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よく本を読んでいるのですが読解力が足りないせいか、作品を表面上のものしか捕らえてないように感じます。
大学は文学部でよく本のレポートを書かなければいけなくなるのですが、うまく書けません。
読み終わっても「面白かった」「つまらなかった」と思うくらいで、何がどう面白かったか。作品のどこをどう感じてそう思ったか等、そういう深い?感想を感じれません。
これでは折角の作品の面白さを全く感じられず損してる気分にもなります。

・本の読み方。
・どうしれば表面だけでなく、深く読めるか。

ぜひ教えて下さい。

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A 回答 (6件)

私の場合は、自分で頭の中に場面の映像を浮かべながら読んでいます。

登場人物の紹介文からイメージを作り、読み進めていくと、会話や感情の吐露といった場面でも自然に感情移入していますね。

大学のレポートということで、課題図書で書くとすれば、(興味が持てなくて)難しいことかもしれませんが、同じ本を2,3度読み返すというのも一つの方法だと思います。
読み返すというのは、本は、読むたびに新しい発見があるからです。

それから、「面白かった」のは、自分の経験と照らし合わせてそう感じているのだと思いますので、どこ(会話か、モノローグか、情景かなど)が面白かったか、ぱらぱら読みでもいいので見返してみると、何か見つかるかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/13 19:55

小説は読む人間にとっては「貴重な経験の移植」なのです。

人間がその人生において経験できることは数が知れています。世の中にはその人が知らない出来事が星の数ほどあるのです。その一つひとつを経験することなど不可能ですが、小説を読むことで多くの出来事を疑似体験でき、恰も自分がその出来事を体験しているかのごとき感覚で捉えることが出来るのです。

小説を読む心構えは、主人公をはじめとする登場人物の目線で読むことです。
第三者的な目線で物語を追うのではなく、「俺だったらこのように考える」「自分だったらこのような行動はとらない」「なんでこんなことを?」というように、物語の中に入り込むことが必要なのです。
そのとき初めて作者との対話が始まるのです。主人公の口を通して語られるものは、自分の考え方とは異なる心の動きや行動かもしれません。しかし、そこに潜むものが何であるのかが判ったときに、読者の心の中には新たな体験を通して得られるような、貴重な感情、思いが蓄えられることになります。
読み終わったときに、主人公の考え方と自分の考え、登場人物たちと自分の物事に対する認識の差など、様々な事柄が頭の中に残ります。そこから感想や感動や涙や怒りが出てくるのです。
自分がもしもそこに居合わせたらという観点で、ストーリーを追い、主人公の行動を体験すること。そこにはいくつもの人生があり、いくつものドラマが存在し、読者個々の人生の中では決して味わうことの出来ない「感動」があるものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/13 19:55

同様な経験を通過しての一言です。



本とは、それに書かれていないことを読むのです。
これが書いてあって、なぜこれが書いてないのか
などと読み進めることです。

イメージとしては、きっちりと文机に向かってでなく
ルームランナーからフローリングにベタ置きの本を読むです。

そうすると、なぜを探し、その答えを求めて、調べ物をしながら読む癖が付き
それられをミックスすれば、学部のレポートは直に出来上がりです。
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この回答へのお礼

書かれてないことを読む。ですか。中々難しそうですね…。
自分は今だ表面的な事柄しか読み取れてないので、練習?していこうと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/08 14:53

文学作品の読書に限った話になってしまいますが、有名作家の代表作から愛読書を何冊か見つけるのが、一つの足がかりになると思います。



漱石クラスの作家の代表作、例えば『こころ』あたりになると、夥しい数の作品論があります。いくつかの論文を一冊にまとめた本も何冊かありますし、一人が論じた単行本も多数あります。当然、執筆者はそれなりの読み手ということになります。それらを読むことで、読み方や目の付けどころを学んではいかがでしょうか。(もちろん読み手の意見を吸収するのが目的ではありませんよ、あくまでも読みのスタイル・目の付けどころですよ、念のため)

生真面目な人はアンチョコを覗くようで気が咎めるかもしれませし、秀才気取りの人は軽侮の念を抱くかもしれませんね。
ですが、ピカソのような前衛的な画家でも初めは先人の模倣から入っていくそうですし、モーツァルトは真似の天才と言う人(木原武一『天才の勉強方』)もいるくらいです。模倣や暗記は諸学の基盤確立に必要で、決して程度の低い学習行動(方法)とは言えません。

ただ、二・三回読んだだけですぐ他人の読みを参考にするのは、よくない(効果が薄い)というのが私の実感です。
作品論には引用が数多く出てきますが、ごく短い引用文を見てもすぐに、「あの場面か」と思い浮かべられるくらい読み込んでからトライすると効果的です。
何度も読んでいると意見や疑問が自然と出てくるので、吸収力が高まっていますし、読み手に対して主体的に関わっていけますから。

また、有名作家の代表作は外国語に翻訳されている作品もたくさんあります。例えば『坊ちゃん』などは、いま容易に入手できる英訳本だけでも三冊あります。
これらを読むことは、当然別角度からの読みになりますし、母語よりはどうしてもゆったりした読みになるので、読みの深化には好都合かと思います。

そのようなわけで、文豪の代表作から愛読書と呼べる本を育てておくと便宜です。
上記のような読書で、読み方や視点を増やしておくと、他の作品を読むときにも適用ができ、読書力を高める一助(残念ながらあくまでも一助)になると思いますよ。
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この回答へのお礼

他人の論文を読むのも1つの手ですね!早速今度本屋で調べて読んでみようと思います。どういう本がいいかな。
本も何度も読み返してみようと思います(思えば1回読んだら終わりのが多かった)
ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/08 14:52

感じ方は読書経験の多さや、その人それぞれの経験などにおいてもちがってきます。


同じ本を読み、ほかの人がどう感じたのかを聞くことは大切なことですが、周りに影響されることがベストではないと思います。
もう少し身近で感情移入しやすいものを手にとってみられてはいかがでしょうか。一つの台詞、ワンシーンだけでも印象に残る場面に出会うと、そのときの感動は忘れえぬものです。まずは、心ゆさぶられる思いをすることがいちばん大切なのではないかと思うのです。
「深く読む」ことは「立派な形にまとめる」ことではありません。その前に思いがあり、心があると思います。
万人がいいからいいとも限りませんし、みんながいいといわなくても私は好きだといえる物語に出会えるかもしれません。
結構そういう過程が自分探しや自分磨きになっていたりするのです。
恋をするように、たくさんの物語に出会ってほしいです。
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この回答へのお礼

自分はどうも周りの意見に影響されやすいみたいです。この人がこう思ったら、自分もこう思うべきなのかなと思ってしまうみたいです。
たくさん読んでみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/08 14:50

 W.L.ゲーリンという人が書いた『文学批評入門』という本があり日本語にも翻訳されていますので、読まれてみてはいかがでしょうか。

いくつかの文学理論というか本の読み方を紹介し、その理論や読み方をアメリカやイギリスの有名な文学作品に当てはめて紹介している本です。
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この回答へのお礼

是非読んでみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/08 14:48

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Q三島由紀夫の英会話力

 youtubeなどで、三島由紀夫が英語を話している動画がいくつかアップされていますが、非常に流暢な英語で、忙しい中いつどうやって勉強したのか不思議に思います。

 今のように英語の教材があふれている時代でもないし、英会話教室なども無かった時代です。まして超売れっ子作家で執筆活動で忙しいはずなのに、どうやってマスターしたのか知りたいです。

 おそらく物凄い集中力で短期集中で学んだと思いますが、英会話をマスターする極意が三島由紀夫の英語のなかにあるような気がするのです。
 
 なにか情報を知っている方がいれば是非教えてください。

Aベストアンサー

こんばんは。

>超売れっ子作家で執筆活動で
とは言うけれども、彼は、晩年まで、きちんと決まった時間、決まった量を毎日書くというような習慣があったと聞いています。その傍ら、ボディービルやボクシング・剣道などをしていたけれども、それは、30代に入ってからです。

#1の方が書いているように、彼はエリート中のエリートで、学習院では優秀な成績で東大に入り、大蔵省への入省は固いと言われながら、失敗してから、それを機にまったく違う方向に進んでいったようです。

>英会話をマスターする極意が三島由紀夫の英語のなかにあるような気がするのです。

この辺りのことは、三島由紀夫は戦後の活躍ですから、三島由紀夫について触れている話としては、英会話の松本道弘氏ぐらいしか、私としては覚えがありません。私は、三島が、外国人に向かって、日本刀を振りかざし、(自分は)"noble savage(高潔なる野蛮人)"と言ったことを、執筆に書いていたのを思い出します。私は、彼の書籍や映画、そして市ヶ谷の駐屯地で割腹した報道をオンタイムで見ていた世代です。

「英語の極意」ということですと、おそらく三島由紀夫にも該当するはずですが、東大教授の斎藤兆史氏が、明治から昭和に至る間の英語力が高い人の話を書いていて、新書版で何冊か本を出しています。ただ、そうした内容が、今どきの人たちに、受け入れられるかは疑問です。直接、三島由紀夫については触れていませんので誤解なきよう。

斉藤個人の話でも、高校生の頃に、モームやラッセルを苦もなく読めていたわけで、その後、英会話を始めたわけです。反論はあるかもしれませんが、斉藤自身も、相当の英語の使い手だと思います。同時通訳というようなものではなく、アカデミックな内容を語らせるものです。渡部昇一氏も、自身の英語の勉強や英語教育のことには触れていますが、その人たちの論調は、必ずしも、実用英語を主体として学んでいるわけではないということです。渡部昇一氏の話を読むと、なんとなくその具体的な上達法が分かります。それは、今の英語教育の方針や、ここで良く書かれている常連の英語通さんたちの方法とは、まったく違った学習方法ですが、それを辛抱してやる勇気があるかどうかは、語学学習する志や目的の違いにもつながります。

なお、三島は、リンガフォンで上達したとか書いていた人もいますが、そういう種類で話せる内容ではありませんね。

こんな本があります。
『英語達人列伝』斎藤兆史 中公新書
#1の方と論旨は同じですが、結局のところ、本当に頭の良い人は英語もできるという話でしかありません。
実際の斎藤が、東京大学で使っている英語テキストなどは、それほど難しいものではありませんが、それでさえ、一般の人たちには厳しいはずです。

彼の著書の中で、私は、新渡戸稲造氏の英語が着目しました。彼の学生の頃の英語は、まったく実用英語からは程遠かったと想像できますし、当時は、他の人も、そんなものだったと思います。その後、アメリカに行き、ネイティブ・スピーカーと相対して経験によって直していく方法だったはずです。三島でしたら、国内でも、そうした機会も恵まれていたと思います。

以前、世の中には、常人とは比較にならない特殊な記憶力を持った人たちがいることを書いたことがありましたが、三島由紀夫もそんな一人だったと思います。

こんばんは。

>超売れっ子作家で執筆活動で
とは言うけれども、彼は、晩年まで、きちんと決まった時間、決まった量を毎日書くというような習慣があったと聞いています。その傍ら、ボディービルやボクシング・剣道などをしていたけれども、それは、30代に入ってからです。

#1の方が書いているように、彼はエリート中のエリートで、学習院では優秀な成績で東大に入り、大蔵省への入省は固いと言われながら、失敗してから、それを機にまったく違う方向に進んでいったようです。

>英会話をマスターする極意が三島...続きを読む


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