表題の通り、尾崎放哉や種田山頭火のような自由律俳句を作りたいです。
僕は不思議にそんな俳句に心打たれます。
作る時のポイントを教えてください。
「なんにもない机の引き出しをあけて見る」
因みに僕の好きな俳句はこれです。でも、これに季語が含まれてるんでしょうか?
これもあわせて教えてください。
よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

季節は季語だけがあらわすものではないと思います。


>「なんにもない机の引き出しをあけて見る」
いい感じですね。微妙なリズムがありますし、。僕もいいと思います。季節は春かなぁ。なんか卒業したって感じがします。それとも、「思い出も開けてみれば空っぽ」ってことかな?ないものを見るのに、なんかあるって感じに「意志」を感じます。
>作る時のポイントを教えてください。
あなたが自由でいることです。
自由でいるとは、惑わない、迷わない、囚われないです。
心が打たれるなら、素晴らしいですね。大丈夫だと思いますよ。人にこのように質問しなくても、あなたは十分にかけると思います。なぜなら、心打たれるあなたは自由でしょう?
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●伝統俳句は季語を必要として定型(575)で詠まれます。


 現代俳句は自由律で 季語もあえて問いません。
 最短詩形と呼ばれ これ以上短くできない詩を俳句としています。

 なんにもない机の引き出しをあけて見る

 いい俳句ですよねえ。
 その行為に含まれる ぽつんとしたしょんぼり感がいいなあ・・・。

●創る時のポイントですか?
 いままでみたことも聞いたこともない あたらしい視点の発見
 だと思いますよ。既にあるものを繰り返されるのは時間の無駄っぽいでしょ。
 あと 叙情を感じる心をもつことですね。
 叙情とは 自然にあなたのこころが寄り添う情景のことです。
 上の俳句は その行為に叙情を感じたのでしょう。
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でたらめに作った自由律俳句と、ちゃんと普通の俳句も作れる人が「どうしてもこれは5・7・5では表せない!」ということで結果的に定型を外れてしまって出来た自由律俳句とでは、読む人が読めば全然違うと思います。


ですからまず普通の俳句が作れるようにならなければなりません。急がば回れで、普通の俳句サークルに入って、初めは周りのみんなと同じように定型の俳句を作っているうち、だんだん自由律も作れるようになると思います。
ピカソだって、抽象画ばかり書いているのではなく、写実的なとってもきれいな女性の絵もちゃんと描けるんですよね。

ちなみにその句は、私は、季語は無いと思いますが...?
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Q自由律俳句と字余り字足らず。

初めまして。こんにちは。

私は今、俳句について色々と調べているのですが、
自由律俳句と字余り字足らずの定義がしっくりきません。

ある程度の定型感が保てていれば、定型俳句の字余り、字足らずになるのでしょうか。
そもそも自由律俳句は碧梧桐が提唱し、
更に井泉水が徹底していったものですが、
自由律俳句で有名なのは、山頭火と放哉だと思います。
例を挙げれば、
【夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ】 山頭火
【こんなよいつきを一人で見て寝る】 放哉
などは、自由律俳句の典型かと思いますが、

では、
【赤い椿白い椿と落ちにけり】 璧梧桐

の詩は、自由律俳句なのでしょうか。
それとも字余りの詩なのでしょうか。

定型感を保っていれば、定型詩だとしても、
ある程度の基準などがあるのだと思います。
そういった基準や、どういうものなら自由律なのか、
どなたがご教授ください。

宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

No1さんの回答に触発されて、のこのこやってきた者です。
素人ですから参考程度にお聞きいただければと思います。

まず結論から考えると「自由律俳句と字余り字足らずの定義」は無いのでは
ないでしょうか。そして例に出されいる碧梧桐の句である、
「赤い椿白い椿と落ちにけり」は単なる字余り俳句ではないのでしょうか。

俳諧との別れを告げ、五七五定型の俳句として認知されるようになったのは
子規の登場からだと言われていますが、その後継者である、虚子と碧梧桐では
俳句に対して目指していたものが異なっていますよね。


もともと自由律俳句は虚子の「ホトトギス」系の季語定型の句にたいして、
反旗を翻した要因も多少はあるでしょうし、当時の自由思想に感化されたことも
あるでしょうが、もっともおおきな要因は
やはり作者たちの内部的な誘因があるのではないでしょうか。

碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」の句ですが、
山本健吉さんはこの句についてこのように述べられています。
「地上の落椿ではなく、落下の瞬間の、空中に引かれた紅白の二本の棒のごとき
鮮やかな色彩として詠んだ、抽象絵画的なイメージである」(俳句鑑賞歳時記より)

以後はこの句にたいするわたしのの感想ですが、「赤い椿」を「赤椿」と表現しても、
表現上さして問題はないのですが、「赤い椿」と中に「い」を挿入することによって
椿の色の独自性がより強調されてきますし、句全体から溢れてくるスローモーション的な
イメージの重要な役割をはたしているように思います。
ですから作者はどうしても「赤い椿」「白い椿」と表現したかった。それが結果的に
字余りになってしまった。こんな風に感じるのですが。

まずはじめにどうしても表現したいものがある、
こうした内部的な誘発と言えばいいのでしょうか、それを推し進めていったのが、
碧梧桐の後継者である、荻原井泉水や放哉なんだと思います。

現在でも自由律俳句の結社はあるでしょうし、季語定型にこだわらない結社もあると思います。
しかし肝要なのは作者が何を表現したいか、(あるいは何を表現したかった)であって、そのぎりぎりの表現のところで、結果的に字余り字足らずになってしまったり、自由律俳句になってしまうのではないでしょうか。
また読者はそのように鑑賞すれば良いのではないかとしきりに思うのですが。

No1さんの回答に触発されて、のこのこやってきた者です。
素人ですから参考程度にお聞きいただければと思います。

まず結論から考えると「自由律俳句と字余り字足らずの定義」は無いのでは
ないでしょうか。そして例に出されいる碧梧桐の句である、
「赤い椿白い椿と落ちにけり」は単なる字余り俳句ではないのでしょうか。

俳諧との別れを告げ、五七五定型の俳句として認知されるようになったのは
子規の登場からだと言われていますが、その後継者である、虚子と碧梧桐では
俳句に対して目指していたも...続きを読む

Q尾崎放哉だか種田山頭火で

30年近く前、高校の授業で聞いたのですが
尾崎放哉だか種田山頭火だかの句で
乞食の子が袋から、木の実をなんぼでも出す
みたいなのがなかったでしょうか?
最近妙に思い出すのです。
検索してみたのですがどうもわかりません。ご存知の方ご教示下さい。

Aベストアンサー

乞食の児が銀杏の実を袋からなんぼでも出す

Qアナタの好きな自由律俳句の作品をお教えください。

アナタの好きな、尾崎放哉・山頭火、あるいは別の自由律俳句作家の作品をお教えください。

その作品の、どこに魅かれるかを書いていただければ幸いでございます。
その作品の掲載書名・作品ができた年月 or 年 を添えてください。

※自由律短歌作家の作品も歓迎します。
※ネットで検索した作品は、ご遠慮ください。

以上、なにとぞ宜しくお願い申しあげます。

Aベストアンサー

遺書にして艶文、王位継承その他無し      加藤郁乎


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「すばらしい乳房だ蚊が居る」で有名な尾崎放哉の自由律俳句についてですが、ここでの「乳房」は、どう読めばよいでしょうか?
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Q昨日(6/19) プレバトのリズム感の結果

途中までしか見られなかったのですが、
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紫吹淳さんは曲が早くなったところで走ってしまった(速くなってしまった)ので
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Q種田山頭火の俳句、「うしろすがたのしぐれてゆくか」

種田山頭火の「うしろすがたのしぐれてゆくか」という句がありますが、これはどのように解釈すればよいのでしょうか?

Aベストアンサー

この句の前に【自嘲】とありますが、
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Q自由律俳人の俳句の中に定型、あるいは若干の破調のみの

自由律俳人の俳句の中に定型、あるいは若干の破調のみの
句が散見されますが、これらはどう解釈したら良いの
でしょう。自由律俳人にとっては定型も自由律のうち
なのでしょうか。


ふるさとはみかんのはなのにほふとき

霧島や霧にかくれて赤とんぼ

ふるさとの土の底から鉦たたき

ちんぽこもおそそも湧いてあふるる湯

よい道がよい建物へ、焼場です

以上5句、種田山頭火



気をつけの姿勢で目刺になっている(中八)

もうひとこと言えば壊れる春の宵(上六)

待たされてまだ待たされている鰯雲(上七)

まっさらの消しゴムの角撫でてみる

花火の輪に入れぬ夜の窓開ける(上六)

以上5句、きむらけんじ

Aベストアンサー

>定型も自由律のうち

そう考えるべきだと思います。
現実にそういう作品があるわけですから。

Q種田山頭火の俳句について教えてください!!

分け入っても分け入っても青い山
うしろすがたのしぐれてゆくか

っていう俳句があると思うんですけどこれは、上と下別々なんでしょうか??教科書で隣に書いてあって気になります。教えてください。自由律なので7、7、5、7、7という形なんでしょうか??

Aベストアンサー

上と下は別々の句です。
自由律とは五七五の定型俳句や五七五七七の定型短歌に対し、音数にとらわれず、また、俳句では季語にも縛られず、心の動きをそのまま自由に、且つ自然に表現するものです。また、「~たり」「~けり」「~かな」などの古典的な言葉遣いを避け、現代口語で表現するということも特徴の一つでもあります。

上のふたつの句の意味は
下のアドレスで見て下さい(^^)

参考URL:http://www2.biglobe.ne.jp/~endoy/SANTOUKA.html#shoukai

Q1行詩をお寄せください。9音以下で、お教えください。

作例:
せきをしてもひとり    〔by 尾崎放哉〕9音の自由律俳句
おとはしぐれか     〔by 種田山頭火〕7音の自由律俳句
源流夏を釣る    〔by 質問者〕9音の自由律俳句

※真摯なスタンスの作品をお待ちしております。
★作例は(2句1章の)自由律俳句ですが1行詩も歓迎します。

Aベストアンサー

 なつぐも あせぬぐう (夏雲 汗ぬぐう)

昨日 汗をぬぐいながら ふと 見上げると そこは夏の空でした。
入道雲に似た雲が…
  

Q種田山頭火って、

あなたの思う山頭火ってどんな方ですか?
文献やウィキぺディアなど外部情報は参照せず、あなたのなかにいる山頭火について一寸お聞かせください。3行程度までで、概略や要約の気持ちでお願いします。

回答例
のんびりやで犬好きなおじいちゃん。俳句が大好き。おだやかな見た目からは想像がつかないほどの毒をはきつづけたため変人扱いをされた。逆に変人からは熱烈に愛される存在になっている。好きな歌はちゃっきり節。

Aベストアンサー

よめはんをほったらかして上京し、関東大震災にあってよめはんの元へ逃げてくる。

結構勝手な人だったとしか思えない。

姪を手篭めにして孕ませパリへ逃げた島崎藤村よりは害が無いだけましかも。

尾崎放哉に比べ、作品からは権力にはおもねるような人だったと感じますが。

好々爺とは思えないし。


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