アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

カテ違いかもしれませんが、新年ってはたして存在するのかと思いました。四季のほうは確かに存在するように思うのですが。

A 回答 (3件)

ほほう、面白そうな質問ですね。


つまり、主観的に体感できるものは存在するが、
数字のように客観化されたものが存在するのかと問題にしているのですか。
そうなると、四季の流れを体感したと言う経験が過小評価されているように感じますが、その辺りはどうでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答有難うございました。私の設問自体が錯覚なのかもしれません。主観と客観についてのお説は大変勉強になりました。

お礼日時:2006/01/10 21:00

> 新年ってはたして存在するのか



四季の変化は年単位で起こるが(四季一巡りを回帰年と呼んでいるのですが)、その起点(?)をどこに置くかは恣意的なものなのではないか、というご質問でしょうか。

もしそうならその通りだと思います。年の起点(境目)をグレゴリオ暦(太陰太陽暦)の1月1日にするのが今の日本の決め事ですが、江戸時代以前は、これよりひと月ほど遅い旧正月(太陰暦)が起点でした。冬至や立春、春分を起点とする暦もあります。どこに基準点を置くかは、決め事です。

朝昼夕夜の区別は確かにありますが、深夜12時を日付の境目にしているのも決め事です。現行のグレゴリオ暦ではあまり意識されませんが、太陰暦で月の変わり目は、一日(月立ち)で新月の日です。

何も目印のない周期的に巡るものに、一箇所どこか印を付けるのですから、恣意的になります。

地理上の日付変更線も、決め事ですよね。7日周期の週は、「どこから週が変わったか」を明確にはしていません。6日周期の六曜などもそうです。

……というような回答をお求めでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

もやもやしていたものがすっきりした感じがします。決め事は存在しないといえば存在しないということですね。例えば犬は四季の変化を知っても何年何月何日などは感じませんね。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/10 21:08

むむむ?



「新年」とは存在しない=我々が認識するのは常に「今」だから、「今年」は存在しても「新年」には到達できない。「新年」が存在するのは年賀状の中だけである、という意味でしょうか?

「鏡の国のアリス」でも似た話がありましたかね?(明日のジャムと昨日のジャム)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答有難うございました。アリスの話は初耳でした。読んでみたいと思います。

お礼日時:2006/01/10 21:02

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!