出産前後の痔にはご注意!

ベタな質問で申し訳ありませんが、
迎撃などの局地戦闘機として運用する場合、
零戦と一式戦隼はどちらが優れた戦闘機といえるでしょうか。

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A 回答 (10件)

対爆撃機戦闘では、一般的に20mm機関砲を装備した零戦の方が有利です。


しかし、大戦後期の零戦52型乙、丙といった火力と防弾を強化したものは重量の増加で飛行性能が低下、それに反して改良された隼III型は性能で零戦に逆転、事実パイロットに好まれていました。翼面積が大きく軽量ゆえ、同時代の日本戦闘機としては高高度性能も良い方でした。
また隼は零戦と異なり、I型当時から防濡タンクを装備、II型の途中からパイロット背面の防弾板を装備しており、末期まで防弾装備の無い零戦より防御力に勝っていました。

現代の我々が手軽に比較する方法として、リアルなデータに基づくフライトシム・ゲームを試してみるというのもあります。最近、PacificFightersというゲームの日本語マニュアル付きが発売されましたので、お勧めです。
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お礼日時:2006/02/23 17:19

戦闘機としてはいちおう零戦のほうが高性能というのが通説ですね。


航続距離では増槽を取り付けられる零戦が優位、速度、武装でも同様です。

ただし、局地戦闘機としてはどちらも失格です。爆撃機迎撃と、護衛では必要とされる性能が変わります。迎撃ならば上昇力、重武装、高高度での速度、そして爆撃機の機銃にあたっても多少は耐えることのできる防御力です。逆に護衛機ならば一番重要なのは爆撃機についていける航続距離、敵迎撃機をひきつけるために必要な旋回性能が重要です。

もともと隼は長距離爆撃の護衛として開発された機体ですので、敵の戦闘機を撃墜できるだけの武装でよかったので、なんとか7.7MM機銃でも対抗できたのです。
零戦の場合は、20MM機銃もあったのですが、機体構造の問題もあり、7.7MMを主に使う搭乗員が多かったといいますので、武装としては零戦のほうが若干優位というくらいです。

しかし、迎撃機としては7.7MMではあまりに力不足、そして防御力不足なのでハリネズミの連合軍爆撃機には太刀打ちできませんでした。
もっとも、戦闘機戦でも7.7は力不足だったようで、隼は一型丙からは2挺とも12.7MM機銃に更新しています(もっとも、これでも大型機には力不足だったのですが)。

迎撃機としては、ドングリの背比べといったところかと思います。
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お礼日時:2006/02/23 17:20

局戦として使用するなら、双方とも失格です。


本来援護戦闘機として計画されたもので迎撃用では有りません。
共に速力、強度が不足(一式戦は特に)ですし、一式戦は火力も貧弱
です。
比較すれば零式戦の方が「まし」な程度でしょう。

局戦として計画されたものは二式戦/雷電ですが二式戦は相変わらず
火力が貧弱ですし、雷電は設計不良から就役が大幅に遅れてしまい
ましたね。
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お礼日時:2006/02/23 17:20

 かじった程度の知識ですが、前の方達が書いておられるように、零戦も隼も大戦後期になると技術力の差で連合国に押されています。

特に零戦は初期の頃は本当に恐れられていました。ところが、後半では装甲や速度差から次々に撃墜され、僅かに勝っていた旋回・加速性能を十分に生かせる熟練のパイロット(その熟練のパイロット達もミッドウェー海戦で多くが失われていた)しか生き残れない、そんな状態でした。それに比べ隼は零戦と比べて航続距離を意識した設計ではなかった事が逆にポイントとなって、大戦後期でも低空戦であれば十分に対抗できたらしいです。この点では隼が優れた戦闘機だったのかもしれません。
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お礼日時:2006/02/23 17:19

海軍機と陸軍機ですから両方に乗った軍人は日本にはいなかったでしょう。

     従ってデータの比較になりますが、日本軍機に関する本は数多くでており、データは本により違うので比較は困難です。      所が両機とも連合国側に鹵獲されており、各種の性能調査が行われたそうです。     同時期なのか、そうでないのか、また同じ人が双方に乗ったのかもわかりませんが、どちらも、低高度の上昇速度(高高度とはB29の飛ぶような高度)と運動性は優れているとの評価でした。    ニュアンスてきには 隼 の方がわずか良さそうでした。    零戦は32型(52型か)隼は2型です。   学研の歴史群像 太平洋戦争シリーズNo52   「隼 一式戦闘機」をお読み下さい。     なおこのテストでどちらも水平飛行速度が毎時560キロぐらい出て日本のデータより良かったそうです(連合国軍のガソリンが良質だったか)。   隼2型は12,7ミリ機関銃 2挺を装備していました。    上昇速度、運動性どちらも迎撃用に必須ですから両者にはほとんど差がないという事ではないですか。
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お礼日時:2006/02/23 17:18

>零戦と一式戦隼はどちらが優れた戦闘機といえるでしょうか。



この一文だけで答えますと、局地戦闘機としては
零戦が断然上です
・上昇力
・武装
・速度
全てで零戦が上ですからね

実際の戦闘機としての性能も隼より零戦のほうが上だと私は思います。
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お礼日時:2006/02/23 17:18

回答を言えば、昭和16年なら、どちらも可で、19年以降はどちらも不可でしょう。


15年までの戦闘機の考えかたは、格闘性能至上主義で、撃たれないようにすれば、防弾は要らないし、速度も要らないという考えでしたし、当時の爆撃機や攻撃機も防弾がほとんどありませんから、7.7mm機銃でも十分でした。
局地戦闘機として、重武装、高速、上昇力が高い戦闘機に欧州の大戦で気付いて、開発しています。
後の陸軍キ44(鐘軌)、海軍の雷電です。
隼は軽戦と呼ばれたのに対し、こちらは重戦と言われました。キ44は次にキ61(飛燕)となりますが、紫電や紫電改は海軍機ですから、系統が違います。
紫電は水上戦闘機(フロート付き戦闘機)して完成しますが(強風)、需要がないため、陸上戦闘機に変更し、その変更した(新しく作ったと言っていいほどの)のが紫電改で、終戦直前に活躍しました。ここらは、すべて2000馬力エンジンで、隼や零戦は1000馬力ですから、比べるのが難しいです。
零戦の後継機は烈風でこれは2000馬力エンジンでしたが、試作機を作ったまででした。
ドイツのBf109E7に刺激されて、局地戦闘機は開発されていきますが、いかんせんエンジンの開発が遅れたため、終戦間際にならないと、大馬力のエンジンを供えた戦闘機ができなかったというのが、実情です。
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お礼日時:2006/02/23 17:17

どちらかというと、それは零戦でしょうね。

その理由は20ミリをもっている。速度が隼の490kmに対し、533kmと優速であり、やってきた敵に追いつける。長大な航続距離があり、滞空警戒可能時間が長い。です。上昇性能が緒戦のころは連合軍でも並び立つ戦闘機がいなかったので、やってきた敵に対し、速やかに上昇待機できる。
 しかしながら、大戦後半には、ターボがなく、1万メータの高高度で速度がでないとか旋回するとすぐ高度が落ちる、急降下による一撃離脱ができない、1発でも被弾すると防御装置がないことですぐ燃えてしまう。速度が連合軍戦闘機の600kmの上に対し、劣速であるからの理由で、局地戦闘機としては、×でしょう。
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お礼日時:2006/02/23 17:17

第一に異なるのは兵装で零戦は20mm機銃2門、と


7.7mm機銃2門ですが、隼は7.7mm機銃4門のみで攻撃力が不足で防弾装備をした敵機には歯がたちませんでした。
防弾装備を備えた英国軽爆撃機を数機の隼で追撃し逆に被弾し加藤隊長が戦死した位でした。

それに増加燃料タンクをつける設備がないので航続距離において隼は零戦に劣ります。
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お礼日時:2006/02/23 17:16

・最近知ったのですがエンジンは、どちらも中島飛行機製だったようですね。


・陸軍向けが隼
・海軍向けが零
だったと記憶しています。

 零は、軽量化の為に強度不足が有ったらしいので、意外と急降下や急上昇は性能が低かったようです。
 隼は、あまり資料が無いようですが、途中から飛燕、紫電、紫電改と変わった経過を見ると、隼に何か弱点が有ったのでしょう。
 B29対策で局地戦闘機には高高度での飛行能力を求められました。メッセーシュミットを参考に開発した飛燕は有力候補だったのですが性能が安定せず難しかったようです。
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お礼日時:2006/02/23 17:16

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Q四式戦闘機、五式戦闘機、紫電改どれが最強だと思いますか?

四式戦闘機(疾風)、五式戦闘機、紫電改どれが最強だと思いますか?私は急降下速度と20ミリ機銃胴体装備の点で五式だと思うのですが・・・

Aベストアンサー

私の持っている本に、No.3の答えの記載とおなじで、「戦後の米軍の調査で日本の陸海軍戦闘機中で四式戦(疾風)が最優秀と評価された」と書かれています。
五式戦、紫電改の生産機数がそれぞれ約400機に対し、四式戦は約3300機と多く、実戦を経て改良が良くなされている為と思われます。
性能的にはたいした差はないでしょう。

Q紫電と零戦のちがい

紫電は航続距離の短い局地型戦闘機で、零戦は航続距離の長い艦上戦闘機じゃないですか。この二つってどう違うんですか?発動機や装備が違うんですか?

Aベストアンサー

紫電は水上戦闘機「強風」を陸上機化した機体で1942年末に試作機が完成しています。発動機は誉二一型で、20ミリと7.7ミリの機銃が二つずつと60キログラム爆弾4個もしくは250キログラム爆弾2個を搭載しています。
零戦との違いですが、これは零戦と紫電の違いなのか、局地戦闘機と艦上戦闘機の違いなのかはわかりませんが、後者で行くと元々海軍には戦闘機は艦上戦闘機のみでした。しかし、艦上戦闘機は狭い空母の甲板で離着艦をするため、それが性能向上のネックとなっていました。中国戦線で国府軍の高速戦闘機に手を焼いた海軍は性能に制限がつかない陸上専用の戦闘機を開発することにしました。それが局地戦闘機です。局地戦闘機は基地上空の防衛が任務なので航続距離が短めとなっています。
対して、艦上戦闘機は広い洋上で敵空母部隊を発見して攻撃するため、ある程度の航続距離が必要となりますが、零戦の場合は陸上攻撃機の護衛という任務もあるため人一倍航続距離が求められたのです。両者に発動機や装備に差異はないと思います。
あと、零戦と紫電の違いは簡単にいうと、零戦は戦争を通しての主力戦闘機で、紫電は零戦にかわる主力戦闘機とされた雷電の実戦配備が遅れていたので問題があるにもかかわらず採用された機体です。その後、改良されて紫電改となってアメリカの戦闘機と互角に戦えるまでになりましたが、すぐに終戦となってしまったので零戦の後継の主力戦闘機にはなれませんでした。

紫電は水上戦闘機「強風」を陸上機化した機体で1942年末に試作機が完成しています。発動機は誉二一型で、20ミリと7.7ミリの機銃が二つずつと60キログラム爆弾4個もしくは250キログラム爆弾2個を搭載しています。
零戦との違いですが、これは零戦と紫電の違いなのか、局地戦闘機と艦上戦闘機の違いなのかはわかりませんが、後者で行くと元々海軍には戦闘機は艦上戦闘機のみでした。しかし、艦上戦闘機は狭い空母の甲板で離着艦をするため、それが性能向上のネックとなっていました。中国戦線で国...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Q戦闘機や航空基地 : どうして陸軍と海軍でバラバラだった?

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理由があったのでしょうか? 陸軍がまとめて防空の構えをすれば事足りるように感じたのですが ・・・

それと、海軍と陸軍でどうして戦闘機の機種を統一しなかったのでしょうか? 

もちろん、戦闘内容が違うので両軍が求める性能を統一するのは難しいのは理解できるのですが、すごく不経済だし合理的ではないように思いました。

たとえばゼロ戦を陸軍も使用するとか、逆に隼を海軍も使用するとか出来なかったのでしょうか?

歴史書を読んでいて、ふと感じたので質問させて頂きました。

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理...続きを読む

Aベストアンサー

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では「イエス・サー」といいますが、海軍では「アイ・アイ・サー」といいます。かように「はい」という答えひとつでも違う言い方をしたがるほど陸軍と海軍はときに対抗します。いわんや航空機の仕様については他の方も回答されているように陸軍と海軍では要求するスペックが違いますから自ずと機種が違ってきます。
それは現在でもそうで、例えばアメリカ空軍が使うF-16と海軍/海兵隊が使うF-18は大きさといい性能といいよく似ています。大きな違いは、F-16が単発エンジン、F-18が双発エンジンという点です。一時期、海軍でもF-16を採用してはどうか、という声も上がったのですが、海上で活動することが多い海軍機はエンジンがひとつ故障(あるいは損害)を受けてももうひとつのエンジンで基地や空母までたどり着ける可能性がある双発機のほうがふさわしいとのことで海軍/海兵隊はF-18を採用しました。しかし実際は長年米海軍とお付き合いのあるノースロップ社の「ロビー活動」のたまものです。

合理的精神の塊であるアメリカ人でさえ空軍(陸軍)機と海軍機の統一ができません。ロバート・マクナマラが機種を統一しようとしてF-111という戦闘爆撃機を作りましたが、これは海軍と空軍の猛反対を押し切って強引に進められたものでした。海軍はよっぽど気に食わなかったのか、何かと理由をつけてちゃっちゃとF-111を退役させました。

今でも、ゼロ戦と隼とどっちが優れているか議論させたら答えは出ませんよ。カタログスペックではゼロ戦が優れていますが、ゼロ戦はかなりクセの強い戦闘機だったようです。じゃじゃ馬だったんですね。それに比べると隼のほうがはるかにマイルドで乗りこなしやすかったそうです。ゼロ戦はホンダ車、隼はトヨタ車みたいなもんだったのかもしれません。

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では...続きを読む

Q第二次世界大戦頃までの戦闘機乗りの生還率は?(撃墜王の事が知りたいです)

撃墜王なる言葉がありますが
調べて見ると5機墜とすと与えられた称号らしいです、もちろん諸説ありますが
5機墜とす位は熟練パイロットなら出来るのでは?なんて思いましたが
たぶんこれはTVゲームしてる感覚で捉えての結果だと思います
全然ピンときません
生涯戦闘で5機でエースなんて呼ばれるって事は
ものすごく生還率が悪かったと予想出来るのですが・・・

撃墜王って呼ばれるにはかなり大変だったのでしょうか?
また太平洋戦争までの生還率など
素人に解りやすく教えて頂ければ幸いです
よろしくお願い致します

Aベストアンサー

直接的な回答ではありませんが、
アメリカ軍の集計では
・エースは総パイロットの1%に満たない
・しかし、全撃墜数に於けるエースのシェアは40%位
・トップ・エースは生存率も高い(米軍の場合、20傑中戦死者は3人だけ)
という結果が出ています(これがアレグレッサーなどの摸擬空戦を重視する訓練へと繋がっていく)。

 つまり、パイロットになると、大体は戦果を上げることなく敵に喰われる。その時点で運が良いか、技量がいいものは生きのこり、やがてエースになるか、運が良いだけでなんとか生きのこる「その他大勢」になるか、という事になるわけです。

 ただし、生存率に関して言えば、国によって条件が異なり、落とされても歩いて自陣に返ってもう一回出撃、なんて恐ろしいことが平気で起こるWW2のドイツ(3桁級がゴロゴロ。肋骨負っても再出撃した奴もいた)、ローテーション態勢がしっかりしていて、それほどスコアを伸ばせないアメリカ、洋上を長距離侵攻が多く必然的に死にやすい日本など、「その国の事情」があるので、一概には言えません。

 なお、現在ではそもそも空戦自体がほとんど発生しないので、撃墜経験のあるパイロットの方が希少です。最後のエースは1986年のイラン空軍人でした。もう20年以上前の話です。

直接的な回答ではありませんが、
アメリカ軍の集計では
・エースは総パイロットの1%に満たない
・しかし、全撃墜数に於けるエースのシェアは40%位
・トップ・エースは生存率も高い(米軍の場合、20傑中戦死者は3人だけ)
という結果が出ています(これがアレグレッサーなどの摸擬空戦を重視する訓練へと繋がっていく)。

 つまり、パイロットになると、大体は戦果を上げることなく敵に喰われる。その時点で運が良いか、技量がいいものは生きのこり、やがてエースになるか、運が良いだけでなんと...続きを読む

Q日本陸軍機は海軍機に比べ、エピソードが少ないと感じます。どんな理由があ

日本陸軍機は海軍機に比べ、エピソードが少ないと感じます。どんな理由があるかおしえてください。

私が知っているエピソード(活躍、失敗)は
陸軍機は
・97戦のノモンハン事件での活躍
・1式戦の加藤戦闘隊の活躍
・99双発軽爆による沖縄米軍基地強行着陸
・4式重爆の海軍指揮下による雷撃靖国作戦  くらいです。

一方海軍機は、真珠湾攻撃を別としても
・96艦戦の樫村機の片翼飛行
・零戦の漢口での勝利
・零戦の関大尉による初特攻
・96陸攻の渡洋爆撃
・96陸攻、1式陸攻の英2戦艦撃沈
・99艦爆の英空母ハーミズ撃沈
・1式陸攻の山本五十六機撃墜
・1式陸攻の桜花もろとも撃墜
・銀河の梓攻撃隊
・紫電改の松山上空での迎撃戦

と海軍機のほうが多いです。
陸軍機が戦闘に参加した回数が少ないのか、戦後、話を取り上げられるのが海軍機に偏っているか。いったいどんな事情でしょうか。

Aベストアンサー

こんばんは。
質問への回答ですが、
陸軍が主体となった中国戦線において
強力な敵航空戦力が存在しなかったということが大きな理由だと思います。
航空戦といえばやはり太平洋といった感じが強いです。
太平洋でアメリカの相手をしたのは基本的には海軍でしたから
必然と海軍の逸話が増えるのではないでしょうか?

Q兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考えはどこから出てきたの

兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考えはどこから出てきたのでしょうか。
太平洋戦争敗戦まで、その考えに固執したのには、よほど強烈な思想があったのではと、愚考しています。
日清戦争で、早くも「因糧於敵」の方針が示されています。
穿った見方をすれば、陸軍創設を指導した西欧のどこかの国が、わざと軽視するべしと教えたのではないかと、つまらぬ妄想をしています。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。

 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。

 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げられる、「インパール」や「ガダルカナル」のような悲劇が起こったのでしょうか。

 一つにはとにかく日本軍が貧しかったということがあります。「日清日露戦争」や「日中戦争」に見られるように、銃剣突撃や白兵戦を常に攻撃の主体においていたのには、この貧しさが大きな原因となっています。

 つまり、攻撃前の十分な準備射撃には膨大な弾薬が必要となりますが、これを用意できなかった(あるいは惜しんだ)ため、結果的に肉弾による最後の決戦に挑んだということです。旧日本陸軍では日清日露戦争当時から、戦闘時における砲弾や銃弾の不足に常に悩まされていましたが、これは製造能力が無かったというよりは、やはり弾を惜しんで一発必中的を推奨する軍内部の精神的な悪癖がありました。

 もうこれは日本の文化といっても良いもので、現在に至るも自衛隊での訓練における弾薬の一人当たりの消費量は、南米の小国であるニカラグアのそれよりもはるかに少ないということも、なんだか笑ってしまうほどの哀しい文化だというしかありませんし、警察や海保なども似たり寄ったりの状況です。

 質問にある「糧が敵に因る」や「現地調達」という思想は元々旧日本軍からでた発想で、外国から強いられた発想ではありません。旧日本陸軍に大きな影響を残し、陸軍参謀本部の生みの親でもあるドイツ軍人メルケル少佐は、つねにその講義の中で兵站や補給の重要性を説いていました。

 旧日本軍が兵站戦でも敗北した理由のもう一つに、戦線での制空権と制海権の喪失があります。いくら補給をしたくとも、途中でその輸送艦船が壊滅させられればどうしようもありません。それでも「ガ島」の例にあるように、「ネズミ輸送」とか「アリ輸送」などのように揶揄されながらも、必死に補給を続けようとしていましたし、「インパール」にしても輜重出身であった第15軍参謀長の小畑少将が、その兵站無視の無謀な作戦に最後まで抵抗をしていました。

 よくアメリカ軍の補給能力の高さが取りざたされますが、それも相対的な戦局の有利があってのことです。そのアメリカでさえ細かな戦闘を取り上げれば、それなりに補給に苦しめられた戦線が多々ありました。ただアメリカのすごいところは、一旦これは必要不可欠なものだと理解したら、官民上げての協力体態勢を即座に構築し、一丸となってことに当たる覚悟の良さです。
 倒的な物量、言い換えれば国内での大量生産体制があってのことでもありますが、アメリカの思考方法の柔軟さは今でも見習うべきところがあります。

 第一次湾岸戦争(イラクを第二次と呼ぶならばですが)で見せた、あの圧倒的なロジスティック能力と物量を見るにつれ、この国はやはり戦争の時になればなるほど生き生きとするんだなとあきれるばかりでした。

 閑話休題 

 今に至る日本軍兵站思想の貧しさを非難する風潮は、たしかに事実として部分的には当たってはいます。旧陸大の輜重科を卒業し輜重将校になったのは、全卒業生の1パーセントにも満たないし、その中から大将までに登りつめたものもいません。それは明治維新の幾多の戦闘において、新政府側がその輜重業務を当時の地域の博徒(つまりはヤクザですね)達に任せていたことが、後々までに輜重に対しての悪いイメージを遺していったという面もあるかもしれません。

 旧日本海軍にしても輸送関係の部署を「ボロ士官の捨て所」とよんで侮蔑していましたので、この前近代的な伝統は根深いものがありました。

 しかし前述したように、軍部内部にも心ある人物はいて兵站に関する重要性を常に説いていましたし、大きな犠牲を払いながらも補給を継続しようとする意思と行動を続けていたことも事実です。しかしあまりにもその数が少なく、兵站に関しての人材不足はやはりどうしようもなく、旧日本軍の大きな欠点でした。

 それに軍内部に大きな発言力を持った、輜重畑出身の高官がいなかったことも日本にとっては不幸なことだったと思います。

 たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。

 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。

 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げら...続きを読む

Q日本陸軍の地上攻撃機

九八式直協偵察機、百式重爆、九九双軽
いろいろいますよね。

でも、旧陸軍が攻撃かけるときは火砲、戦車の支援はあっても
航空支援がいるイメージがない。
戦闘機の制空戦闘と双発機による戦略爆撃の話が多いような。

陸軍航空隊の小型爆撃機、攻撃機の実態は?
ちゃんと敵陣地や戦車を攻撃していたんでしょうか?
やっていたとして独米ソよりは密度低めですか?
戦局が守勢に回った後は、どうしてたんでしょうか?
特攻はわかりますが、それ以外で。転属?

Aベストアンサー

帝国陸軍の場合、戦闘機が爆弾を搭載できるように作ってあるので、それが地上支援に使われました。
たとえば一式、隼は250kgの爆弾がつめるわけです。ヤーボの考えが、中国での経験から、非常に早くから陸軍にはあったわけです。

なので、ドイツのスツーカやソ連のIL-2に相当する機材は、九九軍偵/襲撃機しかなかったわけですが、それでも日本機としては多くの二〇〇〇機以上生産され、防弾、攻撃装備がよくととのえられて重宝されたといいます。陸軍機ですが潜水艦まで沈めていますから、使い勝手のよさが想像できるとおもいます。

なので、地上直協には、単発戦闘機と、基本、九九襲撃機が出向いた、とまとめていいと思います。守勢となった末期には、いやな話ですが特攻です。運動性がいいので九九襲撃機で命中した機材がいくつかあったそうです。

ちゃんとやっていましたが、貧乏ゆえ数が少なくて密度が薄かったのが、現実だったのです。

Q日本の戦闘機の機銃

1)日本軍戦闘機が戦争全期にわたって20ミリ、12.7ミリ、7.7ミリの3種類があり、しかも1機に異口径機銃を装備しているのはなぜですか。米軍はF4F,F6F,P40,P47,P51といった量産主力戦闘機はみんな12.7ミリ機銃6ないし8です。前線では同口径の機銃にした方が汎用性があって補修、交換、銃弾の補給も容易なはずです。
2)同様に全期で胴体銃が多いのはなぜですか。米軍も初期や大戦前は胴体銃がありましたが、中期以降は1)のとおり翼内12.7ミリ機銃6です。一方の日本は後期の3式戦、4式戦、零戦52型でも翼内銃、胴体銃の混合です。4式戦なんて2000馬力エンジンなんだから米軍並みの12.7ミリ機銃6でもパワーが出ないなんてことはないと思いますが。
3)日本機はエンジン、フラップなどの機体の技術は高いようですが、武装は後進国だったんでしょうか。

Aベストアンサー

日本軍の「こだわり」と、アメリカ軍の「合理性の追求」という、両者の基本的な考え方の違いがそのまま現われているのだと思います。

日本軍の戦闘機では、弾道の直進性が良く命中させやすい小口径の胴体銃と、命中させにくいが当れば破壊力の大きい翼内砲の両方を装備して、戦闘の状況に応じて切り替えて使っていました。零式艦上戦闘機の場合、左手で操作するスロットルレバーに発射ボタンが付いており、7.7ミリだけ発射と、7.7ミリと20ミリの両方発射と、20ミリだけ発射の3通りを切り替えるようになっていました。

一方、アメリカ軍の戦闘機では、まさに質問者さんご指摘の通り、規格を統一することで生産・補給・運用を最大限合理化するという方針を貫いていました。

また、装填する弾数も多く、狙って命中させるよりもとにかく湯水のごとくバラまいてどれか当れば良いんだという戦い方をしていましたが、それができたのは、恐ろしい程の大量生産・大量輸送が可能な国力があったればこそです。逆に言えば、生産力こそがアメリカの最大の武器だから、規格を統一することで生産力と輸送力を最大限に発揮できる態勢を整備したと言うこともできそうです。

生産力に於いて劣勢な日本は、どうしても少数精鋭で勝ちに行かないといけない。機関銃や機関砲も少ない弾丸数で戦果をあげることが求められましたから、いきおい性能に「こだわる」ことになりました。

規格の統一など意図せず、それぞれの戦闘機が性能を追求しましたから、例えば陸軍一式戦闘機「隼」のように機首の機銃だけで、翼内には銃を装備しない機体もあれば、海軍の紫電改のように翼内の機関砲だけの機体もあり、形式はまちまちでした。

陸軍4式戦闘機「疾風」のパワーの問題ですが、2000馬力もあるから少しくらい重い武装を積んでもかまわないとは当時の陸軍は考えなかったようで、さらなる重量の軽減に努めていました。

日本は武装に関して後進国だったかという点ですが、トップの技術は高かったけれども底辺の技術が低かったという事だと思います。たとえば、航空機メーカーで戦闘機の設計に当る技術者は欧米と比較してもひけを取らない高い技術を持っていましたが、その一方で部品の材質や仕上げ加工は誠にお粗末でした。先の4式戦闘機「疾風」など、空中戦ではアメリカのP-51ムスタング戦闘機を上回る性能を発揮しましたが、着陸した後はエンジンの下から大量のオイルがポタポタと漏れていました。

その他、航空燃料の品質も悪かったし、量も不足していたし、20ミリの機関砲弾も品質にバラツキがあって、不発や暴発で事故もあったようです。基礎技術の不備が先端技術の足を引っぱって戦に負けたという側面は否定できません。その反省から、戦後になって工業規格(JIS)の重要性が認識され、精力的に整備されたと言われています。

日本軍の「こだわり」と、アメリカ軍の「合理性の追求」という、両者の基本的な考え方の違いがそのまま現われているのだと思います。

日本軍の戦闘機では、弾道の直進性が良く命中させやすい小口径の胴体銃と、命中させにくいが当れば破壊力の大きい翼内砲の両方を装備して、戦闘の状況に応じて切り替えて使っていました。零式艦上戦闘機の場合、左手で操作するスロットルレバーに発射ボタンが付いており、7.7ミリだけ発射と、7.7ミリと20ミリの両方発射と、20ミリだけ発射の3通りを切り替えるようになってい...続きを読む

Q日本陸軍はなぜ海軍より悪役にされるのですか?

海軍は真珠湾攻撃、ミッドウェー、カダルカナルなど攻勢終末点を越えた無謀な作戦ばかりして戦火を広げ、陸軍はそれに引きずられたそうですが。
また戦闘機の開発、思想では陸軍のほうが進んでいた。
(海軍格闘戦にこだわる。陸軍一撃離脱を取り入れる)

Aベストアンサー

前に
「帝国海軍について」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4902336.html
と言う質問があり、No.4で私が回答しています。
その中から今回のご質問「日本陸軍はなぜ海軍より悪役にされるのですか?」の答になる部分を引用しますと

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
戦後、陸軍が悪玉、海軍が善玉ということでイメージが定着しています。この理由は、

1) 海軍は「短期現役士官制度」「予備学生制度」で、現在で言えば「大学在学以上の青年」を短期間の教育後に士官とするしくみを作りました。
昭和15年以降は、大学を卒業したら何もしないと陸軍に二等兵として入営しなければならない状況でした。それから逃れる唯一の道である「短期現役士官制度」「予備学生制度」に応募・採用された学生は多数に上りました。
こうした「学徒士官」は「最初から士官に準じる待遇」で海軍に入り、戦争を生き残った人は中尉か大尉で一般社会に戻ったわけですが、海軍のことを悪く思うわけがありません。
そうした人の中で、著名な作家になったり(例:阿川弘之)、官界・実業界・言論界・学界で有力者となる人が多数出ました。こうした、社会に影響力を持つ人が海軍びいきであったことが現在にかなり影響しているようです。
特に、海軍予備学生出身の高名な作家である阿川弘之が
「山本五十六」「米内光政」「井上成美」
の「海軍三部作」をはじめとする多くの海軍関係の著作をものしたことは、「海軍の良いイメージ」を世の中に広げるのに役立ちました。
一方、陸軍の場合「大学在学以上」の人であれば、二等兵として入営しても約1年後には少尉になっているのが普通でした。「甲種幹部候補生」になった人です。「大学在学以上」の人は、特に問題がなければ「甲種幹部候補生」になりましたので、「大学在学以上」で陸軍に入り、戦争を生き残って兵卒や下士官で復員した人はそれほど多くはありません。この点で、海軍と大差なかったようにも見えます。
しかし、陸軍の場合は「甲種幹部候補生」になる前に必ず何ヶ月か二等兵として兵営生活を送らねばなりませんでした。これが「軍隊より監獄の方がよほど楽だ」というとんでもない苦しい生活でしたので、陸軍に入って戦争を生き残って中尉や大尉で復員した人も、「陸軍びいき」になる人は通常いなかったようです。

2) 昭和20年の時点で、健康な20歳以上の男子はほぼ全て陸軍か海軍に属していると言う状態でしたが、人数で言えば陸軍の方が圧倒的に多いです。そして、その多くは学歴がないため「幹部候補生」にはなれず、二等兵として入営して地獄の責め苦を最後まで受け、死なずに復員できたと言う人たちです。こういう人たちが「陸軍大嫌い」になるのは当然のことでした。

3) エリートの「大学在学以上」の人が「海軍びいき」か「沈黙」、一般庶民は「陸軍大嫌い」であれば、陸軍の味方をする人は
「元・陸軍の職業軍人」
程度です。
ただし、一般にこうした人たちは戦後は沈黙を守りましたので、世の中に聞こえるのは「海軍びいき」の声が圧倒的となります。

4) 陸軍にも宮崎繁三郎中将、山下奉文大将、今村均大将のように名将・智将として評価されている人はおりました。
また、開戦責任・敗戦責任が陸軍にだけあるわけではありません。
開戦時の東條英機首相(陸軍大将)は、自分の意思で首相になったわけでもなく、自分の意思で戦争を始めたわけでもありませんが、彼が首相になった時には既に「アメリカを相手に戦争する以外はない」状況でした。「東條首相と陸軍が積極的に戦争を始めた事実」はありません。
しかし、現在は
「太平洋戦争は陸軍が始めたもの。陸軍にはとんでもない連中ばかりいた」
という「常識」が成立してしまっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「大東亜戦争の敗北についての海軍の責任」について良く分かる本として、

「太平洋戦争はなぜ負けたか」 別宮暖朗
http://www.amazon.co.jp/dp/4890632409/

「なぜ敗れたか日本海軍 (光人社NF文庫)」 是本信義
http://www.amazon.co.jp/dp/4769825250/

「大本営参謀の情報戦記(文春文庫)」 堀栄三
http://www.amazon.co.jp/dp/4167274027/

の3つを挙げます。

また、帝国海軍が、それなりに充実していた潜水艦部隊を有効に使用せず、まるで「鉄の壁にタマゴをぶつける」ようにして無駄に消耗させていったことが分かる本として

「本当の潜水艦の戦い方」 中村秀樹
http://www.amazon.co.jp/dp/4769824939/
をお勧めします。

4冊買ってもそれほど高くありませんので、ぜひお読みください。
いかに「海軍善玉・陸軍悪玉説」が事実と乖離しているのかが良く分かります。

前に
「帝国海軍について」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4902336.html
と言う質問があり、No.4で私が回答しています。
その中から今回のご質問「日本陸軍はなぜ海軍より悪役にされるのですか?」の答になる部分を引用しますと

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
戦後、陸軍が悪玉、海軍が善玉ということでイメージが定着しています。この理由は、

1) 海軍は「短期現役士官制度」「予備学生制度」で、現在で言えば「大学在学以上の青年」を短期間の教育後に士官とする...続きを読む


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