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江戸時代に小さな旗本領地だと大きな治安問題や商売上のトラブルが生じると困ったのじゃないですか?名主や領主お抱え侍などが裁いてたのですか?

A 回答 (2件)

旗本ですが、宝永年間(1704~10)の資料に依れば、領地を与えられた知行地取りが2507家で、総石高275万石、蔵米取り(領地に換算した米を支給)は20,064人55万石になります。


知行地取りは下は30石から上は9千石まであり、江戸に屋敷を与えられ、年貢収入で生活します。
知行所は500石クラスで、50軒程度の農家がある1村に相当しますが、丸ごと与えられる訳ではなく、作柄により不公平が出ないように分散して与えられるので、極端な話、一軒ごとに領主が違うという村もあり得ます。
関東では1つの村に数人の領主がいることが多くありました。
幕府の定めでは、年貢は35%ですが、実際の年貢率は領主が自由に決めることが可能で、下男・下女を領地から安く雇えるメリットもあり、蔵米取りより生活は幾分楽なようです。
治安は幕府直営地に代官が派遣され、政治を行います。
大体一人で10万石程度を管理し、隣接する旗本領の治安も引き受けていました。
また、大名・旗本領が入り組んだ地域には、犯罪者が他領に逃げ込むと手出しできないため、管轄を問わず警察権の行使が出来る、関東取締出役(八州廻り)を設置し、治安維持にあたりました。
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この回答へのお礼

幕府代官や関東取締出役がやってるのですね、わかりました。どうもありがとうございます。

お礼日時:2006/02/20 14:27

領主にもよりますが、たいていは野放し状態といったところで、名主や庄屋を中心としたムラの自治にまかされたいてというところでしょう。


そのためそういう旗本領が多い関東地方の治安問題については関東取締出役が儲けられて、領主に関係なく警察権を行使できるようにしました。
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この回答へのお礼

関東取締出役が取り締まりですか、なるほど、わかりました。どうもありがとうございます。

お礼日時:2006/02/20 14:23

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Aベストアンサー

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千石の旗本であれば長屋門でした。
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Aベストアンサー

鎌倉 室町 江戸
三つの幕府ともでき方が違うので、一概には言えませんが。

鎌倉幕府では、関東御料が将軍直轄領になりますがこれの中核になったのが、平家没官領500余所になります。
500というのがどんな感じかというと
東大寺の荘園数が80
大覚寺統の基盤になった八条院領が152
持明院統の基盤となった長講堂領が180
これを見ると、ああ平家はすごかったんだな、頼朝もねとなりますが、関東御料の各荘園も御家人に分配されたので、直轄なのかというとあやふや。特に摂家将軍や宮将軍になると将軍直轄領はなかったようです。
直轄領に裏付けられた直轄軍がありませんでしたから。

室町将軍家は、直轄軍としては奉公衆がおり、最大で一万程度と言われています。逆算すると江戸時代の換算では、35万石くらいになります。
室町期の人口が1000万≒1000万石(全国)だったはずなので、江戸期の3000万人≒3000万石 に換算すると江戸時代における100万石くらいではないでしょうか。

結構、鎌倉将軍も室町将軍も、直轄軍を持っていません。
結果として鎌倉将軍も、室町将軍も江戸期の将軍よりも専制的でなかった、鎌倉期も室町期も内乱だらけですが、江戸期は内乱がほぼありませんでした。
逆の見方をすると、鎌倉将軍は主敵である平家を滅ぼして、建前上は、武士の統領(=つまり、みんな部下)であり、室町将軍も主敵である南朝を滅ぼして、建前上はすべての守護大名の上司でありました。比較の仕様ありません。立ち位置が違うので。
ところが、江戸将軍は関ヶ原の後も江戸=大坂二重公儀制を保ち、豊臣家を滅ぼしても、完全には仮想敵を滅ぼしきっていません。全部が部下になりきらなかったから、徳川家直轄領が残ったのかもしれません。
最後の二重公儀制にかんしては、戦争の日本史 17 (17) 笠谷 和比古よりです。

鎌倉 室町 江戸
三つの幕府ともでき方が違うので、一概には言えませんが。

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東大寺の荘園数が80
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Q徳川家は八百万石なのに、どうして江戸の面積は狭いのでしょうか。

こんにちは。

私の手元に、「江戸(嘉永)時代大名紋章及び城郭図」という地図があり、それを見ていて疑問に思ったのですが・・・。
徳川家は八百万石という力を持っていたにも拘わらず、江戸と呼ばれる範囲はあまりにも小さいと気が付きました。
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江戸以外にも、直の領土があったのでしょうか。
それとも、広い城下町を持つ必要がなかったのでしょうか。

教えていただけたら、ありがたいです。

Aベストアンサー

徳川家は八百万石なのに、どうして江戸の面積は狭いのでしょうか。

日本全国の総石高が3000万石といわれている中、幕府直轄領の石高が400万石(13%)~450万石(15%)、旗本領が約400万石、合わせて800万石(27%)を上回り、全国の30%近くを占めます。面積について乱暴な言い方をすれば、同じ様な比率で直轄領及び旗本領を持っていたものと考えられます。ですから、全国の1/4近くの支配地を持っていたことになります(直轄領だけでいえば1/7程度)。
直轄領は、江戸時代には御料、御領、御料所などと呼ばれ、明治以降は天領と呼ばれますが、天領と呼ぶのが一般的です。全国に散在し、直轄地がなかったのは蝦夷地くらいのものでした。ただ、蝦夷地も、寛政11年1799に東蝦夷地を直轄領とし、文化4年1807には西蝦夷地も直轄領にします。この処置は、文政4年1821に東西共に松前氏に返却しています。
大きな直轄領としては、九州の日田地方、石見東部、愛媛東部、備中西部、播磨西部、但馬西部、大坂・堺・京都周辺、近江南部、大和南部、飛騨一国、中期以降の甲斐一国、三河・遠江・駿河・伊豆の過半、武蔵・安房・下総・上総の過半、常陸南部、会津西部、山形北部、秋田南部など全国に及んでいます。
一般に10万石以上の地域を支配する場合は郡代を、それ以下は代官を派遣して支配をしています。また、一部では譜代大名などに預けている場合もあります。
この他に全国の主要都市を、江戸・京都・大坂以外に、伊勢神宮門前町の山田、貿易港長崎、金山の佐渡、旧貿易港堺、他に奈良、伏見を直轄地として、遠国奉行を派遣しています(幕末には神奈川、下田、兵庫、新潟、函館などの開港地も直轄領化し、奉行を派遣)。
佐渡、伊豆、生野、大森などの主要鉱山も直轄地ですから、全国展開していました。

以上、参考までに。

徳川家は八百万石なのに、どうして江戸の面積は狭いのでしょうか。

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