質問させてください。

 神は我らを救い給うのでしょうか?

 それとも、

 科学がそれに変わるのでしょうか?

 漠然としていて、申し訳ないですね。

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A 回答 (9件)

googleで霊魂と調べてください

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神は私たちがいくら苦しんでいようとまず何もしません。

気づきもしないかもしれません。神から見れば人間の苦しみは赤ちゃんのママゴトのようにしか見えません。

神などの関与することは死後の世界のことです。人間が死んだあと苦しまないように救い給うことはありえます。人間が仕事とか恋愛とかやっていることは関与しません。高い意識の持ち主にとって生きてる間のどうこうはどうでもいいのです。(死後の世界にかかわるようなことは除く)

ただし生きてる間にいたずらでかかわってくる意識の低い霊魂もいます。


ムカつく文章をダラダラかいて申し訳ありませんが、googleで魂と検索すれば素晴らしいサイトにめぐり合うはずです。

>>科学がそれに変わるのでしょうか?

そうですね、現在ほとんどの方は科学を信仰しているように思えます。科学によって自分たちを裕福へいざなおうとしているのでしょうかね?笑

とにかく、神は人間たちを救うためにいるわけではないと思います。

突然ですが(魂)について調べてみてください。
あなたの疑問が解消することを願います。
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神という定義が人それぞれですから、科学が神へ通じると考える人もいるでしょう。

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まず「神」について。


日本人のいう「カミ」と外国人もしくは宗教(例えばキリスト教)上の「神」とは違うと思います。
私は前者を採るとしますと、日本古来からの神は神話による普遍的な神と土着信仰から生まれた道祖神的な神があり、どちらも自然と密接に結びつき主に第一次産業的側面で、そばにいて鎮めること荒れることを司り、家々の御札などの依代に降りて「救う」のではなく「護る」のだといえましょう。
例え科学が発展しても神はあくまでそばにいて、護る代わりに捧げを受け、ときには荒れて、人々自らの力を集め発揮して克服せよ、と占事により伝えてきます。
ですから、科学を発展させるとともに、神さんを祭るということを通して、人間が個の集まりとして関係性を問い続けることが、結局「救い」になるのではないか、と思います。
何か書いてて訳がわからなくなってきました。すいません。
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  「神は我らを救いたまうか」は、どういう具体的な人が、具体的場面で問うているかによって答えが違います。神というのは、共同体の問題でもあれば、個人の実存の問題でもあるのです。
 
  科学は、人間の世界認識において、普遍性の根拠となりえると思える「論理の手順」に準拠しています。論理も色々なものがあるのですが、科学の論理は進展して行き、「思いこみの理屈」から、万人がある教育で修得すれば理解でき納得できる「普遍的法則」を備えているようにも考えられます。
 
  しかし、科学は、真偽判断できる領域や限界を、その科学の論理基準で厳しく定めています。全能の神が宇宙を創造したというのは、科学では「否定できません」、それはしかし「肯定できる」ということではありません。これは科学の方法、論理では答えがでないのです。科学の限界を超えています。そして、科学は、常に、論理規則に従う体系で、限界を明らかにしています。
 
  神が我らを救うというのは、「神」とは、どのような神なのかが問題になります。また「救い」とは何かという問題もあります。古代イスラエル人には、天国の思想や、死後の生の思想はありませんでした。神の救いは、神に帰依することで、地上的な豊かさや、長寿や、幸福が得られることです。実際、『聖書』には、神が取ったのでいなくなったとされる人を除いて、すべて死亡しました。エリヤは、燃える戦車で天に昇って行ったとされますが、死んでいない訳ではないはずです。
 
  どういう神を考えられているのか、どういう「救い」を考えられているのかです。わたしは、「神の救い」はあると思います。すべての人が救われるでしょう。キリスト教の神は、複雑な面を持っていますが、そのなかに、すべてを許す神という像があります。このイメージ、位相は、聖マリアに受け継がれたのですが、神が救ってくれなくとも、聖マリアが救ってくださるでしょう。
 
  科学は、こういう形而上学的問題には関与しません。それが科学の基本パラダイムです。というわけで、科学が神に代わることはありません。
 
  神は、それに頼る者に、恵みと救いを与えてくださるでしょう。
  「選択する神」は、或る意味、人間の社会ルールを元に築いた産物だとも言えます。しかし、すべてを分け隔てなく恵み、無条件で許してくださる神こそ、真の神だとわたしは思います。「救い」ということこそ、最高の奇跡でしょう。この最高の奇跡に比すれば、山が動くことも、針の穴を駱駝が通ることも大した奇跡ではなくなるでしょう。
 
  結局、信じると言うより、より頼み、救いの時に、祈ることで、救いを求める主として、心に抱けばよいのでしょう。信仰の問題ですが、もう少し広いでしょう。神は、信じる者も、信じない者も救ってくださるのです。これはわたしの考えです。(神は、また、それぞれの人の魂に、その原型の刻印を残しています。神の影像が、人の魂には宿っているのです)。
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私の考え方は、少し異なる物かもしれませんが、神は人間が作り出したこの世で一番醜悪な存在であり、崇高な存在であると思います。


そもそも、人が神と言う幻想を理想像とし、その理想に近づくために考え出された様々な掟がやがて戒律と言う名のものに変わり宗教として成立したと考えています。
私は無心論者ですから神の存在に関しては否定的な立場です。
人が安定を求める為に理想の形として存在している事には否定はしませんが。
人間の思想は哲学を生み哲学の中から科学が生まれました。
科学と言う分野が成立したのは18世紀頃から19世紀頃ですからまだまだこれからの若い分野と言えるでしょう。
科学は人の欲求に応じて飛躍していきますから、人が欲求をもち続ける限り様々な形で謎とされてきた問題や発見等を重ねていくのだと思います。
人に欲求が無くなる時、科学も衰退していく事になるのでしょうが、人の欲求が無くなるとは、すなわち無欲となるわけで、神様の領域に近づく事になるのかもしれません。
神の時代を神話として語り継ぐ現在と異なり、神の時代を昔話程度に話せる頃の人達から見れば私達はきっと神様に見えるか、最高の愚か者に見えるかのどちらかでしょうね。
いずれにしても神の領域と言われた宇宙に乗り出した科学の進歩と資源を枯らして発展する科学の進歩とどちらが先に私達の現実として訪れるのか興味はあります。
最初から人を滅ぼす為に科学を学ぶ者はいません。
使用者が科学の力をマイナスに用いるだけの事です。
神様を信じる事で心の安定を求めるのならば、自分の理想を追求すればよいし、科学は人を未来に導く新しい考え方であると考えれば少しだけ安心できると思うのですが…
回答になっていないかもしれませんね、ごめんなさい。
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神と我らと科学の境はどこなんですか?


全体と部分と性質以上の違いがあるんですかあ?
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神などいない。


だから、救いた給うたりしない。
神を崇めてもなんの意味もない。
神はお布施は要求しない。

でも、神の心は貴方の中にも存在するはず。
他人を救いたいと思う気持ちが神である。
しかし、各個人の心にはそんな余裕が無い。
それが現実である。

科学はいつか廃れ、破滅する。
だから神にはなり得ない。
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科学は神ではないですからね。


神を人間が考え出すと同じくらい、いやそれ以上に、科学は人間によって考え出されたものです。
ある意味、神に代わる科学というのはあると思いますが、神ならばなんでも説明できたのに、科学だと説明できないこともあります。そういう意味では、科学は神に劣ると思いますが。

神がわれわれを救うかどうかはなんともわかりませんね。
救われることを信じるから、信仰なんじゃないでしょうか。
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「セセリ」の語源は、「小刻みな動作をせわしなく繰り返す」「繰り返しつつく」という意味の
「せせる【挵る】」から来ているとされています。
ただ、これには「落ち着きのない独特な飛び方から来たもの」とする説と、「花の蜜を吸う時に
口吻を何度もつつくように伸ばす様子から来たもの」とする説があるようです。

回答2:
一般的な分類法ではあとひとつ、「シジミタテハ科」を加えた計6種類の科が存在します。

回答3:
「外来種」の正確な定義は、「人間の活動による影響で持ち込まれた・流入した生物」です。
よって、台風などの自然現象で日本に来たと思われる国外原産の生物は、たとえ繁殖したとして
も外来種とは呼べないのですが、「本当に誰かが卵や幼虫を持ち込んだ可能性はないのか」と言
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です。

回答4:
ヒメジャノメやキマダラセセリの「幼虫」はススキの葉を食べますが、成虫の蝶はどの部分も食
べないはずです。

回答1:
「セセリ」の語源は、「小刻みな動作をせわしなく繰り返す」「繰り返しつつく」という意味の
「せせる【挵る】」から来ているとされています。
ただ、これには「落ち着きのない独特な飛び方から来たもの」とする説と、「花の蜜を吸う時に
口吻を何度もつつくように伸ばす様子から来たもの」とする説があるようです。

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宜しくお願いします。

Aベストアンサー

piyoco123さんの回答は、イギリス系思想家の考え方を、非常に分かりやすく的確に表現したものです。すばらしすぎる。ただの「一般人」とは思えませんね。

さて、カール・ポパー(piyoco123さんご指摘のような議論の代表者)から、ぼろくそに言われまくれ、全体主義者とまで勘違いされているドイツ系弁証法家としても、これは何か発言しないわけにはいかないでしょう。

ドイツ系思想家の特徴として、体系的整合性を重視する傾向があります。体系的な方法論で作り出された学問だけが学問的、もしくは、科学的(wissenschaftlich)だという風に考える傾向が主流にあり(ヘーゲル、マルクスなど)、イギリス人の経験論のように、物事をいくつもの構成要素に分解したり、それぞれの事象がカバーするポイントを列挙したりする思考様式は、学問的なものではないとして、嫌われます。そういう物事の捉え方だと、複雑なシステムの有機的運動は説明できなくなる、というのが弁証法家の発想なのです。(本来、アナログに出来ているものを、無理やりデジタルに理解するようなものですからね)なお、先ほどから体系的という言葉を使っていますが、体系とは原語ではズィステーム、つまり、英語のシステムです。

また、ドイツ系哲学では、他人の書いた著作を読んで、その本の著者の思考の流れを追体験することをも経験と呼びます。ただし、ヘーゲルの場合は厳密に、現実社会で生きているなかでの体験と、他人の著作を読んで思考過程を追体験する経験を、ErfahrungとEmpirieという別の単語で使い分けます。他人の思考の追体験と同様に重視されるのは、一人の心の中で二つの意見が動いている場合で、これは他人と議論をしているのと同等だと考えます。真理とは一般に、概念と現実が一致している状態とされ、概念はひとつの哲学体系の中で自らの位置を占め、学問全体の一部であるとされます。非科学的なものとは一般に、物事のあるべき自然の姿(=現実)が概念に一致していないことを意味します。ここには、自然法思想の最後の残滓があるのです。(うーむ、いかにもアドルノ的な文章だ)

この傾向はマルクスにおいても同じなのですが、弁証法家の中には、他人の思考を追体験するという要素を引き継いで、それを実存主義的にまとめあげたキルケゴールのような人もいます。この人が他の実存主義者とまったく異なる点は、まさにこの、他人の思考の追体験という要素です。「君は、今、幸せ者かもしれない。でも、どんな幸せ者でも、不幸者に転落してしまう可能性があるんだ。それを、いまから僕がみせてあげよう」という感じの人です。この人の指摘がずばり当てはまってしまうような思考様式の人は、まさに概念と現実が一致している不幸者への転落者なのです。

さらには、キルケゴール研究からスタートしたアドルノにいたると、体系的であることは逆に批判の対象となり、それでも他人の思考の追体験という原理は変わらず、彼の文章を読むときは、イギリス式のように、物事を要素に分解したり、物事の要素を列挙したりする思考様式は完全に捨て去る必要があることには変わりません。ヘーゲルの場合は、過去の哲学史や当時の自然科学の全てを飲み込むような巨大体系を作ろうとした傾向が強かったのに対し、自然科学の発達や大学での学問の細分化に伴い、ヘーゲル的な巨大体系は、時代にフィットしなくなっていきます。それでも、アドルノの文章は、結構ワンパターンで、完成された巨大体系こそ作らないものの、せつな的な体系化の要素が概念の絡み合いの中で生まれて消える姿を見ることができます。こういう説明をすると、なんのことかさっぱり分からないと言われそうだし、弁証法は難しいとか詭弁だとかいう人もいるのですが、慣れてしまえばなんでもなく、ダンスを踊っている程度のものです。

文字や本を持たない土着民族についてですが、レベルは低くとも学問への入り口に立っていたり、学問的な要素を多少は持っているというのが、弁証法的な考え方です。たとえば、どんなに文明のレベルが低くても、人間であれば、火を使うことはするでしょう。そうすると、「火」は「暖かさ」と結びつけられる現象であり、火をおこすには、ほかの「可燃物」から火を移すとか、「火打ち石」を使うとかする必要がある、くらいのことは知っているでしょう。すると、ここにはすでに学問の芽があり、火と暖かさと可燃物と火打ち石の関係が理解されており、これをいつでも必要に応じて実行に移せる人間においては、概念と事実が一致しているので、そこには何がしかの真理があります。これは決っして非科学的な現象ではありません。

また、弁証法家は、宗教や美術もまた科学の一形態であって、内容的には哲学と同じものであり、表現形式が違うに過ぎないと考える傾向があるため、過去の時代的制約による過ちを含んだものであっても、それがきっかけとなって人間が何かを考えさせられるのであれば、それもまた、学問の一部である、と考えます。

一般的な哲学史を言えば、マルクスが共産主義理論を作った際に、ヘーゲル研究からスタートしたため、イギリス人から見ると、ヘーゲルはマルクスの先行者にして全体主義者に見えるのです。しかし、これは正しいヘーゲル理解とは言いがたく、ヘーゲルとマルクスの間には、越えられない断絶があります。一番大きな違いは、ヘーゲルが伝統的な自然法思想を完成させ、人間本性と自然は同じものであるとする思想の最後を飾っているのに対し、マルクスの世代になると自然法のような虚構性の高い思想は忘れられ、社会哲学の分野も実証主義的傾向が強くなっていることだと思います。ヘーゲルが生き返ってマルクスの本を読んだら仰天し、「ギリシャのイデア論から現代に至るまでの最も重要な哲学・法学原理である自然法を理解していないとは、到底、法学部卒業とは思えない」と言うことでしょう。

piyoco123さんの回答は、イギリス系思想家の考え方を、非常に分かりやすく的確に表現したものです。すばらしすぎる。ただの「一般人」とは思えませんね。

さて、カール・ポパー(piyoco123さんご指摘のような議論の代表者)から、ぼろくそに言われまくれ、全体主義者とまで勘違いされているドイツ系弁証法家としても、これは何か発言しないわけにはいかないでしょう。

ドイツ系思想家の特徴として、体系的整合性を重視する傾向があります。体系的な方法論で作り出された学問だけが学問的、もしくは、科学的(...続きを読む


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