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センター試験会場に高校の先生が出向いて、横断幕や激励のプラカードを持って激励する、というのが珍しくなくなってきたようです。
でも、これって、本当に受験生のためになっているのでしょうか。私自身は、以下の理由で好ましくないと思っています。(1)受験というのは、受験生自身の「たたかい」であるので、たとえ先生や保護者と言えど、介入すべきでない。前日までの様々な支援・激励はすべきだが、当日は本人に任せるべき。それが将来的に本人の自立につながっていく。(2)受験当日は、本人のペースで集中力を高めていくことが必要。他者がからむと、集中が乱れたり、甘えが出たりする。それは、テストの得点にも影響する。
私自身は、高校の先生が受験会場に来るような時代の受験生ではないので、経験を通しては言えませんが、もし今受験生だったら、上記(特に(2))の理由で来てほしくないと思うのです。
みなさんはどうお考えですか。受験生に関わらず、広くいろいろな方の意見を聞きたいと思います。

A 回答 (8件)

私の学校の先生は横断幕やプラカードを持って立っていたりはしませんでしたが、数人で目立つ位置に立って、声を掛ける程度の応援でした。


高校生にとってみれば人生を最も左右する試験ですので、かなり緊張します。そういうときって誰でもいいから話したいんですよね。ちょっと一言会話をするだけでものすごく気がラクになるんです。国立の前期試験は2日間孤独に受験したためかなり精神的に辛かったので、やはり励ましてくれる人がいるとありがたいな、と私は思います。
集中したければその後いくらでも時間があるわけですし、朝に声を掛けられたくらいで気分を害しているようでは長丁場を乗り越えられません。ま、生理的に受け付けないような先生が立ってたら話したくないかもしれませんが。
ちなみにセンターは各科目開始の20分か30分か忘れましたが、それくらい前から座らされて一人で戦うんです。だから朝から集中しっぱなしだと絶対に途中で集中力切れます。
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この回答へのお礼

先生に声をかけられて気分を害する、というほど、強い意味で言っているわけではないのですが、無意識のうちになんらかの影響があるのでは、と考えたわけです。もちろん、データなどの根拠を持って言っているのではありません。私もセンター(もっとも、私の時は共通1次試験と呼んでいましたが)を受けたことがあり、5教科7科目を二日にわたってやるつらさは味わいました。国立の2次試験(当時は前期・後期などなく、国公立は一つしか受験できませんでしたので、まさに一発勝負)や私立で知り合いの居ない中での受験も経験しました。それで、孤独だからこそ気合いが入った覚えがあるので、このような質問をするに至ったのです。

お礼日時:2006/01/25 23:58

(2)の理由でしたら、逆に「来て欲しい」という人の意見はどうなるのかな、と思います。


またセンセイたちがセンター試験会場に参集するのは、生徒(受験生)の支援だけでなく、お互いの情報交換の場でもあるのです。
地方高校の場合、地元大学の合格者数が学校評価の指標に直結します。お互いの所属する生徒の志願動向について情報を交換し、今後の(個別学力検査=いわゆる2次試験)出願に生かすのです。センター試験出願者が数名の「地方の地方」の場合は、ここの場での情報が参考になります。
進路畑(進路指導主事を経験した)の管理職は人事異動の情報集めをしているようですし...。
学校によっては二年生を引率し、受験会場を「見学」させるところもあります。

(1)については、「合格してナンボ」の点を考慮しなければと思います。自立できても志望校に合格できなくては一歩が踏み出せません。合格して自立ができない場合(自堕落になり留年してしまう...)、そこで「学ぶ」機会がえられるのではないでしょうか?

一見、「売名行為」ともとれる横断幕は、辟易しますがね...。
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この回答へのお礼

No8さんの意見を伺って、自分の意見が少し整理できたような気がします。最初に質問した際、自分の中で意見と感情がごっちゃになっていたようで、それが回答して下さる皆さんを混乱させたようです。
意見としては、「自立を促すことにつながらない」「甘えが出る恐れがある」というもので、自分の感情としては「だから、私だったら来てほしくない」というものでした。
さらに、私自身気づいたのは、No8さんの意見にあった「学校評価の指標に直結」「売名行為」という点が私の中でひっかかっていたということです。私は高校現場の情報が入って来やすい環境にいるので、「A高校が横断幕を掲げたから、ウチはのぼりを」「B高校より大きい横断幕と、多いのぼりと、多数の応援」という各校のライバル意識の下、年々「応援」がエスカレートしていくのを目の当たりにしているのです。だから、「それって、本当に受験生のため?受験生は喜んでいるかもしれないけど、それを学校が利用していることになるのでは?」という思いが心のどこかにあったのです。
これまで回答して下さった皆さんが「来てくれればうれしい」と言っておられるだけに、その気持ちを踏みにじる行為のような気がしたのかもしれません。

お礼日時:2006/01/26 00:15

横断幕にも激励の声にも、特に実利も実害もないと思います。

という前提の上に。

ここで、立場を変えて、寒い中、朝早くから他人の子のために出向いてくる先生方の気持ちを考えてみましょう! 先生方は、とにかく自分の教え子に頑張ってもらいたいのです。でももはや何ができるわけでもない、試験を受けるのは生徒さんです。せめてできることが生徒以上に早起きして会場にかけつけ、「頑張れ」の一声をかけることなのではないでしょうか。親だったら、試験時間にあわせて仏壇の前でひたすら拝むとか、深夜の神社に薄着に素足で百回詣でるとか、さい銭箱に一万円札を投げ入れちゃうとか、試験前にはカツ丼だとか、寒いのにアイスを食いまくるとか(よくとけるように)、そういう「祈り」って、有り難いものですよ。そういうのの延長に、激励の横断幕がある、と考えます。

まあ、そういうのが「うざい」んだよね、とか言われちゃうこともあるでしょうが、質問者さんは、そんな風に誰かのために祈ることってありませんか? 祈ったって、結果にはまるで影響しないことはわかっていますが、許してやって下さいな (^o^)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
別に「うざい」という意識はないのです(特に私自身が経験者ではないので)。来てもらってうれしい人もいるでしょうし。
誰かのために祈る、ということは、私自身もあるし、その気持ちはよくわかります。もちろん、それが結果に影響を与えないであろうことも。

ただ、私は、その激励や応援、祈りが、本番つまり本人が一人で立ち向かわなくてはならないその現場にまで持ち込まれることがひっかかるのです。
別にそんなこと、どうってことないだろう、気にする方がおかしいよと言われれば、そうかもしれませんが。

お礼日時:2006/01/25 23:47

今、大学1年のものです。


私の場合、試験会場では高校の先生は全くいませんでした。
それよりも自分の通っていた予備校のスタッフが多くいました。
私は、先生が来てくれたら来てくれたで嬉しく思うかな、と思います。
お世話になっていた先生だったら、なおさら・・・。
先生に「頑張れよ!」って言われるだけで身がひきしまる思いが
します。
逆にそれで集中がきれたりするようならば、合格なんて到底
むりだと思います。
ようは、知り合いには会わないほうが良いって感じになってしまうと思うので。
残念ながら、センター試験などでしたらほぼ確実に知り合いには会いますし。
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自分の会場には高校の先生よりも予備校の講師やスタッフが多く来ていましたが、生徒にとっては本当に励みになるものだと思います。



>~それが将来的に本人の自立につながっていく。
これは、
たとえば初めての受験で不安を抱えた生徒がいたが、会場に向かうと先生がいて応援してくれて安心できた、が、そんなことでは後に就職など大事な試験を控えている時、応援に来る人がいなくても対応できるのか?
こういう意味でしょうか?(すごく引っかかったフレーズだったんです。違っていたらすみません)
そういう意味であるなら、確かにそうかもしれない、と頷けますね。

>他者がからむと、集中が乱れたり、甘えが出たりする
からむって…。どのようにお考えかわかりませんが、からむというほど干渉はしませんよ(笑)少々大げさかと…。
「頑張れよ!!」とカツを入れてくれる程度です。私の経験上でしか言えませんが…。
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この回答へのお礼

「本人の自立」というのは、おっしゃる通りの意味です。説明不足ですみません。
「他者がからむ」というのは、誰か(ここでは先生)がちょっかいを出すとか、しつこく話をしてくるという意味ではなく、意識の中に他者が入ってくる、という意味です。もし私が受験生だったら、それはいやだな(例え好きで信頼している先生でも)と思うので、このような質問をしてみたわけです。

お礼日時:2006/01/25 23:37

先生が来る程度で集中力が途切れるとは到底考えられません。

横断幕やプラカードはちょっとウザい気もしますが、お世話になった先生に「頑張れよ」って言ってもらうとやはり気が引き締まりました。

親や先生からの支援・激励と、自立とはまた別次元の話だと思いますし、「甘えが出る」というのも少々飛びすぎた意見だと思います。
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「甘え」と「頼りにする」がごっちゃになっていませんか?甘えとは「どうにかできるのにやらない」、頼りにする「どうにもできないので出来ない」です。

相談は、甘えではありません。受験は失敗できないとういう緊張から、普段しないような失敗もします。それを少しでも補ってやりたいという先生の心だと思います。私は先生がいることでのデメリットは無いと思います。(嫌いな先生がいたら嫌ですが)
先生も相談されて、入試事務局で解決できることならそっちに言えと言うでしょう。入試事務局で解決できないことには力になってくれるでしょう。
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大学生です。


自分の経験から言うと、それくらいで集中力や甘え云々の問題になるようでしたら受験は上手くいきっこないです。また、試験に向けて親身になってくれた先生が来てくれるとうれしいかもしれません。(これは先生の好き嫌いによります)
度の過ぎた横断幕や激励は困りものですが、先生が会場にいることで何か問題が起こったときに相談できるというメリットもあると思うのですが?
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
そうですか、やっぱりうれしいものなんですか。
問題が起こったとき、については、基本的に入試事務局が対応してくれるはずなので、高校の先生は必要ないような気もします。知っている人の方が相談しやすいのでしょうが、私の感覚では、それこそが甘え、と思うので。

お礼日時:2006/01/22 22:39

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