[信じる者は救われる」と言いますが、これは宗教的な言葉なのでしょうか?

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A 回答 (2件)

starfloraさんの詳細な解説がありますので、蛇足になりますが、質問をもっと単純、ストレートに理解すれば次のようにもいえると思います。


「そうです。宗教的な表現です。特に我が国では明治以降に布教が盛んになったキリスト教との関係を想起させる表現です。」

現在は自説を信じてくれない相手を揶揄しながら「本当だよ、信じる者は救われるだ」などと使うこともありますね。
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  これは、この言葉・言い回しの起源がたくさん考えられて、何が元の語か分かりません。私見では、「宗教的な意味」として使われていることが多いのでしょうが、元々、宗教的な文脈以外でも成立していた言葉だと思います。ただ、言葉を古く辿って行くと、結局、広義の文化の規定に遡り、文化の規定は、古いものは、宗教と連関していますから、元の元はやはり宗教だとも言えます。
 
  「信じる」というのは、辞書だと四つぐらい意味があり、「本当だと考え疑わない」「信用する」「信頼する」「信仰する」で、この第四が宗教に関係します。信仰も、神や教えを信頼する、信用する、本当だと思い疑わないことかも知れませんが、こういう意味は、宗教から離れても成立します。
 
  友人や隣人を信用し、信頼することで、共同体秩序は維持され、人はその秩序のなかで、救われるという意味がもっとも基本的に考えられます。また個人の関係でも、友人などを信頼したり信用したして裏切られるとうこともありますが、やはり、信頼・信用してこそ、友人も友情で、助けてくれるのだとも言えます。友人関係だけでなく、人間関係はみなそうだとも言えます。神や仏も、その意味の延長で、信頼すれば、助けてくれる・救ってくれるということでしょう。
 
  また、人(や世界の秩序、宇宙のありよう)を信じられてこそ、自分自身の存在にも安定や自信が出てきて、自分を救うことになるという意味にもなります。人だけではなく、信頼や信用の心は、自己の救いになるということです。(自我の安定となり、自我は救われるということです)。
 
  キリスト教や仏教でも、信仰すれば救われるとなりますが、これは、もっと広い意味の「信」の「救い」の例でしょう。「救われる」というと宗教的な響きがありますが、人々がみな、わたしを疑っているなか、友人だけはどこまでもわたしを信じてくれ、その支えで救われた、とうような例の言い方があります。ここでは、宗教は一応関係がありません。
 
  従って、宗教とは別に、そういう表現が成立するということになります。しかし、最初に云ったように、共同体や人間関係の成立の基礎に、古い「原初宗教」のようなものがありますから、その意味なら、宗教的だとも言えます。ただ、そういう意味の宗教だと、政治も社会も経済も、哲学も思想も、何でも宗教的な一面を持っていることになります。
 
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