主に、平等、不平等の倫理について知りたいのです。大変申し訳ありませんが、16日までに御存知の方、教えてください。

A 回答 (1件)

16日!?間に合うかな、とりあえず、下記URLはこのサイトの過去の質問『倫理って客観的じゃないでしょ』で、ロールズ『正義論』を断片的にまとめたものを書きました。

人のノートを読みながらですので、ちょっといい加減ですが参考になれば幸いです。

それとクカサス&ペティットの『ロールズ:「正義論」とその批判者たち』(勁草書房、1996)より正義の二原理です。


第一原理
各人は、すべての人に対する同様な自由のシステムと両立する、もっとも広範で全体的な平等の基本的システムに対する平等な権利を有する。

第二原理
種々の社会的・経済的不平等は、以下の両方を充たすように設定されなければならない。(a)[後の世代のための]正義に適った貯蓄の原理と矛盾しない限度で、もっとも恵まれない者たちが最大の利益を受けるように、そして(b)公正な機会の平等を充たす条件の下で全ての人間に開かれている職務と地位に伴うかたちで。(P.64-65)



正義論って難しいんですよね。訳書読もうとしたけど、ダメでした(笑)。原書で読めって人に言われました。語学力がないけど、読んでみようかな…。それより、間に合ったかな…。では。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=166334
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この回答へのお礼

ありがとうございました。高校で、倫理というやつを習ってきてる人は、哲学が分かるらしいんですけど、そんなのやったことないし、「正義論」を分かるためには、「道徳」とかも理解しないと分からないってその人たちに言われたんです。発表しなくちゃいけなかったのですが、jumeさんのを参考にさせてもらって一生懸命発表したら、講師に、「正義論を発表させるのは、難しいから、どうかと思ったんだけど、浅くなら理解できていますね。」って言われました。浅くでもなんでもいいから、否定されなかったので、嬉しかったです。ほんとうにありがとうございました。

お礼日時:2002/01/20 21:23

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Q倫理って客観的じゃないでしょ?

人は倫理にかなう行動をするべきであると言われますが、
時代・場所が違えば何が倫理的で何が非倫理的か、その
答えも変わってきます。ということは、現在、倫理的に
「正しい」とされている事柄というのは、結局は単に、
今、大勢の人が「正しい」と思ってる事柄に過ぎないので
あって、客観的に(論理的に)現在の倫理の正当性を
説明することはできないだろうと僕は思います。

というか、論理で説明できないからこそ倫理は強力なの
ではないかと思っていました。

しかし、過去・現在の哲学者によって倫理を根拠付ける
試みがなされているという話を聞きます。それは、一体
どのようになされるのでしょうか?そんなことが可能なの
でしょうか?ぜひ教えていただきたいです。

Aベストアンサー

 私も 倫理は基礎づけできない と思います。

ロールズも決して「基礎付け」ようとしたのではないと思います。
「原初状態」というものは「決して現実にはありえない。」
と述べた上で、「人が原初状態におかれたら、つまり、自分の性格や社会的地位
を何もしらなければ、平等と自由を望むだろう。」と言い、
読者の想像力を掻き立てているのだと思えます。

カントは、「理性によってなされる行為は、行為の結果では判断できない。
その行為をする時の内面が問題だ。」と言います。
しかし、この場合、倫理や道徳の客観的な評価はまったくできない
ということになります。そうなると、「みなが理性の要請に従っている。」
という「目に見えない前提」を受け入れないことには、カントの道徳論
は基礎付けにならないと思います。
 実際、われわれの時代だと、この前提を受け入れるのは難しいと思われます。

アリストテレスは、「善は誰もが求めているものである。ただし、善の内容
はそれぞれ異なる。」というように言います。彼は、そこで、個人の善と共
同体の善の一致を論じるのですが、これは、「私が大衆の教えてあげよう。」
というような「啓蒙」的な姿勢ゆえに可能なのです。
この倫理学では、最終的のは「俺の善は、みんなの善と異なる。」
と言えばそれまでなのではないでしょうか。

最近では、だいたい、個人と全体を対立項とみなし、個人を生を重視する
サルトルやキルケゴール、ハイデガー等の実存主義的な倫理観か、
個人の善はと社会の善と同じものであるべきとする、ハーバマス等のどちらか
が主流ですし、このどちらかの要素を含まずには、倫理学は無理でしょう。
ちなみに、レヴィナスは個人よりも他者を重視する珍しい立場と言えそうです。

倫理や道徳は言葉で表される限り、既にある倫理観や道徳観を描きなおすか、
新たな語を導入するかしかないと思います。
しかし、新たな語を導入したところで、
「共有」できなければ意味がないでしょう。
ですから、今は「基礎付け」る倫理学よりも、「役立つ」倫理学
が望まれていると言えそうです。

もし、倫理が成り立つ「条件」や「起源」を知りたいなら、
哲学の伝統よりも、「進化論」や「認知科学」のほうが
ためになるでしょう。

哲学は、既にある現象を、それと同じ言語で描きなおす試み
であり、「原因」を言い当てることはできないと思うのです。
 こういった「反基礎づけ主義」とその帰結を考えたいならば、
リチャード・ローティの著作をおすすめします。

 私も 倫理は基礎づけできない と思います。

ロールズも決して「基礎付け」ようとしたのではないと思います。
「原初状態」というものは「決して現実にはありえない。」
と述べた上で、「人が原初状態におかれたら、つまり、自分の性格や社会的地位
を何もしらなければ、平等と自由を望むだろう。」と言い、
読者の想像力を掻き立てているのだと思えます。

カントは、「理性によってなされる行為は、行為の結果では判断できない。
その行為をする時の内面が問題だ。」と言います。
しかし、この場...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q最大多数の最大幸福とは?

ベンサムの有名な言葉に「最大多数の最大幸福」がありますが具体的にはどういう意味でしょうか?

私は大学入試のセンター試験で倫理を選択していた時にこの言葉を知りました。
この言葉が意味するところは少数の人が不幸になろうとも、
その行いで大半の人が幸福になるのであればそれが社会的
に一番いいと言っているのでしょうか?
しかしこの意味だとあまり「教育的」でないので教科書には載りにくいような…。

本当のところどういった意味なのでしょうか?

Aベストアンサー

ベンサムは、人と人の間には利害の衝突があり、全ての人が幸福になることはありえないので、少数の犠牲があってもできるだけ多数の人が幸福になることが全体の幸福であると考えました。つまり、理想論としてではなく、現実問題としての幸福論を唱えたわけです。
しかし後に、少数者が多数者に抑圧される危険性や、少数者の犠牲者が被る不幸が大きい場合は全体の幸福が減少してしまうことに気付き、晩年になって定義をこのように変えました。

「その社会の成員の最大幸福。すなわち、出来ることならば彼ら全員の最大幸福。また、多数者のより大きな幸福のために少数者の幸福の一部を犠牲にすることが不可避であり、彼ら全員に等しい幸福を分け与えることが物理的に不可能な場合は、彼らのうちの最大多数の最大幸福。」

つまり、まず理想を掲げ、それが無理なら従来の「最大多数の最大幸福」がベターだよ、とすることで、より完全な定義にしたのです。

・・・という内容が、参考URLに書かれてありますので、詳しくはそちらをどうぞ。

参考URL:http://tcc.umin.ac.jp/~kodama/bentham/bentham12oct96.html

ベンサムは、人と人の間には利害の衝突があり、全ての人が幸福になることはありえないので、少数の犠牲があってもできるだけ多数の人が幸福になることが全体の幸福であると考えました。つまり、理想論としてではなく、現実問題としての幸福論を唱えたわけです。
しかし後に、少数者が多数者に抑圧される危険性や、少数者の犠牲者が被る不幸が大きい場合は全体の幸福が減少してしまうことに気付き、晩年になって定義をこのように変えました。

「その社会の成員の最大幸福。すなわち、出来ることならば彼ら全員...続きを読む

QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
Word2000を使っているものです。
ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
分かりにくいですが,
「これを修正します。」
という文章の「これを」と「修正します。」の間に「これから」という単語を入れたときに,その場所にカーソルを合わせて「これから」と打つと,
「これをこれからす。」
となってしまいます。
他の文書では平気です。
何か解決する方法があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
キーボードに[Insert]というキーがあると思いますので、1度押してみてください。

Q普通自動車の運転免許の正式名称

を教えてください。
履歴書になんてかけばいいかわかりません。

普通自動車第一種免許や第一種普通運転免許とかいわれていますが。

警察などの公式な場所に問い合わせてみた人がいましたら教えてください。

Aベストアンサー

抜粋です.「普通自動車免許」ですね.
「第一種運転免許」はありますが,「普通自動車第一種免許」や「第一種普通運転免許」とは言わないようです.第二種の場合は名称に入り,「普通自動車第二種免許」のように言うようです.

--------------------
道路交通法
第六章 自動車及び原動機付自転車の運転免許
第八十四条  自動車及び原動機付自転車(以下「自動車等」という。)を運転しようとする者は、公安委員会の運転免許(以下「免許」という。)を受けなければならない。
2  免許は、第一種運転免許(以下「第一種免許」という。)、第二種運転免許(以下「第二種免許」という。)及び仮運転免許(以下「仮免許」という。)に区分する。
3  第一種免許を分けて、大型自動車免許(以下「大型免許」という。)、普通自動車免許(以下「普通免許」という。)、大型特殊自動車免許(以下「大型特殊免許」という。)、大型自動二輪車免許(以下「大型二輪免許」という。)、普通自動二輪車免許(以下「普通二輪免許」という。)、小型特殊自動車免許(以下「小型特殊免許」という。)、原動機付自転車免許(以下「原付免許」という。)及び牽引免許の八種類とする。
4  第二種免許を分けて、大型自動車第二種免許(以下「大型第二種免許」という。)、普通自動車第二種免許(以下「普通第二種免許」という。)、大型特殊自動車第二種免許(以下「大型特殊第二種免許」という。)及び牽引第二種免許の四種類とする

参考URL:http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%c6&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_

抜粋です.「普通自動車免許」ですね.
「第一種運転免許」はありますが,「普通自動車第一種免許」や「第一種普通運転免許」とは言わないようです.第二種の場合は名称に入り,「普通自動車第二種免許」のように言うようです.

--------------------
道路交通法
第六章 自動車及び原動機付自転車の運転免許
第八十四条  自動車及び原動機付自転車(以下「自動車等」という。)を運転しようとする者は、公安委員会の運転免許(以下「免許」という。)を受けなければならない。
2  免許は、第一種運...続きを読む

Q「採用担当御中」か「採用担当様」、どちらが正しいか。

会社にエントリーシートを郵送する時、宛先が「~株式会社 採用担当宛」となっていたら、「採用担当御中」ではなくて、「採用担当様」と書いて送った方がいいのでしょうか?

Aベストアンサー

「御中」は 担当部署宛 担当者不明の場合。
今回の場合は担当者がわかっているので「○○様」とします。

Q政府の失敗

現代経済政策で、「政府の失敗」とは何か。また、その対策について、規制緩和、公企業の民営化に注目して述べよ。 ということなのですが、どなたか教えていただけませんか?

Aベストアンサー

 「政府の失敗」とは一つは「公的サービス部門の経営の失敗」ということだと思います。例えば旧国鉄や高速道路公団などのように、国家がサービスを行なっているものさまざまな理由により経営的に失敗し、民間企業では有り得ないほどの負債を抱え込んでしまったがつぶすわけにもいかないので政府が仕方なくその赤字を補填している、という企業ができてしまうことだと思います。もう一つは政府系企業がその市場を独占してしまって、民間企業が育たない、この結果、高コスト体質、割高な料金が続き、国民に不利益をもたらすことになる、それが失敗だ、ということなのではないでしょうか。この例としては航空業界や情報通信業界があると思います。政府系企業と書きましたが、この場合、政府の厳しい参入規制により市場を独占してきた民間企業も含まれます。航空業界の場合は厳しい参入規制もあり戦後長い間ずっと少数航空企業の独占状態が続いて今いした。この結果競争企業が育たず、割高な料金が維持されてきました。情報通信業界ではNTTがあまりに大きすぎ、またこちらも厳しい参入制限が行なわれていたため、やはり競争企業が育たず、割高な料金、高コスト体質が続きました。
 それらの対策として有効なのが質問の中にもある規制緩和と公的企業の民営化だと考えられます。事実、上の各方面で規制緩和、公企業の民営化が行なわれ、大きな成果を挙げています。旧国鉄はJRとして民営化され、JR東海とJR関東は大きな利益を上げています。(ただそれ以外のJR各社は経営的に少し苦しいらしいが、国鉄時代の赤字に比べればまだまだましでしょう。) 航空業界では規制緩和により新規参入が相次ぎ全体的な航空料金の引き下げに貢献しました。情報通信分野でも規制緩和により有力な競争相手が相次いで参入し、電話料金の劇的な値下げを引き起こしました。高速道路公団も今まさに民営化を迫られています。

 ただ本当に自信があまりないので詳しい人がいればそちらの回答を優先してください。

 「政府の失敗」とは一つは「公的サービス部門の経営の失敗」ということだと思います。例えば旧国鉄や高速道路公団などのように、国家がサービスを行なっているものさまざまな理由により経営的に失敗し、民間企業では有り得ないほどの負債を抱え込んでしまったがつぶすわけにもいかないので政府が仕方なくその赤字を補填している、という企業ができてしまうことだと思います。もう一つは政府系企業がその市場を独占してしまって、民間企業が育たない、この結果、高コスト体質、割高な料金が続き、国民に不利益を...続きを読む

Q正義とは?

「正義」とは何でしょう?

ある宗教団体は「自分たちは正義だ」と主張します。
ある人は、正義とか悪とか、立場によって違うものだと言います。

どんな国、宗教、立場、を考えた上でも
「絶対的な正義」は存在(実在?)するものでしょうか?

又、逆の「絶対的な悪」はありえるのでしょうか?
そもそも、正義の反対は悪なのでしょうか?

「正義の味方」って誰の味方なのでしょう?
昔、TVに出ていたヒーローは正義だったのでしょうか?

正義と悪について皆様の考えをお聞かせ下さい。

Aベストアンサー

ぼくも正義というのは極論すれば好き嫌いであると考えています。
個人というのは社会との関係性の中に生きていますから、善悪の本質が好き嫌いだと考えたからといっても、無秩序な世界が訪れると考えられるわけではありません。
大多数の人々が、殺人や泥棒を犯した者は処罰される仕組みになっている社会に安心して住むことを好んでいますから、自ら殺人や泥棒を犯そうとは思いません。

神のような立場から物を見ようとすると、人は殺してはならないけれども牛や豚や魚を殺していいという合理的な理由はどこにもありません。動物が生きるために何者か(たとえ植物であっても)を殺すとき、生きるためには仕方が無いという事情は、殺される側に苦しみを与えることを正当化する理由にはなりません。相手が苦しくても殺すのです。

「この瞬間の自分」という主体にとっての、絶対的な正義、絶対的な悪は、あります。
特定の個人に於いてしか絶対はありませんし、特定の個人における絶対性も、インプットされる情報によって変わってゆくものですが、ある瞬間にひとつの主体にとっては、絶対というものがあります。良く言えば信念、悪く言えば傲慢と言われるものです。外の世界に絶対性を求めようとするのではなくて、自分の中で覚悟し信念を持つべきだと思います。
豚さん牛さんには申し訳ないが、殺して食べるのです。それは自分にとって正義であると確信するのです。そして同時に、豚さん牛さんにとっては自分が絶対悪者であることも、自己正当化せず心を強くして受け入れるべきなのだと思います。

ぼくも正義というのは極論すれば好き嫌いであると考えています。
個人というのは社会との関係性の中に生きていますから、善悪の本質が好き嫌いだと考えたからといっても、無秩序な世界が訪れると考えられるわけではありません。
大多数の人々が、殺人や泥棒を犯した者は処罰される仕組みになっている社会に安心して住むことを好んでいますから、自ら殺人や泥棒を犯そうとは思いません。

神のような立場から物を見ようとすると、人は殺してはならないけれども牛や豚や魚を殺していいという合理的な理由はどこ...続きを読む

Q小さな政府とはなんですか?

ずばり小さな政府とは何かを教えてください。
経済に政府が出来るだけ介入しないってことでしょうか?

出来るだけ詳しく、具体例など(国とか政策の)だしてくださると有難いです。

Aベストアンサー

こんにちは。
 #2さんがざっくりと説明している通りです。「民間に出来ることは民間にまかせる」=「政府のやることを減らす」ことです。
 質問者さんの言うように、経済に介入しないという面もありますが、政治的にもやることを減らしていきます。

 因みに、過去の政権で「小さな政府」を目指したことで有名なのはイギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本の中曽根政権です。
 (彼らの主張は「新自由主義」と呼ばれて、結構研究も進んでいるので、検索すると多数ヒットすると思います。興味があったら検索してみてください)
 これらの政権で行われたことは、規制緩和、国営企業の民営化(日本だと国鉄の民営化ですね)、文教・福祉予算などの削減、減税などです。
 このような政策をとると、減税で収入も減るし、予算の削減で支出も減ります(扱うお金の量が減る)。規制緩和や民営化で仕事も減るので、政府の規模は小さくなります。ですから、このような政策をとる政府を「小さな政府」と呼びます。

 因みに、「小さな政府」の反意語は「大きな政府」なのですが、これは必ずしも非難されるべきものではありません。
 上でも「小さな政府」は、減税を行い、文教・福祉予算を削減したと言いましたが、近年の国家(「大きな政府」)は、このようにして、国民から税を徴収し、貧困層に生活保護などと言う形で再分配を行ってきたのです。そのことによって、国民全てが最低限の生活を保障されてきました。(反面、富裕層は、税金をたくさん取られる割に見返りを得られませんでした)
 市場の競争原理が働かない政府による保障は、画一的で非能率的なものになりがちだという批判があるのも事実ですが、私は、「小さな政府」「大きな政府」というのは、良い悪いの問題でなく、現状を見てどのくらいの規模の政府をつくろうと考えるのが重要なことだと思います。

 最後の方は私の感想になってしまってすいません。。。
 最後に、検索に役立ちそうな語を挙げておきます。
○レーガノミクス
○小さな政府=安価な政府≒消極国家≒夜警国家
○大きな政府≒積極国家≒福祉国家≒行政国家

 
 
 

こんにちは。
 #2さんがざっくりと説明している通りです。「民間に出来ることは民間にまかせる」=「政府のやることを減らす」ことです。
 質問者さんの言うように、経済に介入しないという面もありますが、政治的にもやることを減らしていきます。

 因みに、過去の政権で「小さな政府」を目指したことで有名なのはイギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本の中曽根政権です。
 (彼らの主張は「新自由主義」と呼ばれて、結構研究も進んでいるので、検索すると多数ヒットすると思いま...続きを読む

Qホッブスについて

ホッブスの秩序に対する考え方を教えてください!!あとリバイアサンとは何のことを指すのでしょうか?大至急お願いします!!

Aベストアンサー

ホッブスの思想は、自然状態(国家が成立する以前の束縛及び規制のない状態)
に生きる人間は知性以外は動物と変わらず、しかもなまじ知恵がある事により
欲望を無限大に膨張させ、それにより恒久的に闘争を行なうというもので、
この事を彼は、「万人の万人に対する戦い」、「人間は人間に対して狼である」
と表現しています。 この状態では個々人の差がさほどないため、隙を突けば
最弱が最強に取って代わる事が可能であるため、勝者が決まらず恒久的に闘争
が続く。
 その点ではみな平等でありますが、人々は永久に「孤独、貧困、不快、殺伐
そして短命」という人生を送る事になるとホッブスは言っている。
 そしてホッブスは、この恒久的な闘争を収拾するためには人間相互の契約に
より国家が成立する事が必要であるが、人間の欲望は無限大に膨張するため、
社会を成り立たせている契約を破る者が必然的に現れ、その事によって社会が
維持出来なくなり再び人間は自然状態に逆戻りしてしまう、それを防ぐためには
国家が絶大な「力」を持つしかないという結論を出しています。
 リヴァイアサンとは彼が以上のような事を述べた著書であり、元々は聖書に
登場する、神々すら恐れ逃げるという最強の怪物の事です。 そして、彼は
必要悪である国家権力をリヴァイアサンにたとえ、自然状態をビヒーモス
(同じく聖書に登場する大怪獣)にたとえ、ビヒーモスの出現による国家の
崩壊をふせぐためにはリヴァイアサンを強くする必要があるとしているのです。
 ただし、ホッブスの思想は絶対主義を支えようとするものであり、結局世界を
変えるに至らなかったというのも重要です。

ホッブスの思想は、自然状態(国家が成立する以前の束縛及び規制のない状態)
に生きる人間は知性以外は動物と変わらず、しかもなまじ知恵がある事により
欲望を無限大に膨張させ、それにより恒久的に闘争を行なうというもので、
この事を彼は、「万人の万人に対する戦い」、「人間は人間に対して狼である」
と表現しています。 この状態では個々人の差がさほどないため、隙を突けば
最弱が最強に取って代わる事が可能であるため、勝者が決まらず恒久的に闘争
が続く。
 その点ではみな平等でありますが...続きを読む


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