私はブッダは哲学者で、宗教家ではないと思うのですが、知識が中途半端でよくわかりません。
小乗、大乗は解りますが、いわゆる仏教はいつから宗教として何がきっかけで、成立したのでしょうか?少なくとも、ブッダは菩薩や阿弥陀などの存在を語ってなさそうだし、となれば後世の人が創作したように思えますが、そうなるとブッダの教えとは全く別のものです。ブッダその人を神聖化し「神」の様な存在として崇拝する事は、本来の教えからかけ離れたものと思います。
もしブッダがいきていたら死者を拝んでも、「奇跡など起きるはずもない」といいそうですが、なぜ、このように大きく変質してしまったのでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (11件中11~11件)

まず、最初にお詫び申し上げます。

何の知識もない身ですが、宗教も文化のうちであり、文化の変遷も宗教の変遷に繋がるとも考えられます。不変?の精神を無理に貫くことは、正しいことなのでしょうか?
『後世の人が創作したように思えますが、そうなるとブッダの教えとは全く別のものです』
とありますが、それは、いけないことなのでしょうか?例えば、禁欲をどうとらえるかは、その宗教に携わる人の心の内にあるものだと思います。1812さんが、何の知識も持たない私の意見に耳をかさないというのなら、それまでですが、宗教とは万民のものであり、哲学のような学問化を全てとするならば、庶民は何を理解すれば良いのか分からなくなります。勿論、宗教学は必要でしょう。否定しません。だが、嘘でも、仏教が仏陀の教えにそぐわない、仏陀の不本意になるような(言葉使いは相応しくないかもしれません、御免なさい)道を歩んでいるとしたら、万民は悲しみます。多くの方が見ていられるでしょう。勿論、仏陀の不本意になるような宗派もあったことでしょう。この問題には、慎重な御解答を皆様にして頂くよう御理解して戴きたく思います。申し訳御座いません。

この回答への補足

serotoninさん、ご回答有り難うございます。
色即是空というように、人の教えも変わっていきます。良い悪いもありません。
問題にしたいのは、本来哲学の開祖であった人物が、なぜ神聖神格化され神秘主義の加わった宗教に変わったか。ということです。
ギリシャの哲学者は神聖化されることはなかった。それは、ヒンズー教などの(何でも神にする)多神教の影響か、文化的なものか、あるいは深遠で並の人間には理解できないものがあるため、神秘化されたのか?もしくはインドでは哲学だったが中国にはいって神格化された(三国志の関羽も神にしてしまうお国柄)のためか?
しかし、後世に宗教として分化したさまざまなものは、その時代時代に合わせれば、適合しているようですが、シッダルタの解いたことは、そんなに変質する必要もないほど、基本的で根元的なものだと思いますが、いかがでしょうか?
 

補足日時:2001/12/26 23:26
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q仏教における小乗と大乗の違いとは?

仏教における小乗と大乗の違いとはどのようなものでしょうかという質問です。

釈尊の背中を見ていると、菩提樹下でお悟りを開くまでが小乗で、梵天勧請を受けて、伝道を開始して、弟子を増やし教化する段階が大乗のように見えますが、経典主義の方々には違った見方もあると思います。
回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

No.6(o`・ω・)ゞデシ!! 曹洞宗。

日蓮宗の分派ではないので、同じ大乗でも。

その点ははっきりね。

元々日蓮宗が壊れてしまったので(お金で徳を売っていたんですね)、

大乗と呼ばれるいろいろな宗派は、そこから出てくるわけでして。

曹洞宗の場合は、もちろん、ある程度の法華経は使います。

 #たくさんありまして、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」だったり。

 #通常、σ(・・*)が今もっているお経本(在家用)に二本しかないですね。

メイン経典としてではないんですよ。

曹洞宗は、修證義(しゅしょうぎ) の 2章から5章までの4章となっています。

これは後から変わったという方が正しいですが。

道元(高祖承陽大師)が書いた、「正法眼蔵」(しょうほうがんぞう)を

名前失念(広めるのに尽力された方)太祖承済大師が、漢文の読み下しに

されてあります。この一部です。


道元は悟られたんでしょう、多分ね。

ただそれは、お釈迦様と同じような悟りでしかなくて(!)、

法華経を理解する というような形ではないはずです。


一番最初の疑問にぶつかるのですが、

「即身是仏」って言いますね。 これはすなわち「みんな仏さんになれる」という発想ですね。

大乗では、仏の字を区別します。

佛 と 仏 です。

仏:輪廻の対象となる、ご先祖さんになる、霊体になる(?)こういう感じ。

佛:いわゆる仏様。阿弥陀様やお釈迦様、観音様などなど。悟りを開かれていて、

 ある程度の崇拝の対象となっていらっしゃる方々。

こういう風にはっきりと区別をします。


念仏を唱えることで、仏さんになれる。 佛ではないんですね。

小乗(上位)では、同じとみなすんですね。ここにも明白な違いです。

親鸞上人(浄土真宗)も、「南無阿弥陀仏」と唱えればいい。

と、おっしゃっていますけれど、浄土真宗はちょっと特殊でしょうかね。

 #これは感覚的なものだけど。

利他 という考えがあるのですが、自分のご利益を他人様に回す。

 #これは典型的に大乗です。 (No.1さんのに詳しいね)

これがあるので、どっちとも言いにくいような気もします。


これはまた曹洞宗に戻りますけれど、「修証一如」といいまして

修行を繰り返す(何度も輪廻して!)ことで、佛となる! と捉えます。

この辺がやはり違うかな?

即、ハイ極楽どうぞ~~!ではないんですね。

 #曹洞宗は「只管打座」とにかく座る。禅ですね。この繰り返し

八正道でも、「正見」などでは『自我観念を捨てよう』というようなやり方を取ります。

 #小乗(上位)は、ここにこだわりはそれほどありません。

その分、他人様のため! を先に考える・・・。

ここもちょこっとだけ違いますね。 No.1さんのが言い得て妙です。


南無妙法蓮華経を唱えることだったり、お布施をたくさんすることだったり、

信者をたくさん増やしたり、って言うことが、徳を積むようなことではないんですね。

 #少なくとも曹洞宗、空海さんは真言だっけ? は、こういうことはありません。


ちょっと余談ですが、般若心経はご存知かと。あれは膨大な量です。

とてもじゃないですが読めるような代物ではありません。

σ(・・*)たちが日ごろ諳んじたり(そらんじる:暗誦している)、見聞きしているのは、

ほんの一部です。

あれ観音様です。当然お釈迦様のお弟子さんですね。

「空」を説いてある。

いくつか佛教はありますが、般若心経を使わないところがほんのわずかだけあります。

 #実は浄土真宗もそうです。これは意味がちゃんとありまして・・

 #「南無阿弥陀仏」が全ての「とらわれ」をも消し去る。

 #「空」も理解しうる。と説いてあるからだそうです。

ほかの宗派は「空」を一体どう解釈してあるのか?疑問ですけどね。

大乗、小乗(上位)ともに、ほとんど使うのですがねぇ~。

すいません、長くなってしまいました。

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=) 南無釈迦牟尼佛(曹洞宗はこれです)

No.6(o`・ω・)ゞデシ!! 曹洞宗。

日蓮宗の分派ではないので、同じ大乗でも。

その点ははっきりね。

元々日蓮宗が壊れてしまったので(お金で徳を売っていたんですね)、

大乗と呼ばれるいろいろな宗派は、そこから出てくるわけでして。

曹洞宗の場合は、もちろん、ある程度の法華経は使います。

 #たくさんありまして、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」だったり。

 #通常、σ(・・*)が今もっているお経本(在家用)に二本しかないですね。

メイン経典としてではないんですよ。

曹洞宗は、修證...続きを読む

Q小乗よりも大乗が良い

 
小乗と大乗を人を救う船に例えてみよー。

すると小乗は一人乗りの手こぎ船に過ぎず、大乗は大勢の人を乗せる大型船となる。

どちらがより多くの人を救えるかは明らかであろー。

やはり親鸞の教えが日蓮の教えに勝っておるのは自明ではないのか。
 

Aベストアンサー

基本的に、コントロールできるのは、自分自身だけです。
救われるのではなく、自分が自分自身を救うのです。
外からの手助けを受け入れるのは可能ですが、あくまで、主体は自分です。

人が他人の魂をコントロールできると考えた時点で、既に、独善と傲慢に陥っていると言えます。
また、実際に洗脳によって他人を強引にコントロールし始めると、それはカルトと呼ばれます。
コントロールされた人は、コントロールされたが故に、自分が本当に自分自身を救うための機会と自由意思を奪われてしまいます。
宗教が他人の心を救おうと考えた時点で、その萌芽が既に内包されています。

衆生を救済しようという動機は正しいようですが、人間の現実からすると、自らの欲望のために他人をコントロールしようとする輩に宗教が利用されています。
宗教論争は、そのためのパフォーマンスの場と成り下がっているため、不毛なのです。

あなたの様に、純粋に論争だけしようという人ばかりではありません。

尚、アルケー神が、言葉通り「万物の根源」の神であるとすれば、私もアルケー神を信じています。
あなたがアルケー神に、ある一定の宗教色を付けていなければ良いのですが。

基本的に、コントロールできるのは、自分自身だけです。
救われるのではなく、自分が自分自身を救うのです。
外からの手助けを受け入れるのは可能ですが、あくまで、主体は自分です。

人が他人の魂をコントロールできると考えた時点で、既に、独善と傲慢に陥っていると言えます。
また、実際に洗脳によって他人を強引にコントロールし始めると、それはカルトと呼ばれます。
コントロールされた人は、コントロールされたが故に、自分が本当に自分自身を救うための機会と自由意思を奪われてしまいます。
宗教が他人...続きを読む

Q小乗仏教と大乗仏教

小乗仏教と大乗仏教ついて、他の資料や、既出の質問と回答などは読みました。
ちょっと詳しすぎて、長文すぎて、分かったような分からないような、分かったような?

ほんの、ポイントを1つだけでいいのです。
「小乗仏教は、おのれの内側から悟るもの、大乗仏教は“ご利益がありますように”の他力本願。」
これ正解ですか?

Aベストアンサー

小乗とは小さな乗り物。自分のみ悟ればそれでよし。
大乗とは大きな乗り物。自分の悟りを他者にも分け与えようとするものです。
故に自行化他、自利利他の教えと言われる所以です。

Q大乗・小乗仏教について確認させてください

小乗仏教⇒ 無神論 ・ 釈迦の直接の教え(間違いない)

大乗仏教⇒ 有神論的 ・ 釈迦の教えを何百年かけて弟子達がまとめた/理論付けた。
だから釈迦の教えではないかもしれない(というか実際矛盾がある)
しかし釈迦は大乗についてノーコメントなので絶対違うとも正しいとも分からない。

↑合っていますか?


大乗仏教の図式は、大宇宙に釈迦と同等の仏様(大日、ビルシャナ、薬師)、それらの師匠の阿弥陀様がいる。その他に仏様を助ける菩薩様が大勢。すべて信仰対象。

↑これも合っていますか?


大乗非仏説というのがありますが、釈迦が説いたものではないという証拠がもし見つかった場合、例えば奈良の大仏(ビルシャナ仏)は仏教と無関係の単なる作り物になってしまうのでしょうか?


仏教はもともと生きるための知恵だったようですが、僧侶が権力を持つための道具になってしまい、
人々の自己満足と宗教団体の共存という図式ができあがり、今でもその風習が残っている、
そのようにも思えましたがどうなのでしょうか。お寺の存在自体も分からなくなってしまいました。

Aベストアンサー

お釈迦さまは教えを文字として残しませんでしたから、そういう意味ではすべて「弟子」というフィルターを通したものです。

その中でも、質問者さんのおっしゃる「小乗仏教」は、直接お釈迦さまから教えを聞いた直弟子たちが“会議”を開いて、「私はこう聞いた、これで間違いないか」「間違いない」……という具合にいちいち確認して編纂され、残されたものです。
ですから、一番、お釈迦さまの教えに近いとされています。

しかし、先に書いたように、弟子のフィルターを通しているわけですから、お釈迦さまの真実が伝えられているかどうか?
……と問題にする人はあまりいませんが、極論すれば「小乗仏教」すら「非仏説」と言えるかもしれません。

「大乗仏教」は、お釈迦さまの下で修行する人たちの「小乗仏教」では救いとれない大衆に向けて、お釈迦さまの教えのエッセンスを交えて、分かりやすく説き直したものです。
人間は千差万別ですので、Aさんに教えたものがBさんにも理解できるとは限らないので、いろんな人に向けて様々な形で(方便として)経典が作成されていきました。

それが「仏教ではない」と非難する人がいるのも事実です。
実際、お釈迦さまの教えとはかけ離れてしまっているものが多いのですが、では全く仏教ではないか?と問われたら、完全否定してしまえるものでもないのでは……ということで、現在も「大乗仏教」という形で残っているわけです。

「大乗仏教」はお釈迦さまの没後、何百年も後に生まれたものですから、そもそもお釈迦さまご本人は何のコメントもしようがないので、後代の(凡夫である)我々が、「あーでもない」「こーでもない」と言っているだけです。


>大乗仏教の図式は、大宇宙に釈迦と同等の仏様(大日、ビルシャナ、薬師)、それらの師匠の阿弥陀様がいる。その他に仏様を助ける菩薩様が大勢。すべて信仰対象。

これは宗派によって考え方が違います。
書くと長くなるので省略しますが、三身(法身・報身・応身)をお調べになれば分かると思います。
それでも阿弥陀さまを信仰する宗派でも、「大宇宙に釈迦と同等の仏様(大日、ビルシャナ、薬師)、それらの師匠の阿弥陀様がいる」という考え方はしていないと思います(専門家ではないので断定はできませんが)。

どちらかと言えば、「大日(毘盧遮那仏)」がお釈迦さまやらお薬師さん、阿弥陀さまの上に君臨する(という言い方はよくないですが)形と捉えるのが一般的です。

いずれにしろ、「大乗仏教」は、お釈迦さまが直接説いたものではありません。これは純然たる事実ですから、今更「証拠が見つかったら」ということはありません(誰もそんなものを探していないので)。実際にお釈迦さまは「阿弥陀さま」やら「毘盧遮那仏」について言及していないのですから、「大乗非仏教説」はうなずける部分があります。

しかしお釈迦さまの教えの「エッセンス」を拡大解釈し、独自の宇宙観・世界観やら土着の民間宗教などの要素を付加して、大衆に分かりやすく説き直したもの……であると言われていますので、そういう意味では完全否定してしまうのはどうかなあと、個人的には思います。

お釈迦さまは教えを文字として残しませんでしたから、そういう意味ではすべて「弟子」というフィルターを通したものです。

その中でも、質問者さんのおっしゃる「小乗仏教」は、直接お釈迦さまから教えを聞いた直弟子たちが“会議”を開いて、「私はこう聞いた、これで間違いないか」「間違いない」……という具合にいちいち確認して編纂され、残されたものです。
ですから、一番、お釈迦さまの教えに近いとされています。

しかし、先に書いたように、弟子のフィルターを通しているわけですから、お釈迦さまの真実が...続きを読む

Q【宗教の教祖】イエスキリストやブッダなど宗教の教祖たちは若い頃に悩みは無かったのでしょうか?教典

【宗教の教祖】イエスキリストやブッダなど宗教の教祖たちは若い頃に悩みは無かったのでしょうか?

教典や昔の資料に教祖が悩みを打ち明けているシーンはないのですか?

教祖たちの幼少期?若いときの悩みが知りたいです。

別に新興宗教でも良いです。教祖の悩みが知りたいです。

Aベストアンサー

ブッダは出家する時に、かなりなやんだそうです。参・手塚治虫氏の「ブッタ」


人気Q&Aランキング

おすすめ情報