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徳川家康が始めた江戸幕府について、「頼朝の鎌倉幕府以来の武家による政権」という言われ方がすることがありますが、この言い方だと室町幕府を除外して考えているようですが、これは、室町幕府は江戸幕府・鎌倉幕府と異なり武家による政権として何か不足していることがあるからなのでしょうか?江戸幕府・鎌倉幕府と室町幕府の違いがあるのなら教えていただけないでしょうか。

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A 回答 (7件)

>尊氏は天皇に反逆した逆賊という扱いをされており



 そういうところは確かにまだ残っていると思います。
 それは、明治維新後、天皇家の権威を高めるために天皇中心の歴史を造り上げていった結果です。
 南朝が正統の天皇と定められたのも確か明治になってからの筈です。
 権力のパワーバランスから言えば明らかに北朝の方が上なのに(南朝には即位したかどうか不確かな天皇すら存在しています)、まさにfumidera2さんが書かれた建武の新政を尊重したためにそのようなことになっていったと思われます。
 もちろん、江戸時代からの判官贔屓体質や尊皇思想などさまざまな要因も影響しているとは思います。南朝を正統とした「大日本史」もそのようですし。
 さらには主に対して忠であるべし、とする儒学の思想も関係しているかも。

 とにかく戦前には室町時代の研究も盛んとは言えなかったのではないでしょうか。
 近年になって、参考で挙げた今谷氏を始めとして中世を専門とする研究家も増え、当時の文献も多数研究されてきて、かなり新しい中世像が生まれつつあるのが現状のようです。そう詳しいわけではないですけど。
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この回答へのお礼

そうですよね。室町幕府を創設した英雄であるはずなのに尊氏の世間の評価は低いんですよね。室町時代を扱った時代劇もほとんどないですし(あえて言えば一休さん?)。もっと室町時代のことを見直してもいいのではないかと思うのですが。

詳しい回答、ありがとうございます!

お礼日時:2006/01/18 23:39

 秀吉は確かに朝廷より関白の位はもらっていますけれど、朝廷に入って政治を行なったわけではなく自分を含めて政治・権力の中枢は全て武士によって固められていますから武家による政権で間違いはないと思います。


 建武の新政は確かに天皇親政を成し遂げたものの続いたのは3年ですし、やはりそれを実現したのも盛り立てたのも武士たちです。この武士への気配りが足りずごく短期間で武士である足利氏に政権を奪取されてしまうわけですし。

 また、室町幕府については足りない、というより武家政権として最大の権力を義満の時代には確保していました。
 義満はその息子を天皇とし、自分はその親であることから「治天の君」として最高の地位を確保しようとしていたのです。しかもそれを貴族たちは強い天皇家の誕生を願い後押ししていました。
 この目論見は後ほんの一歩、というところで義満の病死により頓挫してしまいます。
 この辺りは中公新書の今谷明「室町の王権」によっています。学問関連書とは思えない程面白い文章で且つ興味深い学説を発表されており、御質問のような御興味を持たれているのであれば一読をお勧めします。

 そう言った意味で、朝廷に物理的だけではなく意識的にも近付いた政権ではあったようです。
 しかし、武家の政権であることには変わりはありませんが。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。ちょっと話がそれますが、僕が思っている江戸幕府・鎌倉幕府と室町幕府の違いは、創始者である家康と頼朝が歴史上では英雄扱い(義経との関係では頼朝は悪役?)されている一方、尊氏は天皇に反逆した逆賊という扱いをされており、室町幕府は逆賊が興した政権のようなトーンで描かれているような気がしていて、教科書などでも室町幕府の歴史上での功績がほとんど(鎌倉幕府・江戸幕府と比べて)書かれていないような気がするのですが、それは僕の気のせいなのでしょうか?よろしくお願いします。

お礼日時:2006/01/18 21:00

No.3です。


詳しく調べて回答している訳でないので
誤りもあるかもしれないですが

解釈の仕方しだいだと思います。

・安土桃山時代は信長、秀吉ともに
征夷大将軍にならなかっただけで
武家政権と考えられます。

・建武の新政は解釈により微妙ですが
(天皇親政を行っていたので、、)
 事実上、全国の支配をしていたのは
依然として武士階級であり、
 天皇は看板にすぎないと考えることができると
思います。
(鎌倉時代の摂家将軍、宮将軍のように、、)


しかし、通常は「鎌倉幕府以来の武家による政権」とする表現の場合、
建武の新政は考慮に入れていないのではないのでしょうか。


【回答】
解釈の仕方により、また、厳密には多少の中断が見られる場合でも、
細かいことは考えずに、「ずっと続いている。」とするのは正当性や伝統を誇示する場合に
しばしば見られる表現だと思います。

この回答への補足

ありがとうございます。よければNo.6で書いた疑問について、何かわかれば教えていただけないでしょうか?

補足日時:2006/01/18 21:05
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 室町幕府は確かに後半権力は衰えます。

しかし、No.2の方も書かれているように、その末期でも肩書きを当てにする人間が沢山いたように、完全に無力化したわけではありません。
 一方朝廷は16世紀前半には大嘗祭(即位の儀式)を20年も挙げられないほど困窮しており、ほとんど顧みられてはいませんでした。
 No.3の方が書かれるように、継続的に武家政権が続いている、と解釈した方が良さそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。でも、途中で建武の新政あり、太閤秀吉の時代ありで、継続的に武家政権が続いているわけではないのでは?

お礼日時:2006/01/18 04:16

以下を参照ください。



い‐らい【以来・×已来】

1 その時よりこのかた。それより引き続き。

「頼朝の鎌倉幕府以来の武家による政権」=

「頼朝の鎌倉幕府から引き続いている武家による政権」で意味的に問題は無いのではないでしょうか?

参考URL:http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=0121090 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。でも、鎌倉幕府と室町幕府の間に南北朝時代があり、室町幕府と江戸幕府の間に安土桃山時代があるので、武家政権が継続的に存在していたわけではないですよね?

お礼日時:2006/01/18 04:05

 室町幕府は武家による政権であるし、鎌倉幕府以上に強力な政権だと思います。

確かに、義政以降幕府は弱体化していきますが名目的であるとはいえ諸国の大名は室町幕府を立てています。伊達家は代々の当主は足利将軍の名前から一文字をもらって名を付けますし、信長ですら義昭を殺して後釜に座ろうとまではしていません。
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室町幕府は京都に本拠地を置いたために、とくに3代目以降は公家との区別があいまいになっていました。


義満の時代はまだ武家の力のほうが圧倒的に強かったのですが、時代が下るに釣れて朝廷の権威に頼ることが多くなってしまい、幕府も弱体化して将軍が京都から逃げ出さなければならないこともたびたびありました。
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