自分の経験の中で、感情を抑えなくてはならない状況があったと思います。そのときの状況と、また、なぜ、どうゆう仕組みで抑えることができたのですか?もしよかったら詳しく教えてください

A 回答 (3件)

私は、感情はそれなりの必然性があって湧き出てくるものだと考えるので、自分の感情は抑制するより放出させ、その後で分析し言語化することで昇華させていきたいと思っています。

ですから、ネガティブな感情が生まれたときは、できるだけすみやかに一人になって、その感情を放出したいだけさせ、その後、なにが原因でその感情が生まれたのか、その感情をどう名づけるか、そしてどのように処理したいのか、つまり、ひとの行為や言葉によって感情が生まれ、今後もそのような状況に陥る可能性がある場合、その相手とどのような話し合いをしていくべきか、などについて考えます。分析が進むにつれて平常心が戻ってくるのを感じます。対人関係では人に自分のネガティブな感情をむき出しに見せたくない場合が多いですよね。tasyamaguroさんのご質問は、たぶんそういう場合にどうするかということだと解釈しました。

職場の対人関係が原因でネガティブな感情(例えば怒り)が湧いたときは、相手に返すのは理詰めの言葉だけだと自分に言い聞かせています。ですから、怒りは「言葉による仕事内容の説明」という形の下に沈み込ませることになります。 怒りを他の方法(例えば声を荒げる、不適切な言葉を使うなど)で表すと、私のいる職場ではハラスメントで訴えられることもあるのです。ですから、複数が出席する会議や一対一の打ち合わせ・会話などで怒りをおぼえても、怒りを相手にぶつけることはせず、 理性で対処します。その後、他の同僚などとその状況について話をすることなどで、自分が経験したネガティブな感情を昇華させます。

実は私は家庭では、職場や社交の場にいるより、感情処理がむずかしくなります。ネガティブな感情が理性でおさえられるほど小さいときは、「これは後でこういう風に対処しよう」と考えることで連れ合いに感情を未処理のままぶつけることはありませんが、連れ合いの触発によって大きいネガティブな感情にみまわれた場合は、「この感情には一人で処理にあたりたい」旨を手っ取り早く告げ、できるだけはやく相手から遠ざかるようにしています。でも、困ったことに、私の連れ合いは往々にして、私が一人で感情の対処にあたりたいときに、一人にしてくれないのです。するとお互いのネガティブな感情におぼれて二人とも辛い時を過ごすことになります。そんなとき、私は、個人のネガティブな感情はあくまで個人のものとして自分の中で処理し、対人関係には(たとえ夫婦であろうと)理性的にコミュニケーションにあたるほうがいいと考えるものですから、どうしていいか途方にくれてしまうのです。
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この回答へのお礼

詳しく教えてくれてありがとうございました。shosenサンの経験から感情のコントロールは職場より家庭のほうが難しいということがわかりました。それは仕事だからと割り切れているからですかね?

お礼日時:2002/01/15 15:41

私の場合は、会社の上司(人事権を持っている人)から自分の失敗を責められた時、感情を抑えなくてはならなくなりました。

結局、20代の頃なら辞職していたと思いますが、今もその会社に留まっています。感情を抑えた理由はただひとつ、喧嘩して辞めてしまって収入をゼロにすることができない立場に自分がいるからです。家庭を持ち、ローンを抱えていると言えばご理解頂けるでしょう。個人的見解ですが、感情を抑えること自体が良いか悪いかは、その後の状況で決定するべきものだと思います。私の場合は収入を途切れさせないでいることが、良かったと思えます。私は若い頃から歯に衣着せぬ言葉使いで他者を無意識のうちに傷つけることがありましたので、冷静に考えると今、そのリターンを受けていると言えます。勿論、この先同様の事態で同じ対応をするかどうかは分かりませんが、家庭人となったことが、私に「感情を抑えることの大切さ」を教えてくれたと思っています。少しポイントがずれたようで御免なさい。
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なんか、体が動かなくなるんですよね。

感情を、外部に「体現」するのをコントロールしているのであって、感情をコントロールするのは難しいのでは?大切な人が死んだ時とか、コントロールして心底から、爆笑したり、出来ないと思います。

感情はそのまま感情としてあるのはありますが、
体現を抑制しているのは、恐怖とか、「ホントは大切なの」といったような別の感情や、倫理や私利を考える思惑が働くからです。そうして、オーバーなものは、対抗勢力と引き合いして、勢いがなくなり、体現度が下がります。
それで、対抗勢力がいなくなったり、ぶっちぎりの感情があらわれたりすると、
そのままの行為や、ぶっちぎりの表現、体現になるわけです。

以下余談ですが、あくが多い時、倫理観、道徳は、対抗勢力として役立ちます。
わがままな私欲や悪にとってはうとい存在ですね。
あと、社会通念は、どうでもいいです。ころころ変わります。伝統とは関係ないです。なぜなら、戦争する時はして、バブルの時は浮かれるからです。そして、両方、社会に後悔をもたらします。流行は廃れるし、。が、あえて少しは付き合います。社会を自立させるためにです。もっとずっと大事なのは、人が自立する事です。社会は人に使われます。そう言う認識をとして、人は人を使いません。人が人を使わないのは、それぞれが自立しているからです。今はそうではありません。社会に使われ、金に使われ、人を使ってるようで、人に使われてます。人の個人による自立が大事です。経済生活、社会生活、対人生活とは別の話です。個人の、個人における自立です。
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Q【宗教の仏教の思惟(しゆい)とはどういう心境のときの状態、状況ですか?】

【宗教の仏教の思惟(しゆい)とはどういう心境のときの状態、状況ですか?】

Aベストアンサー

対象を心に浮かべてよく考えること。また、浄土の荘厳 (しょうごん) を明らかに見ること。

Q観測の仕組みこの世の仕組みとは?宇宙は何故美しい?

観測することで、「物質が現れる」らしい?です。

シュレディンガーの猫の実験では、箱を使っていますが、

観測する前で状態が確定しないらしいです。

実験では、死んでいる状態と、生きている状態が確定しないらしいです。

これって、現実では、人が「立っている状態」と、「歩いている状態」とかにも置き換えられますかね?
つまりは、様々な確率が宇宙に存在する?ということです。
他世界宇宙論?違う。。。多世界解釈?・・・。パラレルワールド?

観測前は、存在する、存在しない、とかありますか?

例えば、自分が見えている範囲=自分が観測している、物質は観測されている、
だから、自分が見えている範囲のみしか、「存在しない」?

つまりは、自分が見えていない範囲=遠い場所=遠い駅、人、建物、モノなどは存在しない?
ということなのでしょうか?(そういう解説のブログがありました 神Eyeというようなブログ名。)



特に疑問に思ったのは、

「自分」と、「他人」の観測の関係です。

両方とも、「目」や、5感があります。

つまり、「両方とも観測が可能な存在、生物」だということです。

人と人が対面している時は、「互いに観測し合っている」ということでしょうかね?・・・w

でも、観測する=物質の状態を確定させている、ということですよね?

この辺が、「何か変なよーな?」という疑問になります。

例えば、自分の目で、自分の手、自分の服、などが見えますよね?
そうすると、わかりやすく言えば、
「自分の肌の色」が見えるわけです。大きさとか?・・・。

で、相手の目でも、観測行為ができます。

相手の目で、自分の手、自分の服を観測する、される。
「自分の肌の色」も、相手に観測されます。見えます。大きさとか?・・・。

自分の目と、相手の目で、同じ物質を観ている、、、ってことか。

つまりは、机の上にりんごがあって・・・・

同じ物質を観ているが・・・大きさ・形・色、などは、完全に同じ物質として、観測できているのか?ということです。

大げさに言っちゃえば・・・・

AさんとBさんがいて、Cさんを観測するとします。

その時・・・・普通、一般的、常識的には・・・・

「同じCさんを、AさんとBさんを見ている」ということです。

そこで、A「Cさん、最近ちょっと太ってきてない?」と言います。
B「うん、確かにそうだね。」と言います。
Cも、自分が太ってきたのを知っています。「そうだねぇ・・・」と言います。

これらの事実からすれば、確かに、「Cは太ってきた」と、客観的にも事実であり、真実であり、
物事は確定されている、と結論付けることもできます。

これは、今でも、「常識」となっています。

また、TVを観ても、「同じ話題」で、皆楽しむことができるわけです。
「○○という芸人はxxという馬鹿なことしてて、面白かったね~w」と、「共通の話題」で楽しくなれます。

「太ってきた」という、会話もまぁ似たようなものです。

これらから考察すれば・・・・?

宇宙は1つであり、真実は1つ。だということにもなります。

「観測していても、真実は1つずつ」だとも言えます。

原子・分子・クォークなどは、確かに動いているが、それはそれだけで、確かな動き、だということです。

ただ・・・初めに書いた通り、「観測の問題」というのがあります。
シュレディンガーの猫などの実験です。二重スリット実験というのもありますが・・・よくわかりません。

「物体は、不安定な存在で、確率によって決定されるのか?」という謎です。

YouTubeにありますが、バシャールは、宇宙はパラレルワールドで、
自分が宇宙を選択している、と言っています。(彼は合ってるような、有り得ないような動画が多々あるが。例えば宇宙人とか有り得ないことを・・。)

http://www.youtube.com/watch?v=QNaip71ZO5Y
これなんかそうですね。輪廻転生なんかも、私は信じてません。ただ、死んだ後はどうなるか?わかりません。

ん~・・・・・動画を観ると・・・?宇宙というか、地球が無限?にあるらしいです。
本当にそうなのでしょうか?

時間とは何か?ということです。
瞬間瞬間の連続が、時間の流れになっています。
動画のようですね。
ABCDEFGH・・・・という、フレームが、時間の流れ=現実となっています。

現実を自分が選んでいる、観測し、決定している、とすれば?
瞬間瞬間を自分が選び、決定している、ということですよね?
つまり、オカルトで言うように、現実は自分が創造している、というような話になります。
1人1宇宙論です。エヴァンゲリオンです。

あと、忘れないうちに書くと、
アニメ小説の、とある魔術の禁書目録で、量子論とか、出ますが・・・・
「飴玉が箱に入っています。この中は何が入っているでしょう?」と言います。
外へ出し、確認します。飴玉です。それをまた箱へ入れます。
「さて、中に入っているものは何でしょう?」と問います。
回答者は、「飴玉に決まっている。」と言います。常識的にはそうです。しかし、
「でも、チョコが入っていると思い込むことができたら?」

>小萌先生はシュレーディンガーを持ち出し「チョコの箱の中にアメ玉あると信じ、実際にアメ玉を手にした人」が超能力者と説明する。説明を受けるシスター。

つまり、可能性、確率が色々とあって、「自分の望む確率」を手に入れる=超能力=自分だけの現実(パーソナルリアリティ)、だということらしい。
「自分の望む現実」ということかもしれません。

現実は、自分が望む望まないに関わらず、自動的に、勝手に決定しているのでしょか?
それは、常識です。
だから、例えば人は、自然災害に対してどうしようもありません。

ただ、もしかしたら、潜在意識で、台風の方向とか、天気とか、操っているのかもしれません。

そして、例えば、「自分は無力で、ただの人間で、何もできない無能な人間」だと、アニメの上条当麻のように思っていれば、「そのような望む現実を創造する」ということかもしれません。

現実は、自分が創っているのか?それとも、外部が創っているのか?ということです。
オカルトでは、前者の意見があり、常識では後者の意見となります。

シュレディンガーの猫の実験などの、確率って、「一体何が決定しているのか?」という、謎です。

確率が存在するならば、一体何が決定しているというのか?

単純に考えれば、ルーレットのように、完全にランダムに動き・・・そして、決定される。

でも、この世=現実=例えば目の前にある、りんご、なんかあるとします。

そうすると・・・?

「りんご」は、形としては、綺麗で、色もまぁまぁ良いし、食べられるし、「存在としてはとても良いもの」だとできます。少なくとも生物にとっては。

「この世、現実の景色」だということです。

宇宙です。

宇宙の形です。

タイトル追加しましたが、「宇宙は何故美しいのか?」という、謎です。

星々は、何故、美しいのでしょうか?

宇宙は、人間がいないと、存在できないらしいです。嘘か本当か?

観測するものと、観測されるものは、一体で、一対らしいです。

そうなると・・・?人間がいなかった時代は、宇宙は存在できたのでしょうか?

微生物だけの時代には、宇宙は存在できたのでしょうか?

もしかしたら、人間が誕生したと同時に、宇宙が瞬間的に誕生したのかもしれません。
この辺の問題は、学者は考えているのでしょうか?
人間と似た、猿でも、人間の代用ができるのか?


・・・さて、戻ります。
宇宙は、星々は、何故美しいのか?
人間原理というのもありますが、よくわかりません。

宇宙は、人間のために、存在する?ということです。
それならば、人間が宇宙を観測し、宇宙が観測される、代わりに、宇宙が人間に、資源でもエネルギーでも何でも好きなものを提供していく、ということかもしれません。
Win-Winの関係です。

月が無ければ、地球は、人間は生物は、上手く生きていけないらしいです。自転とかなんとか、重力とか。海水とか。
つまり、月すらも、人間が生きていくために、宇宙が用意したということです。

宇宙は生きていないとされていますが、宇宙の意思は感じられる、ということです。
つまりは、宇宙には意思がある、宇宙は生きている、と考えても問題はないでしょう。

宇宙は、美しい。秩序がある。(知りませんw)
秩序と言えば、物理法則。決まり。それは、不変の法則となって、宇宙を動かしている。
秩序=決まり=法律?
人間も、法律が無ければ、秩序が無くなり、混沌な社会となってしまいます。
南アフリカのどっかだか、アメリカのデトロイトのように。

そんな、宇宙の秩序も、徐々に崩壊しているそうです。
これって、宇宙の危機であり、人間の危機だとも言えないでしょうか?
別名もありましたが、忘れました。物質がどうたらこうたら・・・。

さてはて。宇宙は美しい?という疑問です。

別に、美しくなくとも良いわけです。物理法則だって、無くても良いわけです。

つまり、「混沌な無差別な宇宙」もあっても良いわけです。

自由=混沌な宇宙、
不自由=秩序のある宇宙、だとも言えますが、本当かは???

オカルトでは、宇宙誕生前は、自由で、何でも叶う世界だったと言います。
つまり、宇宙誕生後は、不自由で、何でも叶わない世界だとも言えます。

そうなると・・・?混沌=自由ということなのでしょうか?
字数制限終わり

観測することで、「物質が現れる」らしい?です。

シュレディンガーの猫の実験では、箱を使っていますが、

観測する前で状態が確定しないらしいです。

実験では、死んでいる状態と、生きている状態が確定しないらしいです。

これって、現実では、人が「立っている状態」と、「歩いている状態」とかにも置き換えられますかね?
つまりは、様々な確率が宇宙に存在する?ということです。
他世界宇宙論?違う。。。多世界解釈?・・・。パラレルワールド?

観測前は、存在する、存在しない、とかありますか?

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Aベストアンサー

 量子力学の解釈問題は、量子力学の計算には一切影響がありません。つまり、観測可能な現象には一切影響がありません。つまり、心の持ちようで不思議なことが起きることは一切ありません。

 観測していないときにどうなのか、という問題です。観測した結果は確率的に決定します。注意が必要なのは確率的ということです。これは「何でもあり」ではありません。望む結果を得るように操作できるものでもありません。

 確率と見えるものの確率が操作できるなら、それは確率的ではありません。「とある魔術の禁書目録」では、それが操作できるというSF設定を入れています(量子力学的には間違い)。

 シュレディンガーの猫は、量子力学的過程をマクロにあらわに影響するようにした思考実験です。原理的に不可能ではない、と普通はされています(重力による客観的収縮を唱えているペンローズからすると不可能)。主な解釈は、コペンハーゲン派と多世界論の二つがありますが、量子力学の計算結果、つまり実際に観測可能な世界が解釈次第で変わることはありません。

 シュレディンガーは自分が作った量子力学の基本式(シュレディンガー方程式)が確率を含むことに不満で、シュレディンガーの猫という、本人はパラドクスの思考実験を提唱しました。「それが根本的に正しいなら、そういうあり得ない猫がいることになるよ」と。量子力学の確率性に賛同した人々の答えは、「そういう猫がいてもいいよ、何も問題はない」でした。

 なお、多世界解釈は、シュレディンガーの猫について、生きている猫と死んでいる猫の世界に二分され、我々が両方にまたがって存在することはないとしています。ただし、そのように多世界解釈を解釈することもできるだけであって、実は生死が重なっているよりも、もっと不思議な解釈と見ることもできます。

 シュレディンガーの猫ではなく、今のこの現実世界でも同じです。一応はミクロでは顕わな量子力学過程が、マクロに影響はしています。小さく見るか、大きく見るかの違いでしかなく、ミクロとマクロは不可分なものだからです。

 こんな極論があります。「(あなたが)月を見ていないとき、(あなたにとって)月は無い」。それを否定しきることはできません。ただし、再び月があるはずの方向を見たとき、限りなく100%に近い確率で月はそこにあります。何兆回やろうが、何兆の何兆倍の回数試みようが、一度として月が無くなることはありません。それくらい低確率です。

 量子力学の解釈問題は、本職の物理学者にとっても解決不能です。納得することを求めて、東洋哲学を知るためにインドに渡り、そのまま消息不明になった物理学者もいるほどです。

 見てみるまでは何かは分からないといこと自体、当たり前です。それを含めて、この世界(宇宙)では当たり前のことしか起こりません。物理学的には未検証の予想も含めれば、そういう結論になります。

>つまり、「混沌な無差別な宇宙」もあっても良いわけです。

 この宇宙はカオス(混沌)です。カオスは無差別であることも含みます。整然としていると考えるべき要素は何もありません。

 ただし、重力という一つの性質だけで、誕生時の完璧なほどの見た目の無秩序から、このように見える宇宙に育ってきています。距離が近い場合は(一つの惑星など)、電磁気力も寄与してきました。その結果、地球は生物満載状態です。

 しかし、カオス性自体は宇宙誕生のときから何も変わっていません。

 量子力学の解釈問題は、量子力学の計算には一切影響がありません。つまり、観測可能な現象には一切影響がありません。つまり、心の持ちようで不思議なことが起きることは一切ありません。

 観測していないときにどうなのか、という問題です。観測した結果は確率的に決定します。注意が必要なのは確率的ということです。これは「何でもあり」ではありません。望む結果を得るように操作できるものでもありません。

 確率と見えるものの確率が操作できるなら、それは確率的ではありません。「とある魔術の禁書...続きを読む

Qデカルト主義について詳しくおしえてください!ご迷惑おかけします。 哲学の質問です。またこれは経験主義

デカルト主義について詳しくおしえてください!ご迷惑おかけします。
哲学の質問です。またこれは経験主義と啓蒙主義と対立していたのもなぜですか?

Aベストアンサー

お前のようなかたわにデカルトは理解できないと書けばよい。

Q啓示体験という自己経験をもとにした主張も経験主義?

 経験に依拠するべきだとする主張が経験主義Empirismusであるとすると、個的啓示体験(神の声を聴く)による主張も受け入れられるはずですが、そうはせずに、実情は、大多数の無啓示経験に限定することを前提にしているのでしょうか? そうでないとしたら、(啓示体験を下にしている主張を経験主義と呼んでいる)具体的な事例を教えてください。

Aベストアンサー

 最初に仰られる経験主義は、たぶんマッハの実証主義的な意味合いでお書きだと思いますが、「個的啓示体験(神の声を聴く)」という部分は、些か取扱いが微妙です。
 例えば、ジョン・ロックは啓示をふたつに区分しました。ひとつが伝承的啓示と呼ばれるもので、かつてむかしの聖人が受けた啓示の話(具体的にはアウグスティヌス)を信じた信者たちが、自分もその啓示を信じると表明する場合の啓示のことです。
 もうひとつが本原的啓示と呼ばれるもので、嘘かまことか特異な体験をした、その当人が実際の経験談を語る場合に表明する啓示です。このふたつの啓示を区別したのがロックですが(彼も経験主義の一員でしょう?)、『キリスト教の合理性』を読まれるとわかると思います。

Q「経験者なくして経験はあり得ない」の意とするところを教えてください。

ご存知の方は宜しくお願いします。ご存知でない方は無回答でお願いします。

「経験者なくして経験はあり得ない」の意とするところを教えてください。その一文が何を意味しているか分かりません。
私は頭が弱いので、分かりやすくでお願いします。

Aベストアンサー

「内なる世界は、その内なる世界の主人たる人間の存在を前提とする。」
以下このように続きますね。ゴットロープ・フレーゲの言葉です。

存在の証明です。「我思う故に我あり」の逆の「我在り故に我思う」ですね。

感じるという現象(意識)はどのようなものか、「自分自身を経験者として経験させる」という事です。先ず前提に自分自身があり、次いで経験を経て、意識(喜び、悲しみ、願い等の感じるという現象)が在る。
人間が在るから経験が在る。といった事を言わんとしています。


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