過去の女性天皇の名前

A 回答 (4件)

こっちも、まあまあ見易いかな。



参考URL:http://www.nipponkaigi-tokyo.com/rekidai.html
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この回答へのお礼

大変詳しく有り難うございました。
たいへん参考になり、早速コピーしました。

お礼日時:2002/01/10 19:52

 


  それは過去に同趣旨の質問があります。「天皇 女性」などで、「質問検索」で検索してみてください。以下のURLは、持統天皇についての質問ですが、わたしの回答として、近世の二人の女帝「明正天皇」と「後桜町天皇」以外の古代の女帝についてのリストがあり、また、古代のある時期に女帝が集中していることの理由についても簡単に述べています。……その帝号・贈り名の意味についての私見を簡単に記しています。(古代の女帝は、「中継ぎのすめらみこと」として皇位に昇った人が多いのです。しかし、単にそれだけには留まらなかったということもあります。古代には、天皇権力が確かに存在し、そのため、女帝もまた出現したのであり、女帝には、実質の権力を備えている方がおられました)。
 
  すでに他の方が返答されていますが、補足として記します。
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=183731
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33代・・・推古天皇


35代・・・皇極天皇
37代・・・斉明天皇(35代と37代は同じ人物)
41代・・・持統天皇
43代・・・元明天皇
44代・・・元正天皇
46代・・・孝謙天皇
48代・・・称徳天皇(46代と48代は同じ人物)
109代・・・明正天皇
117代・・・後桜町天皇

の延べ10人(人物としては8人)です。
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この回答へのお礼

早速教えていただき有り難う御座いました!
やっとスッキリしました!

お礼日時:2002/01/09 22:38

参考になりますか



参考URL:http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/history/jo …
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この回答へのお礼

教えていただき、ありがとう御座いました!
また、たいへん見やすく一覧表にしてくださり感謝です。

お礼日時:2002/01/10 19:37

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Q魔性の女というのは聞くが、魔性の体というのは???

先日、職場の同僚達、数名で気楽な飲み会を催した席での話しですが、
男だらけの飲み会だと、つい女性談になったりするもので、
そんな時、一人の同僚がぽつんと「魔性の体を持つ女っているんだよな」って。

いわゆる名器とか、そういうのじゃないらしいのです。
魔性の女っていう感じとも違う。

体が魔性・・・うーん。どういう女性なんだろう?

死ぬ前に一度出会ってみたい気もしますが(笑)

皆さん、魔性の体を持つ女性に出会ったことはありますか?

魔性の体とは・・・どういうものなのでしょう。

Aベストアンサー

お互いが凄く気が狂ったように感じ合えたのでしょう
魔性の体に

そんな意味じゃないかなぁ

Q過去に女性天皇がいても万世一系なの?

「万世一系」の意味を教えてください。

高校日本史の授業では、推古帝など女性が天皇に就いた例や、本来の皇位継承者をさしおいて別の人間が即位した例もあった、と習いました。ぱっと見た感じ、「万世一系」とは違う気がします。どうなんでしょうか?

Aベストアンサー

現在問題になっているのは「女系天皇」であって、女性天皇ではないことをまずご理解ください。
愛子さまが即位された場合、父親は現皇太子さまですから「男系の女帝」になり、これは過去に数人みえます。
しかしながら父親が皇族ではない天皇は前例が無く、愛子さまが皇族の血を引かない一般庶民と結婚され、その子供が次代の天皇になられた場合、男女に関わらず史上初の「女系天皇」となり、遺伝子学者や伝統を重んじる方々から反対を受けています。
系図上は初代の神武天皇以来男系の子孫が皇位を継承してきましたが、全てが直系という訳ではありません。
例えば26代の継体天皇は近江に生まれ、越前で育った豪族ですが、前代の武烈天皇が子孫が無く亡くなった為に応神天皇の5世の孫という血統をかわれ、武烈天皇の姉の手白香皇女と結婚し皇統を継ぎました。
この場合も継体天皇自身は応神天皇の血を受けてますから男系になります。
ただ一説では天皇家とは無関係の他人で、武力クーデターで皇位を簒奪したのではないかとも言われています。
これは天武天皇もそういった説があることを付け加えておきます。
この説では中大兄皇子(天智天皇)は大海皇子(天武天皇)は実の兄弟とされているが、実は異父兄弟(或いは他人)で、正当な皇太子の大友皇子(弘文天皇)を殺して皇位を簒奪したのではないか・・・、という説も。
いずれにせよ「万世一系」というロマンがある以上、今の時代にそれを壊すことが正しいことかどうか、私は疑問をもっております。

現在問題になっているのは「女系天皇」であって、女性天皇ではないことをまずご理解ください。
愛子さまが即位された場合、父親は現皇太子さまですから「男系の女帝」になり、これは過去に数人みえます。
しかしながら父親が皇族ではない天皇は前例が無く、愛子さまが皇族の血を引かない一般庶民と結婚され、その子供が次代の天皇になられた場合、男女に関わらず史上初の「女系天皇」となり、遺伝子学者や伝統を重んじる方々から反対を受けています。
系図上は初代の神武天皇以来男系の子孫が皇位を継承してき...続きを読む

Q本当の魔性の女とは

私はそういった方達との交流がないのか、本当の小悪魔、魔性の女というのはどういった感じの人達なのかわからないのです。身近にいる人は魔性ぶりたいだけのエセな人です。
身近でみたすごい魔性の女というのはどういった感じの人達でしたか。
本当はアンケートカテゴリかと思いましたが、あちらだと答えられる人が少ないかと思いました。
自分がそうだという人もどうぞ。

Aベストアンサー

私の周りにいる、魔性の女を紹介します。
美人で、仕事熱心で、話が上手で、歌がうまい。友達思いで、兄貴分肌の完璧な女性がいます。
意味合いとは違ってきますが、男に対してだけじゃなく、女性(女友達)の崇拝の的?って言うより信仰心すらあるように見えます。
彼女の意見は絶対で、彼女に対しての文句、アドバイスをするもんなら
確実に倍以上になって返ってきます。だから周りの人は何も言わない、いえない状況になっています。その周りにいる私の家内も、私の意見よりも彼女の意見のほうを優先し、私にとってはある意味魔性の女といえる存在です。
質問の意味合いと違う回答でゴメンナサイ。

Q持統天皇(高天原広野姫天皇)は女性なんですか?

こんにちは
過去に女性の天皇が何人かおったそうなのですが
この方は女性天皇なのでしょうか?
教えてください
よろしくお願いします

Aベストアンサー

 
  持統というのは、無論女帝なのですから女性です。
  すでに色々な人が説明していますので、少し別の視点から、私見というか、考えていることを述べてみます。
 
  以下のURLは、万葉集に関連する時代の歴代天皇の名が載っていますが、欽明天皇から、順に歴代天皇を一覧で記すと次のようになります:
 
   欽明
   用明  (聖徳太子父)
   崇峻  (蘇我馬子に暗殺される)
女  推古  欽明皇后 摂政=聖徳太子
   舒明 
女  皇極  舒明皇后
   孝徳
女) 斉明  皇極重祚(皇極女帝と同一人) 
   天智  (中大兄皇子、斉明の皇子)
   弘文  (天智の庶子、大友皇子、天武に滅ぼされる)
   天武  (大海人皇子、斉明の皇子) 
女  持統  天武皇后 686 鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ) 天智の皇女 草壁の母
   文武  (草壁皇太子の皇子) 妃=藤原宮子
女  元明  (文武の母、草壁皇太子の妃) 
女  元正  (文武の姉、草壁皇太子の娘)
   聖武  (文武の皇子) 皇后=藤原光明子
女  孝謙  (聖武の皇女)
   淳仁  孝謙により廃、暗殺される
女) 称徳  孝謙重祚(孝謙と同一人) 非皇族弓削道鏡を天皇にしようとして失敗
 
  以上のリストで、天皇が19人いますが、この裡二人は、重祚で、先の天皇が、もう一度天皇位に昇ったので、同一人物です。19人の裡7人(15人のうち5人)が女帝で、15人の男性天皇のなかで、聖徳太子の父用明は在位が短く、崇峻、孝徳、弘文、淳仁は、天皇としての実権を持っていませんでした。それに対し、5人の女帝(推古、皇極=斉明、持統、元明、元正、孝謙=称徳)は、それぞれ実権を持ち、持統や称徳になると独裁女帝だとも言えます。これら5人のなかで、天皇の皇女で、女東宮(女性皇太子)から、天皇位についたのは、孝謙=称徳だけです。推古、皇極、持統は、皇后であったのが、夫の天皇が崩御した後、天皇位についたのです。また元明は皇太子妃で、元正は、草壁皇太子の娘で、天武の姉です。
 
  歴史上の女帝は、あと江戸時代に一人いたのと、もう一人いたのではないかと思いますが、極端に例外的です。以上の天皇表は、6世紀末から8世紀半ばまでですが、何故か、この時代に女帝がたくさんいたのです(と言っても、名称上7人、実質は5人ですが)。
 
  何故、女帝が多くいたのかは、律令制の確立と天皇制の確立の問題と密接な関係があるのですが、それ以外にも理由が考えられます。
 
  これらの天皇名は、贈り名として、天皇の死後、名付けられたものですが、聖武天皇以前の天皇については、贈り名の天皇名は、最初なかったはずです。これらは、一括して、多分、聖武の時か、その娘の称徳女帝の時に名付けたのだと考えられています。
 
  そこから、個人的な考えなのですが、これらの贈り名の天皇名には、意味があるはずなのです。天皇名を名付けた人にとっては、おそらく、出発点は、天智と天武の兄弟の天皇にあるはずなのです。天にも似た智慧と謀略の天皇が天智で、天にも似た智慧と武勇の天皇が天武です。そして天武以降の男性の天皇は、傀儡の淳仁を除くと、文武・聖武で、また、天武から聖武までの女帝は、持統・元明・元正です。天武・文武・聖武とは、どう考えても意図的にこういう名前にしたとしか思えませんし、持統・元明・元正は、確かに何かの意図があります。
 
  天智と天武の母は、皇極=斉明ですが、これは、「皇の極まり」「斉(ととのえ)明(あきらかに)」という意味があるように思えます。また元明は「元を明らかに」、元正は「元を正しく」の意味のようです。最後に持統は、「統を持する」の意味だと思えます。持統、元明、元正が何故こういう名なのか、持統の場合は、天智の系統を排除し、大津を排除し(大津皇子の謀反事件は、捏造だという説が有力です)、草壁の子(文武)に天皇位を渡すためであったのは明らかです。
 
  聖武の視点から見ると、持統がいたので、草壁の系統、つまり文武が天皇になれたのであり、元明・元正がいたので、文武の子の自分が天皇になれたのだということになります。自己の皇位継承性の保証として、元明・元正がいたとも言え、更に、その大本は、天武の皇后であった持統にあるとも言えます。
 
  聖武の娘の孝謙=称徳の後、天智系の天皇が即位します。持統から称徳までが、天武系統の天皇で、称徳の後、天智系に戻り、以降、天武系天皇は現れなくなります。従って、天武系天皇の皇統は、持統によって、維持され、開始されたとも言えます。これが、讃良皇女が持統天皇の名になった理由ではないかとも思えるのです。(なお、元明・元正の天皇位継承は、考えてみると奇妙なことです)。
 
  追記)持統には関係ありませんが、持統の孫の元正は、古代・中世では、美人の代表とされていました。平安中期の小野小町が、後に美人の代表になりますが、彼女の時代でも、絶世の美女というと、元正女帝と決まっていたということがあります。聖武の皇后で、皇族でもないのに初めて皇后となった光明皇后は、名前からして美人のように思えますが、元正の方が圧倒的に美女さとされていました。彼女は、独身を維持した皇女で、独身を維持した女帝であったので、余計に美女の名声高かったのかも知れません。
 

参考URL:http://www1.odn.ne.jp/~cbg28720/manyou/nenpyou.htm

 
  持統というのは、無論女帝なのですから女性です。
  すでに色々な人が説明していますので、少し別の視点から、私見というか、考えていることを述べてみます。
 
  以下のURLは、万葉集に関連する時代の歴代天皇の名が載っていますが、欽明天皇から、順に歴代天皇を一覧で記すと次のようになります:
 
   欽明
   用明  (聖徳太子父)
   崇峻  (蘇我馬子に暗殺される)
女  推古  欽明皇后 摂政=聖徳太子
   舒明 
女  皇極  舒明皇后
   孝徳
女)...続きを読む

Q悪女と魔性の女

こんにちは(^.^)
少し前にTVの番組で「魔性の女を退治しよう」とかいうコーナーがありまして(笑、私はこの番組のコーナーは前々から見てきまして、(番組的にはとてもおもしろいのでいいのですが笑)思ったことなんですが、このコーナーにでてくる女の子達は 「魔性の女」というよりも「悪女・性悪女」の部類に入るのではないかな?と感じました。
そこでみなさんに質問なのですが、「悪女・性悪女」と
「魔性の女」の違いを説明できるでしょうか?
いろんな意見を聞いてみたいです^^
よろしくおねがいいたします

Aベストアンサー

勝手な見解ですが、

>「悪女・性悪女」

は、性根が曲がってる。根本的に悪い人。性格・人間性がゆがんだ人。計算で動く女。

>「魔性の女」

無意識な色気のある良い女。自然と人が惹きつけられてしまう、魅力をまとった人。人が魅了される女。

って言うイメージですかね?

Qなんという名前ですか?(皇室、天皇、衣装)

なんという名前ですか?(皇室、天皇、衣装)

皇室(天皇や皇太子)が重要な儀式で着用するような衣装・・・<雛飾りの、お内裏様のような衣装です>・・・、はなんという名前ですか? もしくは、なんと言いますか?
(女性側は『十二単』ですが、男性側の衣装はなんと言うのか教えてください。)

Aベストアンサー

 十二単に対する用語はたぶん「衣冠束帯」、正確には「束帯(そくたい)」でしょう。
 ただし天皇陛下のみ礼装は「黄櫨染御袍(こうろぜんのほう、或いはこうろぜんのごほう)」です。
 これは今上帝のみ着用を許され、色も使うことは出来ません。所謂禁色。
 ですからお内裏様は金色の御報をお召しになっているはずなんですが……ヴァリエーションによって色々ありますね(笑)。
 雛人形自体が庶民文化に入って普及したからでしょうか?

Q魔性の女

魔性の女
ってみなさん、どんなイメージですか?

私の知人に一人そういう雰囲気の方がいらっしゃいます。
見た目は上品で清楚、美人なんですが、色気があり、同じ女性が見ても吸い込まれそうな怪しい雰囲気の方です。
勝手に魔性の女性のイメージを抱き、恋愛感を聞いてみると以外に「私は相手の色に染まりたい」との答えが返ってきました。でも、彼女は間違いなく(特に年上の)男性からモテます。

みなさんが想像される魔性ってどんな女性ですか?

Aベストアンサー

私の友達にも、質問者さんのおっしゃるような人がいるので
驚きました。

そうなんですよね。本当の魔性の女って、ただ肉感的なだけ
じゃなくて(友人は華奢な人です)、
「清楚なのに、色気」があって、「自分では(何も)望んでいない」
と言いながら、相手を惹きつける「引力」によって、
相手を支配できてしまう人なんですよね。

あの引力と色気がどこからくるのか、本当、「魔性」って不思議です。

Q歴代天皇とは違う名前をつけるのではないの?

今回、秋篠宮家に生まれた子供は悠仁親王となりました。

この、名前をつけるのは最近の皇族や、歴代の天皇とかぶらない用に決められるとのことですが、そこで少し疑問があります。

故高円宮の名前は「憲仁」。これは平安末期の高倉天皇と同じ名前です。

これはどうしてでしょうか?

Aベストアンサー

簡単に申し上げれば、絶対に同じ名前をつけてはいけないということはありません。が、常識では同じ名前をつけるなど、考えられない事です。例えば、我が国最後の女帝である後桜町天皇の名は、『智子』と書いて、『さとこ』と読みましたが、霊元天皇の名の『識仁(さとひと)』と音が通うために、『智子(としこ)』と後年名を改めた事があります。天皇になり名を変更するのは、光格天皇が完全に名を変えるという例もあります。(後小松天皇の名と音が通ったため。)

このように、名前を同じにするなど何か考えがなければもっての他であり、音が通うのですら良しとしない世界なのです。

高円宮さまの例で言えば、これは単純に間違えた・調べが足りなかったのだと思います。宮家ですから、さして問題はないものの、もし高円宮さまが即位されていたら、名前を変えたと思いますよ。

ご参考になれば幸いです。

Q「イイ女」「魔性の女」の定義とは?

男女共にお聞きします。
俗に言う「いい女」や「魔性の女」の定義ってなんですか?最近「魔性の女」などはよく雑誌で特集されてますが、イマイチ分からない感じです。個人差があるからでしょうか。

付き合ってる彼からはそう言われるのですが、自分では全くそう思いません。なので世間的にどうなのかを聞きたいのです。

ちなみに私の考える「いい女」「魔性の女」は
・経済的な自立
・健康な体(整えられたスタイルも含め)
・適度に良いルックス
・相手のことを考えられる思いやり
・男性を立てることを知っている
・その時々にあわせて、自分の押し引きの加減を知っている
・自分の気持ち、欲望に素直

今のとこ思いつくのはこんな感じですが。(私はあまり当たってません…)

出来れば「30歳前後の女性」と言う設定での「イイ女」「魔性の女」の定義をお聞きしたいです。
良ければ性別・年齢もお聞かせください。

Aベストアンサー

「イイ女」と「魔性の女」は重なる部分もあるけれども異なった概念だと思います。
私なりの定義を。

「イイ女」とは、男を幸福な気分、リリカル(抒情的)な気持ちにさせてくれる女性。
目と鼻の先の空間にいて、時間を共にすることが得がたい経験だと思わせてくれる。
いつも一緒にいても、常に新しい発見があるから、見ていて飽きることがありません。
基本的に建設的で、男を破滅に導く女性ではありません。むしろ創造させる女です。

一方「魔性の女」は、男の名誉、財産、友情、将来の展望をすべて犠牲にしてもよいと思わせ、
そして実際になげうたせる女性でしょう。男を吸い取り破滅させ、自分もやがて破滅していきます。
ファム・ファタルという言葉が比較的昔からあって、運命の女、宿命の女くらいの意味でしょうか、
西欧十九世紀末の文学や絵画、音楽などで大きく取り上げられた女性に対する嗜好の傾向で、
その現代版かな、などと勝手に想像しています(この概念そのものは洋の東西を問わず古くからあったはずです)。

自分の惚れ込んだ女によって破滅させられたいという潜在的な願望が男にはあるのかもしれません。
すべての男がそういう願望を持っているとは言えないでしょうし、
願望のある男も自ら好んで破滅に向かって飛び込むというよりも、
気がついたらのっぴきならなくなっていた、というのが実情というところでしょうが。

男というものは一般に抽象的に出来ていて、想像をたくましゅうする生き物のようです。
質問者さんが列挙されたような具体的で実際的なものはあまり見ていず、また見えません。
もちろん、女性のルックスや健康体であるかどうかは見ていますし、自分を立てられるとすぐのぼせ上がるし、
欲望に忠実な姿を見て「かわいいな」と感じます。
けれどもこれは片方の目で見ているだけで、もう一方の目はその女性に触発されて自分が勝手に作り上げた「ありうべき姿」理想像を見ています。

また、イイ女であるにしろ魔性の女であるにしろ、すべての男に当てはまるものではないと思います。
おのずから相性があって、ある男にとってある女はイイ女であり、別の男にとって別のある女は魔性の女です。
どんな女性を目の前にしても、魔性にもイイにも無縁な男もあるでしょう。

少し漠然とし過ぎますか?
しかし、具体的にも、一言でも言えない微妙なものではないかと思うのです。
そのわずかな違いが決定的なものでもあるのですが。

男のがわの視点から書かせてもらいました。

「イイ女」と「魔性の女」は重なる部分もあるけれども異なった概念だと思います。
私なりの定義を。

「イイ女」とは、男を幸福な気分、リリカル(抒情的)な気持ちにさせてくれる女性。
目と鼻の先の空間にいて、時間を共にすることが得がたい経験だと思わせてくれる。
いつも一緒にいても、常に新しい発見があるから、見ていて飽きることがありません。
基本的に建設的で、男を破滅に導く女性ではありません。むしろ創造させる女です。

一方「魔性の女」は、男の名誉、財産、友情、将来の展望をすべて...続きを読む

Q北朝の後円融天皇は南朝から「名前」を奪った?

(平安時代)宇多→醍醐→村上→円融
(南北朝時代)後宇多→後醍醐→後村上→

平安時代・南北朝時代の天皇の親子関係は以上の通りです。
で、後宇多の息子が「後円融」かと思ったら、その名は南朝ではなく
北朝に天皇に贈られてしまいました。
南朝天皇の名前の流れからすれば、後村上の息子の名前は後円融に
なりそうですが、それを奪い取った北朝の意図とは、もしかして
「南朝への当てつけ」なのでしょうか?
「先に貰ったぜ~ザマァ」みたいな感じですか?

北朝天皇はどうして流れに逆らうかのように「後円融」を名乗ったのでしょうか?

Aベストアンサー

 南北朝が合一して、ゆるぎない萬世一系の朝廷が復活したこと示すために、
元北朝帝ではあるが当時の今上(後小松)の父である上皇の死後、その諡号を
後円融天皇とし、南朝系天皇との皇統譜上の整合性持たせたというのが
当時の朝臣・幕府首脳の意図でしょう。

 当時は諡号なので、後円融天皇と称されるようになったのは、
後小松に譲位して、将軍義満の助言の元に院政を行い、
南北朝合一の翌年、崩御されてからですから。」

 


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