プロが教えるわが家の防犯対策術!

一年ほど前に家庭環境が急激に変わったせいか情緒不安定になっていた時期があり、二ヶ月ほどでだいたいは治まったのですが、それを境に楽しい気分になった後になぜか落ち込んでしまうようになりました。
例えば友達と会話が弾んだりして楽しい気持ちで帰宅すると、家に着いてから理由もなく無性に不安になり、何にも手がつかずに塞ぎこんでしまうような具合です。
楽しかったり嬉しかったりした後には必ずこういう状態に陥ってしまいます。
そのうち治まるかと思っていたのですが、一年経っても一向にましになる気配がないので、少し不安です。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか。
何か対処法はないのでしょうか。

A 回答 (4件)

楽しさの後、反動で来る寂しさは誰でも感じるものじゃないでしょうか?



私もあなたと同じですが、それはそれで割り切って生きてますm(__)m
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私もそうですよ。

友達とお茶して 家に帰った時、電話で話して切った後、お酒飲みに行った翌日・・・

色んな場面で楽しかった後、寂しくなります。かえって 一人でずっといた時のが感じない気がします。

深く考えなかったけど。どうなんでしょうか。
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考えてみれば私もそうです。


特に日曜日は、「明日からまた始まるんだな」と思うと・・・
でも、みんなそうみたいですね。
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今も使用されているかわかりませんが、昔私達が小学生の頃分度器というものがありました。


http://www.concise.co.jp/store/drafting/protract …

ちょっと想像して欲しいのですが、私達の背丈ほどの分度器があるとします。
ちょうどその真ん中90度のところに、立ちます。
左に倒れれば「快・幸福・充実」右に倒れれば「不快・不幸・空虚」とします。

私達は、ずっと立ってるだけでは退屈だし、暇だし、満たされないので
私達はすぐに、左に倒れます。
しかも自力ではなく、自分を支えてくれるベッドのようなものに全体重をかけてもたれるように、
倒れかかるんです。(=依存)
しかし、この世は諸行無常なので、楽しい、幸せな時間は過ぎ去ります。
そのベッドが強制撤去された状態です。
すると、全負荷をかけていたので、「バタ!」っと倒れてしまうんです。
その位置は、確かに「最高値」の”幸福・楽しい”状態のはずなんですが、
その延長線上にある、向こう側も確かに
”不幸・不快”の最高値の位置なんです。

つまりは、見方を変えれば、幸も不幸も楽も苦も表裏一体ということになります。

自分の足でなく、ベッドが支えてくれていると、いつの間にか
足も全身も筋力も萎えていくのは必須ですね。

だけど、それも長くは続かない。

私は今、仏教を勉強しているんですが、私達は「苦」の中に生きていると言われています。
じゃあ、何が「苦」なのか?と言えば、
気付いていないこと(=無明)が、苦の根源とされています。

私達は起きているようで、覚めていない生き方をしています。
覚めていないから、ずっと無意識のまま行動して、過ごしています。

じゃあ、どうすれば良いのか?というと気付けばいいんです。
刹那的な快楽にひたっている自分を「今、楽しんでいる。。」
「興奮している。。」「この時間が続けばいいのに。。と思っている。。」
と。
そして、空虚感を感じるときも同じです。
「しらけている。。」「寂しいと思ってる。。」「虚しいと思ってる。。」
淡々と、自分に沸き起こってくる感情を、批判も査定もせずに、
実況し続けるんです。
感情が暴れ馬だとしたら、もうひとりの自分が騎手になったつもりで
暴れ馬に、お前は今こうだぞ!こんな状態だぞ!と、教えるんです。
すると。暴れ馬は、落ち着いてくるんです。
この瞑想で、お釈迦様は悟りを開きました。
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html

そうすると、自力で90度のところに立てるくらいの筋力がついてきます。
90度のところは、平常心です。
この心が育ってくると、
左に倒れるのも、自力でできるようになるし、戻ることもできるし、選択することもできる。
勿論、右に倒れても、自力で真ん中に戻ることができてきます。

感情(=煩悩)に左右されてもそれを、統率できる心の筋力がついてきます。
お試し下さい。
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