、背後の世界は【存在】しないのです。でも、振り返れば「知覚」しつづけますから、間違いなく【存在】します」
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17のつづき。



私はあなたがいる同じこの世界で、自分を自覚し、インターネットにつなぎ、誰かの文章を自分の目で読み、考え、キーボードを打っています。
そして、私は確かに(少なくともこの世界では)存在していると認識しています。

porlaliさんにとって「他の人間」である私の認識方法と、porlaliさん自身の認識方法の違いはなんでしょうか。

同じ世界の中で、同じ認識方法を用いて自分の存在を認識しているとすれば、porlaliさんの「だから自分は存在しているのだ」という主張と同様に、他の人間の存在主張も通用するはずです。
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>自分以外の人は、本当に存在するのでしょうか?



「独我論」ですね。

外界がバーチャルだとしたら、そのバーチャル世界でしか「自分」を振舞うことができない「自分」はいったい何なのでしょう。

同じ世界に登場する「他の人間」との違いはなんでしょうか。
どうして「自分だけ」が意識を持っているといえるのでしょうか。

そもそも意識とは何でしょうか。

私は自覚だと考えます。
自覚するには、環境に囲まれることが必要です。
すなわち、自覚をみいだすということは、イコール外界をみいだすということになります。

そしてループしてしまいます。
外界がバーチャルだとしたら、そのバーチャル世界でしか「自分」を自覚できない「自分」とは、いったい何なんでしょう。

参考URL:http://www6.plala.or.jp/swansong/index.html
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私も同様の疑問を子供の頃抱いてました。



永井均『〈子ども〉のための哲学 』(講談社現代新書) を読んでみると面白いと思いますよ。

「<私>はなぜ存在するのか」について、今まで読んだ中で一番わかりやすく、共感できた本です。

そして、このような疑問を抱えた人が、世界とどう折り合いをつければいいのかの指針等を考えさせられます。

この本を読んだとき、ここまで自分と同じ疑問を感じそして、考え続けた人がいたのか!と奇跡に近い感動を感じました。それも既存の思想・哲学の枠を使わずに!

読後は、かなり興奮すると思いますよ。
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命の重さってリアルに同じなんじゃないかと思う。


例えば僕らは縁があって人間として生まれてきたけど、それ以外の生き物として生まれる可能性もあって。それだけじゃなく、この世に存在する生き物全て、自分なのではないだろうか。生まれ変わってってのはちがうかもしれないけど「いつか」経験する自分ということで、王様も奴隷も聖人も罪人も豚も蚊もライオンも鯨もいつかの自分ということで、自分そのものだと僕はおもっている。
なんという苦しみと喜びの多い世界だろうか。            そして、僕らは一時の自分の幸せのために、多くの自分のしあわせを奪っている。それは大きな損だ。なんとか仲良く暮らしていく手はないだろうか。
もちろん今知っている世界だけが全てではない。全く違う次元も存在していて、もっと多くの自分が生きているだろう。無限といえるほどの・・・
その一方で昔は自分は生まれ変わってもまた同じ人間としてここに生まれるのではないか、と思っていた。今経験した出来事がずっと前に経験したことのように感じることが、よくある。記憶が一時的に混同しているだけらしいけど、僕らは同じ場所でずっと同じことを繰り返しているんじゃないかと考えたことがあった。
ふたつの考えをあわせれば、僕らは、無限のうえに無限の生き方を送っていることになる。

この世は閉じられているのか、広がっているのか・・・

って考えたひとがいましたとさ。
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あなたが認識している見えるもの聞こえるもの触れるものなどが脳で加工されたもので見せてもらっているものだということは事実です。


あなたにそれらのものを感じさせているのは無意識です。

この手の疑問そのものが、無意識はあなた自身を間接的にしか認識できないゆえに生じるものです。

自己の同一性の限界ゆえに生じるものですが、健康な無意識と、それに支えられた健康な人はこの手の疑問とは無縁です。
あなた自身にもあなたを信じきっている健康な無意識があるゆえに生活できているわけで、まずはその健康な無意識と仲良くするコツを憶えて下さい。
そうすればこの手の同一性に関する疑問は、あなた自身には無関係で解決を手伝うことも不能なため無意識同士の水面下の葛藤として抑圧することが可能です。

あなたがあなた自身の真実の子供たちに支えられた存在であることを悟ってください。

仏教哲学の唯識が役に立ちます。
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誰だったか忘れましたが、昔の人に


『この世界で唯一確かな事は私が今考えているという事だけだ』
って感じの言葉を残した人がいます。
疑って突き詰めれば、この世界が存在している事なんか証明できないし、今私がここにいることすら証明は出来はしないという事です。

重要なのは『疑えば』ってとこです。確かにあなたの言うとおりです。客観的に見れば、自分の見ている情報が正しいなどと言う証拠はどこにもありませんから。

でも、それであなた今まで間違ったでしょうか?
目で見えているはずの物を信じたばっかりにあるはずの道路の底が抜けて奈落の底に落ちた事がありますか?
耳で聞こえたはずの台風の音を聞いて外にでて快晴だった事があるでしょうか?

答えはNoのはずです。あなたが何歳かは知りませんが、今まで生きてきてそれでもミスが起こらないなら十分です。これから先もそのような事は起こらないでしょう。

それでも不安な人が哲学などを学ぶのです。世の真理とは何か、人とは何か?世界とは何か?私が感じているものの本質とは??そういった事の核心を学ぶのが哲学です。但し、この学問は完成していないため、学ぶと中途半端に世界を理解するため、逆にそういう不安感が増える可能性があります。あしからず。
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 同じようなことは私も昔から考えていますが、それで悩んだりはしておりません。

私にとって重要なのは、自分にとっての「現実」です。自分が決して認識できない「本当」の現実があったとしても、それは自分にとっては意味がありません。自分ができることは、自分にとっての「現実」を生きていくことです。そして、私はそれで十分だと思っています。
 このような疑問を映像で表したものに、映画マトリックスがありますね。自分の見ている世界が、実は仮想世界である可能性は、自分では否定できません。自分が見ている世界以外の世界を知る由がないからです。知る由もない世界のことで悩んでも、何も得るものはありません。自分に見えている世界をいかに生きていくかで悩むことをお勧めします。でも、もしこの世界以外の世界のことを知ってしまったら、そのときはそのときで悩みましょう。
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Q他人に意識があり、他人が生きている証拠

他人に意識があり、他人が生きている証拠は、ありますか?

また、独我論は否定できないというのも、よくわかりません。



例えば、私に5感がある。寒い・熱い、触る、音を聞く、見る。

そして、他人にも、「5感があるように思える」。

他人は、笑い、悲しむ表情があり、、、、「完全に生きているように見える」。

わけですよね?




そして、全世界の99.999999999999999%ぐらいの人達は、

「他人は自分と同じような存在であり、自分が生きているから、他人も同じように生きている。他人に感情や、意識はある。それは、確かだ。」

っと、思っています。私も、基本的にそのスタンスです。


他人に意識・感情があると思うのですが、合っていますよね?

しかし、オカルトサイトでは、「他人はいない」とか、書かれています。大本は一体どこなのか?

「他人は自分の鏡」という話もありますが。


でも、他人に意識や、感情がなく、他人がただの人形だとしたら、非常に不気味な世界だな、と思えます。

それに何より、この世界で生きているのが、「自分1人ぽっち」だということになってしまいます。


例えで、映画を自分が見ているのが、現実だ、という話もあります。

自分の内側が投影されて、外の世界が映し出されているだけだと。



それに、自分が全てを創造しているとしても、自分の思い通りになっていない世界なんて、
存在価値があるのか?と思えるし、馬鹿らしいと思えます。

しかし、自分の思い通りにならない世界は、自分と違う考えの世界であり、
自分と、他人は異なる考えを持つように見えます。=自分と他人は別々に存在する。

それはまさに、「現実そのもの」に思えます。


例えば、今日なんか、デパートへ行きましたが、他人は、笑ったり、話したりしています。

明らかに、「他人に意識があり、他人は自分同様に生きている」と、思えます。

そして、これは世界の常識となっていて、疑う必要なんて、あるのか?
独我論なんて、考えすぎの嘘の論じゃないか?と、思えます。


それは、確固たる現実として、目の前に開かれています。

ただし、ネット上の書き込みは、他人に意識がないように見えてしまいます。

つまり、目=視覚の現実のウェイトが大きいことを意味します。


ドラマや、映画などの、「演技」ってのもありますが、
現実の他人の容姿は、まさに、「演技じゃなく、真実」に見えます。

よって、独我論は嘘であり、他人にも意識があり、考えがあり、生きている、
自分と同じような存在だと思えるのですが、どうでしょうか?


別の話として、1人1人が宇宙を創造しているという話もありますが、これもよくわかってません。
それは別に、他人も自分同様に、生きているだけ、と思える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、、、逆に考えます。
他人がいない、世界に1人ぼっちだけ、だとする。自分1人だけ、と。
そんな虚しい世界に、存在価値はあるのでしょうか?
全て、自作自演です。
自分が他人をも創造して、自作自演していると。
ネット上のカキコすらも、自分のただの創造だと。

そんな自作自演劇に、意味はあるのでしょうか?

他人に意識があり、他人が生きている証拠は、ありますか?

また、独我論は否定できないというのも、よくわかりません。



例えば、私に5感がある。寒い・熱い、触る、音を聞く、見る。

そして、他人にも、「5感があるように思える」。

他人は、笑い、悲しむ表情があり、、、、「完全に生きているように見える」。

わけですよね?




そして、全世界の99.999999999999999%ぐらいの人達は、

「他人は自分と同じような存在であり、自分が生きているから、他人も同じように生きている。他人...続きを読む

Aベストアンサー

自作自演であっても、意味は在りますよ。
みかんを食べておいしいと感じたことには、世界が自作自演であるかないかは、関係ないです。
世界が自作自演であってもなくても、みかんを食べるとおいしいと感じるでしょう。


後は、前にvanticeさんがした「自分が現実を作っているのなら、他人とは?・・・」という質問に俺がNo.5でした回答を引用します。

「幻覚がなくても、他者っていうのは、完全には確かめられない存在であって、結局は、自分が他者に生命感や現実感や自律性や意志や整合性などを感じているだけだと思います。自分が感じているそれらだけが、自分にとっての現実です。
また、気付きにくいですけど、自分についても、そうです。つまり、自分が自分に生命感や現実感などを感じてもいます。
結局は、そのように感じたり判断したりする機能が在るだけであるとも考えられます。

vanticeさんの例で大切なことは、やはり、現実との様々な整合性を積極的に確かめていくことだと思います。そうしないと、どうとも結論できないままだと思います。

もちろん、そんなvanticeさんもが、誰かに創造された存在であるとも考えられますけど、結局、vanticeさんにとっては、vanticeさんという基点や材料から創造された物事や現実をvanticeさんが満足に制御できることが大切ですからね。」


後、確かめたいんですけど、vanticeさんは同じことを何回も質問していますけど、過去の記憶を忘れて、1人エンドレスエイト状態なのでしょうか?(もしそうなら、8回目は何か特別なことをお願いします。w)
また、出来れば、お礼を書いたらすぐに質問を締め切るのでなくて、みなさんの回答の分からない部分をお礼欄や補足欄でさらに質問したりすると、より良いと思いますけど、どうでしょうか?

自作自演であっても、意味は在りますよ。
みかんを食べておいしいと感じたことには、世界が自作自演であるかないかは、関係ないです。
世界が自作自演であってもなくても、みかんを食べるとおいしいと感じるでしょう。


後は、前にvanticeさんがした「自分が現実を作っているのなら、他人とは?・・・」という質問に俺がNo.5でした回答を引用します。

「幻覚がなくても、他者っていうのは、完全には確かめられない存在であって、結局は、自分が他者に生命感や現実感や自律性や意志や整合性などを感じているだけ...続きを読む

Q独我論が正しいのでは?世界は自分が創っている?

>vitaさん
>我々人間は、光や音、匂いや触感などの外部刺激を受容することで、自我、心を形成しています。その受容には僅かとはいえ、有限の時間がかかります。つまり我々は過去しか受容できないのです。そして我々はその外部刺激に反応し世界に働きかけるのです。その方向性は一方通行で過去から未来への方向なのです。ところが独我論は、そもそも受容する外部刺激そのものを自分自らが作り出し、それを可逆的に自ら受容し反応していくということなのです。つまり未来から過去を形成するという全く非常識な方向性を持っているのです。自ら外部刺激を作ることなど本来できないのですから、独我論など全くの妄想であり、議題にすること自体無意味なのです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1389656183

↑ これの意味がよくわかりませんが・・・。。。確かに過去を受信?して、現実を自分の脳で理解している。


>独我論とは、客観的世界など存在しない、すべては自分の意識のみ存在している。
他人や椅子や机などのものは脳が見せている幻影であり、そのものの存在はあり得ない。

>つまり、世界の中に自分がいる のではなく、
自分がいて、世界は自分が創っている。という考えです。
~~~~~~~
 そんなわけで、独我論が正しいのではないかな~?っと、思ったわけです。

しかし、どうも、仮に、「世界は自分が創っている」としても、そのヒントは世界にほとんど存在しません。
誰1人、「あなたが創造している」とはしません。(しかしネット上にはいくつかそういう説も出される)


1,唯物論?のように、全ての人に意識がある=常識論、当たり前とされている考え
2,独我論のように、1人1人が独立した世界を持っている?というオカルト説。1人1宇宙。

の2種類がほとんどです。
しかし、私は、

3,実は、世界、宇宙には、「私という自分しか存在しない」という独自に近い考え。。を持ったりもします。
しかし、これは、まさに、「有り得ない話」でもある。
というのも、1人1宇宙で、60億人分の自分だけの現実(アニメとある魔術の禁書目録・超電磁砲)を持つ、という、2番目の説ならまだしも、

3、の、私しかこの世に存在しない、というのは、無茶苦茶でしょう。やはり・・・。
それはつまり、「一切の他人に、意識が存在しない人形のようなモノ」だと、してしまうからです。
これは、怖い話。。。 また、これを他人に聞いたら、どう答えられるでしょう?
他人は、「いや、それは違う。私には意識がちゃんとある。だから、貴方は間違っている。考えすぎだ。頭冷やせ。病院行ったら?」と、なります。

2,3番目の考えは、神=自分=私、わたし、だという考えにも、近く、「私が神だ!」と主張する
=馬鹿で頭イカれた精神異常者、だと、他人からは映ります。。。

・・・さて、何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが・・・思うことが、多々あるってことです。


とあるサイトで、2番目?の「1人1宇宙説」を唱えている人がいました。
観測についての記述ありました。
「あなたの真後ろ、遠い駅、地球の裏側」は、見えていないから、観測されず、存在しない、真っ暗な何か、というような説明がありました。
なるほど、と思います。

というのも、それならば、「エネルギーの節約になる」からです。
最近はよく、「この世はスーパーコンピューターの世界だ。」という話を見かけます。
それならば、この世界を描写するのならば、「私だけ」描写すれば良いわけです。
私のパソコン画面、と、その周辺だけ、描写すると。それも、完全にリアルに。。。

(また、私の幻覚体験で、建物幻覚=中に入れた、熱いシャワーが出た、という謎や、廊下に過去の記憶のミルクティーこぼれていた事件や、携帯電話が11日間だけ最新ニュースが流れていた、や、Gigazineに明らかに私と関係ある記事が載っていた(←これは完全に幻覚でしょう。)といったことなどなどが、ありました。)

これは、私の脳が壊れかかっている?wのか、それとも・・・・・?
世界が壊れかかっているwのか、、、・・・・?・・・・・。

個人的には、「世界が壊れかかっていた」という方が、2010年3月の色々な幻覚体験は、説明が付きます。その直前は、一週間家から出なかった?忘れた、とかあったので、明らかに、私の脳が異常を出して、幻覚になってしまった、とも、言えるのですが。

何れにしても、世界=宇宙=自分の脳みそ、というのは、正そうです。。。。

Aという世界、Aという宇宙は、Aという私の脳が創りだす、Aという、Aだけの現実・・・だとも言えそうです。
そしてまた、B,CDEFG・・・・という世界が、他人にもあると。まぁ、5感で生まれてからの経験の積み重ね=現実世界のようなので・・・・。(これはまさに2番目の話)


さて・・・そう考えていくと・・・・・・・・・・・・?
結局、最低でも、「1人1宇宙」であり、それとも、
「私の宇宙だけしか、この世に存在しない。宇宙は1つしか存在しない。唯一。」という、
無茶苦茶な考えが出てきます。

また、この考えについて、他人のほとんどが否定する理由は・・・・・・・・・・・
「宇宙にたった1人しかいない、私・・・・・・。。。」というのを、信じていかないとならない点です。
1人1宇宙ならば、60億人分の現実があり、現実世界が無数に存在し、人間もまた、60億人、別々の世界でも、確かにそれぞれが、存在する。だから、「この世には1人じゃなく、60億人は確かに存在する。」と、できます。

しかし、宇宙が1つ、意識を持つのも、私1人・・・・・・だとすると?・・・・・・・・・・・・
もしも、それが真実ならば、、、、とても、「虚しい」気がしてきます。

全ての他人は、所詮、意識がなく、人形のようであり、また、<私の無意識>が創造した他人である、と。。。。

宇宙がどうやって出来たのか?わかりません。しかし、「一番初めには、確かに私1人しかいなかった。それじゃぁ、虚しい。だったら、私の分身を、完全に他人に思えるように、創造していこう。」っと、神である私。。。が、、、、、、、、、考えて、創造していった、としたら?・・・・・・・・・。。。
確かに、辻褄は合うと思います。

結局、人形劇、自作自演ということです。それが真実かは不明ですが・・・。。。
さて。自作自演と言えば、911テロです。これは陰謀論ですが、、、、。。。
また、2chでも、自作自演という単語は出てきます。笑い話でもあります。

しかし、「他人は、自分が創造していて、、、、自分=他人だとしたら? 鏡だとしたら?」
んーーーーーーーーー、、、、。。。これまた、虚しいと。。。。
自作自演、ってやつですね。こんにちは。ありがとう。さようなら・・・・・。。。

そして、「これらが真実だと仮定すると、これらが公にならない理由は・・・・・・・・・」
やはり・・・・・・「自分1人だけの世界は虚しいから・・・・・・・・・・・・・・・。。。。」ということだと思います。

超超超超・・・・・・・・・・・・超超超・・・・・・・強力な・・・・・・・・・「ロック=鍵=Key」がかかっている、ということでしょう。Key=ゲーム会社でもありますが。
パンドラの箱・・・・・・・かもしれません。
超強力なロックだからこそ・・・・・・・・・・・・・。。。。。。。。他人は、ネット上でも、現実世界でも、
誰1人、他人は、「あなたが創造している」というようなことを、言わないのだと思えてきます。
他人は、嘘を付いている?・・・・・ような感じです。
結局、自分しか信じられない、ということに、尽きるかもしれません。

・・・・・・・あとは。
この世がスパコンで出来ているとして、幻覚は、私が、
「実はこの現実は、自分が創造しているのではないか?」 っと、「潜在意識がここに来て顕在化(これはOVA超電磁砲黒子の台詞)、した」ということのような気もします。

ずっとずっとずっと、、、、自分が全てを創造しているとしたら?・・・・・・・・
ずっとずっと、「自分で自分に嘘をつき続けている」ということになります。
これまた、しっくり来るのですが・・・。。。

http://www1.ttcn.ne.jp/turu/30souzousyuhe.htm
これなんかも、あなたが創造している、としているサイトの1つですが。1人1宇宙論かもしれません。

また、さっきの911ですが、CG説があり、これも、「変だな?」と思わせます。
311も何故、911+311=1222=2012年12月22日人類滅亡?説になるのか?っと。
福知山線脱線事故だって、何故、運転手がスピードを出してしまったのか?謎です。
最近では、全てのニュースが、自分が創造したようにも思えてきます。。。


さて・・・・・・観測ですが・・・・・・・・。
自分の目で、観測しています。問題は・・・・・・・・・・・「自分も、他人も、同じように、5感を持っている」ということでしょう。
「自分も他人も、同じ体を持っている。だから、自分も他人も、同じ存在だ。だから、独我論は間違っている。」とも、仮定できます。
これは質問ですが、これを否定することはできるのでしょうか?

もしも、自分だけしか、意識が無いとすれば、自分=他人の体、という事実は、何故か否定され、観測しているのも、自分1人だけ、だということになります。

ここで字数制限・・・。。。

>vitaさん
>我々人間は、光や音、匂いや触感などの外部刺激を受容することで、自我、心を形成しています。その受容には僅かとはいえ、有限の時間がかかります。つまり我々は過去しか受容できないのです。そして我々はその外部刺激に反応し世界に働きかけるのです。その方向性は一方通行で過去から未来への方向なのです。ところが独我論は、そもそも受容する外部刺激そのものを自分自らが作り出し、それを可逆的に自ら受容し反応していくということなのです。つまり未来から過去を形成するという全く非常識な方向...続きを読む

Aベストアンサー

1,唯物論?のように、全ての人に意識がある=常識論、当たり前とされている考え
から全力で逃亡している感じだと思いました。

「自分=唯一神 ならば 自分=唯一神 である」 (まさかね… でもまじで? けどひょっとすると… もし自分=神 なら…たしかに あれやこれを思い合わせると 自分=神 …となる けど まさかね… でもまじで?)
を繰り返しているようにみえました。前提と結論が一緒というか、循環論法というのでしょうか、はじめから答えが決まっていてその答えに合うような材料をつい拾い集めているというか。

もし自分がそういう堂々巡りの状態になるとしたら、どういう場合かと考え、自分もすぐひとつの結論に飛びますが、心の問題かと思いました。劣等感や運動不足が原因で、他者との交流・交感の不足からくる寂しさもあるように思います。

アニメやカルトが提供する世界観にすがるのは、現実をそのままでは受け入れられないくらい心や体や感覚が弱くなっているためかと思います。
「自分≠唯一神」や「すべての人≠神」である世界では、心がなんだかつらいので「自分=神」かつ「他者≠神」という世界、「自分=唯一神」の世界、ようするに自分のみがずば抜けて優越している世界を空想したり妄想したりして、人々独自の存在を暗に否むことで、現世的な生活に伴う恨めしさや劣等感を晴らしているのではないでしょうか。
空想世界に不安を感じつつ、そうした世界にある優越的状況を期待してもいるのではないでしょうか。
自分の世界観を変えることは簡単で座ったままでできるので楽です、空想の世界に多少おかしい点があってもそれを生々しい現実らしさとして妄想の補強に用い、「自分=唯一神」という世界を築いて、しばしばその異常さに自ら疑い、そこから少し出てみると実際の世界もまた異常というか不本意で、よく見れば他者たちのいきいきとしている世界にあって、その活気が自分にはまぶしく、見ないことにして、また「自分=唯一神」の世界に舞い戻り、そこで人すべてに優越していようとする、そこにはつよい劣等感や無力感がひそんでいて、現実で負けがこんでつらいから自分に都合のよい世界観に入り、圧倒的に勝っていようという、一発逆転の発想かと思い、よくあることなので共感しますが

現実や他者にたいする手ごたえがないのは、自身がふだん生々しい手ごたえのない、あまり五感を使っていない暮らしをしているせいではないですか。
ディスプレイで映像ばかり見ていると身体感覚が鈍り、感覚や感性が低下すると現実感も薄まり、五感をいきいきと使う感じがどんなものか分からなくなり、忘れて、まるで他者たちも感覚や感性に乏しいもののように思われてくるかも。
自分にだけ感覚や思考があり他者たちにはそれがない、という世界観を質問文で提示していますが、むしろ実際には他者たちの方が五感や肉体や思考力をいきいきともちいて生活していて、自身の方があまり五感その他をよく使わずに暮らしているのではないですか、よく分かりませんが。
自然の多いところで土だか樹だか水とか山とか、生き物やら人やらと触れ合うといいような気がしました。肉体のエネルギーは節約するより使うほうが生の手ごたえ得られますし健康的です。体を動かしてスポーツとかほどよい喧嘩だとか、泳ぐとか、おもいきり走るとか、筋肉痛になるとかして自分の感覚を自分なりに味わい、それを他者にじかに伝え、他者にも自分の五感が得る内容を打ち明けてなるべく分かってもらい、また他者が他者なりに味わっている感覚をこちらからもなるべく分かろうとするとか、生身の思いやりというか。首や胸より下の部分もよく使うと良いと思います。
ごちゃごちゃと意味不明かも知れませんが、質問文を読んでいて現実感・世界観を得る際に、肉体感覚が乏しいような印象を持ったのでこんなことを書きました。

1,唯物論?のように、全ての人に意識がある=常識論、当たり前とされている考え
から全力で逃亡している感じだと思いました。

「自分=唯一神 ならば 自分=唯一神 である」 (まさかね… でもまじで? けどひょっとすると… もし自分=神 なら…たしかに あれやこれを思い合わせると 自分=神 …となる けど まさかね… でもまじで?)
を繰り返しているようにみえました。前提と結論が一緒というか、循環論法というのでしょうか、はじめから答えが決まっていてその答えに合うような材料をつい拾い集...続きを読む

Q私以外、生きている人は1人もいないのでは?

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8419929.html
この世は幻想であり人間一人一人が創造している

上記にもありますが、私以外の人間は、意識がなく、哲学的ゾンビなのではないでしょうか?

今日、気づいちゃいました。

幻覚体験、いろいろありましたが、

1,2010年3月、池袋にて。マルイ前、交番前に、ファミリーマートがあった。
  そこへ私は入った。変な機械があった。100 1000 10000 というような数字の書かれた機械。しかし、それはバグだったと思われる。幻覚だったと思われる。
そこで、私は無料電話があったので、電話かけた。おばさんが出た。説明を聞いたが意味不明だった。私がバカだっただけかもしれないが。
入った当時は、まさか、「幻覚のファミリーマートだった」とは、思わなかった。
そこの新聞を見て、確かに、「2010年3月7日ぐらい」だったと、わかったからだ。
漫画も本もあったし、パンも、ペットボトルも売っていた。

重要な点は、「客が大勢いた」「店員が3人ぐらいいた」という点だ。

「彼らが、店が幻覚であり、彼ら人間もまた、幻覚であり、偽物である可能性が高い。」ということだ。
説明しにくいが、偽物だと・・・・。

つまりは、「私以外の人間には、意識がなく、哲学的ゾンビだ。」ということだ。たぶん。

だから、現実世界においても、「実は他人には意識がない。」可能性がある。

しかし、こういったBBSで聞いても、答えは簡単だ。「馬鹿げている。」と、これらを否定する。
私以外に、意識がないのならば、何故、他人は、「私達には意識がないです。実ははじめから死んでます。。。」と、言わないのか???だ。

だから、常識的には、「他人には絶対に、100%、意識がある。」ということになっている。
TV番組だって、そうだろう。インターネット上の他人の書き込みだって、そうだろう。


2、「FEZというネトゲでの、他人のキャラクターの動き」、だ。

幻覚だったと思われるが、「戦場で、敵も味方も、足踏みしていて、動かない時があった。」のだ。
これまた説明しにくいが、
ここで、普通な世界、正しい世界ならば、
他人が大騒ぎするはずである。

「あー!!!なんだこれwww」
「なんか、さっき、止まりませんでした?」
「どうなってる。」

などなど。。。

しかし、それらはなかった。単に、普通に、敵味方動いていたのであった。チャットなし。。。

これは一体どういうことか?だ。

これは、「他人に実は意識が無かったから。」とならないだろうか?
それならば、辻褄が合うものだ。

・・・・・・・・・。

つまりは、詳細は、、、、「切り替えタイミングで、足踏みしていた。」だ。
もう、忘れてしまったが、2-5回ぐらいそれは起こっていた。

切り替えタイミングとは?
「戦場における、攻守の切り替えタイミング。」だ。

これは、どういうことか?っていうと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あー!敵の数が多い!こっちのHPも減っている!逃げろ!」
から、
「あー!敵の数が減った!こっちのHPは全回復した!攻めろ!」
と、攻守が守り→攻めへと、切り替えるタイミングのことだ。

どうも・・・・・・・・・・・・「他人は、プログラミングのようだ?」・・・・・。

つまり、「他人=プログラム」ではないだろうか?←これも質問です。

オカルトならば、自分が他人を創造しているから、
自分が他人を無意識に操作しているのではないだろうか?
勿論、眉唾ものの考えですが。。。

つまり、、、
1=幻覚のファミリーマートで、他人はプログラムで、意識がない。
(だから、本物の建物の上に、幻覚のファミリーマートと幻覚の店内の人々は幻で、意識がないので、ニュースにもならない。意識があったのならば、「あれ?池袋マルイ前にあったファミマが無くなってるぞ!!!いつもあそこ利用してたのに!!!」となる。しかし、それがないのならば、他人には意識がない証拠となる。動かぬ証拠だ。)

2=他人はプログラムで、意識がない。だから、FEZのゲームで、攻守切り替えタイミングで、足踏み10秒以上しても、周りが騒がなかった。
また、FEZのダガー島もいきなり変化していたことがある。(このことから、常に瞬間的に自分=自らを分けた人=私が、瞬間的に毎瞬、毎瞬、創造している。世界を。宇宙を。かもしれない。。。)

1と、2の、共通点とは???

「他人は生きていない。意識がない。だから、ロボット人間が他人。」

だということではないか?


私しか、いない世界ならば・・・・・・・何のために、労働しているのだろうか?

暇つぶし?生活費のため?生きるため?

私が世界一のビル・ゲイツ並にお金持ちでも、良いのではないだろうか?

だって、私しかいない世界だもの。

労働=他人のために時間を割いている、、、、、
しかし、他人に意識がない、生きていないのならば、わざわざ、私が、無駄に、時間を浪費する意味はないのでは???????

何故、私にお金がないのか?だ。
私がすべて決定している世界ならば(byエヴァンゲリオン最終話 世界の中心で愛を叫んだけもの)、
私にお金がたくさん、∞に無限に持っていても良いはずだ。

そこで、「何か裏があるかも?」と思い、色々と私としても、行動はしているが・・・・・・・・・・・・・・・。

敵がいるのかもしれない!!!???・・・・とか。。。まぁ、いない感じはするのだが。

TEKI・・・・・。てき。逆が、「来て。」・・・?w
敵は英語で、EnemyEnemy。合っている。エネミー。逆が、「見えねー」?w並び替えだった。

ネ=私だ。
つまり、敵=TEKI=私なのかも?=Enemy。ne=ネだし。
ネ=私=ね=NE=猫(中川翔子が猫虐待)=根=音=寝=値
禾偏。あってる。のぎへん。私、は、禾偏か。のぎへん。のぎへん+ム=私になる。

しかも、今思い出したが、ム=バーチャロンオラトリオ・タングラムの、テムジンじゃんw
私は、テムジン使いだった。
5.66の前・・・・5.45の全国大会か。
日のマサルの弟が全一になった。バトラー使い。真空を水中面で決めてたな。
日のマサル「優勝するからw」→俺「えーw」→本当に優勝してしまったw

まぁ、3on3の対決だった。ドルドレイ使いが、わざと負けていたようなのが謎。
みかんさん、吉祥寺の。かなりの強さだったが、負けた。まぁ勝ったのか忘れ。

日のマサル、5.66で弟に俺が勝った後、やけに俺を褒めていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

まてよ・・・・キーボードが重要かもしれないが、
STR=溶かす、だなぁ・・・・。
株で失敗、FXで失敗。「お金を溶かした。」となる。
しかも、STR=ストレングス、「力」だ。

そういえば、今日、京王ストア国分寺と府中の間の、行ったが、
白髪の老人に入り口+お菓子売り場で見かけたなー?お菓子のとこで遭遇したのは、異常ではある。
あと、老夫婦が、レジの後ろにいたなー。なんかその男性老人が文句言ってたよーな。

問題は、「書くの、貴方の世界を。」だなー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「確かに毎日変な?ニュースが多いが、至って普通である。戦争もない日本で、平和だ。」
だから、「何もない。」と思うが、「実はSOS的に、ヤバイ!!!急げ!!!エヴァQ?wwwQ=急げ?」ってなるが。

バーチャロンの、テムジン・・・ムがある。無、って、何だ???????
ネ、って、なんだ????????

究極的には、「眠い=ネムイ」だ。イ、があれば、ネ+ム+イ・・・=眠いになる。

スピーカーは、Sが頭か。SSDがバグっていて、フォルダ同時起動したら、応答なしになっていた。何度も書いているが。つまり、重要?・・・・。
SSD=頭がS。
私のイニシャルも、SS。だから、SSD=SS+D=私のイニシャル+D=運命=私が死ぬ運命=SSD、ということか???w

アーモンドチョコレートを買ったのだった。「量が多い割に、値段が180円前後で、パイの実が145円ぐらいして、、、、つまり、アーモンドチョコレートがお買い得!!!」と思って、買ったのだった。
もしも、パイの実が、130円台以下だったら、迷わずパイの実を買っていたのかもしれない。

ちなみにHDD=HDD?・・・○死ぬ運命運命?謎。
しかし、D=俺の名前だ。
ということは、○俺俺・・・・・・・となる。ああ、違う意味もあるが、書けないw禁止されてるからなw

D=死ぬ運命だが、DDにすると、マイナス×マイナス=プラスになるのかもしれない。
だから、DD=死ぬ運命ではない。ってことなのかも?

んー・・・・・・・・

株=下部=下=Sita=Sだなー・・・・・・・・・・・・・・・・。SSD=悪ならば、Sの頭=悪か?
そういえば、妹が夕飯後に言ったが、「吉野家で頭って言うと、肉の量が増えて380円ぐらいらしい。ご飯は減る。」
すき焼き最近食べてないとも言ってたなー。

時間の流れが逆なのだろうか?

キーボードで、かて=TW。W=V+V=勝利勝利。だから、wwwwwwwwwwww=超勝利ってことw
テイルズウェーバー?高校の小松が確かやってたはず。ちょっと。どっかで聞いたなー。
V=ひ=勝利。
だから、本当は、バターを食べると良いのだ。BATA=こっち勝ち、だから。
アンパンマンのバタコさん?wwwwww

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この世は幻想であり人間一人一人が創造している

上記にもありますが、私以外の人間は、意識がなく、哲学的ゾンビなのではないでしょうか?

今日、気づいちゃいました。

幻覚体験、いろいろありましたが、

1,2010年3月、池袋にて。マルイ前、交番前に、ファミリーマートがあった。
  そこへ私は入った。変な機械があった。100 1000 10000 というような数字の書かれた機械。しかし、それはバグだったと思われる。幻覚だったと思われる。
そこで、...続きを読む

Aベストアンサー

それは「独我論」といって、自我とか心は私にしかなく、他人は「ロボット」もしくは「ゾンビ」だという考え方のこと。
日本では永井均という哲学者が「独我論」に立って他の哲学研究者、野矢茂樹だとか入不二基義などと盛んに論争しています。
私から見ると他人の自我とか心は見えないので、それを「間接呈示」によって、他人の表情や仕草や振る舞いの向こうにあるものと想像するしかありません。
常識的には私たちは他人も自我や心を持っていると考えていますが、だけど直接それを知ることができないのだから、本当に他人の自我とか心があるかどうか分かりません。
もしかしたら、他人の自我とか心なんてなくて、「ロボット」か「ゾンビ」かもしれない。
それが「独我論」。
私といわれるものは人類が何千年の歴史があったとしても、私が生まれる前には私というものは存在しなかったし、また私が死んだらもう二度と私という存在はこの地上に現れることはありません。
そう思うと、今この私が存在していることは不思議であり、奇跡です。
いったい、この私とはなんなのか?
また、この私とは誰なのか?
ニイチェは言っています。
「自分が人類としてちょうど一つ一つの花が自然から浪費されるのと同様に浪費されるのだという感情は、あらゆる感情を絶した感情である」と。
私は私が死んだ後も世界が私なんか存在したことなんかなかったように、相変わらず回転してゆくのを考えるとゾッとします。
20世紀初頭、現象学を創始したフッサールはその「デカルト的省察」の第5章で哲学史上初めて「他我認識」の問題を取り上げました。
かれは「他我」つまり他人の心を「感情移入」によって理解しようとしました。
私の自我や心を他人の表情や仕草や振る舞いの向こう側の他人の身体の中に「投げ入れる」ことによって、私たちは他人の自我や心を知るのだ、と。
しかし、そうだとすると私の自我や心を他人に「投影」したものが他人の自我や心といっていることになり、結局のところ「独我論」に帰結します。
このようにしてフッサールは「独我論」のパラドックスを解決することはできませんでした。
「独我論」のパラドックス、とは常識的には他人は自我や心を持っていると私たちは信じているのに、哲学的には他人の自我や心の存在を証明できないという矛盾のことです。
いったい、どうしたら他人の自我や心が私にとって認識できるものになるのか、それは現代哲学に課された課題です。

話は変わりますが、この間ものすごく精巧なロボットを見て、私はロボットも心を持っているように思いました。
表情も、仕草も、受け答えも、皮膚の感触も、すべてが人間そっくりで、心を持っているものと錯覚しました。
ホンダのアシモを作った技術者はいずれ将来、ロボットにも心を持たせることができます、といっていました。
だとしたら、今いる人間もみんなロボットなのではないか、と思いました。
もしかしたら、自我とか心を持っているのは地上で私一人かもしれない。
その私の自我とか心を単に他人に「投影」しているだけで、人間がたくさんいるように思っているけど、本当は私一人しかいないのかもしれない、と思うことがあります。

それは「独我論」といって、自我とか心は私にしかなく、他人は「ロボット」もしくは「ゾンビ」だという考え方のこと。
日本では永井均という哲学者が「独我論」に立って他の哲学研究者、野矢茂樹だとか入不二基義などと盛んに論争しています。
私から見ると他人の自我とか心は見えないので、それを「間接呈示」によって、他人の表情や仕草や振る舞いの向こうにあるものと想像するしかありません。
常識的には私たちは他人も自我や心を持っていると考えていますが、だけど直接それを知ることができないのだから、本...続きを読む

Q眠るように死ぬ方法ってあるでしょうか?

あくまで健康な人が眠るように死ぬ方法、または眠ったまま二度と起きないという風に死ぬ方法ってあるでしょうか?
これは自殺志願のための投稿ではなくて、自分もいつか死ぬわけですからこんな死に方ができたらいいなと思っています。
医療の現場で行われる安楽死・尊厳死ってこういう方法なのでしょうか?またはこれに近いでしょか?

Aベストアンサー

「突然死」という言葉を聞いたことがありますか?
昨日まで元気だった方が、朝になっても起きてこないので、見に行ったら死んでいた。
こういう事例はよくあるそうです。
10年以上前になりますが、兵庫医大の法医学の教授の講演を聞きました。
テーマは「突然死」
突然死のおよそ80%は、虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞など)だそうです。
その中で、就眠中に亡くなるのは、およそ65%くらいだそうです。
急性心筋梗塞でも「眠るように」とはいかず、ある程度は苦しんだ末に亡くなるのでしょう。
私も、眠るように死ねればと思っております。
回答になってなければ、ごめんなさい。

Qこの世、この宇宙にいるのは、<私>だけではないか?

何から書いたら良いのやら。根本的考えは、「自分が宇宙と他人の全てを創造している」です。。(私しか意識ある人が宇宙にいない?・・・)

言えそう・・・なのは・・・

「私が生まれてきた理由は、宇宙や人類の学習のため」
だということでしょうか。。。・・・・・(意味不明ですが。)

エヴァンゲリオン26話でも、「世界にはあなたしかいないのよ」と、ミサトが言います。
あの辺は、独我論だと思いますが・・・。エヴァは独我論の話で、碇シンジの妄想みたいなものだと思う。

http://baco-crispy.cocolog-nifty.com/bacoblog/2011/12/post-8e6d.html
参考。宇宙には1人しかいない。これは、宇宙1つが、人1人に与えられていて、部分的に世界同士が接触している?というものです。

でも、違うと思います。と言うのも・・・「幻覚 建物」でGoogle検索しても、私の体験と同じものが出なかったのもあるし、、、幻覚とは何か・・・違うように思えるからです。
幻覚=現実とそっくり。

こんなこともありました。
1,ミルクティーを机の部屋へ持ってくる。
2,扉を閉める。
3,家族の1人が「廊下にこぼれている。こぼしたな?」と扉を開けて言ってくる。
4,1-2年前にこぼした場所と同じ場所に、何故かこぼれていた。しかし、こぼした記憶は無いし、その後の「机のカップの中身」は減っていなかった。=中身が移動したわけではない。

これについて、ここで質問したこともありましたが、答え出ず。
そして、「過去の現象が、今に映ってきたのだろう。」と思ってましたが・・・どうも・・・違うくさい。
昨日辺りに気づきました。
「これは、扉の向こう側は、自分から見えず、観測されていない。だから、ミルクティー事件も、揺らぎの状態が変わったからだろう。」と思いました。
この辺はブログに、「遠い駅は存在しない」というような意見があったので、最近考えています。
事実、自分の身の回り、見える範囲だけ、存在すれば良いわけであって、TVの中などもその範囲だけ存在すれば、「現実そっくり」になります。宇宙全体からすれば、その方が効率は良いでしょうし。

上記のポイントとしては、「見えない場所にこぼれていた」というのがあると思います。
扉は閉まってて、、、向こう側は見えなかった。これは、事実です。
そして、何故か、「こぼれた状態」が廊下に現れた。見えない扉の向こうで。瞬間的に。
そして、タイミング良く、家族の1人がそれを発見した。(これまた偶然にしては・・。私が無意識に動かしたようでもある。)

この謎の現象は、自分でもよくわかりませんが・・・・。
<私>が、<宇宙>及び<身の回りの現実>を、自分の脳?だと・・・・わかりませんね・・・。
ともかく、自分のどこかに記憶していて、それはどこか、本当にわかりません。単純には、脳ですが。

しかし、宇宙全体を、自分の脳だけで、記憶し、そして、創造していくことが、可能なのでしょうかね?(疑問)容量不足かな?・・・。

ともかく、、、私がカップのミルクティーを運んできました。机に。
その、「過程」でしょうか。その、「記憶」を「書き換えた」のかもしれません。現実って、自分の脳の記憶だけで出来ているのでしょうか?
その場合というか、そういうのを、幻覚とも言いそうですが、しかし、それでは、「家族の1人が幻覚のミルクティーを発見した。」という事実を覆せません。しかし、全てを私が創造している、とすると、私の幻覚体験?は全て説明がついてしまいます。

~~~~~~~~~~~
そう・・・・ネット上の書き込みでも、3次元世界の現実の、外の世界も、外を歩く他人も、全ては自分の創造による存在、、、と考えても矛盾が出て来ません。(勿論異常な考えですが。)
そして、このことは、異端者となり、そして、3次元世界の現実世界は、
「どうあがいても、お前が世界や宇宙を創造していることは、教えないぞ。」と、言ってきているようでもあります。

それは、自分自身が他人が人形のようで、機械のようで、意識が無く、生きていない、生まれても死んでもいない、そして、「世界、宇宙で意識があるのは、自分だけ。自分1人ぼっちの世界。」であることが怖いから、だとも言えそうです。

「完全にロックされている現実世界」のようでもあります。外を歩いていても、他人は自分のことが変わっていると、気づかないし、家族は当然、自分を一般人の1人として話してきます。
これらは作り物かもしれませんが(哲学的ゾンビ)、否、創りモノかもしれませんが、
「本物そっくりの、完全にロックされた3次元体験世界」として、本物そのままに、現れています。

宇宙に自分1人しかいなくて、宇宙は人1人ずつでなく、宇宙がたったの1つしか存在しないとしたら?
「もしも、自分が生まれた瞬間に、宇宙が瞬間的に創造されたとしたら?」
「もしも、自分が自殺したり、事故で無くなってしまったら?宇宙は消えてしまうのだろうか?また、自分の意識は無くなってしまうのか?」
と、疑問に思えます。死後の世界は誰もが疑問に思いますが。
~~~~

話をミルクティーに戻すと・・・「ミルクティーを机まで運んできた」「記憶」が、書き換えられてしまい、「現実が変化してしまった」ということだと思います。
まず・・・分子的に考えると?・・・・・モノとして。ミルクティー+こぼれたミルクティーとなります。
机のミルクティーは、いっぱいでした。だから、こぼれた分を足すと、こぼれたでしょう。
つまり、「持ってきた量が増えていた」ことになります。変です。

「新規に廊下上で、ミルクティーが出現した」とすれば、辻褄が合います。
いや・・・・「記憶」でしょうか。記憶=情報?・・・。
「廊下でこぼさずに持ってきた」情報と、「廊下でこぼしてしまった」情報が、入れ替わってしまったのです。
ちょっと、量子論の揺らぎの宇宙・・・?というのもわかりませんが、AとBの2種類が存在に与えられているのでしょうか?それとも、無限又は多くの種類が存在するのでしょうか?観測で。

何はともあれ、今の宇宙は不安定だと思います。私の脳が不安定なだけ。。。という可能性もありますが。

幻覚体験?は書ききれません。
ともかく、変、です。FEZというネットゲーム(50人vs50人対戦)で、アップデートが変でした。
半年間、ダガー島という1つのマップが、「違っていた」のです。マップの形が。
しかし、この現実を、他人は一切騒ぎません。そう、「私だけの現実」なのです。。。・・・

この場合、疑問が出ます。シュタインズゲートの時間線とか、パラレルワールドがわかりやすいと思うのですが。

1,ダガー島のアップデートの無かった世界(偽世界?)
2,ダガー島のアップデートがあった世界(真世界?)
の2種類が存在したことです。私は、いきなりマップが変わっていたので、調べたら、半年前にアップデート情報が載っていました。

この、1と2がありますが、両方とも、「他人がゲームプレイしていた」わけです。そのマップで。
しかし、「1の世界でプレイしていた人々は、どこへ行ってしまった?」という疑問が沸きますが、
今思いつきましたが、「1の世界は2の世界の記憶に上書きされた」が正しそうです。
今思えば、私が世界を変えてしまった、、、。。。ようでもある。

また、FEZゲームで、攻めと守りが切り替わるのですが、そのタイミングで、「私のゲーム画面が5-10秒止まっていた」のです。そういう日がありました。ネット回線切断された様子と同じ。
これって、、、、他人も同じ状況になれば、チャットで騒ぐはずです。しかし、それはありませんでした。
そう、これは・・・・「まるで、他人=ネット内のキャラがプログラムのロボットのようだ。」と、思えます。
ネトゲなのですが、1人のソロゲーだという。。。
FEZは、仮想戦場で攻めと守りを繰り返します。しかし、その切替タイミングで、止まる、という現象が起こるというのは・・・・実は、他人=ロボット人間じゃないか?と疑ってしまいます。
要は、3次元現実世界がプログラムで出来ていて、自分の周りの現実もプログラムのようなもので出来ている、という可能性です。
「止まる」という現象が5秒ほど起きていたのは・・・・「処理落ち。思考中。」だったからだと考えられます。
PCでも、ゲームでも、よくありますよね?処理落ち。昔のFC、SFCならよくありました。
しかし、正常なFEZでは、その攻守切替がスムーズに行われているように、「見せられている」という。

だから、その日は簡単なゲームでした。だって、相手が攻守切り替えが起きるまでは、相手全員がずっと逃げていくんですから。それまで、自分は攻めてれば良いだけと。FEZは6年ぐらいやってます。

もう文字数が・・。携帯電話が11日間だけニュースが流れていたのも、携帯そのものが書き換えられたからでしょう。新機能・・。

あと、他人の怪我した方の足で階段を上っていたり・・。(左右逆)

幻覚?で、コンビニ店員が手を変に動かしてたり。
J.C.STAFFというアニメ会社の看板の酒場が何故かあったり。
幻覚のファミリーマートが出現したり、デパートの1Fがジュース売り場に書き換えられてたり。
幻覚の建物の3Fで、熱いシャワーを自分が浴びることが可能だったり。(現実は全く違う建物だが、扉・階段にぶつからない。変。)

だから、幻覚でなく、現実だと。
言いたいのはこれらが本当だとしたら一体いつまで世界中で茶番劇してるの?と

何から書いたら良いのやら。根本的考えは、「自分が宇宙と他人の全てを創造している」です。。(私しか意識ある人が宇宙にいない?・・・)

言えそう・・・なのは・・・

「私が生まれてきた理由は、宇宙や人類の学習のため」
だということでしょうか。。。・・・・・(意味不明ですが。)

エヴァンゲリオン26話でも、「世界にはあなたしかいないのよ」と、ミサトが言います。
あの辺は、独我論だと思いますが・・・。エヴァは独我論の話で、碇シンジの妄想みたいなものだと思う。

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Aベストアンサー

>世界中で茶番劇してるの?

 そろそろ人間の固有特性から離脱したらどうですか。
 世界も宇宙もあなたが作り出したものものですから、さっさと離脱するということです。

 茶番劇はもういい加減うんざりでしょう。沢山の人がもう気づいています。

 それこそ、ご自由に・・・

Qこの世界はすべて自分の脳が作り出した 世界?

私が神ですか?創造主ですか?この私にとっての、現実。自分だけの現実?

それならば、「空を飛んだり」「スレイヤーズの魔法」を使ったりできますか?

私が女性になったり、何でもかんでも叶う世界になるのですか?

ただ、今は、最適な現実が、今の現実なので、そうなっているようです。

そもそも、人間の姿・形が・・・・・非常によくできてないでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
気が付きましたか

そう、、、この世界はすべて自分の脳が作り出した
世界<プログラム>に過ぎないのです。

人に会っているとき、あなたは話す事ができるでしょう。
しかし、他人が曲がり角を過ぎて見えなくなった時、
存在はしていないのです。

その人に連絡をしてみますか?
あなたは確認できるでしょう。
しかし、それは連絡自体を確認しているのであって
存在はしているのでしょうか?

街も物理法則も時間や運命さえも
脳が作った世界なのです。

全部たいや公園が作った世界なのです。
http://taiyap.hatenablog.com/entry/2013/10/24/184923

私が神ですか?創造主ですか?この私にとっての、現実。自分だけの現実?

それならば、「空を飛んだり」「スレイヤーズの魔法」を使ったりできますか?

私が女性になったり、何でもかんでも叶う世界になるのですか?

ただ、今は、最適な現実が、今の現実なので、そうなっているようです。

そもそも、人間の姿・形が・・・・・非常によくできてないでしょうか?

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気が付きましたか

そう、、、この世界はすべて自分の脳が作り出した
世界<...続きを読む

Aベストアンサー

作り出した世界というわけではなく、自分が
感じ取った感覚的データを基に、再構築された
仮想空間です。しかし、データの半分程度しか
再構築できないので、低いピクセル数のデータを
拡大して見るようなもので、脆弱な世界です。
もともとある世界からデータをとり、半分程度
を再構築して、もともとある世界に重ね合わせ
ているのだから、私たちは半分しか知らないこ
とになります。

だから、すべてを自分が作り出したと考える
ことは、半分しか知らない人(無明)の、
たわごとです。
より深い真実を知りたければ、
脳が認識できないものを、身体で感じられる
ように鍛えることが必要です。
何事も、経験がものをいう、とはまさにそれ。

>何でもかんでも叶う世界になるのですか?
◆この世界はもともと何でも叶う世界です。
しかし、半分しか知らないので、叶いません。

突然ですが、ここで祝電を披露します。
「汝と隣人の間に、私は介在する。」(神より)
「求めよ、されば与えられん。」(使徒より)
「そうか、パイロットじゃない僕だってありえるんだ」
(?より)

Q意識の中に「自分」は存在するのか?

.
意識の中に「自分」は存在するのか?

肉体で、考えると、目は「自分」の目を見ることが出来ない。
他人、他の物体、を見るのが主である。

鏡に映った「自分?」を見ることが出来るが、それは、直接でなく、間接的に見ている。
しかも、鏡に映った像は「自分」と左右が反対の歪んだ像だ。
自分の腕や、足も見えるが、それらは「自分」の本質への関与度の低い部位だ。
「自分」への関与度の高い「顔」は直接見えないのである。

※繰り返すが、基本的に「自分」で「自分」を見ることは出来ない。


これを、意識に当てはめて考えてみよう。
(ここでの意識は、心、精神、魂、等と区別していないので、意識という言葉で統一している。)
体が、色々な部位で出来きあがっていて、「自分」への関与度が違い、頭部が「自分」への関与度が大きい。
同様、意識の中も色々な部位で出来上がっていて「自分」への関与度が、大きい、小さいがあると考えられる。

ここで、「自分」部位と認められるのは、を制御できる部位と定義して見る。

例えば、自分の手、足を、自分の意識で思い通りに動かすことが出来る。
これを、自分の部位とすると言うことである。
(他人の手、足は、自分の意識で動かすことが出来ない。)

ここで、対象を意識に移して考えてみる。
その中で、自分の意識で制御できない部分があれば、自分の部位と言うことは難しくなるという考えである。
・例えば、痛みである。
 これは、制御できない。だから、意識の中での「自分」の部位から外せると思える。
・次に考えるのが、喜怒哀楽である。
 喜びも、悲しみ、等も制御できない、どこからかやってきて、どこかに消えていく。
 同様な理由で、喜怒哀楽も、意識の中での「自分」の部位から外せる。
・・・・・

 こんな事を考えると、「自分」が意識で自由に制御できるのは、思考するという事ぐらいではないか?
 しかし、よく考えると、集中して考えている時、その自分を意識していないのである。
 あとから、思い起こして、「あの時は、集中して考えていたな。」と認識できるぐらいである。
 まるで、手足をわずかに自分の物と、感じる様に・・・

 そう考えると、意識の中に「自分」の存在を認めることに、困難を感じる。
 物質的に、自分を見ることが出来ない様に、意識の中に「自分」を確認できないのではないか?
 との、疑問が生じる。

 本当に、意識の中に、「自分」は存在しているのか?


 現状では、雑な、思考だが、皆さんの意見を聞かせて下さい。
.

.
意識の中に「自分」は存在するのか?

肉体で、考えると、目は「自分」の目を見ることが出来ない。
他人、他の物体、を見るのが主である。

鏡に映った「自分?」を見ることが出来るが、それは、直接でなく、間接的に見ている。
しかも、鏡に映った像は「自分」と左右が反対の歪んだ像だ。
自分の腕や、足も見えるが、それらは「自分」の本質への関与度の低い部位だ。
「自分」への関与度の高い「顔」は直接見えないのである。

※繰り返すが、基本的に「自分」で「自分」を見ることは出来ない。


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Aベストアンサー

 「意識」の「意」は心。「識」は「知る」ということで。
 
 物理的には、自分の顔は鏡に映す事で見ることが出来る。
 それを心の世界にあてはめると、 
 心の鏡に映った自分を見る。ということになります。
 そこで疑問が湧きます。
 心の鏡って何、その鏡に映っている自分ってこの私だよね。

 と、ここまで考えたら、物理的な例えが通用するなら、自分の手足は直接見えるので、心だって鏡を通さずに見える、という理屈になります。「顔」は見えませんが。

 そうしてごく普通に「自分」を意識したりするけれど、自分の心って常に揺れ動いていて、真の自分ってあるんだろうかなんて不安にもなります。

 そこで意識を活発に働かせて、心の鏡を用意しました。多分「顔」が見たくなったので。
 でも衣服を重ね着した自分が映っているだけで、肝心な顔は良く見えません。

 前に戻って、それじゃあ心の鏡ってなんだろう。

 やっぱりここは、物理的世界でなく、精神界のことなのだから、鏡は心の働きと捕らえるべきではないかと思いました。
 この働きを「意識する、認識する」という言葉に置き換えてみましたが、安易過ぎるでしょうか。(‘大円鏡智’なんて難しい言葉を思い出しますが、この世界の事でしょうかね)

 意識の中の「自分」が自分でないように思うのは、衣服を着込んだぼんやりとした自分しか見えないからだと思います。心を映す鏡だってぴかぴかに磨かれているわけではないでしょうし、歪んでいるかもしれません。

 心は「自己なるもの(があるとするならば)」が、煩悩という衣服を纏っていると解釈します。例えて、たまねぎのような構造をしているのではないでしょうか。(十界なんて世界をダブらせて考える事も可能かもしれません。誤解の可能性もありますが)

 普通に社会生活をしていても、心構え次第、努力しだいでたまねぎの皮の一枚や二枚をはがす事はできるでしょう。
 でもそれ以上になると、山奥に籠もり(欲望の刺激を避けて)修行する(心の垢を落とす、鏡を磨く)事が必要になるようで、だから「真実の世界」なるものに、心惹かれる人たちは出家する事になるのです。

 そして修行が進めば、だんだん核心に近づいてくるというわけです。

 でも最後の一枚の中に核はあるんでしょうか。
 あると思います。
 たまねぎが芽を吹くので分かります。
 これがいわゆる「自己」というものだと思いますが、凡人は“想像”するしかないので、多くの心の探検者は“思索”する事になるのでしょう。

 「意識」の「意」は心。「識」は「知る」ということで。
 
 物理的には、自分の顔は鏡に映す事で見ることが出来る。
 それを心の世界にあてはめると、 
 心の鏡に映った自分を見る。ということになります。
 そこで疑問が湧きます。
 心の鏡って何、その鏡に映っている自分ってこの私だよね。

 と、ここまで考えたら、物理的な例えが通用するなら、自分の手足は直接見えるので、心だって鏡を通さずに見える、という理屈になります。「顔」は見えませんが。

 そうしてごく普通に「自分」を...続きを読む

Q自分が現実を作っているのなら、他人とは?・・・

http://ameblo.jp/sennsaiisiki/entry-10293747759.html

さて・・・・
<この記事を投稿した、自分=私>が、宇宙を創造している。(とします。本当かなぁ?・・・・。。。)

その場合、宇宙は地球があり、人間がそこに住んでいて、<私にとっての、他人>がいます。

その場合、「他人=私の、創造物」になります。

これらのケースでは・・・・・
<この記事に返信している、<あなた>や、2chやこの教えてGOO等などの、ネット上の<他人>>も、「私=この記事を投稿した自分の、創造」なのでしょうか?

とても、質問が色んな意味で、しにくいです。。。

タイトルの、「自分が現実を作っているのなら、他人とは?・・・」ってことになります。
しかし、ネット上の、<あなた>は、<私の創造物>だということになります。(例えばで。)

それで、返信してもらうとします。その場合、私=他人のような感じになりますから、
<ネット上の他人の意見>=裏の潜在意識の?、自分の意見、だということにならないでしょうか?
つまり、自問自答する、ということになりませんか?

そうなると、「本物は自分だけ」だという考えになってしまいます。
その場合、「人間1人1人が神であり、他人もそれぞれの現実を持っている」という、意見が、
ネット上にあったとしても?・・・・

上記、ネット上の他人の意見=自分の意見だということになってしまいませんか?・・・・・

つまり、我思う故に我あり?・・・・・
信じられるのは、<自分の意識>だけ、だということにならないでしょうか?

根本的には、以下のような疑問になります。
「この世の仕組みは何か?一般論では、宇宙はビッグバン→地球誕生→猿誕生→人間誕生→産業革命→<自分>の誕生→2012年9月1日という今というこの瞬間」というように続きます。
これが、「常識」になっています。

一方、オカルトでは、「神は人間1人1人が持っていて、それぞれが神であり、それぞれの人がそれぞれの現実を創造している」byバシャールなど、となっています。

この、「オカルトの考え、意見」ですら、「自分の創造物」だったら?・・・・・
ここからが、説明しにくいです。

小さい○+大きい○=◎、とします。外側の○=自分で、内側の○=他人、とします。
この場合、内側の円=他人ですから、いくら、「ビッグバンで宇宙が誕生した!人間は進化論が正しく、一番大本は、ビッグバンの特異点だ!これは常識だ!これを否定する=馬鹿だ!」
とか、
「神は存在する。」(3大宗教)とか、
オカルトの、「人間1人1人が神であり、創造神だ。だから、それぞれの人がパラレルワールドを持っていて、ほとんど幻であり、<自分が本物>なのだ。」
と、いくら、言っても・・・・?

◎=外の円の自分+内の円の他人、ですから、いくら、自分の内側の人達(この記事を書いている<私>の分身、創造物)が、~~~~が正しい、と言っても・・・・・・
「え?その意見って、所詮、自分の内側の心、意見でしょ?」ってなってしまいます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なんというか、「神=創造神=創造する人間が、地球人口の60億人分の現実が存在する」という考えに、矛盾があるように思えるのです。(これが質問でもいいかも)

でも、これを読んでいる<あなた>が、「え?確かに私は意識があるし、自分の考えで動いているぞ?」と思えば、私の意見は否定されるかもしれません。

今思いついたイメージは、、、◎=<外側の自分>+<内側の他人>と簡潔化できる点です。

もしも、この世で唯一、<私>だけが本物で、創造神?wというか、創造する人、存在だとすれば、(この時点で考えは異常なものにもなりますが)
この世に存在するのは、◎、だけ、になります。唯一の私と、その他の存在、人、自然など。

しかし、この世に存在するのが、「人それぞれが創造神で、パラレルワールド」ならば、
◎◎◎◎◎◎・・・・・60億個の、◎、が存在することになります。
これが、正しいのでしょうか?(質問)


んーーーーーー・・・・・・・今他の考えとして、思いついたのは、
◎◎・・・・と多くあるとして、人間分の現実世界が存在するとして。
要は・・・・・・・・今頃気づきましたが・・・・「自分と他人との、接点」ですよね。
自分と他人との、それぞれの現実世界の接点。3次元世界の、会話でもあり、2次元世界でのこのBBSなどの書き込みでも。(丁度、今夜オバマ大統領がBBSで質疑30分あったそうです。)

宇宙の特異点=自分や、他人があり、それぞれの人間が、<創造物ではなく、創造神>ならば、解決できるのかも?・・・。
Aという人の現実世界の◎と、Bという現実世界の◎。
それぞれの世界・・・。

・・・やっぱり、どう考えても、◎は1個しかないように思えます。
<自分>以外の人は、<自分の創造物>ではない、、、とすれば、解決できるのかなぁ?・・・。

ただ、人の肉体、は、全員、素粒子で?出来ているわけだから、<私も私の創造物>とも言えますが。
というよりも、宇宙は、人間が観測しないと存在できないのなら、宇宙と人間が同時に生まれた?という謎もありますが。。。
<私>が生まれた年月日=宇宙が誕生した瞬間、誕生日なのかもしれませんが。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それにしても、私が何故、こういった疑問を持つのかというと、幻覚体験が多かったからです。
アニメ観ないと思われる女性が、映画館で見かけたり。(上映前と上映後にいたが、幻覚のようだ。ちなみに幻覚=本物の現実と完全一致します。)
また、幻覚=幻視+幻聴などに分けられますが、殆どの人は幻聴体験です。
(以下は読まなくてもいいです)

1,ミルクティー廊下にこぼしてなかったのに、廊下にこぼれていた、とか。(親が発見したので、幻覚とは言い難い。幻覚=人間1人の現実変化。)
  これなんか、完全に、物理法則無視しています。
 あるのは・・・・・「過去の記憶を、今、に移動させた」ようです。まぁ、幻覚みたいな感じですが・・・。
当時2010年時点からの2-3年前に、廊下に現実に私はこぼしてしまったのでした。左手にカップ持っていたので、位置確認したところ、完全一致しました。このことから、過去の現実を、今の現実にコピー・ペーストしたものと思われます。
これは、こぼれたミルクティー=モノ、です。

2、上記さっき書いたが、映画館の女性。知っていた女性。これまた、私がその女性をその2010年の1-2年前に会っていたので、その過去の私の現実を、今の現実世界に、写したものでした。
こっちの場合は、女性=人間の女性であり、生きていた、わけです。モノじゃないです。

3,ネット上の記事が明らかに私と関係あった内容。=ネット上の内容そのものが、私の創造物である証拠?

4,私のPCの中の動画の変化(動画内容そのものが別の動画に変化した。見たこともないモノもあった・・・)、C/Dドライブの表示が、「大きいもの」「小さいもの」になっていたこと。=私の潜在意識の考え?・・・。これまた、変化ですが、動画などは、幻覚のようなのに、そのまま残ります。幻覚体験はすぐに治るのに、こっちは治りません。

5,今もHDDにありますが、動画再生時間が、1分丁度としても、5分ぐらい流れるようなもの。(シークバーがLASTまで移動しても動画再生される)

6,笑っていいともに、(TV)、アニメの超電磁砲の、佐天涙子、が出ていたこと。完全にそっくりで、2次元を、3次元に具現化したようなもの。同様に電車からゲーム内の敵の石像も一瞬見えたり。

7,幻覚の建物があったこと。A(本物)→B(幻覚の建物)→A(本物)と変化した。
  幻覚とは?触れないものだ。しかし、私は、Bの取っ手を回して入り、階段を登り、暖かいシャワーを浴びることができた。しかし、中に男性が5人以上も寝ていたが、ずっと起きなかった。(私が操作、創造しているようであった。)古い赤い携帯電話もあった。クリスマスツリーもあった。写真もあった。小さいゴミ箱もあった。何故かまつぼっくりが数個あった。行ったのは、2010年3月10日頃だから、12月にクリスマスツリーを買ったのだろうか?・・・。カプセルホテルとしては、今よりボロいようだ。(男性を上から見れた)
また、シャワーを浴びてから、外へ出たが、頭はすっきりしたままだった。幻覚のシャワーならば、時間経過と共に、元に戻る=頭が油っぽくなるはず、だが、そうはならなかった。これは現実感があった。
ファミリーマートの幻覚の建物もあった。入ってすぐ右に謎の機械があった。ATMでもない。10 100 1000 10000の表示。幻覚にしては・・・異常過ぎる。店員3人ぐらいに、多くの客もいた。新聞の日にちは合っていた。雑誌もあった。当然、食料もあった。完全に本物だった。

8,手をゴニョゴニョさせていた人々がいた。これは私の脳の異常のようでもあるが、私が操作しているようでもあり、私が創造していたようでもあった。

などなど・・・。これらのことからも、「ただの幻覚ではなく、世界で唯一の幻覚体験」と思われるし、マリファナなどでもないし、
◎=自分が唯一の創造する人で、他の人は私の創造した存在、と、思ってしまいます。。。
質問はタイトルや、◎についてです。
結局、<私が存在する>のはわかりますが、<他人が存在する>のか?と。

http://ameblo.jp/sennsaiisiki/entry-10293747759.html

さて・・・・
<この記事を投稿した、自分=私>が、宇宙を創造している。(とします。本当かなぁ?・・・・。。。)

その場合、宇宙は地球があり、人間がそこに住んでいて、<私にとっての、他人>がいます。

その場合、「他人=私の、創造物」になります。

これらのケースでは・・・・・
<この記事に返信している、<あなた>や、2chやこの教えてGOO等などの、ネット上の<他人>>も、「私=この記事を投稿した自分の、創造」なのでしょうか?

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Aベストアンサー

これが、正しいのでしょうか?(質問)

少なくとも60億の60億乗個の◎が存在はするはず・・・ということでしょう。

あなた次第、あなたの自由と言うことなんです。

あらゆるあなたの変化に60億のすべてが追随しています。
しかし、あなたは、その一つしか現実にすることができません。しかも今だけです。
過去も、未来も一切ありません。
完全なまでに自由なのですが不自由を楽しんでいるのがあなたということになるんです。

Qあなたが死んで居なくなったら この世も消えますか?

いろいろ読んでて思うのですが

自分が死んだらこの世も消えると考える人もいるようです。

僕はそうは思わないですが(何故なら他人が亡くなってもこの世が消えた例がないからですが)

自分が消えたらこの世も消えると思う人 そう思わない人

もし持論があったら簡単にお聞かせください

長文苦手なのでぜひ簡潔にm(_ _)m

Aベストアンサー

唯心論と唯物論が存在論上の対立とすると観念論と実在論が認識論上の対立で、昔から「誰もいない野原で、花は咲くか?とか、誰もいない谷間で木魂は鳴るか?」という問題として論じられていて、どっちが正しいか結論は出ていません。
観念論者は、それを認識する人間がいなかったら、誰もいない野原で花は咲かないといい、誰もいない谷間では木魂は鳴らないといい、それに対して実在論者は認識する人間がいようがいまいが、誰もいない野原でも花は咲くし、誰もいない谷間ででも木魂は鳴ると言います。
だけど現代の科学・物理学は実在論に立っているから、人間が誕生する前から宇宙は存在していたし、太陽系が誕生してからのほとんどの期間は人間などいなかったし、人間が誕生したのはわずか数百万年前としか考えませんが、その前から宇宙は存在していたと考えています。
あなたも、自分が生まれる前から日本の歴史はあったし、大化の改新も鎌倉幕府も生まれる前からあったことを否定しないでしょ?
だから、あなたが死んだからと言って、世界が消滅するわけではなく、あなたの死とは何ら関係なく、世界は存在し続けます。
ただ、それをあなたが認識し続けられないというだけです。
ただ、自分が死んでも世界が存続し続けるというのは何となく理不尽に思えるという感じはあります。
自分と一緒に滅んでしまえばよい、という気持ちはよく分かります。

唯心論と唯物論が存在論上の対立とすると観念論と実在論が認識論上の対立で、昔から「誰もいない野原で、花は咲くか?とか、誰もいない谷間で木魂は鳴るか?」という問題として論じられていて、どっちが正しいか結論は出ていません。
観念論者は、それを認識する人間がいなかったら、誰もいない野原で花は咲かないといい、誰もいない谷間では木魂は鳴らないといい、それに対して実在論者は認識する人間がいようがいまいが、誰もいない野原でも花は咲くし、誰もいない谷間ででも木魂は鳴ると言います。
だけど現代...続きを読む

Qこの世は人間が認識するまでは存在しない

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認

したそうです。
http://oka-jp.seesaa.net/article/420222661.html
画像には複雑そうな機器が見えますが、人間、あるいは認識が、この実験にどのように関わっていたのかご存知の方おられましたら、お願いします。
どんな実験だったのか?
興味が尽きません。

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
量子力学における観測問題については、どこまでが、観測装置としての系に入るかは、物理学者の間でも、かなり議論されている内容でしょう。
実験結果としては、最後の選択(と思われる行為)が、波動関数の収束をおこしていると言う事は確かなわけですが、どこまでが、観測装置なのかと言われれば、確かに難しい問題です。
結果を見た、観測者まで含めれば、観測者が結果を見るまで、波動関数の収束は起きていないと言う事も言えなくはないです。
ただし、記録装置の記録内容自体が、観測者が見るまで不確定と言うのも、おかしいような気がしますよね?
ただし、記録内容は、観測者が見るまで、誰も見ていないわけです。
そういう意味では、それが、確定した記録と信ずる証拠も無い事になります。
もちろん、マクロの範囲ではそういう事はありませんし、一般的に記録媒体の記録が、見るまで不確定と考える人もいません。
量子力学が、「因果性」、「局在性」、「実在性」に対して、確率的な法則しか与えられない以上、理論が述べられるのは、そのような事でしか無いと言う事です。
今、仮に、観測者自身も、量子力学の範囲の観測系として、その不確定性の影響を受けるとすると、観測者自身も一定の確率で、その収束結果を見る存在として、存在すると考える事も可能になります。
そうならば、未来にAと言う結果と、Bと言う結果を見る観測者は、観測するまでに、同等の確率で存在しえた事になります。
そう考えれば、観測の直前までは、観測者自身も未来の可能性において、確率的存在だと言える事になります。
もちろん、その事によって、観測者自身が変わるわけではなく、その未来の可能性が不確定なだけです。
これが、いわゆる量子力学の「多世界解釈」という解釈の方法です。
多世界と言う言葉は、同時に複数の世界があると言う意味ではありません。
未来の分岐可能な世界が複数存在すると言う意味であり、SFなどのパラレルワールドと言う意味では無い事に注意してください。
観測者は、量子力学の実験において、波動関数が示す確率によって、違う観測結果を見る可能性を持つ存在として、観測前は存在していると言う事です。
そして、観測によって、ある観測結果を見る存在として、収束すると言う事です。
これは、ある可能性が捨て去られたと言う事ですから、ある意味、観測者自身も、その結果の影響を受けていると言えなくもないです。
ただ、これは、実験がある確率で測定結果を与える不確定性を持っていると言う事だけであり、未来は不確定と言うのは、ある意味、当たり前の事です。
表れない未来として、違う観測結果の未来は存在しえたが、観測によってそれが収束したと言う事は、観測するまで、未来が確定しない事は言えますが、人間が観測するまで、物理的存在が、存在しないと言う事まで言及しているとは言えないと思います。

お礼ありがとうございます。
量子力学における観測問題については、どこまでが、観測装置としての系に入るかは、物理学者の間でも、かなり議論されている内容でしょう。
実験結果としては、最後の選択(と思われる行為)が、波動関数の収束をおこしていると言う事は確かなわけですが、どこまでが、観測装置なのかと言われれば、確かに難しい問題です。
結果を見た、観測者まで含めれば、観測者が結果を見るまで、波動関数の収束は起きていないと言う事も言えなくはないです。
ただし、記録装置の記録内容自体が、...続きを読む


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