No.4
- 回答日時:
言語は、いわば借り物のようなもので、外部からもたらされたものですよね?
だから、外部からもたらされたものでない、自己の本質とも言うべきその内面は、そこから発生した言葉でないと語れないのです。外部由来の言語では語れないのです。ですから、言語で記述できる内面というのは、結局は外面とも言える、自己の本質とは異質なものとして解釈できます。
ここで問題なのは、世界の本質は自分にあるのか、それとも外部世界にあるのか?ということです。語りえる世界というのは、あなたがそれを見るからあるのであって、あなたがいなければありません。そういうことから、その世界はあなたに属しているのであって、言語も含め、あなたがそれを語ることはたやすい。しかし、自分の本質を何故語ることが困難かというと、自分の本質というものが、はたして自分に属するものなのかという事です。僕の言っている事に矛盾を感じないで下さい。問題は、世界が自分に属しているように、自分は何に属しているのかということです。一般的に言語で語られる世界も、あなたが独自に認識する世界も、あなたがいなければありません。あなたも、あなたの本質なくしてはありません。世界とあなたの関係は、あなたとあなたの本質の関係の様です。世界の本質はあなたであり、あなたの本質がまたあなたを属させているのです。他人(世界)があなたを理解できないように、あなたはあなたの本質を理解できないのです。
世界<自分<自分の本質(自分が自分である所以)
ここからが答えです。
あなたが外部からもたらされた言語で世界やあなたの気持ちを語るように、あなたを語るには、あなたの本質をもってして語らなければなりません。あなたの本質は、あなたでさえ有しているので、あなたの有している世界などは、もちろん有しています。ですから、あなたの本質を持ってすれば、世界も、自分のことのように語ることが出来ます。ある意味、あなたの本質が、あなたで語っているといえます。だってそうでしょう、あなたが世界を語るとき、世界から何を借りましたか?あなたが世界から言語に限らず、様々感覚や認識を借りたように、あなたの本質は、あなたを借りるのです。
>言語によって自己の内面を<表現>することの困難
これは、あなたより大きい者を見なければならないという意味で困難なのです。世界はあなたに属しているため、あなたより小さく、あなたはそれをたやすく見れます。しかし、自己の本質ともいえるその内面は、本質であるがゆえに、あなたより大きいのです。だから、あなたはそれを理解することが出来ないのです。困難な理由はそれです。見えないものを見ようとする、理解できないものを理解しようとする、だから、困難であり、それをしようと悩む事は、出口のない迷路を出ようとすることです。出れません。
唯一あなたを語る方法は、あなたの本質によって、あなたで、あなたを語ることです。世界から言語を借り、世界を語ったように、あなたであなたを語ってもらうのです。あなたの本質にです。あなたの本質は、あなたの意志ではどうにもなりません。あなたは、あなたの意志で「あなたでないようにある」ことができますか?できないでしょう。あなたの意志で語ろうとしても語れないのです。見ようとしても見れない、だから当然語れない。しかし、世界は、あなたに属しているという意味で、あなたの一部です。あなたも、あなたの本質に属しているという意味で、あなたの本質の一部なのです。世界があるのはあなたが世界を見るからです。あなたがいるのはあなたの本質が、同じようにしているからです。あなたを「あなた」たらしめているのです。世界と、あなたと、あなたの本質の関係から、問題にされた事は困難なのです。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
これについては色々考えることができるのですが、「世界の記述」という言い方からは、言語哲学や論理実証主義の考え方、世界の捉え方が感じられるのです。従って、こんな問題が出てくることの前提には、そういう哲学の潮流の考え方が前提にあるはずです。そうではないのかも知れませんが、哲学の問題だとそういうことになります。
これは、前期ヴィトゲンシュタインの考え・立場と、後期ヴィトゲンシュタインの分水嶺というか、ヴィトゲンシュタインは、この問題を後期には、逆に捉えたのだが、倫理実証主義はそうは進まなかったはずです。よく分からないのですが。
簡単に言えば、「世界の記述」とは、世界の事態の「準論理式」で表現され、事態の集合が世界だとヴィトゲンシュタインは考えたはずです。しかし、このような「記述」が世界の把握、認識とすると、価値とか善とか倫理などは、かような記述では、記述できないものとなります。
事態の成立の論理式では、価値や規範や当為や善や倫理は出てこないのです。これは、論理実証主義かまたは論理学の課題・テーマとしての、「事実命題」から「規範命題」は論理的手順で導かれるかという問題にも関係しているのではないでしょうか。
しかし、論理実証主義の考えはわたしにはよく分からないのであり、ここでは、「内面の表現=内面の事態の記述」が、無限後退するという古くからあるテーゼで考えましょう。世界の記述とは、少なくとも、「客観的な事態」で、記述によって、世界が変わる訳ではないという前提が置かれているのです。あるいは、記述で世界が変化しても、その変化をどう把握できるのかという問題になります。
記述された事態の外に「真の事実」があるということを、論理実証主義は否定したはずです。そもそも、真の事実が、世界記述の外にあると、どうして証明できるのかです。それは、「人間の思いこみ」あるいは、自然言語が、無根拠に要請している、無意味な原理ではないかということです。
人の内面の表現あるいは記述は、世界の記述と違い、論理式の形で表現すれば、人はその記述に対し、同意や不同意を行えるのです。また、記述したが故に、内面の様態が変化するとも言えるでしょう。記述すなわち、表現によって、人間の内面の世界が、外の世界と異なり、記述を裏切る形で、ありようが変化するとも言えるのです。現象学的・実存的に言えば、世界は、間主観的実体ですが、世界の記述という立場からは、世界は記述される客観だという把握になるのでしょう。
簡単に言えば、世界は、間主観的実在で、主観の記述によって変化するものではないが、主観自身は、間主観的側面も持つが、主観であり、主観の記述を行うのは、主観である。つまり、「自己の内面の表現」は自己が行うが故に、表現・記述行為が、主観のありようを変えてしまい、主観の内面記述は、主観=自己にとっては、完結しないものとなるのです。また、価値や善や当為や規範は、間主観的にも定義され記述されるが、個人の内面が主張するそのようなものは、間主観の彼方にあり、世界記述と同様な論理形式には馴染まないのです。
もっと簡単に言えば、間主観的な世界の記述は、異なる主観にとって、その記述内容が、収束すると期待され、またそのような世界であるのです。つまり、世界は、芥川龍之介の『藪の中』のような、主観によって異なる世界ではなく、或る共通の了解において、客観であるのです。しかし、個人の内面は、記述すると、その行為で、内容が変化し、記述は『藪の中』に入って行くので、世界の記述に比べ、個人の内面の記述、あるいは表現は、困難なのです。言語とは、この考えでは、元々、世界の事態を記述するためのもので、人間の内面は、このような言語の記述・表現には、馴染まないという考えです(無論、この考えに対する反論はあるのです)。
僕の質問にものすごく丁寧に答えて頂き本当に心から感謝を致しております。本当に有難うございました。こうしてお返事を頂いた事をきっかけに、自分の中で勉強に対する意欲が意外な所から湧き出てきます。本当に有難うございました。
No.2
- 回答日時:
「言語によって自己の内面を<表現>することの困難を、世界についての<記述>との違いから説明しなさい。
」という、ただ、これだけの文?
この文にいたる前の、いろいろは考えなくていいのですか?
この文をわかりやすく言い換えれば、
「言葉を使って、自分の心の中のことや考えや行動の理由などを言い表すのはむずかしいですね。
でも、世界のどこかで起こった出来事や、どこかの国や町のようすなどは、もうすでにいろいろな本にくわしく書かれてありますよね。
自分の内面を言葉で言い表すのはなぜむずかしいのでしょか。」
ということです。
No.1
- 回答日時:
自己の内面は、他人に見せることができない。
世界の記述なら、類似の認識があるので容易。
しかし、現実には、逆の場合も多々あるので、この宿題の前提自体が間違っているのではないか?
たとえば、
「いやー、今日の仕事はきつかったよなー」
「オレなんか、逃げようかと思ったよ」
「そうそう、オレも・・」
て言うのと
「われわれの社会では、女性は他人に顔を見られてはいけないことは常識です」
というようなとき・・・
やはりこういったお話しって難しいですよね?答えがしっかりとないというか。。けど、みなさんのおかげでレポートが書けそうです。お返事ありがとうございました。
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