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上杉謙信が禅を学び、上杉家の菩提寺であった春日山林泉寺のことを調べています。
上杉謙信の死後、子の景勝が秀吉によって会津に移封されるのが慶長3年(1598年)、関ケ原の合戦以後、米沢に減封されるのが慶長6年(1601年)になります。林泉寺は景勝に従って会津→米沢と移転したというのが定説で、米沢市に林泉寺は現存していますが、林泉寺が景勝に従って越後を出て会津に移ったとする明確な資料が見つからず困っています。
越後(新潟県)に残っている林泉寺は、上杉家の後に春日山城主となった堀秀治が堀家の菩提寺と定め、すぐに再興するのですが、会津に移ったとされる林泉寺の記録は、私が探した範囲では見つかりませんでした。
現在の米沢にある林泉寺は元和3年(1617年)に現在地に移ったとされるだけで、慶長3年の越後出国から会津→米沢と移動した約20年間の様子がはっきりしません。
どなたか、この期間の会津・米沢の林泉寺の動きに関する情報をお持ちでしたら、ご教示ください。よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

 私も寺の住職ですが、時々藩政や郷土史を調べている方から昔の檀家の方について問い合わせがあります。

当寺の場合、江戸時代の2度の火災に遭い記録的な書類が残っておらず、また都市計画に伴う区画整理事業があった際、いわゆる無縁となった墓石を撤去せざるを得なかったので金石文調査もあまり出来ないため、そういうご期待に添えませんでした。
 また、私自身自分の研究目的から地方史史料を探した経験がありますが、歴史研究をしようとしても、近世中期以前の地誌や地方史史料というのは意外と少ないものです。

 林泉寺様は末寺も多く江戸時代には僧禄も務めた名刹ですから多くの資料が残っている可能性もありますが、火災等に遭うとほとんど残ってないという場合もあります。
 直接、書面にて林泉寺様へ問い合わせて見られたら良いと思います。その場合、質問者さんの調査を趣旨を説明し、どの範囲の史料まで読まれたいるかを明示して問い合わせた方が良いと思います。
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この回答へのお礼

貴重なアドバイスありがとうございました。
林泉寺様は上杉家と一緒に会津、米沢に移転したとするのが定説のようですが、
(1)禅宗では嗣法の大切な証である師承の袈裟は新潟の林泉寺に伝えられている。
(2)また、会津では若松城内に謙信の廟所を築いたという記録はあっても、城内・城下のいずれかに林泉寺が寺域を得たという記録はない。
(3)米沢移転後も、慶長9年に甲州夫人菊姫が林泉寺に葬られたという記録があるだけで(これも後代の改葬説があります)、はっきりした寺域が確定するのは元和3年に現在地に移転してからといわれる。
などから、林泉寺の移転は、上杉家の米沢転封後、かなり時間がたって家中が落ち着いてから呼び寄せられた、もしくは、同じ名前で新たに創建したのではないか、と考えています。
素人の片手間調べですので、大きな穴があるかも知れませんが、頂戴したアドバイスを参考にさせて頂き、調べていきたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/30 10:15

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