現代では鉄砲(拳銃や小銃)が個人装備の主要武器だと考えていますが、
それ以前となると、どうなるんでしょうか。

日本侍は「日本刀」だと思うんですが、諸外国では何だったんでしょうか?

お恥ずかしいのですが、中国では「大きな刃の刀?」のようなもので、ヨーロッパでは「フェンシングで使う針金のような物」位の認識しかありません。

時代によっても変わってくるかとは思いますが、よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

過去の質問に、以下のようなものがあります。


参考になりませんか?

日本刀と西洋刀の比較
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=160762
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この回答へのお礼

参考URLをありがとうございました。
西洋と日本刀の比較についてでした。

日本刀って、世界の刀剣類の中でも優秀(切れ味抜群)な部類だったんでしょうか?

又何かありましたら教えてください。
参考になりました。

お礼日時:2001/12/21 22:13

 日本の戦争において、「刀」が主要武器であった時代は皆無でしょう。

江戸時代に道場剣法として流行った程度であると思われます。

 日本の歴史上、刀ほど実戦において役に立たない武器はなかったはずです。組織的な戦争が頻繁に行われた鎌倉時代から戦国時代にかけて、武士の主要武器は常に弓・鉄砲でした。その証拠に、たとえば戦国時代の戦争における負傷者の負傷原因を探ってみると、そのうちの約80%が弓もしくは鉄砲による負傷、10%程度が槍による負傷、刀による負傷はせいぜい2~3%に過ぎません。理由は考えるまでもなく、弓や鉄砲によって遠くから敵を攻撃したほうがはるかに義性が少なく済みますし、組織的な戦闘が可能になります。刀で槍に勝つのも困難ですが、刀や槍で弓・鉄砲に勝つのは事実上不可能でしょう。

 このような事実にも拘わらず、日本人の多くは、昔は刀や槍による至近距離戦が中心であったと考えているようです。時代劇等でそのようなシーンを数多く見かけるのもこのためだと思います。しかし、日本の合戦で刀が主要武器として使われたという根拠はなく、むしろ刀は首取り用だったとされています。江戸時代においては、たしかに武士の間で刀が流行しましたが、これは時代が平和になって実戦(戦争)が無くなったためです。道場での訓練には弓・鉄砲は必要ありません。

 この結果、江戸時代の平和に慣らされた日本等崇拝者は、幕末において一気に考えを改めさせられます。薩摩や長州の近代的な装備を施した舞台の前であっさり殲滅させられています。日本等崇拝者たちは、刀こそ武士の主要武器であり、戦闘において最大の力を発揮すると信じていたようですが、当然ですが刀や槍で弓や鉄砲にかなうはずもなく、日本刀崇拝者は姿を消します。「刀は実戦闘では役に立たない」と言った宮本武蔵や土方歳三の口述が有名です。

 その後、203高地の戦闘等に代表されるように、再び至近距離戦が重視された時代もあり、このことが今日の日本人の常識に少なからず影響を与えているように思います。これらは専ら精神論であり、実際の戦闘で勝ちを収めようとした場合、刀ほど役に立たない武器はなく、弓や鉄砲ほど有用な武器はなかったと言えます。
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この回答へのお礼

アドバイスをありがとうございます。
この質問に、そこまで踏み込まれるとは思ってもいませんでした。

日本侍の主要武器を日本刀と象徴した上での、諸外国のそれを教えていただきたいという主意だったのですが・・・
「日本の武器は何ですか?」と聞かれて、「槍や鉄砲です」では、ちょっと諸外国に代表される武器の比較という意味で、伝わりにくいかなと思った次第です。
「主要武器」という語彙の使い方が変であったのなら、お詫び申し上げます。

>刀で槍に勝つのも困難ですが、刀や槍で弓・鉄砲に勝つのは事実上不可能
戦術・戦略のスタイルに関わってくることなので、一概には言えないと考えます。

>日本刀崇拝者
これはどういった方々を指しているのでしょうか。
徳川、特に会津を中心とした奥羽越列藩同盟に加盟した藩のことでよろしいんでしょうか?

>刀ほど役に立たない武器はなく、弓や鉄砲ほど有用な武器はなかったと言えます
これはアウトレンジ戦法の場合ですね。

確かに日本刀は実戦において、刃こぼれはするは、人油が付着して切れ味が持続しないということは認識しております。

お礼日時:2001/12/21 23:39

マール社という出版社から、世界の武器を紹介した本が出版されています。

古代に使われていた武器や、ヨーロッパ、アジア、アフリカなどで使われている武器が紹介されています。確か3000円ぐらいだったと思います。かなり詳しく出てますよ。あと、武器一つ一つにどんな目的で、どんな風に使うのかということが解説されてます。(ちょっと怖い!?)私は、絵のモチーフに使用するため、この本を買ったので、武器自体をどんな目的で使用するかとかはあまり詳しくないんで、こんな武器があるとかは解説できないんで、すいません。もし良かったら探してみてください。ただ、普通の本屋さんだと売ってないと思います。私は、青山ブックセンターで購入しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

そういう本があるんですね。
買って見たい気がしますが、3000円はちょっと高いです。(^_^;)

貴重な情報ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/21 21:05

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参考URL:http://member.nifty.ne.jp/bintaro/touken/nodati.htm

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もともとは武士が持っていた
太刀というのが非常に大きくて
合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って
馬上から叩き落す、あるいは組み付いて
引きずり落としてから
脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して
相手を殺していたわけです。
だから実用の武器は実は短い方だったわけ。

ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、
短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。

平安から鎌倉を通じてこのような
戦いの作法があったわけですが、
室町・安土桃山の頃になると集団戦が
中心となったために、太刀が廃れ、
より扱いやすい打刀が主流となり
打刀(大きい方)が実用の武器となったわけです。

ちなみに腰に足緒(あしお)で吊る太刀に対して、
帯にさして用いる長い刀を打刀(うちがたな)といいます。

豊臣秀吉の刀狩以降、新スタイルの刀剣、新刀が生産されるようになり
大小拵、同じ鞘塗装、絵巻で統一された打刀と脇差の二本を腰にさす
武士の作法がしだいに完成されます。
江戸時代には幕府の規定で大刀・ニ尺三寸、脇差一尺五~七寸と
定格化されて、時代劇でみるような感じになったわけです。

この頃になると実用性はほとんど失われたので
拵も形式的なものになり、刃も薄く軽くされるようになっていて、
幕末の頃は、古刀(新刀以前に製造された刀)を用いる
示現流の薩摩藩士などとの戦いでは、刀ごと折られて頭を割られたという
事例がでたほどでした。ちなみにですが。

もともとは武士が持っていた
太刀というのが非常に大きくて
合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って
馬上から叩き落す、あるいは組み付いて
引きずり落としてから
脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して
相手を殺していたわけです。
だから実用の武器は実は短い方だったわけ。

ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、
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#3です。補足します。

私の後に、いろいろお詳しい方が書いておられますが、武器としての刀・剣と道具(装飾)としての刀・剣についいて補足します。

もともと、刀・剣は武器として戦争で用いられ、段々発達してきました。
武器としてみた場合、刀でもこん棒でも、敵を殺さなくても無力化すればいいのです。また戦闘中に武器が使い物にならなくなっては困ります。さらには、安く作れるほうがいいですね。
ということで、古代、戦闘用には太くて折れない剣が最初に登場します。その後接近戦用や騎馬戦などに短刀や槍などが出来てきます。しかし戦争は白兵戦が基本ですから、より折れにくくしかも鋭い刀・剣が必要になっていったのです。

また戦闘方法も無力化すればいいのですから、殴る・蹴る・切る・突く何でもありです。しかし切ると、折れるかもしれない・刃こぼれするかもしれない、というわけで、どのような刀でも突くというのが重要な動作になります。アラビアの「刃の広い刀」は騎馬戦を主体とした民族だったため、馬の上から切りつける(というか叩きつける)ことで、相手を無力化したため、切ることを犠牲にして叩くこと・折れないことに重点を置いたつくりになっています。

その後中世に入り、古代的な戦争が減ってゆき、社会も階層化が進みます。そうすると、もともと身を守る刀・剣が階層を表す重要な道具になって行きます。また銃が発明された後は、なおさら装飾化します。
日本でも、刀は武士の命といいますね。中世から近世のほかの国でもこの傾向が現れました。
しかしそうすると問題が起きます。本当に戦争に使えるような、頑丈な武器は常に携帯し、権威を表すにはちょっと重過ぎます。ですので軽く扱いやすい武器に変化していきます。もちろん武器ですから最低限の機能はあります。ヨーロッパの武器は突くことだけを主体にして軽く細くなりましたし、日本刀も細く持ちやすくなっていきました。

つまり刀・剣には使い型や用途によっていろいろなものがあるのです。また他の国と書きましたが、他の国の歴史もいろいろですので、大体このように進んだのだと思ってください。

ですので、私のお礼に戴いた「切れない刀」もまったく切れない分けではありません。戦争用ではないということです。もっとも江戸時代も後半になると、武士の2本差しも本当に権威を表す道具になってしまいますので(ほとんどの武士が剣術訓練しないし)、お金に困った武士は刀を質に入れ、竹製の刀身を鞘に入れてもっている人もいたのです(竹光と揶揄されました)ですから「切れない刀」を持っている人も本当にいたようです。
また日本刀の斬るについてですが、日本刀だけは斬ることができ、また刀身も斬ることを前提にカーブがつけてあります。時代劇で刀を納めるときにかっこつけているように見える動作も、カーブに沿って刃を傷めないように鞘に収めるため、必要な動作です(ま、カッコもつけていますが)
ですが、実際に斬りつけるとすぐに刃こぼれしてしまいますので、何人もと対決しなければならないときは、突きのほうが有効です。

#3です。補足します。

私の後に、いろいろお詳しい方が書いておられますが、武器としての刀・剣と道具(装飾)としての刀・剣についいて補足します。

もともと、刀・剣は武器として戦争で用いられ、段々発達してきました。
武器としてみた場合、刀でもこん棒でも、敵を殺さなくても無力化すればいいのです。また戦闘中に武器が使い物にならなくなっては困ります。さらには、安く作れるほうがいいですね。
ということで、古代、戦闘用には太くて折れない剣が最初に登場します。その後接近戦用や騎馬戦な...続きを読む

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Aベストアンサー

日本刀は、長い歴史を持っています。

奈良平安の頃は直刀でした。平安末期になって、甲冑を断ち切るために反りが深くなり、馬上戦に適すべく茎(柄の部分)が短くなりました。このころの戦は、弓を射て長距離戦を戦い、そのあと、おもむろに一対一の武将戦が行われ、武士は馬上において片手で太刀を操り、ときには甲冑を断ち切って相手を倒していたのです。だから、この当時の日本刀は柄の部分が短いのです。

しかし、こういう戦い方は、集団戦に長じた元(げん)には通用しませんでした(元寇)。で、このときの経験から、日本刀は刺突に適した浅い反り(笠木反り)に変化します。さらに、その後も馬上戦から徒歩集団戦への変化に応じるため、柄が長くなり、また地上で素早く刀を抜くために刀の差し方も刃を上に向けて腰に直接差すようになります。

このように、環境の変化に適応し、少しずつ形状や使い方を変化させながら実戦に有用な武器として使用され続けたのが日本刀にほかなりません。逆に言うと、武器として使用されない物がこのように形状や使い方を変化させるわけがないのです。

日本における槍は南北朝のころに発明されたものです。槍の有用性によって最も影響を受けたものが、薙刀です。薙刀は、槍の発明によって、武士の戦場から徐々に姿を消していきます。その槍も戦国時代、足軽たちの、より集団化した戦法によりさらに長大化してゆきます。斎藤道三や信長などは、三間柄の槍を使わせたと言いますが、三間というと、5m以上あります。この長い槍を立てて相手を叩くのです。あるいは、横に一線に並べて前進するとかというものです。およそ刀とは使い道が異なるのです(こういう槍の使い方と宝蔵院などの兵法としての槍とを混同してはいけない)。戦国時代といえども、ほとんどの兵は半農ですから兵法者の槍の使い様とは異なり、みな集団の中で上から下に叩くように使ったものと思われます。

こういう長い槍は、集団戦で使ってこそ意味があるものでして、乱戦の中や攻城戦では使いにくかったのではないでしょうか。すべからく武器というものは、使いどころを棲み分けるべきものです。屋内において長槍を使う愚を思えば、ご理解いただけると思います。

したがって、戦い方や使い方を抜きにして、槍と刀とを比較するのは暴論というものではないでしょうか。

なお、古来、対明貿易その他で多くの刀が外国に輸出された事実は、日本刀の有用性が日本ならず外国においても評価されていたという何よりの証左であろうと思います。

日本刀は、長い歴史を持っています。

奈良平安の頃は直刀でした。平安末期になって、甲冑を断ち切るために反りが深くなり、馬上戦に適すべく茎(柄の部分)が短くなりました。このころの戦は、弓を射て長距離戦を戦い、そのあと、おもむろに一対一の武将戦が行われ、武士は馬上において片手で太刀を操り、ときには甲冑を断ち切って相手を倒していたのです。だから、この当時の日本刀は柄の部分が短いのです。

しかし、こういう戦い方は、集団戦に長じた元(げん)には通用しませんでした(元寇)。で、この...続きを読む


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