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徳川将軍は馬鹿がおおいようなきがするのですがどうなんでしょうか?家康以外に名君なるものはいるのでしょうか?つーか、日本の将軍って始めのほうだけよくて後は馬鹿が多くないでしょうか?日本の風土なんでしょうか?

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A 回答 (9件)

前の回答者の方々がおっしゃる通り、創設者が偉いのは当たり前です。

そして、どこの国でも下るにつれおかしくなってきます。
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徳川幕府は有能な官僚による統治制度でしたから多くの将軍はお飾りでした。


血統が重んじられたのは前半で後は官僚の権力闘争の結果でしかありません。

その中で綱吉や吉宗、慶喜などは将軍親政を押し進めようとしたのですが吉宗以外は途中で挫折しました。

馬鹿という定義が曖昧ですが歴史的に有能でなかったという意味でなら他にも多くあります。
決して日本の風土とは言えないと思いますよ。
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 あなたは、徳川将軍たちについてどれほどのことを知った上で馬鹿と言っているんどえすか?

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 歴史的事実ではなく小説家が書いた将軍の状況というのが一人歩きしてるから、個々の将軍を比べるからこのような事になります、それだけです。



 家康が特に優れていたというわけでも無いですし(^^;
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将軍の実際の権限、というか、どのくらい政務に関係したかにもよるとおもいますが。


大体徳川氏による支配体制が安定したのが3代家光のころなので、そこまではいろいろありつつもまあ馬鹿とまではいえない将軍です(小説などでいろいろ書かれてますがまあ・・それはそういう小説ですから)
そのあとははっきりいってだれがやっても同じ、というかむしろへたに手を出されると綱吉みたいになってしまう、ということで、このひともまあ政治に向いてなかったのは確かですが馬鹿とまでいえるかどうか?
吉宗の時代はとにかく改革が必要、という情勢と、家康の血を引くのは確かとはいえ、それまでの血統からすれば、ほとんど別の家の紀州家の、本来は(母親の血統からしても)冷や飯食いになるはずの男が将軍になっちゃった、ということで、これは事実上新王朝の始まりみたいなものです。実際これ以降の将軍はすべて吉宗の子孫の家、いわゆる御三卿から(家茂を除く)だったりします。
この吉宗はいわば吉宗朝初代ですから、色々治績がありますが、それ以降はやはり官僚による支配が続いています。
つまり、誰を将軍にするかは、一部を除いて支配階級内部での権力争いの問題で、統治能力の問題ではない、ということですね。7代将軍家継なんざ死んだときが8歳なんで、将軍になったのは4歳。しかも病気がち、とくればそもそも政治なんかやってません。やってたのは間部詮房と新井白石。次が吉宗になったのも大奥や権力中枢の争いの結果、紀州派と尾張派にわかれて争った結果に過ぎません。この吉宗なんか他の連中と違い、そもそも紀州育ちですから、人柄なんかほとんど知られていなかったと思います。という点ではむしろ見込み違い(有能すぎた)かもしれないくらいです。
ちなみにヨーロッパにも中国にも、というか世界中に馬鹿王は沢山いますが、風土というより安定した長期政権がない状態だと滅ぼされてしまって目立たないだけです。そういう意味ではどこでも同じくらいじゃないでしょうか。
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家康が一番偉いのは当然です。


現在の会社経営者でも同じようなことが言えるのではないでしょうか。
すなわち、会社の創業者は自分の才覚で世間の荒波に揉まれながら会社を立ち上げた訳ですから、最も偉いのは当然です。

その創業者の息子が後を継いで2代目、3代目になると、創業時の苦労なども知らずに、周りからチヤホヤされてアッという間に会社のトップになってしまうので、“苦労知らずの坊ちゃん”的な経営者が多いです。

徳川家においても初代の家康や2代目の秀忠の時代は、まだ徳川家の体制が磐石とは言えずに各地の大名が何時反乱を起こすか解らないような状況だった為に全国を力で抑えるのに必死だったと思われます。

徳川家が磐石な体制になるにつれて、他から侵略されるような敵が存在しなければ、当面は体制を維持する為の官僚組織が機能していくので、将軍は“お飾り”程度の役割になっていくのは当然かと思います。

他の将軍達が“馬鹿”という訳ではなく、単に将軍自身として歴史に残るような特別なことをしていないというだけのことかと思います。
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 徳川将軍家の名君といえば確かに家康が一番でしょう。

あと,3代の家光,8代の吉宗でしょうかね??どの時代の幕府もそうですが,1代,3代,8代,15代というのは結構有名です。(15代は鎌倉は除く)
鎌倉:1.源頼朝 3.(執権)北条泰時(六波羅探題) 8.北条時宗(元寇時執権)
室町:1.足利尊氏 3.義光(金閣とか) 8.義政(銀閣) 15.義昭(織田信長によって追放)
江戸:1.徳川家康 3.家光(参勤交代) 8.吉宗(目安箱) 15.慶喜(滅亡時)
 鎌倉以外は15代で将軍は途絶えています。鎌倉は16代まで。
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日本の風土と言うより、その人の取り巻く環境だと思いますよ。



生まれながらに将軍になることが決まっており、外の生活からは隔離され、花よ草よと大事に育てられる。親は子どもをかわいがるばかりで、それも派閥があればそういう意識にしか目が向かない・・。
こういう状況で、どうやったら良い将軍が生まれてくるのでしょうか?

厳しい両親や守役、状況を深く見る目がなければ、なかなか難しいと思いますよ。
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馬鹿というのは何をもって馬鹿ということなんでしょうか?

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Q徳川15代将軍の各人のイメージを教えてください

高校の日本史でいま江戸時代のことを
勉強しています。僕は15人もいて覚えるのが
大変なので徳川家が嫌いです笑
しかし各人のイメージを覚えればその人の
行った行動なども一緒に覚えれることに
きづきました。例えば・・・・・・・

8代将軍 吉宗 暴れん坊将軍。紀州藩出身。身長2メートルの巨人。
図体がでかいくせに死に際には米の値段を記した米価表を握っていた。
(意外と経済に詳しかった。別名米将軍)

11代将軍 家斉 すごい遊び人。子供と奥さんの数は半端じゃない(エロ親父)

こういう風にイメージで覚えると全員覚えれそうな気がします。
あなたがもつ徳川歴代将軍のイメージを教えてください!!!!

Aベストアンサー

あらかた回答が出ていますので、私の回答はもっと意外性を含ませたものにします。

家康:未亡人が好み
家康は未亡人を、子を産んだ女性を好んで妾にしていました。これは自分の子供を作るには、子を産む能力は合格な女性が1番である、という合理的な考えからきたようです。健康オタクぶりといい、情より利益を考えて行動するタイプでした。
秀忠:とことんカタブツ
妻のお与に遠慮してか秀忠が女性に固いのを心配した家康が、女性をプレゼントします。しかし、秀忠は丁寧におもてなしして、とうとう指一本も触れなかったのに家康は呆れるやら褒めるやらだったとか。ちなみに豊臣家を完全に叩き潰せ!と家康に進言したのも秀忠だったとか、
家光:甘ったれお坊ちゃま
家光が名君といわれたのは将軍時代後半からの事です。若い頃は現代風にいえばバンドにはまったり、ビジュアル系のファッションをしたり、夜遊びやゲイに走ったりして重臣を困惑させていました。あと、乳母の春日局には、マザコンでした。
家綱:面倒くさがり屋
10歳ぐらいで将軍になったため、人の上に立つ事が苦痛だった。政治は老中任せで「そうせぇ(あ~分かった分かった、それでいいよ)」と熱心ではなかった。
綱吉:チビの犬公方
お寺に残っている位牌の大きさからすると、綱吉は身長が130cmと低かったらしい(残されている絵では面長の長身だが、これはオーバーに描いた結果?)。そのため、学問好きなど、かなりのコンプレクス持ちだったというのも納得。
家宣:無名の美男子
家宣はキリっとした顔の美男子だったらしい。綱吉が将軍を死ぬまで譲らず、やっと将軍になれたのは48歳。しかも3年目で死んだため、知名度があまりなく可哀想な人。
家綱:薄幸の幼将軍
将軍になったのは4歳。そのため病気の父・家宣に心配される。僅か3年目で風邪が悪化して7歳で夭折してしまう。でも、頭がいい子だったという。
吉宗:名君の顔した独裁者
表向きは民衆に優しい名君だったが、裏では御三卿をつくり自分の子孫が将軍になれるようにした独裁者だった。自分が大名・将軍になるのにジャマな人たちを全員毒殺したのでは?という説があるだけに、本当は恐い人だったのかもしれない。
家重:知恵遅れの小便公方
難病か、行動もおぼつかなく言語不明瞭だった。あまり表に出る事が無かったが、お寺で墓参りする時に、トイレが近い家重のためにトイレをアチコチ多く作ったので、「小便公方」とあだ名を言われていた。ただ、将棋好きで、そんなに頭は悪くなかったよう。
家治:帝王学ニート
祖父の吉宗に期待されて、帝王学を受けて育った。しかし、政治は苦手で趣味の将棋にこもるばかりで、今で言う高学歴ニートの感じになってしまった。田沼意次に毒殺されたと噂が流れて、田沼人気は完全に地に落ちてしまった。
家斉:大野望の好色家
御三家・御三卿や親藩に自分の息子を養子に、娘を嫁に押し付けて自分の血統による日本支配を目論んだ好色家。最初のうちは松平定信を信頼して改革を任せていたが、カタブツな彼がだんだん嫌いになってしまった。
家慶:ショウガで激怒
水野忠邦の天保の改革で、好物だったショウガが贅沢品で栽培禁止になって食べられなくなったのに激怒、すぐやめさせた。政治手腕は下手だったとも、普通にできたとも、評価が難しい。
家定:無能なイモ公方
家重以上に無能な将軍。病弱で何も出来ず、ただ人前でイモを蒸かしたり、マメをいってその場で食べるなど理解不能な行動を繰り返した。そのため、「イモ公方」とバカにされていた。将軍の役は完全に務まらないまま、35歳で死亡。
家茂:酷い虫歯持ち
家茂の遺骨はまともな歯が無いほど酷い虫歯だった、そのため虫歯が要因で若死した説が有力。羊羹など甘くて柔らかい物が好きだった。性格は素直で、政略結婚した和宮とも仲はよく、勝海舟は彼の事の信望していた。
慶喜:コロコロ変わるインテリ
家茂の事が好きだった勝海舟は、逆に慶喜が嫌いだった。インテリぶるくせに、言う事がコロコロ変わるのを嫌っていたから。明治維新後は趣味にたくさん生きた自由人になるが、これは反政府運動に担がれないためにこういう行動をしたためとも。評価が難しい将軍でもあるが、大正時代まで76歳と家康より長生きした。

徳川将軍家(宗家)はここで終わったのではく、家達・家正・恒孝と現在まで続いています。この3人にも面白いエピソードがあります。

あらかた回答が出ていますので、私の回答はもっと意外性を含ませたものにします。

家康:未亡人が好み
家康は未亡人を、子を産んだ女性を好んで妾にしていました。これは自分の子供を作るには、子を産む能力は合格な女性が1番である、という合理的な考えからきたようです。健康オタクぶりといい、情より利益を考えて行動するタイプでした。
秀忠:とことんカタブツ
妻のお与に遠慮してか秀忠が女性に固いのを心配した家康が、女性をプレゼントします。しかし、秀忠は丁寧におもてなしして、とうとう指一本...続きを読む


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