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「後藤庄三郎光次」というのは、人名ですか?それとも御金改役の頭(役職)のことをいうのですか?もし、役職だとすれば、なぜ御金改役のほかにこのような名称があるのでしょうか。調べたら「代々の御金改役が管轄した」とあったので、どういうことなのかと思いまして、、、、、、。

A 回答 (4件)

江戸にとってこの「後藤庄三郎光次」という名前は非常に重要な名前です。



後藤というのは金座の頭人の名で、豊臣秀吉の元で貨幣鋳造に当たってい た後藤庄三郎光次が、文録二年に秀吉の許可を得て江戸へ下って以来、代々後藤家が江戸幕府の金座の頭人を勤めました。

「後藤庄三郎光次」を名乗る人は常に重要な役割を担っていたようで、下記のような記述もあります。ご参考までに。
そもそも江戸の都市計画は、慶長十七年に後藤庄三郎光次が「江戸新開」の土地の町割りを命ぜられて、始まります。「江戸新開」の範囲は、日本橋南から新橋北、外堀川東から楓川西です。町割りの実務は、後藤が江戸住みの豪富他に協力させて行ったということです。
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No.2です。

     金座後藤家の系図を見たところ、五代目後藤徳乗の弟子の橋本庄三郎を、後藤庄三郎光継(みつつぐ)と名乗らせ七代目としたとあります。    これが御金改役になり、後藤庄三郎光次(みつつぐ)として代々この役を世襲することになりました。   つまり 御金改役=後藤庄三郎光次 であり人が代わっても、光次の刻印を使うわけです。   まあ後藤庄三郎光次は店名で花押は店のマークのようなものですか。
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No2.です。

私も庄三郎に関心があるので、少ししらべました。     日本史大辞典によると、室町幕府御用彫金師の後藤家の弟子の山崎某が後藤四郎兵衛徳乗の養子になり、後藤庄三郎光次(みつつぐ)を名乗りました。   秀吉から大判金、小判金などの鋳造を命じられ、家康の代になり、金座、銀座の創設に預り金座の頭の御金改役を命じられます。   その聡明さと優れた力量が認められ、家康の側近になり、政治、経済、貿易などに参画したとあります。
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初代 後藤庄三郎光次は家康より金座の頭人に任ぜられ、五両、一両の小判金と二分、一分判金の鋳造を任せられました。

     その後金座の頭人は後藤家の世襲になり、 本名は違っても後藤庄三郎光次を襲名して、 貨幣改鋳時の新貨幣には前と同様に光次の銘を入れています。    現在の紙幣の裏面に発券局長の印が捺されているようなものです。     なお後藤家は京都で代々足利将軍のお抱え彫金師でした。   
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Q小判の光次

小判の刻印にある「光次」は何て読むか分かってるのですか?ミツツグ?

Aベストアンサー

金座の責任者である後藤庄三郎光次の名と、花押ですね。
さて、読み方ですが・・・
次はおそらく「ツグ」でよいと思うのですが光のほうが問題でして「アキ」「アリ」「ミツ」「カネ」など、いろいろと考えられます。

で、辞典で調べてみると後藤庄三郎光次は「ゴトウショウザブロウミツツグ」となっていますので、ミツツグであっているものと思われます。

参考URL:http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history_11.htm


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