自分の経験の中で、感情を抑えなくてはならない状況があったと思います。そのときの状況と、また、なぜ、どうゆう仕組みで抑えることができたのですか?もしよかったら詳しく教えてください

A 回答 (3件)

私の場合は、会社の上司(人事権を持っている人)から自分の失敗を責められた時、感情を抑えなくてはならなくなりました。

結局、20代の頃なら辞職していたと思いますが、今もその会社に留まっています。感情を抑えた理由はただひとつ、喧嘩して辞めてしまって収入をゼロにすることができない立場に自分がいるからです。家庭を持ち、ローンを抱えていると言えばご理解頂けるでしょう。個人的見解ですが、感情を抑えること自体が良いか悪いかは、その後の状況で決定するべきものだと思います。私の場合は収入を途切れさせないでいることが、良かったと思えます。私は若い頃から歯に衣着せぬ言葉使いで他者を無意識のうちに傷つけることがありましたので、冷静に考えると今、そのリターンを受けていると言えます。勿論、この先同様の事態で同じ対応をするかどうかは分かりませんが、家庭人となったことが、私に「感情を抑えることの大切さ」を教えてくれたと思っています。少しポイントがずれたようで御免なさい。
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私は、感情はそれなりの必然性があって湧き出てくるものだと考えるので、自分の感情は抑制するより放出させ、その後で分析し言語化することで昇華させていきたいと思っています。

ですから、ネガティブな感情が生まれたときは、できるだけすみやかに一人になって、その感情を放出したいだけさせ、その後、なにが原因でその感情が生まれたのか、その感情をどう名づけるか、そしてどのように処理したいのか、つまり、ひとの行為や言葉によって感情が生まれ、今後もそのような状況に陥る可能性がある場合、その相手とどのような話し合いをしていくべきか、などについて考えます。分析が進むにつれて平常心が戻ってくるのを感じます。対人関係では人に自分のネガティブな感情をむき出しに見せたくない場合が多いですよね。tasyamaguroさんのご質問は、たぶんそういう場合にどうするかということだと解釈しました。

職場の対人関係が原因でネガティブな感情(例えば怒り)が湧いたときは、相手に返すのは理詰めの言葉だけだと自分に言い聞かせています。ですから、怒りは「言葉による仕事内容の説明」という形の下に沈み込ませることになります。 怒りを他の方法(例えば声を荒げる、不適切な言葉を使うなど)で表すと、私のいる職場ではハラスメントで訴えられることもあるのです。ですから、複数が出席する会議や一対一の打ち合わせ・会話などで怒りをおぼえても、怒りを相手にぶつけることはせず、 理性で対処します。その後、他の同僚などとその状況について話をすることなどで、自分が経験したネガティブな感情を昇華させます。

実は私は家庭では、職場や社交の場にいるより、感情処理がむずかしくなります。ネガティブな感情が理性でおさえられるほど小さいときは、「これは後でこういう風に対処しよう」と考えることで連れ合いに感情を未処理のままぶつけることはありませんが、連れ合いの触発によって大きいネガティブな感情にみまわれた場合は、「この感情には一人で処理にあたりたい」旨を手っ取り早く告げ、できるだけはやく相手から遠ざかるようにしています。でも、困ったことに、私の連れ合いは往々にして、私が一人で感情の対処にあたりたいときに、一人にしてくれないのです。するとお互いのネガティブな感情におぼれて二人とも辛い時を過ごすことになります。そんなとき、私は、個人のネガティブな感情はあくまで個人のものとして自分の中で処理し、対人関係には(たとえ夫婦であろうと)理性的にコミュニケーションにあたるほうがいいと考えるものですから、どうしていいか途方にくれてしまうのです。
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この回答へのお礼

詳しく教えてくれてありがとうございました。shosenサンの経験から感情のコントロールは職場より家庭のほうが難しいということがわかりました。それは仕事だからと割り切れているからですかね?

お礼日時:2002/01/15 15:41

なんか、体が動かなくなるんですよね。

感情を、外部に「体現」するのをコントロールしているのであって、感情をコントロールするのは難しいのでは?大切な人が死んだ時とか、コントロールして心底から、爆笑したり、出来ないと思います。

感情はそのまま感情としてあるのはありますが、
体現を抑制しているのは、恐怖とか、「ホントは大切なの」といったような別の感情や、倫理や私利を考える思惑が働くからです。そうして、オーバーなものは、対抗勢力と引き合いして、勢いがなくなり、体現度が下がります。
それで、対抗勢力がいなくなったり、ぶっちぎりの感情があらわれたりすると、
そのままの行為や、ぶっちぎりの表現、体現になるわけです。

以下余談ですが、あくが多い時、倫理観、道徳は、対抗勢力として役立ちます。
わがままな私欲や悪にとってはうとい存在ですね。
あと、社会通念は、どうでもいいです。ころころ変わります。伝統とは関係ないです。なぜなら、戦争する時はして、バブルの時は浮かれるからです。そして、両方、社会に後悔をもたらします。流行は廃れるし、。が、あえて少しは付き合います。社会を自立させるためにです。もっとずっと大事なのは、人が自立する事です。社会は人に使われます。そう言う認識をとして、人は人を使いません。人が人を使わないのは、それぞれが自立しているからです。今はそうではありません。社会に使われ、金に使われ、人を使ってるようで、人に使われてます。人の個人による自立が大事です。経済生活、社会生活、対人生活とは別の話です。個人の、個人における自立です。
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