今心理学の勉強をしていて「弁証法的唯物論」(マルクスやレーニン、ヘーゲルの名前が出てきました)等の言葉が出てきます。
意味がわからないので、広辞苑で「弁証法的」「唯物論」「弁証法的唯物論」と調べてみたんですが、
読んでるだけではまったくわかりませんでした。
自分のメモには「批判的にうのみにせず考える」と書いてあるんですがこういう意味なんでしょうか。
それぞれの意味を簡単にわかりやすく教えてほしいです。

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A 回答 (2件)

 


  弁証法的唯物論は、マルクス主義の世界観で、マルクスが唱えたものですが、色々な複合的な成立事情があります。(もっと詳しい説明を書いたのですが、たいへん長いものになったので、簡単なものにします)
 
  まず、唯物論は、物質一元論のことで、古代哲学では、エピクロス派がそうで、ルークレティウスなどは、物質一元論の世界観を説きました。しかし、これらは、古代の唯物論で、「物質」とは何かの意味把握が現代・近代とは異なっています。
 
  近代的な唯物論は、スピノーザの宇宙観に似ています。スピノーザは世界を構成する一元論的実体として神=自然を考えました。この神=自然は、「必然法則」を持って展開しており、また変容しています。運動しているとも言えます。弁証法的唯物論の物質は、必然法則を持って運動している実体で、また、法則には、「物質の階層」があって、適用範囲が異なり、これが弁証法と連関しています。
 
  他方、弁証法の方は、これも古代からある「思索の方法」で、その祖は、ソークラテースにあるとも言われ、またソピステースがそうだとも言われます。dialectic と英語で言いますが、これはギリシア語の tekhne dialektike(テクネー・ディアレクティケー)から来ており、この言葉は、「議論の技術」の意味です。ソークラテースの弁証法は、「観念弁証法」と言われますが、これは、まず、問題を出し(テーゼ)、それに対する相手の答え(アンティテーゼ)を聞き、その上で、最初のテーゼも、答えあるいは反論としてのアンティテーゼも両方含め前提として、しかし、新しい展望の答え(ジンテーゼ=総合テーゼ)を得るというものです。これは概念あるいは命題の弁証法なので、「観念弁証法」と呼ばれるのです。
 
  精神の弁証法、あるいは観念の弁証法の大成者はヘーゲルで、ヘーゲルは、弁証法を、概念や命題や議論の弁証法だけではなく、歴史の展開の過程について、弁証法が成立することを論じました。
 
  ヘーゲルの歴史の展開の「自由の増大」とは、動物にせよ人間にせよ、認識の増大で、知識の増大であり、それは、「精神の認識能力」の展開・拡大であるということになります。ヘーゲルの歴史の展開の極限には、宇宙が自己についての完全な知識を得ることが見込まれ、つまり、宇宙とは精神であり、精神が、自己を完全に認識して行く過程が、歴史の過程だという考えになります。
 
  マルクスは、ヘーゲルの思想が、逆立ちしていると批判し、精神が弁証法的に展開しているというのは、実は、物質についての人間あるいは生物の知識の増大が弁証法的に起こっているのであり、またそれは単に「認識の弁証法」ではなく、実は、物質の世界そのものが展開しているのであり、この展開の一部が、人間の認識の進展であって、実際、人間の認識の展開の前提には、どのような社会に人間が生きているかがあり、どんなに優れた人間でも、そもそも前提になる生まれた社会が、未開段階であれば、未開段階の観念でしか、思考はできず、他方、文明段階の社会なら、思考は、未開社会の人とは質が違って来るのであり、人の思考は社会の段階で決まるのだとしました。
 
  マルクスの考えでは、技術や生産様式が社会を決定し、社会のありようが、社会成員の認識や知識や思想や文化などを決める。知識や思想や文化が展開すると、技術も展開し、従来の生産様式の社会とは矛盾する観念の勢力(アンティテーゼ)が現れ、これによって、生産様式や社会が変革されて展開する(ジンテーゼ)、このようにして、社会は展開して行く。これが社会発展の弁証法です。
 
  この社会の発展の弁証法を物質の世界にも拡張し、物質の世界の弁証法的運動が、物質のシステムの階層の弁証法的上昇をもたらし、より単純な法則の階層の物質世界から、弁証法的に、より複雑な法則が支配する物質の階層ができる。人間の社会の展開も、この物質の弁証法的展開の一部であるとする考え、世界観が弁証法的唯物論です。
 
  なお、わたしは観念弁証法の方に近いので、以上の弁証法的唯物論の見方は、違っていると言われるかも知れません。
 
  とりあえず、「弁証法」とは、ものを多面的に見る、捉えるということです。ある方向から見ると、円に見えるものは、必ずしも球ではないのです。別の方向から見ると、長方形に見える場合、これは、実は「円筒」だということになります。最初見た時、円(テーゼ)だと見えたものが、別の方角から見えると、長方形(アンティテーゼ)で、では、これは何なのか、二つのテーゼを総合して考えると、円筒(ジンテーゼ=総合テーゼ)だということになります。このジンテーゼは、テーゼを否定しながらも、テーゼも元に、その否定によって、より高い認識、より正確な認識に到達するので、テーゼを「棄てる」が、しかし、それは単に棄てるのではなく、上に「揚げた」形で棄てるので、ジンテーゼの導出を、揚棄(ようき)とも言います。普通、揚棄は、止揚と言われますが、どちらも、ドイツ語の Aufheben の訳で、これは「拾い上げる」というような意味です。ものごとを、一面的に見るのではなく、別の面からも見て、二つの認識を総合することです。特定の認識や考えに拘らず、ものごとを柔軟に多面的に見て、より正確な、豊かな認識を得るという方法ですが、これだけだと概念・思考・認識の弁証法です。弁証法的唯物論は、世界は物質から成っているという世界観で、かつ、物質や社会は、弁証法的に展開しているという考えです。
 
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この回答へのお礼

詳しい回答どうもありがとうございます!
おかげでより意味がわかったと思います(*^.^*)
(特に最後のところがわかりやすい例えだったので)
これでレポートがより書けるようになります!
本当に助かりました。長い回答お疲れさまでしたm(._.)m

お礼日時:2001/12/25 01:27

唯物論 人類の進化はある種の猿の二本足歩行に始まり、手を自由に使えることになったことから道具(簡単な斧のようなもの)を使えるようになった。

それによって脳に刺激を与え、益々人類として進化し今日の文明を築くに至った。アダムとイブも、神も人類の進化にはなんら関係していない。すなわち、すべての物事を科学的に捕らえていく見方が唯物論です。(社会、科学すべてについて)

弁証法 そのような考え方だと思いました。

その辺の古典で代表されるのは、ヘーゲル、マルクス、エンゲルスだと思います。レーニンあたりは純粋でない面があるのでエンゲルスの著作を読むことをお奨めいたします。
 もちろん今でも売っていますよ。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございます!!
すごく助かります!これでレポートが少し書きやすくなりますo(^o^)o時間がちょっとないのでエンゲルスの本は暇になったら見てみようと思います。

お礼日時:2001/12/24 03:41

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