ぼくが今までつきあった彼女は考え方の違いから別れてしまうことが多いです。男と女は肉体的に違うのは分かるのですが、精神的な部分でも大きく違うように思えて仕方ありません。
 決定的な精神面の違いを、教えて下さい。ヨロシクお願いします。

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A 回答 (8件)

 No.4の方の回答と重複するかもしれませんが、社会学の「ジェンダー論」という観点から一言(哲学的観点から検討するにはやや無理があると思いましたので)。


 あなたが女性として生まれ育てられたらどのような人間になったか想像できますか。逆も然りで、あなたが女性の場合、男性として生まれ育てられていたらどのような男性になっていたか。
 こう想像して、描かれた女性像、男性像は、あなたの女性観、男性観に近いものと思われませんか?
 ところが、想像するのと、実際に、体験するのとでは、大きなギャップがあるように思うのです。このギャップこそが、それぞれの性が相手に期待するものと違い、大きな溝があるように感じるものではないでしょうか。
 そこが、あなたが感じている、精神的な違いかしら。
 ところで、ジェンダー論的に言えば、両親が、女として、男として、立派に育つよう期待し、育てますが、その両親も、一世代前の親が養育してきている訳です。そのとき、そのときの社会の風潮、価値観を反映しながら。
 ちなみに、女社会、男社会というくくりをすると、現代では、女社会の方が進歩的だと思いますが、斜めにみれば、保護されていたものがはずされ影響を受けやすい傾向があるとも言えそうです。
 
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私が常々感じていることはやはり「ジェンダー」による影響です。



女性は自分の人生のゆくえを、自分の裁量で決めて行動していくための
知識や考え方、その価値、その楽しさや苦労について、知らされることが
少なく、また、知ろうとすることを歓迎されていない雰囲気があります。

そのかわりに、家庭という限定された世界の中を切り盛りする技量に
ついて知り、上達することは大変歓迎されています。
それ以外には、異性を誘惑したり喜ばせたりすることで金品を得て
生活するという方向もあり、これは歓迎されるとまでは言いませんが
容認されています。でもこれも「男性社会」の中で消費される存在。

「ひとりで世間を渡る、自分で自分の人生設計をする」ことに対しては、
女性は抵抗を持つように、恐れをいだくように、関心を持たないように、と
教育機関や家庭から教えられて育つとわたしは感じています。

こういう傾向は、減ってきたとはいえ、今でも確実に存在します。

そういうわけで、その教育に従った考えで自分の幸せを追求すると、
パートナーの安定収入を望んだり、
パートナーの固定や独占を望んだり、
人生の重要な選択を放棄してその代償に安定した生活を求めたり、
することが多いのではないか、とわたしは思います。

ところで。そのように育てられていない、もしくは、
そういう教育を受けていても今の世の中、自分でやっていけそうだと
感じている女性もそれなりにいます。
あなたはもしかしたら、そういう人に会いたいのかもしれない。
そういう人はそういう人が快適な環境にいるはずです。
女性が一生続けられるような仕事についていたり、
そのための学習ができるところにいたり。
そういうところを探してみれば、出会えるかもしれませんよ。
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No.2の方と同じく、



「話を聞かない男、地図が読めない女 ―男脳・女脳が謎を解く―」

を一読してみることをオススメします。

この本を読んで、それでも納得できないことがあったらコメントをください。
私はこの本を読んで、「目からウロコ」が落ちました。
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あ~、僕もびりびり感じます。

男のセンス、女のセンス。
ありますよね。女の人は哲学に傾倒する場合が「少ない」ですよね。でも、男同士にしても、自分と似たような思考を持つ者というのは、とてもとても少ないと思います。
結局、男と女は相性が良いってことですよね。
有名な宗教始祖に女性はいませんし、著名な作曲家もいません。しかし、それは社会認知の問題であり、そういう歴史事実は何の証拠にもなりません。ソクラテスがデルフォイの神殿に訪ねましたが、応じたのは女性の預言者です。
天の父ですが、地なる母です。

>決定的な精神面の違いを、教えて下さい。
男の脳ミソは大きく、女の神経は太いと言います。
女は敏感で、男はよく知りえます。
両方持つ者が、最も人間らしいのではないでしょうか?
大脳の体積や、脳幹の太さを論じて、精神作用の違いは明白になるかもしれませんが、男と女にとっては、そのようなことは関係ないですよね。
僕の感想としては、肉体以外で性差をつけるなら、男は客体的で、女は主体的です。男は虚無におぼれやすく、女は私欲に支配されやすい。でも、人間らしい人間は、主体的でもあり、客体的でもある。また、そのどちらでもありません(笑。
虚無におぼれることなく、私欲に支配される事もない。
生きることでは、女性と男性を両方得る事が、良いのでは?と思います。
 恋愛に考えの違いは関係ないと思います。なぜなら、恋愛は、お互いの存在をかけたものであるからです。

哲学は男性に向いているでしょうし、言葉も男性の方がよくわかります。でも、女の人の目はよく見える目です。人間には両方あります。
だから、人間は本来的には両性類ってことかな?(笑
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まず理解していただきたいのは、専門家でない限り、哲学的な性差の差異は論じられないということです。

この点は、社会学の方がはるかに発達しています。
論じられるとすれば社会学や教育学、心理学のアプローチからになりますので、ご了承下さい。

進化生物学的には若干の違いがあるということです。
しかし、私は性差の本質は実は社会学・教育学的に還元されると考えています。
いわゆる「ジェンダー」(性の意味付けにおける差異)ですね。
つまり、「男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしく」と、学校教育や家庭教育の場で作られていくのです。
男子がおままごととか、女子がサッカーとかやりませんものね。
教室では男子は「くん」づけ、女子は「さん」づけになります。
家でも、家事は女の仕事ですよね。それを見て子どもは育つわけです。
結果として思い込みがどうなるかは言うまでもありません。
行き着く先は、性別役割分業です。男は仕事、女は家事というわけです。
分業のせいで世間にいることが重荷になるので、過労自殺者や引きこもりは、男性のほうが圧倒的に多いわけですね。
ついでに、職場でお茶くみは一般職女性の仕事でした。今はどうなのでしょう。

ついでに言えば、「母性本能」などという言葉もウソ。母性は本能ではなく、作られるものです。高校の家庭科の教科書にもそう書いてありました。
ここまで男女の差が否定できるのですから、別に哲学云々の問題ではないでしょう。
精神面は、教育で何とでもなるものですよ。教育とは、本来そういうものではありませんか?
ですから、tarohiさんがどうして「考え方の違いから別れてしまう」と思うのか、その根拠をはっきりしてもらわなければ、何とも言いようがないのです。

現在は女性のほうが発達が早いので、失礼ですが、もしかしたらtarohiさんの考え方のほうが女性のそれよりも未熟である、という結論だって導き出せるのです。女性のほうが自立心が強いのですよ。

もしそれをはっきり否定したければ、どういうことで別れてしまうのか、補足をいただけないでしょうか。可能な限りでお答えします。

以下はアドバイス。
納得がいかなければ、各地の社会教育施設で「女性センター」というところがありますから、そこで男女論に関する本を調べてみて下さい。東京なら足立区と世田谷区が充実しています。
図書館での分類は、「367」番になります。367で始まる数字の本を探してみて下さい。

ちなみに私は男性ですが、女性的なメンタリティを多分に兼ね備えています。
トランスジェンダーとか、トランスセクシュアリティと言って、ジェンダーやセクシュアリティが性と同一性を欠くこともあるのです。
教育現場では触れられないマイノリティのことについてもあえて一言。
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Sweetbeansさんが、「話を聞かない男、地図が読めない女」を紹介されたので、私は「ベスト・パートナーになるために」をオススメします。


「ベスト・パートナーになるために
―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた」
ジョン グレイ (著), John Gray (原著), 大島 渚 (翻訳)
ISBN: 4837971768

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4837971 …
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こんばんは、tarohiさん。


この本などいかがでしょうか?
「話を聞かない男、地図が読めない女 
  ―男脳・女脳が謎を解く―」
 著者:アラン・ピーズ/バーバラ・ピーズ
 訳者:村松邦彦   主婦の友社
 ISBN4-07-226514-4

結構話題になった本で私も読みましたが、この本を読んでからは今まで「どうして?」と思っていた主人の言動にも納得がいくようになりました。
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 一番的特徴は、目先にとらわれ易いということでしょう。


 女性は、感情的に成りやすく、身体(あそこ)で考えるとかも申します。
 仏法では、一切の川のまがれるがごとく、女人の心はまがれりとか、女人は地獄の使いなり、能く仏の種子を断ずるとか、諸経に悪口されておるようです。
 それから、女性の特性として、「水」のように物を育む、きれいにする、一ヶ所にとどまらずとかいいます。
 あとは執念深い、嫉妬深いということで、浮気、他の女性が近付くことを嫌がります。
 如何ですか?
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Qうだつが上がらない

うだつ「の」上がらないと言いますが辞書にはうだつが上がらないと書いてあります。うだつ「の」上がらないでは間違いですか?
それからうだつが上がらないとは出世しないという意味で見た感じさえないという意味は含まれないんでしょうか?

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問1:
<うだつ「の」上がらないでは間違いですか?>

間違いとは言えません。

1.通常は「が」が使用されるのが慣用的です。

2.一方、格助詞「の」にも「主格」の用法があります。

3.主格の「の」は本来準体用法をつくる助詞として、述部が名詞にかかったり、その名詞が省略される語法で使われていました。
例:
「白き鳥の端と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食う」

ここでは「白き鳥の」の「の」が主格の格助詞で、主語として
「端と脚と赤き」
「しぎの大きさなる」
という2つの述部にかかっています。

そして、それぞれ「赤き」「大きさなる」という連体形止めになり、ここでは「(白き)鳥」という名詞が省略されているのです。この「主格の『の』+連体形+名詞の省略」の形を準体用法といいます。

4.現代語でも、この主格の「の」が用いられる場合は、「準体用法」の名残として、名詞を補うことが多く、省略されていても「名詞」が暗示されています。
例:
「頭の良い人」=「頭が良い、人」
「都合のいい時間」=「都合がいい、時間」

これらの「の」は主格の格助詞で「が」と同じ働きをします。しかし、通常は「人」「時間」などの名詞と共に使われる用法なのです。それが準体用法の名残と説明する理由です。

5.従って、「うだつの上がらない」という表現も間違いではありませんが、述部で言いきる叙述用法はなく、上記のように「準体用法」の名残を受けて、通常は名詞にかかるように限定用法として用いられるのが正しい用法です。
例:
「彼はうだつが上がらない」(O:叙述用法)
「彼はうだつの上がらない」(X:叙述用法)
「彼はうだつの上がらない人だ」(O:限定用法)


ご質問2:
<うだつが上がらないとは~見た感じさえないという意味は含まれないんでしょうか?>

含まれません。

1.「見た感じ冴えない」という印象は、「うだつが上がらない」の副次的な印象で、必然的な「=」の関係はありません。

2.つまり、
「うだつが上がらなくても見た感じは立派」
「うだつは上がる(出世している)のに見た感じは冴えない」
という例外も十分ありうるからです。

3.「うだつが上がらない」を使って「見た感じ冴えない」という意味と同義にするには、婉曲を表す語「そう」などを使って「うだつが上がらなさそう」などとすればいいでしょう。

4.ちなみにご存知だと思いますが、「うだつ」とは、徳島県の脇町で発祥した「隣家との境にある小屋根付きの火よけ壁」のことをいい、この建造にかなりの費用がかかったため、それが立つことは経済状態がよく商売繁盛を意味し、そこから「出世する」という意味で使われるようになったものです。

5.従って、「うだつが上がる」とは、文字通り「うだつを立てることができた」ことを意味しますから、「出世する」という直接的な事実としての言葉が使われるのです。「出世しそう」という予想・雰囲気ではありません。


以上ご参考までに。

はじめまして。

ご質問1:
<うだつ「の」上がらないでは間違いですか?>

間違いとは言えません。

1.通常は「が」が使用されるのが慣用的です。

2.一方、格助詞「の」にも「主格」の用法があります。

3.主格の「の」は本来準体用法をつくる助詞として、述部が名詞にかかったり、その名詞が省略される語法で使われていました。
例:
「白き鳥の端と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食う」

ここでは「白き鳥の」の「の」が主格の格助詞で、主語として
「端と脚と赤...続きを読む

Q精神的病気と肉体的病気

精神的病気は自らの意思で避けることができるが、

肉体的病気は避けることができない。

そう思いますか?

Aベストアンサー

精神的病気は自らの意思で避けることはできるが
今の社会の中では一般的にそういった教育がなされてないので
自分に対して無知であり、精神的な発達が未熟である。

ゆえに社会全体として考えたときに、学びが無く意思だけで避けることは無理がある。


肉体的病気の多くは精神的なものに由来するので、未熟さを克服できれば
その多くは避けることができる。

しかし、化学物質や放射線や強い電磁波などの物理的なものの影響での病気は避けられない。
それを避けるためには、回避策や対策を施行できる信頼できる社会を作り出すことが必要だが
それに至るには、やはり人間の多くが精神的に成熟した社会が必要となる。


人間が個々に自分の未熟さに気がついて、それを協力して改善しようとする社会を作り出さないと
病気は避けることができない。

そのことを人類として気がつくには、まだまだ機が熟していないかもしれない。
ここ数十年ではっきりしてくる現象だと思えるので、その激動を眼にすると思います。

人間としての存在が大きく変わる時期でしょうから、かなりの痛みが伴ったとしても
その変化を見届けるのは、今生きている私たちの責任だと思います。

社会的変化が終われば、人類はもっと発展するでしょうね。
それが楽しみでもあります。

そこまで見届けるほど、長生きしたいですね。

精神的病気は自らの意思で避けることはできるが
今の社会の中では一般的にそういった教育がなされてないので
自分に対して無知であり、精神的な発達が未熟である。

ゆえに社会全体として考えたときに、学びが無く意思だけで避けることは無理がある。


肉体的病気の多くは精神的なものに由来するので、未熟さを克服できれば
その多くは避けることができる。

しかし、化学物質や放射線や強い電磁波などの物理的なものの影響での病気は避けられない。
それを避けるためには、回避策や対策を施行できる信頼できる社...続きを読む

Q時給が上がらないのは、先輩が仕事を教えてくれないから

アルバイトの職場に勤めています。日に四時間勤務のパートなのですが、午前中、午後、夜間とシフトを組み、十人の女性が勤めています。(五十代中心、家庭の奥さんばかり)私は夜間の時間帯を主にしていますが、午後の時間のある女性(Sさんといいます)の陰口をよく耳にします。
最近、契約更新になったばかりなのですが、更新時に、評価で時給が少しづつ上がります。評価は三段階で、一段階十円づつで、一番よい評価でも、三十円です。
契約書の前に打診がありますが、それによると、今回、私は十円だけ上がりました。つまり、普通の評価なのだと思います。私としては、夕方から夜にかけて、一番忙しい時間帯に働いて、十円しか上がらないのは、少し残念なのですが、Sさんの噂を耳にしました。
「今回時給が上がらなかったんだって。時給が上がらないのは先輩の○さんが仕事を引き継いでくれたり、教えてくれないからだって言っていたって。」
同僚の一人が、陰で教えてくれました。
今はこういうご時勢です。パートの時給もなかなか上がらないでしょう。私は、Sさんに気にすることなんかないんだよ、不況なんだから、人件費も厳しいのだから、仕事があること自体、感謝しなければ、と言ってあげたくなりました。またこういう陰口を言う、同僚も世知辛いなと感じました。
パート同士も、そう凄い技術や能力の差があるわけではないので、先輩も獲得した仕事をなかなか渡さないのはわかりますが、時給が上がらないのは、先輩が仕事を教えないからという言い訳は通ると思いますか。
私とSさんは、入職して十ヶ月程度の差しかありません。Sさんのほうが先輩です。

アルバイトの職場に勤めています。日に四時間勤務のパートなのですが、午前中、午後、夜間とシフトを組み、十人の女性が勤めています。(五十代中心、家庭の奥さんばかり)私は夜間の時間帯を主にしていますが、午後の時間のある女性(Sさんといいます)の陰口をよく耳にします。
最近、契約更新になったばかりなのですが、更新時に、評価で時給が少しづつ上がります。評価は三段階で、一段階十円づつで、一番よい評価でも、三十円です。
契約書の前に打診がありますが、それによると、今回、私は十円だけ上が...続きを読む

Aベストアンサー

>時給が上がらないのは、先輩が仕事を教えないからという言い訳は通ると思いますか。

どんな世界でも、それはありえません。
「盗んででも覚える」のは基本の基本。

ウチの会社だったら、「先輩が仕事を教えないから」って言ったら
あと2年は給料が上がらないです。

こんな時代だからこそ、努力が収入になるのですよ。

Qキリスト教に身体的・肉体的修行はありますか?

日本の宗教の修行では、滝に打たれたり、熊野古道を走り回ったり
千日回峰行したりと、いろいろと肉体的な修行がありますが、
キリスト教にこういうのはありますか?

Aベストアンサー

カトリック信者です。No.4さんのご回答を受けて、回答します。
本日教会で神父様にも確認しましたので、わかる範囲でお答えします。

1.確かに、キリスト教には、修験道のように「滝に打たれる」とか、
禅寺での坐禅 
http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/sonota/taiken/taiken.htm(永平寺の例)
や比叡山廷暦寺の「千日回峰」行
のように厳しい修行は見当たらないようです。

昔は、むちうちの刑などもあり、日本の修道院の老齢の修道士によると、食堂の中央の石だたみのフロアの上で、「特別の修行」(何らかの罰ゲーム?)が行われた形跡もあるようですが、はるか昔のようです。

2.キリスト教では、特別の修行をやらなくても、よく「祈り」、正しく社会生活を送ることこそが「修行」と考えられているのではないかと思われます。

即ち、人里離れた山奥に仙人のように隠遁して神仏と向かい合う、といった特別な「修行」よりも、人々の集う「世の中」で、如何に上手に共同生活が送れるかの方に重点が置かれており、その共同生活の体験こそが修行と考えている、との神父様のコメントでした。
現に、カトリックの場合、聖職者を目指す神学校や、聖職者が集う修道院での団体生活を通じ、「共同生活をしっかり送れる能力」を鍛えることが最も重視されるということです。
人々と如何に上手に交流出来、司牧・宣教活動が出来るかが、聖職者の一番のミッションであり、「修行」の目的もそこにあるとの神父様のお言葉でした。

3.キリスト教で「修行」と言えば、まず思い浮かぶのは「修道院」の生活だと思います。
最も厳しい修道院といわれる厳律シトー会(トラピスト会)では、「祈り」と「労働」(バターなどの乳製品製造など)が重視され、今は多少緩和されたとはいえ、やはり世間との交流は制限し、「神との静かな対話」が生活の中心のようです。↓
http://www3.ocn.ne.jp/~trappist/monac.html

4.カトリックの場合は、「修行」というのとはちょっと違うかもしれませんが、「黙想」の集いも各所で行われており、自由参加ですが、日常の喧騒を離れて神に向かい、自分の心を見つめ直すいい機会だと思います。
又、カトリックでも、「坐禅」や「内観」が取り入れられています。
勿論全教会で行っている訳ではありませんが、「坐禅」や「内観」に通じている神父もおられますし、専門の道場もあります。↓
秋川神冥窟 http://www.ny-networking.com/Recovery/essay07.html
内観瞑想センター http://www.com-unity.co.jp/naikan/taiken.htm
又、坐禅を通じての禅宗との交流もあります。↓
http://www.hanazono.ac.jp/zenbukkyo/touzai

5.カトリックで広く行われている一般的な「修行」の行事と言えば、何と言っても、No.4さんが挙げられた「四旬節」(英語で「レント」)ではないでしょうか?
これは、「キリストが伝道活動を始める前に、40日間荒野で修行をし、悪魔の誘惑を退けた故事」に因み、イエス・キリストが十字架上で亡くなる前の40日間、なるべく生活を慎み、過食も控え、品行方正に過ごすように求められているものです。

四旬節の初日である「灰の水曜日」(2012年は2月22日)と「聖金曜日」(2012年は4月6日)の2回は、食事を控えめにすること(これを「大斎」という)と肉を食べない(これを「小斎」という)習慣があり、大斎は18歳以上60歳未満の健康な信徒、小斎は14歳以上の信徒が守る義務があります。(参考→ http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/lent.htm)

私は、今年、この内の「聖金曜日」に、親類の法事が入ってしまい、肉食モリモリの中華料理屋で食事をすることになりました。そこで困ってしまい、少し前、次の質問をこのサイトでいたしました。

カトリックで肉食禁止の日の言い訳の仕方
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7362287.html

今日、神父様にも相談した処、いや、それは社会生活を円滑に送ることを優先した方がよい、その日に守れなくても、自分なりに、日を変え、品を変え、ささやかな神の前での「犠牲」を払えばよい、と言われ、心が軽くなりました。

No.4さんご回答の末尾にある通り、新訳聖書マタイ伝六章16-18には、さあこれから断食をするぞ!とか祈るぞ!などとこれ見よがしに行うのではなく、誰にも気が付かれないように行うことが推奨されておりますので、やはり「形式」よりも、心の内の「実質」が伴えばよい、との解釈のようです。

最近は、一部の在俗修道院では、一人だけ、或いは数人の小所帯で、一般の住宅地のような所に住み、自給自足で、思い思いの犠牲(例えば酒を飲まない、肉を食べないなど)を払いながら、祈りと黙想と労働の日々を送っている所もあるようです。

6.ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、代表著書『プロテスタンティズムの精神と資本主義の精神』の中で、アメリカ独立後、イギリスから渡米した清教徒たちの「禁欲精神」が、単なる「禁欲のための禁欲」ではなく、私欲を超えた商売への精進に導き、資本主義を勃興させる起爆剤になったと述べています。人生の一時期の「修行」ではなく、一生を通じた禁欲精神(尤も、今のカトリックには、「禁欲」を前面に出す人は少数派ですが)や、労働や社会生活の中での人的交流などこそを「修行」と考える由縁がそこにあると思います。

以上、大変長文になり、申し訳ありません。
最後までお読みいただき、大変有難うございました。

カトリック信者です。No.4さんのご回答を受けて、回答します。
本日教会で神父様にも確認しましたので、わかる範囲でお答えします。

1.確かに、キリスト教には、修験道のように「滝に打たれる」とか、
禅寺での坐禅 
http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/sonota/taiken/taiken.htm(永平寺の例)
や比叡山廷暦寺の「千日回峰」行
のように厳しい修行は見当たらないようです。

昔は、むちうちの刑などもあり、日本の修道院の老齢の修道士によると、食堂の中央の石だたみのフロアの上で、「特別の修行」...続きを読む

Q一般事務の賞与が上がらないというのは本当ですか?

タイトルの通りなのですが、一般事務は賞与が上がらないのですか?
できる業務内容が増えてもですか?
業務範囲が広がり 会社に貢献しているのに、どこの会社でも賞与が上がらないのですか?
もちろん不景気だから一時的に上がらなくなるっていうならわかるのですが・・・
どこの会社でも100%、一般事務の給与は上がらないのですか?

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

はじめまして。
某企業で一般事務をしていました。
賞与は会社の業績によって決まる場合がほとんどですが、
「すべての会社で100%一般事務は賞与が上がらない」
ということはあり得ません。
なぜなら、私の賞与は順調に上がっていましたから。
もちろん。この不景気に突入する前は他企業に勤める
友人の賞与も上がっていました。

しかし、会社によって人事考課のあり方も業績の指標も異なりますし、
おっしゃっているように、こういう時期ですから、
残念ながら「年次が進めば上がる」とも言えません。

Q「勤勉な人、思慮深い人、頭の良い人程、精神的に弱い。」は違いますか?

「真面目な人や思慮深い人は、色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい。ストレスに弱い。」と言う論理展開を前提に、

「真面目な人や頭が良い人は、あれこれと考えて倦む癖があるから精神的に弱い。」ものなのでしょうか?

頭ばかりでくねくねと考える人間は、良く「ストレスが溜まりやすい。」、「精神的に弱い。」と一般的には考えられますか?


良く「もう少し能天気になった方が良いぞ。」と言われるのは、
逆に「能天気な奴だなあ。だからストレス溜まらないんだろ。」とか「アホちゃうん。」とか言われる事が決まっているからもう良い、と考える人間も普通にいます。

完璧主義で読書好きで硬派で思慮深くて、その反面ストレスに弱い私のなのですが、「程々にするのは難しくて疲れるから。」「朗らかになり過ぎて決まった事を言われるのは、当の昔にもう飽きているから。」と、このように申しております。

ですが、必ずしも二律背反にはなりませんよね?
「ストレスにも強くて頭も良い人」、「ストレスにも強くて精神的にも強い人」は勿論いますね。


ですので「いつもあっけらかんとしているから、嫌な事があっても記憶力や拘るだけの脳が不足しているから精神的に強い。ストレスに強い。」だとか、
「物事を一人、頭の中で深く追求する癖があるから、頭の良い人は精神的に弱い。ストレスが溜まりやすい。」
と一概には言えませんよね?

もしそうでなければ、
「アホは嫌い。賢い人が良いなあ。」とか言っておきながら、その傍らで「ストレス溜めるな。もっと精神的に強くなれよ。」等と垂れているような人の話は、聞きたくありませんので。

「真面目な人や思慮深い人は、色々な事をあれこれと深く考えてストレスが溜まりやすい。ストレスに弱い。」と言う論理展開を前提に、

「真面目な人や頭が良い人は、あれこれと考えて倦む癖があるから精神的に弱い。」ものなのでしょうか?

頭ばかりでくねくねと考える人間は、良く「ストレスが溜まりやすい。」、「精神的に弱い。」と一般的には考えられますか?


良く「もう少し能天気になった方が良いぞ。」と言われるのは、
逆に「能天気な奴だなあ。だからストレス溜まらないんだろ。」とか「アホ...続きを読む

Aベストアンサー

>勤勉、思慮深い、頭が良い人が精神的に弱いか?

 人間の脳は機能的には大差はありません。それ以前に、その脳細胞の10%しか使用されてないという話もあるくらいですから、脳の能力の個人差など問題ではありません。
 つまりこの場合、勤勉、思慮深いなどの、性格的特徴について、それが心の弱さを伴うのか、を論じなければなりません。元々「頭の良い人」など居ないと思われます。思いの強さ、努力などにより、インスピレーションや、論考能力のセンスを身に付けるのです。「頭の良い人」を決め付けると、傷付く人が存在することに配慮して、言葉を選ばれた方がよろしいかと思われます。

 勤勉、思慮深いという性格的特徴が、心の弱さを伴うのか?。
 これは、逆に辿ってゆけば良いのです。心が弱い(この場合その定義を、ナイーブ、傷付きやすい、という事にさせて頂き、堕落し易いという意味ではないとさせて頂きます。ストレスもナイーブさが原因と思われます。)と、どうなりますでしょうか?。傷付かないような、努力をするのです。傷付かない努力は、勤勉、思慮深いという性格的特徴という、実りをもたらすのです。また、ナイーブで傷付きやすいなら、人の気持ちも分かると言えるでしょう。

 勤勉、思慮深いという性格的特徴は、心が弱いことからのみ派生する訳ではないと思われます。「人の役に立ちたい」、「人を助けたい」という強い思いも、勤勉、思慮深さを生む原因になり得ます。「どうしたら泥棒で捕まらないか」という事に執着する場合でも、勤勉、思慮深くなり得ますね(真面目ではないが)。そう考えると、勤勉、思慮深くなり得る原因など、無数に在るでしょう。
 その中には、精神的弱さと無関係の原因が多くあります。ですから、勤勉、思慮深いからといって、精神的に弱いとは限りません。

 傷付きやすい人は、その防衛策として、勤勉、思慮深くなる方法を選択する傾向がある、とは言えましょう。ただ、これも傾向であって、引きこもりを選択する人もいれば、立ち回りの上手さを選択する人も居ましょう。

 また、傷付きたくないので、強くなろうとして、格闘技を始めたりする人も居ましょう。

 勤勉、思慮深い原因などいくらでもあります。その全てが精神的に弱い筈がありません。

 あなたの精神的弱さは、ナイーブさの事であると思われますが、それは私の感覚では、弱さではありません。それは、様々な強くなる原因となる、素晴らしい心の可能性です。優しくて、強くて、思慮深い、素晴らしい人になれる可能性であるのです。

 本当の弱さとは、堕落することです。全ての可能性の実現を、邪魔するものです。

 そういったことを認識し、自分に自信を持って生きるのです。

>勤勉、思慮深い、頭が良い人が精神的に弱いか?

 人間の脳は機能的には大差はありません。それ以前に、その脳細胞の10%しか使用されてないという話もあるくらいですから、脳の能力の個人差など問題ではありません。
 つまりこの場合、勤勉、思慮深いなどの、性格的特徴について、それが心の弱さを伴うのか、を論じなければなりません。元々「頭の良い人」など居ないと思われます。思いの強さ、努力などにより、インスピレーションや、論考能力のセンスを身に付けるのです。「頭の良い人」を決め付ける...続きを読む

Q日本が好景気になるには不動産の地価が上がらないと好景気にはならないのでは?物価が上がって好景気と

日本が好景気になるには不動産の地価が上がらないと好景気にはならないのでは?

物価が上がって好景気とか円安で好景気とかなり得ない。

好景気になるには不動産の土地の価格が上がらないといけないがもう日本が戦後のように少子化で地価が上がることはないと思う。

よって日本に再度の好景気というのは起こらないと思います。

どれだけトヨタ自動車が好業績を収めても日本が好景気にはならない。

不動産の土地の価格が上がって好景気になった。

好景気になるには不動産の土地の価格が上がらないと起こりえない。

土地の価格が上がらないで好景気になるってあり得ますか?

Aベストアンサー

地価が上がれば好景気になるということではなくて、好景気になれば波及効果として地価が上がるということでは?
好景気はお金の循環が盛んになって、その余剰部分が不動産投機に走って、結果的に需要と供給の関係で値上がりするんだと思います。
そもそも、土地の値段が上がるためには、それを買う需要が増えなければいけません。そしてその需要を増やすためには、その原資となるお金巡りがよくなければいけません。

Q肉体|精神|社会関係これらの改質方法は

現状|希望|蓋然性
呼気|吐息|呼吸
えら|ぶい|なち
演繹|機能|発想
ずばりひっくり返った湯呑みと茶
現場の次は何

Aベストアンサー

補足ありがとうございます。

えらぶいなち→楽譜のくだりがよく理解できなかったので、ぼくはピアノ習ってますがヘタクソなので、まわりの音楽のプロフェッショナルに聞いてみます。自分なりの答えを導いてから、次どう対応するか、の答えを書きます。48時間以内にはがんばる。

ちなみに、この時点では、
ひっくり返った湯呑みと茶、現場の次は、
じゅうたんにしみがつかないようによく拭いて、もういちど正しい手順でお茶を淹れる
というのが、答えだと思います。
 
 
 

Q今の若いニートの子供たちが、いくら努力しても社会的地位や給与が、上がらない現実を知る時、日本社会の安

今の若いニートの子供たちが、いくら努力しても社会的地位や給与が、上がらない現実を知る時、日本社会の安定や平穏が、保てるのでしょうか?

Aベストアンサー

まず、努力しても社会的地位や給与が上がらないからニートになるのではなくて、ニートになってしまったが故に自ら努力する機会を放棄して、結果的に社会的地位や給与を得ることが出来ないんだと思います。
彼らが目指すべきは、社会的地位や給与ではなくて、ニートから脱却するための努力です。
スタートラインにも立っていないので、立つことの努力をすべきです。

Q人間・精神的に進歩しようとする人と、そうでない人の違いは?

ある人は人間・精神的に常に進歩しようとする。
その為に本を読み、己の行動を見直し、常に改善点を探し、あらゆる探求をする。
一方で、ある人は人間・精神的に余り進歩しようとしない。
仕事をこなし、自分の仕事の改善の余地を探さず、唯与えられた仕事をこなす。

この人たちの意識的根本精神の差(哲学?)と原因(野望?虚栄?志?渇望?欲求?など考えられます)など(←補足があれば付け加えてください。)はどこにあると思いますか?

Aベストアンサー

NO3です。
「我を忘れる」はある意味で正解ですが、そうすると自らが生きて、そして存在しているただそれだけのことに喜びを感じる境地に達します。
つまり結果は正反対です。
なぜこうなるかと言うと、実は無意識世界の住人たちは現実をあなたを通してしか自覚できないで、そもそも自我が希薄だからです。
無意識があなた(意識)の存在を自覚すればするほど生きている自覚が強まります。この情報を無意識(脳内)にインプットする言葉は正反対のお題目で「我を忘れる」になります。

真実の人間らしさとはすなわち「仏」ですから、煩悩と付き合う義理や責任能力は意識(あなた自身)にはありませんので、とにかく健康な無意識と仲良くするこつを覚えることです。これは簡単で、そのように願うことだけです。
ちなみに煩悩の本質は悪意として無意識下では認識しているはずです。
この悪意の本質や何を望んでいるかは、仏たる人間性を体現できるあなた自身には、煩悩としてどのような悩みや迷いを体験しても結局は理解できません。健康な無意識には悪意は目の前にいる悪魔として写るので観察可能です。したがって悪意を追い出す葛藤は全て水面下で行うのが正解で、煩悩として浮き上がってきてあなたを惑わす行為は場外乱闘のようなものです。

NO3です。
「我を忘れる」はある意味で正解ですが、そうすると自らが生きて、そして存在しているただそれだけのことに喜びを感じる境地に達します。
つまり結果は正反対です。
なぜこうなるかと言うと、実は無意識世界の住人たちは現実をあなたを通してしか自覚できないで、そもそも自我が希薄だからです。
無意識があなた(意識)の存在を自覚すればするほど生きている自覚が強まります。この情報を無意識(脳内)にインプットする言葉は正反対のお題目で「我を忘れる」になります。

真実の人間らしさとは...続きを読む


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