親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

なんか馬鹿な質問ですみません。

ぞくぞくと、現イスラエルに移民がやってきて
建国できたということが理解できません。

たとえば、日本で九州に別の国の人たちが大挙してやってきました。その人たちが、九州に、この土地はもともと我々のものであるから、我々の国である。と言って新しい国を建国しているようなものなのでしょうか?また、どのように統制をとって領土拡張したのでしょうか?そのとき日本は指をくわえて見ているだけだったのでしょうか?

質問が稚拙でわかりにくいかと思われますが、意を汲んで回答していただけるとありがたいです。私の理解に間違いがあれば指摘していただけると幸いです。

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A 回答 (7件)

シオニズムが活発になった背景には、19世紀末のロシアでのユダヤ人排斥運動(ポグロム)やフランスでのドレフュース迫害事件とアメリカに渡ったユダヤ人の経済的成功が大きな要因です。

アメリカのユダヤ人コミュニティは入植者の土地購入の資金援助をしていました。土地はアラブ人や入植していたトルコ人から買っていました。
前述のイギリスの三枚舌外交ですが、第一次大戦時にオスマントルコの国力衰退のために、1915年10月にカイロのマクマホン高等弁務官が「パレスチナを含むアラブ地域の独立」を条件にメッカの軍隊を寝返らせ、第三王子ファイサルがダマスカスを陥落させました。この時の幕僚がロレンス少佐です。つまりここでパレスチナのアラブ人に独立国家樹立を約束しています。(=マクマホン書簡)
その一方で、イギリス国内のユダヤ人代表であり大財閥のロスチャイルドにバルフォア外相が「パレスチナにナショナルホームを作るために最善の協力を約束」(=バルフォア宣言)して戦争資金の拠出をさせています。
が、裏ではフランスとの統治の密約(サイクスピコ秘密協定)を結んでいました。
第一次大戦後の1922年、サイクスピコを公式決定したのですが、国内のユダヤ人やアメリカとの友好関係を考えて、バルフォア宣言だけを盛り込み国連と委任統治協定を結びました。これによりユダヤ人の入植者は徐々に増加、1933年にナチス・ドイツ政権が誕生して以降急増して行きます。
第二次大戦直前にイギリスはアラブ諸国の懐柔策として、「10年以内にアラブ人主導のパレスチナ国家を創設」と言うマクドナルド白書を発表しますが、アラブ諸国はマクマホン書簡もあり、不信感を募らせ、この白書を知ったユダヤ人も「イギリスの裏切り」と態度を硬化させます。

つまりイスラエルはイギリスの場当たり外交が作ってしまった国家と言えるのかも知れません。
なお建国時領土そのものは国連の分割案で決定されたモノで武力は存在していません。
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この回答へのお礼

私が考えていたのは、イスラエルに多くの移民がやってきて、徐々に武力や非合法なやり方で勢力を拡大し、そして、イギリス方との約束をとりつけた、というイメージでした。

ですが、まず、枠組み(イギリスとの約束)があったということですか。しかも、土地は買ったとあるので、今度はあらたな疑問がわいてきます。

では、なぜ、こんなにも現在まで問題がこじれているのでしょう?すべての原因はイギリスのせい、ということでいいのでしょうか?筋からいえば、イギリスがパレスチナ、イスラエル双方から攻撃されていてもおかしくないような気がします。その方が、パレスチナ、イスラエル双方が団結しいい関係になれたのでは?思いつき的発言で申し訳ありません。。。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/16 22:23

19世紀末、ヨーロッパでシオニズム運動が起こった頃は、パレスチナはオスマン帝国領でした。

パレスチナにはトルコ人よりも、同じムスリムのパレスチナ人(アラブ人)とユダヤ人、さらにアラブ人キリスト教徒などが住んでいました。オスマン帝国はすでに衰退の一途を辿っていたので、徐々に始まっていたユダヤ人のパレスチナ回帰の動きには特に干渉しなかったと思います。

第一次大戦後、オスマン帝国の崩壊でパレスチナは国際連盟の委任統治領となり、イギリスが支配権を得ました。イギリスは大戦中にアラブ民族国家樹立への支持を表明してはいましたが、一方で、ユダヤ国家の建設も支持していたので、ヨーロッパなどからユダヤ人が移民してくると、それを許容しました。

しかし、1930年代以降、ナチス=ドイツの成立、第二次世界大戦、さらに戦後のヨーロッパの混乱からユダヤ人の数が急増し、パレスチナ人が危機感を持ったため、両者の対立が激化しました。

イギリスはユダヤ人の移住の人数制限をしようとしましたが、逆にユダヤ人の反発を招き、またパレスチナ人も反イギリスの動きを強め、イギリスは双方からの憎悪の対象となりました。戦後はヨーロッパやアメリカにホロコーストへの同情から、ユダヤ人がシオンの地へ向かうことを支持する考えも強かったのです。

反英運動やテロに音を上げたイギリスはパレスチナ問題を国際連合に丸投げしてしまったのです。国連ではやはりユダヤ人の国家建設には同情的で、パレスチナをユダヤ・アラブ双方に分割する時、本来なら人口比によって分けるべきなのに、半数以下のユダヤ人に多くの面積を与えてしまったのです。

多少の参考になれば良いのですが。
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調べていたらいいところがありました。



combat.ch website - 中東戦争全史
http://www.combat.ch/modules/org_library_tinyd4/ …

軍事関連のサイトのようなので、ちとそちら側に偏った感じの内容ですが、ここから順次読み進んでいけば流れはわかると思います。

なぜ、こんなにも現在まで問題がこじれているのか?
真面目な話、それを説明しようとすると本が一冊かけるくらい面倒くさい内容なんです。
ですから、その手の本を読んでみるのをお勧めします。
アラブとイスラエル―パレスチナ問題の構図(講談社現代新書)あたりがお勧めです

参考URL:http://www.combat.ch/modules/org_library_tinyd4/ …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。この週末に本を読みました。「まんがパレスチナ問題(講談社現代新書)」です。まんがかよっ、ていわれそうですが。

1.ロスチャイルド家の財力はハンパじゃなく、パレスチナの土地を買ったことや、その他の援助は十分なきっかけにはなったと思う。

2.ユダヤ人とパレスチナ人とのこじれは、古いところでは宗教などの問題もあるでしょうが、近いところでは、ユダヤ人が移民でやってきたときに、最初はホームランド(民族の郷土)をつくるだけで、国はつくらないと言っていたのに、税金やハガナなどのシステムをつくって、パレスチナ人の反感を買ったことによるのかなと。(この話の裏にはイギリスとの約束があってのことでしょう)

3.イスラエル建国時の人口は約30万人。もっといるのかと思っていました。ホロコーストによる被害が約600万人だそうなので、少なくともイスラエルも数百万いると考えていたので、統制などどのように取っていたのか不思議だったのです。30万人くらいなら納得いきます。

まだ十分ではないですが、こんなところではないですかね。その本にも載っていましたが、南アのマンデラ大統領みたいな人物は出てこないですかね。

お礼日時:2006/02/19 20:44

イスラエル建国の流れについては、過去の質問が多少は参考になるかもしれません(URL参照)。



パレスチナはオスマントルコ帝国の領土下にあって、第1次世界大戦後はイギリスが統治することになりました。このとき、イギリスが統治したパレスチナ領土が、ほぼ今のイスラエルの領土と同じになります。

このイギリスの統治は1948年までという期限付きのものでした。
他の方の回答に詳しいですが、イギリスの統治以降、ユダヤ人がどんどんパレスチナに入ってきますので、パレスチナのアラブ人たちと対立が激しくなってゆきました。

そんな中、イギリス統治の期限がやってきました。
そこで国連は、このパレスチナの地を両民族に分割する案を提出します。ユダヤ人はこの案を認め、独立を宣言、イスラエルという国家が誕生しました。

ところがこれを周辺のアラブ国家は認めません。
イスラエルに侵入して、第一次中東戦争が勃発します。
結局この戦争は、国連の調停によって終了しますが、対立の根は深く、それが現在にも続いています。

その後イスラエルと周辺諸国は戦争を繰り返し、イスラエル領土は広がったり元に戻ったりと変化して、今の領土に落ち着きました。
しかし、先の国連分割案で、本来アラブ人の領土になるべきところであったガザ地区、ヨルダン川西岸は現在もイスラエルが占拠しています(しかし、両地区はパレスチナ自治政府が管理することが近年決まりました)。

非常に簡潔ではありますが、こんな流れになっています。
細かいところは他の回答にもあるとおりです。
アフリカの紛争と同じく、パレスチナ問題は、ヨーロッパ列強の勢力争いの犠牲になった感が大きいです。

参考URL:http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1942114
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 1920年代に英国の庇護の下で、移民が始まりました。

WW1後、ヨーロッパ全土でユダヤ排斥運動が起こりまして、彼らは安住の地としてパレスチナを目指したのです。当初はパレスチナ人も友好的に接していたようです。

 WW2直前、独露でユダヤ人排斥運動が起こり、続々と国外追放が始まりました。英米はそれらの受け入れを拒否します。ナチスはマダガスカルへの追放も考えましたが、それをする国力がなく、ユダヤ人の東方追放(ロシアにコロニーを作りドイツから追放するというもの)を画策します。それの準備としてポーランドにユダヤ人収容所が建設されたのですが、植民が進まず、続々とドイツ・オランダ・フランスからユダヤ人が送り込まれ、不衛生も重なって死に至る事態にまで発展します。一部のナチス高官はユダヤ人を殺す(所謂ホロコースト)行為に走りますが、そのような事をしたナチス党員はゲシュタポに逮捕され粛清されました。
 戦後、この収容された人を含め、ヨーロッパに散らばるユダヤ人の処遇解決の手段として、国連主導の下でパレスチナ移住が決定され、同時にイスラエル建国が行われたのです。国連は英米ソの支配下にありますので、現地人の意見は無視されたのです。その結果、第一次中東戦争が起こりました。この戦争でパレスチナ人が敗北し、イスラエル建国は既成事実となります。

 ユダヤ人の処遇に困っていた欧米各国はイスラエルへの移住を加速させます。その結果、ユダヤ人はパレスチナ人居住区域にまで進出しだすのです。推進急先鋒だったのがリクードのシャロン(現・首相)でした。シャロンはその政策を推進したものの誤りであった事に気付き、方針転換したのです。それが昨年の出来事です。ちなみに暗殺されたラディン首相も元は推進派だったのですが、方針転換した人物で、方針転換直後に推進派によって暗殺されました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

時代的背景など、すべてが悪い方に重なって現在に至るというふうに感じました。もう100年くらい早く移民が始まっていれば、このようになってなかったかもしれませんね。まぁ、そもそも、排斥運動などなければ移民も問題になるほどではなかったのでしょうが。。。

お礼日時:2006/02/16 22:30

オスマントルコ統治時代まで、この間アラブとユダヤは、ユダヤ人が少数だった事もあり、共存共栄しており、むしろ迫害は欧州のユダヤ人に対するキリスト教諸国でありました。


19世紀末、ロシアやフランスで起こったユダヤ人排斥運動はシオニズムを生み、ユダヤ人のパレスチナ回帰が始まります。一方アラブでは第一次大戦前にオスマントルコからの独立運動が発生しますが、イギリスに利用されます。(同盟国ドイツの国力低下が目的で、アラビアのロレンスはその任務に就いていました)イギリスはその一方でシオニズムを支援していましたが、これはアメリカのユダヤ人を利用させる目的でした。(これが二枚舌と言われる所以です)
第一次大戦後、イラクとヨルダンはイギリス、シリアとレバノンはフランスの委任統治領とされ、パレスチナは国連が管理します。(この案もイギリスから出されたので三枚舌になりますか…)シオニズムとナチス・ドイツのユダヤ人迫害でユダヤ人のパレスチナ入植が増加し、人口比率では完全に逆転しています。
第二次大戦が終了すると、パレスチナのアラブ人とユダヤ人の怒りはイギリスに向かいます。(この時のユダヤ人武装組織の指導者は後にエジプトと和平条約を結んだベギンです)イギリスは万策尽き、1947年7月に国連に問題解決を委任します。
国連では11月にパレスチナ分割決議案を提示、アラブ諸国は「統一国家案」を持っており、これを拒否、インドやイランが提案した「アラブ・ユダヤ連邦案」も拒否しました。ソ連は当初「連邦案」でしたが、中東政策(反英で一致しているアラブ諸国とユダヤ人国家で混乱を予想し、それに乗じた進出)もあり、分割案に回る。
採択の結果、ヨルダン川分割案を採択しました。同時にアラブ人とユダヤ人の衝突が始まります。1948年5月14日、初代首相ベングリオンが「イスラエル共和国」の樹立を宣言、アメリカは即日、ソ連は3日後に承認しましたが、周辺のアラブ国家は宣戦布告をします。
翌15日に第一次中東戦争が勃発します。

元々、パレスチナからユダヤ人を追放したのはキリスト教国家である東ローマ帝国です。ほんの100年前の2000年近く共存共栄していたのです。一日も早くそんな関係に戻って欲しいと思います。
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この回答へのお礼

>ユダヤ人のパレスチナ入植が増加し、人口比率では完全に逆転しています。

人口が逆転したから、イスラエルを建国することができたのでしょうか?なんらかの手段などがあったと思うのですが、その過程を知りたいのですが。

ユダヤ人武装組織(ひょっとしてモサドの前身とかですか?)とかの勢力が絡んでいるのでしょうか?武力により領土を拡大していったのでしょうか?

ユダヤ人のパレスチナ回帰から、イスラエル建国までの間の流れです。

しかし、うろ覚えだった話の輪郭が見えてきました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/16 00:43

パレスチナ問題についてはリンクを参考にしてみてください。



現在のイスラエルの領土は1947年に国連で承認された分割決議案よりもかなり広くなっています。これは4回に渡って起きた中東戦争によるものです。
極端に言うと戦争を起こすたびに領土を広げていったわけです。
日本はイスラエルがシリア領土のゴラン高原を占領した1967年の第3時中東戦争以来、イスラエルを非難し続けています。なので、黙ってみていたわけではないと思います。

参考URL:http://www.ijournal.org/IsraelTimes/mepeace/plo. …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

領土拡張に関しては、イスラエルという国としてではなく、それ以前、移民たちが国を立ち上げる以前に如何にして、自分の周りの領地を拡大していったのかということです。

以前は、オスマントルコの領土だったみたいですね。この場合は、オスマントルコがイスラエル建国を黙ってみていたのかということです。参考URLを見ると弱体化と書いてあったので、そこまで手が回らなかったのでしょうか。

早速の回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/15 23:33

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リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qイスラエル人ってユダヤ人なの?

タイトルのとおりです。中東問題の番組をみてて気が付いたんですが、イスラエル国民について教えて下さい。

1.イスラエル国民=全員ユダヤ人ですか。
2.人種的には白人ですか、アラブ系ですか、基本的に。
3.宗教的には全員ユダヤ教の信者ですか。 イスラム教や仏教を信仰するイスラエル人っているんでしょうか。
4.ユダヤ人のために建国した国がどうしてユダヤって言葉を国名に使用しなかったでしょうか。
5.パレスチナ人って全員イスラム信者でしょうか。
6.よくパレスチナ難民っていいますが、彼らのパスポート発行はどこが行なっているんでしょうか。
7.パレスチナ人は、例えば漢民族とかクルド族とか一緒で、民族性でいえば全員同じ民族なんでしょうか。

HPをみても難しいので、簡単にご回答願えれば幸いです。

Aベストアンサー

一般に、民族とは文化的背景、特に言語を共有する集団を指します。共通の言語は共通の生活領域を前提とすることが多いので、結果的に、民族は同一人種から構成されることになります。しかし、ユダヤ人は例外です。
ユダヤ人は2000年前に国家を失ってから世界各地に離散していたので、言語や肌の色に共通点はありません。ユダヤ人とは、原則的には「ユダヤ教徒」からなる宗教的集団なのです。
※それでは「ユダヤ教徒」とは何かということが問題になりますが、複雑過ぎてここでは深入りできませんので、ユダヤ教徒を自認する集団でも、その奉ずる教義によってはイスラエル当局からスンナリとイスラエル国籍を付与されない場合があることだけを指摘しておきます。イスラエル当局のいう「ユダヤ教」とは、端的にいえば、神殿時代(以降)のユダヤ教を指しています。

現在、イスラエルは、ユダヤ教徒およびユダヤ人の母親から生まれた子供をユダヤ人と認め、国籍を付与しています。後者がユダヤ人とされる理由は、ユダヤ人女性は自分が生んだ子供をユダヤ教徒として養育する宗教的義務を負っていることにあります。よって、日本人も、ユダヤ教に改宗すればユダヤ人になることができます(教義や歴史に関する難しい試験や、宗教指導者による面接などがありますが)。

イスラエルには、ユダヤ人=ユダヤ教徒以外にも、キリスト教徒やイスラム教徒である国民が存在します。なぜなら、現在イスラエルの領土となっている土地には、古くからユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒が混住していたからです。しかし、現在では、ユダヤ人=ユダヤ教徒が圧倒的多数を占めていることは確かです。

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Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
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まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Q白人どうしは国籍の違いを分かるの?

愚問で恐縮です。

私たちから見て街を歩いている韓国人や中国人は、服装・髪型、それとか歩き方とか立居振舞で、ある程度は 「多分、あの人は○○人だろう」 と、想像がつきますよね。

勿論、ハッキリと分かる人ばかりじゃなくて、どう見ても中国人だと思ったのに、れっきとした日本人だというケースもありますが、「ある程度」 は想像がつくように思います。

これって、同じ東洋人だから想像がつくわけなんですが、白人となるとまるでお手上げです。

例えばスウェーデン人とデンマーク人、とオランダ人とドイツ人、白人と言えるかどうか分かりませんが、イタリア人とスペイン人とかポルトガル人 ・・ この辺の違いは彼らどうしの間では、顔形や外見などで 「ある程度」 は分かるのでしょうか?

私から見れば、どれも同じに見えます。 

白人以外でも、例えばサウジアラビア人とクエート人、インド人とパキスタン人、もっと難しいのが黒人系です。

モロッコ人とチュニジア人、ガーナ人とギニア人、ケニア人とタンザニア人 ・・・ 「顔形で判断せよ」 と言われたら絶望的になります。

彼ら自身は彼らどうしの間では、「アッ、この人は多分、○○人に違いない」 と分かるものなんでしょうか?

あと、アメリカにいる黒人とアフリカの黒人を、パッと見て区別出来ているのでしょうか?

まさか私たちのように 「何だか、みんな同じ黒人に見えるよ」 とは、なっていないように思います。

愚問で恐縮です。

私たちから見て街を歩いている韓国人や中国人は、服装・髪型、それとか歩き方とか立居振舞で、ある程度は 「多分、あの人は○○人だろう」 と、想像がつきますよね。

勿論、ハッキリと分かる人ばかりじゃなくて、どう見ても中国人だと思ったのに、れっきとした日本人だというケースもありますが、「ある程度」 は想像がつくように思います。

これって、同じ東洋人だから想像がつくわけなんですが、白人となるとまるでお手上げです。

例えばスウェーデン人とデンマーク人、とオランダ人...続きを読む

Aベストアンサー

初めまして。アメリカ人(アイルランド系とイギリス系まじり)の白人と
結婚して18年の主婦です。

アメリカでは白人の場合、外見で国籍というより民族は大体予想出来ます。
北欧系の人の薄い色や長身痩せ型体型、アイルランド系の態度と骨太体型
(爆笑)、イギリス系のほっぺの赤さと低身長、華奢な体型。ドイツ系の
鼻と頬骨、ラテン系の色あい。等等。
肌、髪、目の色と風貌でなんとなく分かります。
勿論、ラストネームで「何処系」ってのは直ぐに分かります。

同じ白人でもアメリカ人か他のヨーロッパ人か?
これは、直ぐに分かります。話さなくても分かります。
立っているだけで分かるんですよ。どうしてか?
う~ん、私達日本人が他のアジア人を見分ける、あの「感覚」と
同じだと思います。

勿論、話しをすればアメリカ人か否かは分かりますし、
同じアメリカ人でも話しをすれば出身地もおおかた分かりますね。
日本人同士でも同じでしょ?

アメリカ人の黒人とアフリカの黒人は、基本的に外見で分かります。
それは「色の濃さ」ではありません。理由はアメリカ人の黒人の
ほぼ100%が白人の血が混じっているのと、同じ黒人同士でも
民族の違う者同士の混血が繰り返された結果だと思います。
純血なアフリカ人とは基本的に外見が違うんです。
何処がどう違うか、、は応えにくいですが。

私はカリフォルニア在住です。土地柄、地元の人はアジア系の人を
見慣れています。で、多くの人が同じアジア系でもちゃんと、
日本、韓国、中国、ベトナム、フィリピン。。等、一目見て
外見で違いが分かりますよ。

私は100%日本人ではなく、少し白人が混じっているので
よく地元のインディアンに間違えられますが。。
まっ、これもご愛嬌です。

少しでも、ご参考になったら幸いです。
失礼致しました。

初めまして。アメリカ人(アイルランド系とイギリス系まじり)の白人と
結婚して18年の主婦です。

アメリカでは白人の場合、外見で国籍というより民族は大体予想出来ます。
北欧系の人の薄い色や長身痩せ型体型、アイルランド系の態度と骨太体型
(爆笑)、イギリス系のほっぺの赤さと低身長、華奢な体型。ドイツ系の
鼻と頬骨、ラテン系の色あい。等等。
肌、髪、目の色と風貌でなんとなく分かります。
勿論、ラストネームで「何処系」ってのは直ぐに分かります。

同じ白人でもアメリカ人か他のヨ...続きを読む

Qユダヤ人はなぜ迫害されたのですか?

先日オランダへ旅行に行った友人がアンネの日記でお馴染みの家を見学に行ったらしいのですが、ユダヤ人が何故迫害されるようになったのか疑問のまま帰国して僕に聞いてきました。僕なら知っていると思ったらしいのですが、僕はこの何故?に対して全くの無知でした。ご存知の方、ぜひ教えて下さい。

Aベストアンサー

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、ユダヤ人は金貸しなど当時身分が低いとされた職業にしかつくことが許されていませんでした。
(それが原因でユダヤ人の多くが金持ちになってしまいました。これもユダヤ人に反感を持たれるようになる原因の一つです)
金を借りて返せないと逆切れして暴力をふるう人は今以上にいたのですが、その大義名分として先の理由がつかわれるようになります。
こういう騒ぎが暴動に発展して、ユダヤ人が略奪&虐殺されることはナチス以前から多くあったそうです。

このような状態が1000年以上も続いたのですから、「ユダヤ人を迫害してもあまり問題は無い」という悪しき文化がうまれたのでしょう。
ユダヤ人に対する差別や迫害はヨーロッパ(というよりキリスト教圏)全体でよくあることだったそうですが、その中で一番激しかったのがドイツのあたりだったそうです。
(これには神聖ローマ帝国などが絡んでいるらしいのですが、面倒なので省略)。

第一次世界大戦後の混乱を利用してナチスが成り上がるために利用したのがこういった差別意識(+自分たちは選ばれた人種なのだという選民意識)です。
「戦争に負けたのはユダヤ人が悪い」など、現在の某組織のように敵を作ることでドイツを自分たちの都合のいいようにまとめようとしたのです。
後はよく知られているように、資産の没収、強制収容、虐殺という流れになって行きます。


という内容の本を昔読んだことがあります。
記憶で書いているので、内容の正確さについては自信がありませんが、おおむねこんな感じだったと思いますよ

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、...続きを読む

Q懲役刑と禁固刑の違い

ニュースで良く耳にする「懲役」と「禁固」とはどう違うのでしょうか?
禁固刑はずっと牢屋に閉じ込められて一切外には出れないのでしょうか?
この犯罪は懲役刑、この犯罪は禁固刑と犯罪によって決まるのですか?
わたしなら、牢屋に閉じ込められるくらいなら禁固刑三ヶ月なら、ある程度自由のある懲役刑1年くらいの方がまだマシです。

独り言のような疑問なのでおヒマな方、回答おねがいします。

Aベストアンサー

処遇の内容については皆さんお答えのとおり
刑務作業(要は強制労働)の有無のちがいです。

懲役刑は軽蔑すべき犯罪を故意に行った「破廉恥犯」に課されますが
禁固刑は政治犯など、自分の政治的信念に従って「正しいこと」と信じて行動した結果が犯罪になった場合、また過失犯など「非破廉恥犯」と言われる場合に課されます。

禁固受刑者で作業をしない人は1%にも満たないそうです。ほとんどの禁固受刑者は自ら望んで刑務作業(請願作業といいます)をします。

と、大学で習いました

Q朝鮮戦争の原因は何ですか?

映画「BROTHERHOOD」を観ました。
突然に北側から攻撃が始まるのですが、この戦争の原因は何でしょうか?
主義が違うからといっていきなり同じ民族同士で戦争を始めるというのが理解できません。
また韓国にはアメリカ軍もついているわけですから、勝てる見込みもありません。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

朝鮮戦争はソ連アメリカの代理戦争で、日本の敗戦により北朝鮮を支配したソ連よりの北朝鮮人民共和国が朝鮮半島を統一支配する為に起こしたものです。
背後にはソ連、中国がいたのです。

アメリカは韓国を緩衝地帯としていましたからその防衛は韓国軍にまかせる方針でした。

朝鮮は確かに同一民族といえますが古くは高麗、百済、任那時代から敵対関係の時代もあり、気候風土、気質もかなり異なります。
アフリカで民族よりも氏族単位で内戦が絶えないのと同様です。

北朝鮮はソ連の余剰戦車が多数あり、補給も中国を経由して確保できますから短期決戦で勝利出来る計画でした。
開戦当初は計画とうり戦車部隊を先頭にした北朝鮮が優勢でしたがアメリカ軍がその背後の仁川に逆上陸し、補給路を切断したので補給を絶たれた北朝鮮軍は敗北後退し、アメリカ軍の優勢な空軍力により中国国境近くまで追いつめられました。

緩衝地帯の消滅を恐れた中国が義勇軍を送り中朝連合軍と国連韓国連合の戦争になり持久戦となりました。

この時点で中国とアメリカの戦争になったのです。

戦争に残虐な行為はつきもので、双方の兵士、民間人を問わず戦場になった所は悲惨な運命にあいます。

朝鮮戦争はソ連アメリカの代理戦争で、日本の敗戦により北朝鮮を支配したソ連よりの北朝鮮人民共和国が朝鮮半島を統一支配する為に起こしたものです。
背後にはソ連、中国がいたのです。

アメリカは韓国を緩衝地帯としていましたからその防衛は韓国軍にまかせる方針でした。

朝鮮は確かに同一民族といえますが古くは高麗、百済、任那時代から敵対関係の時代もあり、気候風土、気質もかなり異なります。
アフリカで民族よりも氏族単位で内戦が絶えないのと同様です。

北朝鮮はソ連の余剰戦車が多数あり...続きを読む

Qイスラエル?パレスチナ?国としてはどちらが正しいの?

地図を見てますが、いまいち意味が分かりません。パレスチナという国なの?イスラエルという国なの?
どちらが本当ですか?

Aベストアンサー

ANO7です。
確認の意味もこめて補足を。

>先進国で認められてるのは「ユダヤ人のためのイスラエル」という国なんですね?
>その国の中にアラブ人が住むパレスチナという地区があるのですね?

「現在ある国名・自治政府名」を言うのであれば、大体その認識であっています。
言ってみれば、中国における新疆ウイグル自治区や内モンゴル自治区なんかと似たような感じです。
正し、「地域名」として使うなら、イスラエルとパレスチナはほぼ同じ地域を指します。
まぁ、ユダヤ・キリスト教からみたらイスラエル、アラブ・イスラム教側から見ればパレスチナとなります。
ただ、新聞やテレビでこの名称が使われた場合、ほぼ「現在ある国名・自治政府名」で使われますね。

>自治区というのはどういうのを言うんですか?「まあ、住んでもいいですよ。仕方ないから・・とりあえず・・・」みたいな区のことですか?

そうですね、大体そんな感じです。色々な形態があるので、いちがいに一般化は出来ませんが。
取り合えず、国家としての独立は許さないけど、ある程度自治(自分たちのことを自分たちで決める。自主的に地域内の行政や事務を行うこと)が認められている地区の事ですね。
多くは「民族自決」の権利を求めたりと、民族的な対立を押さえるために中央政府が認めることが多いです。

>2)イスラエルという国名はもともと大昔からあるんですか?

そうですね。取り合えず、「あった」という事になっています。
ただ、もともとイスラエル人が住んでいたところにアラブ人が入ってきたのか、アラブ人が住んでいたところにイスラエル人が入ってきたのかは、歴史学の謎ではあります。
ただ、イスラエル人の征服行みたいな感じの話も、旧約聖書に出てきますので、先住民がいたのでしょうね。
とはいえ、その「先住民子孫=今のパレスチナ人」でもなければ「当時のイスラエル人の子孫=今のイスラエル人」という単純なモノでもありません。
3000年という歴史の中、非常に複雑な動きをしているのでなかなか「歴史的事実」から「この土地は○○人の物」と言うことは出来ません。
だから、揉めているのですが、、、。

>その為 流浪の民 ユダヤ人は国を持てずにいたので、アメリカ?イギリス?が第二次世界大戦後に 「ユダヤ人は かわいそうだから、きちんと国を作ってあげよう」という配慮のもと、イスラエルという国を「ユダヤ人の国」として認めてあげたんですね?

まぁ、米国や英国がバックアップしているのは確かなのですが、「かわいそうだから」という「人道的配慮」からでは無いです。

第一次世界大戦の頃にイスラエル地域(パレスチナ地域はイスラエルの別名で、古代ローマ人が付けた名称で、同じ地域を指します。現在はアラブ側から見た名称となります。((地域名の場合)))を支配していたのは、オスマン帝国でした。
しかし、近代化に乗り遅れ弱体化していました。
この期にイエルサレムを始め、中東に多くの利権を獲得しようと画策した英国は二枚舌外交を展開します。
これは、簡単に言えばオスマン帝国内の不満分子には「オスマン帝国との戦いに協力したらアラブ国家を作っても良いよ」と言い、ユダヤ人には「資金援助してくれたら、イスラエル建国を認めるよ」と約束したんです。
でも、戦後にその約束は守られずイスラエル(パレスチナ)は英国の直轄統治、つまり殖民地になりました。
しかし、その後もユダヤ人の移民は規制されることもなく増えていきました。
多くのユダヤ人も、約束が守られることを信じて移住し続けました。
結果、(オスマン帝国下で暮らしていた)現地人であるアラブ人と衝突を繰り返すようになります。
第二次世界大戦後には、英国一国では解決出来ず国連に丸投げしますが、その国連の和平案にイスラエル・パレスチナどっちも納得できず、中東戦争に突入します。
で、戦闘自体はなんとか収まっているモノの現在も根深い対立が続いています。

>それまで住んでいたアラブ人=イスラム教徒?が行く場所がなくなってしまい、今のパレスチナという避難場所??自治区?が出来たという事でいいでしょうか?

そうですね。なんとか自治区を作る事は認めさせましたが、それでも壁を作ったり勝手に入植しちゃったりと、米国や英国が目をつぶってるのを良いことに好き放題やってる感がありますね。

ANO7です。
確認の意味もこめて補足を。

>先進国で認められてるのは「ユダヤ人のためのイスラエル」という国なんですね?
>その国の中にアラブ人が住むパレスチナという地区があるのですね?

「現在ある国名・自治政府名」を言うのであれば、大体その認識であっています。
言ってみれば、中国における新疆ウイグル自治区や内モンゴル自治区なんかと似たような感じです。
正し、「地域名」として使うなら、イスラエルとパレスチナはほぼ同じ地域を指します。
まぁ、ユダヤ・キリスト教からみたらイス...続きを読む

Q戦前の日本は先進国だったのですか?

日本が経済発展して先進国になったのは70年代と聞きましたが、それでは

1.国際連盟の常任理事国だった戦前の日本は先進国だったのでしょうか?

2.そうだとすれば、ドイツも戦前は先進国で、戦後日本と同じように経済発展して先進国になるまでは暫く後進国の状態だったのでしょうか?

Aベストアンサー

なかなか難しい質問をしますね。
日本の戦前の経済レベルは、近代国家として産業革命成し遂げ、それなりの工業力もあり、技術水準も一部では引けを取らないところがあったというくらいでしょう。
つまり、マンガ雑誌で例えればガンガンとジャンプを比べてみてください。
上のほうのレベルではそれほど差がありません。しかし、全体の平均値で見ればレベルの格差は非常に大きいようなものです。

例えば軍事技術で言えば
日清戦争の時(1894-95)は殆どの武器、兵器は輸入品でした。
日露戦争の時(1904-05)は半分くらい国産でしたし、その後はほぼ全て国産化しました。
しかしこれは、国力のかなりの部分を兵器開発に注いでいたからだとも言えます。兵器開発能力も所々に優秀なモノがあったのも事実ですが、総合力ではアメリカやドイツに劣っていましたし、何よりも数を生産する能力においては圧倒的な格差が存在しました。

次に、産業構造で言えば、日露戦争後くらいにようやく産業革命に一区切りが付いたわけですが、それでも日本はまだまだ弱小国でした。
日本の経済力が飛躍的に上がったのはWW1(1914-18)の時ですが、WW1後ですら日本の工業は繊維(生糸や綿織物)などの軽工業が中心でしたし、第一次産業に就業する人が国民の50%を占めていたのでむしろ農業国だったといえます。
世界恐慌を機に重工業化が進みましたが、それでも国民の半分くらいは農民という構造は変わっていません。

という訳で
1.
精一杯背伸びして列強の仲間入りしているけど、足腰の強さ地力の強さではアメリカには全く適わないし(まあ当時のアメリカは欧州全部と戦争しても勝てるくらいの力があったわけですが)、ドイツにもかなわない。
全ての力を戦争に注ぎ込んでもちょっと本気を出したアメリカに一蹴される程度の国力でした。

2.
ドイツは戦前の時点で世界第二位の経済大国でした。
日本人一人当たりのGDPがドイツに追いついたのは70-80年代です。

なかなか難しい質問をしますね。
日本の戦前の経済レベルは、近代国家として産業革命成し遂げ、それなりの工業力もあり、技術水準も一部では引けを取らないところがあったというくらいでしょう。
つまり、マンガ雑誌で例えればガンガンとジャンプを比べてみてください。
上のほうのレベルではそれほど差がありません。しかし、全体の平均値で見ればレベルの格差は非常に大きいようなものです。

例えば軍事技術で言えば
日清戦争の時(1894-95)は殆どの武器、兵器は輸入品でした。
日露戦争の時(1904-05...続きを読む

Q核保有が許される国と、許されない国の線引きについて

アメリカやインドなど、核を保有していても国際的に制裁されない国と、
イランのように制裁される国が存在するのはなぜですか?
明確な理由は無く経済力が弱ければイジメられるという話ですか?

Aベストアンサー

>アメリカやインドなど、核を保有していても国際的に制裁されない国と、イランのように制裁される国が存在するのはなぜですか?

質問文章に誤認があるので指摘しておく
ほぼ同時期に核武装したインド・パキスタンは経済制裁を受けている。
日本も独自制裁を実施している。したがって、インドの核保有は制裁があった事例と考えるものであって、質問文章は適切ではない

注意するべきは、NPT条約(体制とも)に批准していない国への経済制裁はあまり盛んに行われない背景がある。
ここらは仔細は補足が必要なら応じよう

なお、制裁措置には核兵器に関しては、段階がある
(1)核開発のレベルでの制裁措置
(2)核(水爆)実験に対する制裁措置
(3)核武装に対する制裁措置

一般的には、(2)(3)の段階になれば国際政治的には制裁されることが多い

注意するべきは、イランの場合は、(1)の段階でしかないことにある。
北朝鮮への制裁措置は(2)であって(1)ではなかった。
イランの場合は(1)であるからこそ特異な事例として批判されうる傾向が強いのである

なお、参考までに核開発に至った国でも知られていない国を紹介しておこう

スイス、スウェーデン、台湾、韓国
非公式では、ブラジル・ベトナムも開発している、と見られている

核保有ということでの制裁は一般的ではない。
上記した段階に応じて制裁が行われ、段階に比例して制裁措置の荷重も変わる


>明確な理由は無く経済力が弱ければイジメられるという話ですか?

まず制裁措置の大前提には、NPT批准国(批准している状態である)であることへの問題が大きい
ここらは日本社会では正しく理解されていないが、核保有のリアリズムはNPT体制との兼ね合いで思慮するものであるし、思慮されているのが現実である
端的にいえば、制裁措置は、国際社会の見方次第である。
同時に、核保有を公にすることの是非の問題もあるが、仔細は補足があれば説明しよう

なお、核武装は国際法上においては、国家の持つ自衛権を叶える手段として否定されない。
つまり、全ての国家は核武装権を持っている、というのが国際司法の見解である
しかしながら、”NPT条約に批准し、自ら核保有を放棄している”という状況に対する政治責任が重く判断されるのである。
仮に、NPT条約を破棄・未批准の状態での核保有を国際法的に全面的に批判することが出来ない。

現在イランが批判されているのは、政治的な問題であって、NPT批准国でなければ”国際法としての糾弾は出来ない”とも言えよう。

核保有については、保有状況次第で判定するのが適切なのだが、核武装論が行われない日本国では、その当たりの知識が欠如しているようではあるが・・・

以上

>アメリカやインドなど、核を保有していても国際的に制裁されない国と、イランのように制裁される国が存在するのはなぜですか?

質問文章に誤認があるので指摘しておく
ほぼ同時期に核武装したインド・パキスタンは経済制裁を受けている。
日本も独自制裁を実施している。したがって、インドの核保有は制裁があった事例と考えるものであって、質問文章は適切ではない

注意するべきは、NPT条約(体制とも)に批准していない国への経済制裁はあまり盛んに行われない背景がある。
ここらは仔細は補足が必要なら応...続きを読む


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