綾小路きみまろさんって平安時代のお公家さんの名前をもらったのですか?平安時代のきみまろさんは少しいわくつきの人なのに。音がよかったからかな。

A 回答 (1件)

ネタだけでなく名前も盗作らしいです。


本人がおっしゃってるようです。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_11/g2004112706. …

参考URL:http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_11/g2004112706. …
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この回答へのお礼

やはりそうですか、どうもありがとうございます。

お礼日時:2006/02/03 22:03

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Aベストアンサー

綾小路きみまろさんのライブは大変面白いそうなので人気があります。
YAHOO!チケットのサイトに綾小路きみまろさんのライブが16件ありましたよ。
参考URLの地域は全国に合わせてあります。
ただし、売り切れもありますからご注意ください。
あなたのお住まいの近くにあるといいですね。

参考URL:http://tickets.yahoo.co.jp/keyword_list?p=%B0%BD%BE%AE%CF%A9&hi=1&a=00&dg=00&sg=00000

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ご存知の方、是非ともお教えください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>平安時代、鎌倉時代、室町時代などと、一般常識としてそれぞれの時代に名称がありますが、それを名付け、且つ特定の日時をその時代名称の変わり目と定めた人物又は団体とは、一体誰(何)なのでしょうか。

明治5年の学制により学校制度が作られて以降、小学校への就学を促進するための親に対する啓蒙的な教育として、1885(明治18年)に「通俗教育」が初めて文部省の事務章程に規定されました。
この、全国民的な学校教育が開始され、それまでの「寺子屋」での「読み書き」「算盤」から、いわゆる、「国語」「算数」「理科」「社会」
を教えることとなり、この中の「社会」で、「歴史」を教える段階で、誰もが理解しやすいように、「鎌倉時代」とか「室町時代」「戦国時代」「江戸時代」等を区切って教えるようになったのが始まりのようです。

ちなみに、「通俗教育」とは、
通俗教育は当初、就学奨励を目的として、親に対して学校や教育の重要性について通俗的に語ることから始まったが、合わせて親や住民に対する国民としての啓蒙的な教育としての意味もあった。日清戦争以降、小学校の就学率は急速に上昇し、国民教育制度の確立が進んでいくが、それに伴って通俗教育の内容が、親への就学奨励を目的とする教育から民衆への啓蒙的な教育へと比重を移していく。特に1894(明治27)年8月に始まった日清戦争に際しては,国民の愛国心の形成や・「尚武教育」を目的とした幻灯会などが実施され,国民意識を鼓舞していく。

(よもやま話)
(1)江戸時代も後期になると、日本は教育世界一だったのです。
その頃のイギリスでは教育普及率が20%位、フランスにいたっては1.4%。ところが、日本では85%でした。

(2)日本人は大概の人が文字を読んだり書いたりできました。

(3)従って、「かわら版」や「絵草子」などが庶民にも読めたのです。また、「三下り半(離縁状)」なども、庶民は書くことができたのです。

(4)江戸時代も末期になり、アメリカやイギリス等々の外国人が日本に「上陸?」しましたが、これほどまでに庶民が文字を書いたり、読めたりすることには、非常な驚きであった、と、言われています。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>平安時代、鎌倉時代、室町時代などと、一般常識としてそれぞれの時代に名称がありますが、それを名付け、且つ特定の日時をその時代名称の変わり目と定めた人物又は団体とは、一体誰(何)なのでしょうか。

明治5年の学制により学校制度が作られて以降、小学校への就学を促進するための親に対する啓蒙的な教育として、1885(明治18年)に「通俗教育」が初めて文部省の事務章程に規定されました。
この、全国民的な学校教育が開始され、それまでの「寺子屋」...続きを読む

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「平安時代は、平安な時代ではなかった」と言われるくらい悪がはびこった時代だと思いますよ。

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ヤフオク以外でしたら・・・、
ファンサイトの掲示板にチケット売買のコーナーがあったりしますので、
「綾小路きみまろ」で検索されてみてはいかがでしょうか?

あと、最近ぴあなどで発売した公演でしたら、引き換え忘れた方のキャンセル分のチケットがあったりしますので、問い合わせて見るといつ発売するのか教えてくれます。
キャンセル分は必ずあるわけじゃないですが、以前、ローソンチケットのキャンセル分が、次の日曜の午前6時に出ると言われ、取れたことがありますので。

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平安時代の源氏、平氏、藤原氏の勢力分布について教えてください。

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こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

(1)大宝元年(701)に制定された「大宝律令」のもとでの朝廷を支える役目として「貴族」が生まれましたが、三位以上を「貴」と呼び、四、五位を「通貴」と呼びました。「貴」は上流貴族として、「通貴」は中流、下流貴族に位置づけられました。
この頃の大和政権下で国政審議に参与する貴族たちを「議政官(公卿)」といい、安倍氏、大伴氏、藤原氏、多治比氏、紀氏、巨勢(こせ)氏、石川氏で、各氏(うじ)からは1人代表として出ることになっていましたが、やがては、藤原氏の勢力分布の拡大と他の氏の没落などもあり、藤原氏から何人も議政官を出すようになり、藤原氏が栄華を極めるようになりました。

(2)やがて、地方豪族が「国司」に任命され、私的に富を蓄財し、有力貴族に貢納することにより中央への進出を果たしました。そして、藤原氏、源氏、橘氏、清原氏、菅原氏などが台頭してきました。彼らの所領地として代表的なのは、
藤原氏・・・大和地方一帯(京都、奈良などの一部)、伊勢、加賀、備後、近江、佐野、佐渡など。
源氏・・・・畿内、摂津、河内、甲斐、常陸、下野、上野、信濃など。
橘氏・・・・筑後など。
清原氏・・・出羽など。
菅原氏・・・大和国菅原邑(むら)など。

(3)この内、清原氏と菅原氏は衰退をし、代わって登場したのが平氏でした。桓武天皇の頃より「源」「平」「藤(藤原)」「橘」が有力貴族となり、政治に関与しました。と今なお有力貴族として語られていますよね。
平氏・・・・東山、東海、山陽、南海道付近など。

(4)こうした人々は「平安貴族」と呼ばれ、収入源は必ずしも荘園だけではなく、むしろ、官職に応じて朝廷から給付される田地や禄などが主要収入で、この給与は莫大なものであったと言われています。記録としては、藤原北家(藤原良房)は、職田、位田、職封、位封、資人、季禄などで、現在の貨幣価値に換算しても3~5億円の収入があったとされています。

(5)その他としては、
弓削道鏡・・・・河内。
大伴国造・・・・武蔵国。

(6)なお、鎌倉幕府以前は、土地は全て「天皇(朝廷)の物」で、民は「貸し与えられた者」と位置付けられていたため(荘園制度)、朝廷内で功績のあった者への褒美などとして、次々と切り取られたりしましたので、いわゆる、国としての国境などもはっきりせず、また、国司もその時々の勢力によりコロコロと代わっており、鎌倉時代以降のように国の境目がありませんでした。足利幕府後期~戦国時代になり、荘園制度の崩壊とあいまって、初めて国境(くにざかい)が取り沙汰されるようになりました。

(7)従って、平安時代(それ以前も)の勢力図は定まった国司が定まった国を支配していたわけではありませんので、おそらく、勢力分布図などは皆無に等しいと思います。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

(1)大宝元年(701)に制定された「大宝律令」のもとでの朝廷を支える役目として「貴族」が生まれましたが、三位以上を「貴」と呼び、四、五位を「通貴」と呼びました。「貴」は上流貴族として、「通貴」は中流、下流貴族に位置づけられました。
この頃の大和政権下で国政審議に参与する貴族たちを「議政官(公卿)」といい、安倍氏、大伴氏、藤原氏、多治比氏、紀氏、巨勢(こせ)氏、石川氏で、各氏(うじ)からは1人代表として出ることになっていました...続きを読む

Q綾小路きみまろ

綾小路きみまろさんって平安時代のお公家さんの名前をもらったのですか?平安時代のきみまろさんは少しいわくつきの人なのに。音がよかったからかな。

Aベストアンサー

ネタだけでなく名前も盗作らしいです。
本人がおっしゃってるようです。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_11/g2004112706.html

参考URL:http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_11/g2004112706.html

Q江戸時代の公家の女性

江戸時代の公家というのはあまりドラマなどでも題材に取り上げられないのですが、特に女性はどのような姿をしていたかが気になります。
以前テレビドラマ「大奥」では、和宮や和宮の侍女たちは平安時代のままの十二単のような服装でしたが、結髪が普通になった時代でも公家の女性は垂髪だったのでしょうか。
また、小袖は公家の女性には着られなかったのでしょうか。そして袴ははいていたのでしょうか。
ちなみに↓のようなサイトも見つけました。
http://www.iz2.or.jp/fukusyoku/kosode/21.htm
若い公家の女性の服装は、大名の姫君とあまり変わらなかったのでしょうかね?

Aベストアンサー

お礼をありがとうございます。

> 時代劇などで農民の女性が結髪しているのは間違いなんですね。
うーん。
「間違い」と言われてしまうと悩んでしまうのですが…。
自分が書いた回答を後から読み直して、「『農民』とひとくちに言っても、名字帯刀を許された大名主や庄屋みたいな農民もいれば、水呑百姓のような農民もいるなぁ。」と考えました。
裕福な、農民といっても小作人に農作業をさせて、自ら農作業をしない(現代の)経営者のような農民の奥方ならば、髪を結う余裕もあっただろうし、その日の食べ物にも困るような百姓ならば、髪を結うような余裕は、時間的にもなかったのではないかな-と。

いろいろ調べているうちに、
> 農民等は「束髪」が「普通」
とも言い切れないのかなぁ、と感じました。
私は、「労働の邪魔になる髪を1まとめにして束ねる」ことの意味で「束髪」と書きましたが、それを「結髪」と説明してある文献やサイトもあったものですから。
maddy-kz23さんがおっしゃっている「結髪」が、特に『江戸時代の中期から後期に一種の芸術の域にまで達した結髪』のことではなくて、『働く時に邪魔な髪の毛を束ねておくという自然な形での結髪(この中には束髪も含まれる)』のことを言われているのでしたら、確かに「結髪が普通」ということになりますが、これは江戸時代に始まったことではないし…。

調べれば調べるほど、資料の少なさに驚かされます。
江戸時代って、現代から近いので衣装等は現存していても、写真がない時代ですから「どんな格好をしていたか。」は見ることができないんですよね。
「絵」などは、特定の地域の特定の階層の人間しか描かれていませんし。

> 公家の女性はやはり江戸時代を通じて下げ髪だったんでしょうか。
> つぶいち頭などは特別な例だったのでしょうかね。

こちらも、普段は下げ髪にしていて、行事ごとの時に「つぶいち(葵髱島田)」に結った-という可能性もありますし…。
京でも町方ですと、若い女性は島田髷を結っていたようですしね。
私自身、次から次へと疑問が沸いてきてしまいました(今度まとめて質問を出してみようかしら)。

いろいろ調べている間に、またまた、こんなサイトも見つけましたので、ご参考までに。
http://kouseimir.s97.xrea.com/yokocho/mc358/mc358.html
http://hana.merseine.nu/j/kamigata/kami_frame.htm
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6757/edokesyou03.html
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6757/nendaikesyou.html

お礼をありがとうございます。

> 時代劇などで農民の女性が結髪しているのは間違いなんですね。
うーん。
「間違い」と言われてしまうと悩んでしまうのですが…。
自分が書いた回答を後から読み直して、「『農民』とひとくちに言っても、名字帯刀を許された大名主や庄屋みたいな農民もいれば、水呑百姓のような農民もいるなぁ。」と考えました。
裕福な、農民といっても小作人に農作業をさせて、自ら農作業をしない(現代の)経営者のような農民の奥方ならば、髪を結う余裕もあっただろうし、その日の食べ物...続きを読む


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