廃仏毀釈を取り上げた小説は何か無いでしょうか?
出来る限り史実に根ざした内容で、
政府・寺社・民衆それぞれの視点の作品を読んでみたいのです。
現在の本屋さんで手に入るものだと良いのですが……。

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A 回答 (2件)

真正面から「廃仏毀釈」を取り上げているかは分かりませんが、検索してかかってきた物を挙げておきます。



「天鼓なりやまず、北畠道龍の生涯」 神坂次郎 著 中公文庫

小説ではありませんが

「日本人の神」 大野晋 著 新潮文庫

「明治という国家」 司馬遼太郎 著 日本放送協会出版

も廃仏毀釈をきちんとした観点から取り上げています。
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この回答へのお礼

ご返答ありがとうございます。
自分の検索では見つけられなかったので大変助かりました。
北畠道龍という人は明治の宗教政争という面からも大変興味深い人のようですね。
本はすぐには見つけられませんでしたが、根気よく探すか取り寄せるつもりです。
「日本人の神」と「明治という国家」は早速読んでみました。
廃仏毀釈をめぐる各勢力の明確な立場の区別が出来、大変為になりました。

お礼日時:2002/01/15 17:04

江戸時代、幕府は一村に一寺を基本とし、寺に戸籍管理、手形の発行等住人の管理をすべて任せました。

このために寺が大きな権力を持ち、それまで無かった初七日、49日などといったさまざまな機会にお布施をふんだくるようになったとということで、江戸時代以前にはこのような習慣は無かったそうです。
寺社奉行が重要ポストだったのもこのことが関係するのでは?
ですから徳川体制=寺の権力だったため、悪辣な坊主に対しては民衆が廃仏毀釈に走ったということもあるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご返答ありがとうございます。
廃仏毀釈は江戸幕府による政策も絡んだ歴史的にも根の深い問題のようですね。
民衆の心理的側面も合わせてこの問題への興味が大きく膨らみました。

お礼日時:2002/01/15 17:19

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Q「民衆が共同で出資」して壊れた寺社を復活→用語は?

日本の中世に「民衆が共同で出資」して壊れた寺社を復活させるという出来事があったと思うのですが、この「民衆が共同で出資」を表す1つの用語が思い出せません。寄進は明らかに違いますよね・・・もしご存じの方おりましたら教えて貰えませんか。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

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Q廃仏毀釈について

1868年に判然令によって、いわゆる廃仏毀釈がおこなわれ、建築物としての神社仏閣が分離されたと言います。
明治以前の神社はどんな姿をしていたのか知りたいのですが、どうなんでしょう。たとえば、近江の日吉神社とか、豊前の宇佐八幡とか、神社の形としてしては(建築物の配置としては)、現在のままだったのでしょうか?

Aベストアンサー

明治政府が発令したのは廃仏毀釈ではなく、神仏分離令で、仏教排斥を意図したものではなかったのです。
コレに過敏に反応して起きた現象を廃仏毀釈と言います。
つまり地方役人や民衆が過剰反応をして寺を打ち壊した事を言います。
この際に神宮寺の中でも神社を選択した場合などは残る機会を得たと言われています。

神社の建造物の大まかな構造や配置は、仏教が広まり、神宮寺の建立から神仏習合に至った時代に寺の構造に倣って作られたものが多いので、基本的には明治以前も以後も同じです。
(どこかに対比した図を載せたサイトがあったのですが、見失ってしまいました)
なので、平安時代より古いとされる神社の一部に神社の古い様式が残っていると考えられています。

Q廃仏毀釈の時代の周辺疑問がいくつか

歴史の時間に、「廃仏毀釈」のことを習ったのですが、廃仏毀釈のムーブメントや明治維新の宗教改革は、あまりにある時期・瞬間に起こり、なにもなかったようにその後があるように感じたので、周辺疑問がいくつかある芽生えてしまいました。よろしくお願いいたします。
 
【質問1】廃仏毀釈の時代、人々は、神道のお葬式をしようとしたのでしょうか?
 司馬遼太郎の小説を読むと、高杉晋作の葬式まで、神道の葬式というのは忘れ去られていたと書いてありました。だとすると、当時、日本中の人は、神道方式など何も知らなかったような気がするのですが。
 
【質問2】当時朝廷(明治政府?)は、飛鳥・奈良朝以来の仏教信仰をすてて、神道の宗家?へ集約するプロセスを踏んでいたのだと思うんですが、1000年以上の信仰を捨てるにあたって、矛盾の訂正(たとえば史書などの記述やお墓の修正、律令の改正など)を試みなくても大丈夫だったのでしょうか?
 
【質問3】流行歌「千の風になって」などが容易に受け入れられるのをみていますと、日本人って多分にアニミズム的なんだな!と思うことがあるのですが、仏教→神道への移行時に、人々の宗教心や宗教的矛盾・葛藤などは、解消される方向に行ったのでしょうか?それとも、何も起きはしなかったのでしょうか?
 
【質問4】後年の国家宗教への道と、「廃仏毀釈」のムーブメントは関連はしているが、直接関連した(そうなることを目的とした)政治的動きではない、という風に理解したんですが、学問的には、その理解でよろしいでしょうか?

どの質問でも結構ですので、ご助言いただければ幸いです。

歴史の時間に、「廃仏毀釈」のことを習ったのですが、廃仏毀釈のムーブメントや明治維新の宗教改革は、あまりにある時期・瞬間に起こり、なにもなかったようにその後があるように感じたので、周辺疑問がいくつかある芽生えてしまいました。よろしくお願いいたします。
 
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 司馬遼太郎の小説を読むと、高杉晋作の葬式まで、神道の葬式というのは忘れ去られていたと書いてありました。だとすると、当時、日本中の人は、神道方式な...続きを読む

Aベストアンサー

ご質問全体は、「廃仏毀釈」と言うテーマを巡る専門書を書けるだけのテーマです。質問へのストレートな回答は私には不可能ですので、ヒントだけ。

簡単に言うと、明治以前は日本には、現在我々が知っている「神道」なるものは存在しなかったと考えて下さい。ですので「当時、日本中の人は、神道方式など何も知らなかった」のも当たり前です。存在しないものを知るわけがありません。廃仏毀釈によって仏教から分離され、儀式などが整備されたのが現在我々が知っている「神道」です。

「神道の元締め」ということに現在はなっている皇室も、明治維新以前は仏教(現在の神道を内在する)と密接に結びついていました。皇室の菩提寺といえる存在であったのが
泉涌寺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E6%B6%8C%E5%AF%BA
です。
天皇にならない、あるいは4つの世襲親王家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%A5%B2%E8%A6%AA%E7%8E%8B%E5%AE%B6
を継がない皇族男子は原則として全員「法親王」「入道親王」などとなって寺に入り、結婚せずに(子孫を残さずに)一生を終えました。
門跡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E8%B7%A1
の中に「宮門跡」として記載がありますが、こういった寺院が、「法親王」「入道親王」の落ち着き先です。

上記のような「神道と言うものが存在しない。それで誰も困らない」状態で明治維新を迎え、なぜ「廃仏毀釈」なる「ムーブメント」「宗教改革」が巻き起こったのか、正直私も十分に理解しているとはいえません。

下記の本を熟読されると、ご質問への答えが見えてくるのではないでしょうか。幸い、新刊書店で買える新書判ですので入手が容易です。
他にはあまり適当な文献がありません。

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103) (新書)
安丸 良夫 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0%E2%80%95%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E5%88%86%E9%9B%A2%E3%81%A8%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%BB%84%E7%89%88-103-%E5%AE%89%E4%B8%B8/dp/4004201039/

ご質問全体は、「廃仏毀釈」と言うテーマを巡る専門書を書けるだけのテーマです。質問へのストレートな回答は私には不可能ですので、ヒントだけ。

簡単に言うと、明治以前は日本には、現在我々が知っている「神道」なるものは存在しなかったと考えて下さい。ですので「当時、日本中の人は、神道方式など何も知らなかった」のも当たり前です。存在しないものを知るわけがありません。廃仏毀釈によって仏教から分離され、儀式などが整備されたのが現在我々が知っている「神道」です。

「神道の元締め」という...続きを読む

Q戦国時代、敵国の民衆は殺戮の対象になった?

戦国時代の民衆と言うのは、戦に負けた際には敵国による殺戮の対象になることが一般的だったのでしょうか。
今日放送の「その時歴史は動いた」を見て、疑問に思いました。
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2008_06.html#04

私の勝手な思い込みでは、2つの国が戦になったとしてもそれは国を治める大名同士の争いであり、非戦闘員である一般民衆は殺戮の対象にはならなかったのではないかと思っていたのです。(兵士として徴用される等の事情は除く。)

一般民衆も、その国の主である大名の家臣と同じ扱いとなり、殺戮の対象になったのでしょうか。
それとも、大坂夏の陣が特殊な例だったのでしょうか。


ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

藤木氏の書籍のまとめみたいなもの
http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-tradingofpeople.htm

南蛮貿易の実態
http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html
「我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」
天正遣欧使節の文章より。
けど、ポルトガル人が直接日本人狩りをしていたのではなく、奴隷狩りをした日本人から買っていただけです。
この構造は、アフリカの奴隷狩りもいっしょで、現地アフリカの有力者(王だったり)が他の部族を攻撃して奴隷として西欧人に売っておりました。

ちなみに、戦争後の奴隷狩りを「乱取り」と、言いまして
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B1%E5%A6%A8%E5%8F%96%E3%82%8A
勝ったら 乱取り自由というのが当時の常識。
勝った後、殺戮などという不経済な行為をやるわけ無いと思うのです。若干の抵抗する人間への殺戮はあっても。

藤木氏の書籍のまとめみたいなもの
http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-tradingofpeople.htm

南蛮貿易の実態
http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html
「我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」
天正遣欧使節の文章より。
けど、ポルトガル人が直接日本人狩りをしていたのではなく、奴隷狩りをした日本人から買って...続きを読む

Q【政治と宗教】エジプト文明が滅びたのは統治者が神の力を借りたから。民衆は神を讃え、統治者より神が

【政治と宗教】エジプト文明が滅びたのは統治者が神の力を借りたから。

民衆は神を讃え、統治者より神が偉くなり、統治者が神を制御出来なくなり、神を頂点とする世界に統治者は不要となった。

エジプト文明が滅びたのは神の力に頼ったから滅びたのですが、なぜこの世は過去に世界統一に失敗した神の力を未だに頼っているのでしょう。

エジプト文明は国民が統治者より神が偉いと思ったから国を統治者が統制出来なくなり滅びた。

違いますか?

Aベストアンサー

統治者が、神の名を借りて統治していたようですよ。
アレクサンダー大王の時に、王の家系がギリシャ出身者になっても、太陽神の名を借りて統治し続けていました。
結局ローマの覇権争いを利用しようとしたクレオパトラが自滅を招いたということらしいです。
神は信じる人の心にあります。
鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)
亡くなった祖母は何にでも手を合わせていました。口癖は「守ってくれよる」でした。今も、祖母が守ってくれていると感じる私もきっと有神論者に入るのでしょうね。


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