インターネットや本でいろいろ調べたんですが、どうもパッとしません。どなたか詳しい人はぜひ、回答お願いします。

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A 回答 (1件)

 


  西欧列強が、東アジアを席巻した時の国際情勢とは、西欧列強の植民地政策に組み込まれた地域、そして、残された大国中国を、四方八方から蚕食して行く列強の中国対と、相互のあいだの牽制や争いが、情勢だったのではないでしょうか。
 
  それ以前なら、まず、中国大陸というか、中華帝国のある領域には、清朝や明朝などの中華王朝があり、その周辺国は、中華帝国の冊封を受け、王とか、諸侯などの官位をもらって支配下にある地域と、中華帝国の支配に抵抗する、北の遊牧民、西の砂漠の部族、南の深山のなかの未開の領域、またチベット、そして東の日本でしょう。そして、距離があり過ぎて、形式的冊封にしかならない、東南アジア諸国があるというのが、東アジアの国際情勢ではないでしょうか。
 
  東南アジアには、特に、ヒンドゥー教やイスラム教も入っていて、かなりに複雑な状況だったはずです。中華帝国の方は、南はヴェトナム北部を支配し、冊封し、北は、一部の遊牧民部族を冊封し、西の西域は、イニシャティヴを失ったままでしうし、チベットは、中華帝国とは独立していたということでしょう。日本は、明の冊封を足利義満だったかが形式的に受け入れたものの、あくまで貿易利益のためで、独立国としてあったとも言えるでしょう。秀吉の朝鮮半島出兵で、高麗は、明に支援を求め、明はこれを援助したものの、結果的に国力が落ち、ヌルハチに国を奪われたという情勢でしょう。
 
  もっと高度で詳細な話というのは、書籍からでも学ぶしかないのではないでしょうか。各国別、地域別の歴史書から、総合図をまとめる作業がいるのではないかと思いますが、「世界の歴史」というようなシリーズで、大体、或る時代の東アジア情勢として出てくるのではないでしょうか。
 
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Q日本は東アジアの盟主になったか。

日本は戦前から東アジアの盟主たるべく数々の努力をしてきたと思います。
武力で欧米の植民地支配から解き放ち(←建前上は)、近年ではODAなどで東アジア諸国に多額の援助を行なうなどしています。
ところで、
東アジア諸国から見て日本はどう思われているのでしょうか。
歴史問題などはありますが、東アジアのリーダー、と思われているのでしょうか。
それとも、東アジアのリーダーは中国、と思っているのでしょうか。

Aベストアンサー

うーん、難しいですね。
完璧に私見だけでいいますと、アジア地区のリーダは不在です。
その発言、動向が無視できない位置におり、経済的にも支配されているという点ではリーダに近いかもしれません。
しかし、アジアを牽引し、他のエリア(EC、アメリカなど)と対等に渡り合えるかというと、全然です。
アジア各国はそれぞれ影響をうける宗主国が違うため、
まだ統一された指針がないですし。
毎年の莫大な援助も「戦争で迷惑をかけたから当然だ」という感じです。

中国はアジアというより、世界のリーダたらんとしています。
もう中国へのODAなど止めても問題ないとおもうんですけどね。
これで金が入る寄生虫人種がいる限り、とまることは無いでしょう。

Q東アジア、東南アジア

これはなぜ東や東南なのですか?

Aベストアンサー

アジアがものすごく広いからです。

元々「アジア」は当然ながらヨーロッパの人々の概念で、古くからトルコのイスタンブールにあるボスポラス海峡を境目にしてきました。

つまりイスタンブールはヨーロッパとアジアを両方持つ珍しい都市なのですが、この町はすぐに地中海ですから、ユーラシア大陸の3/4ぐらいがアジアになってしまいます。もちろんこの境目を考えた当時はヨーロッパ人が知っているのはせいぜいインドまででその先に中国や日本などがあるとは思っていない買ったのです。
地図:https://maps.google.co.jp/maps?q=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB&ie=UTF-8&hq=&hnear=0x14caa7040068086b:0xe1ccfe98bc01b0d0,%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3+%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB&gl=jp&ei=nCeLUtHLAYWekgXn8oCoCw&ved=0CLsBELYD

イスタンブールを中心とした地図のURLを載せましたので、ぜひ確認してみてください。イスタンブールから日本までがアジアになります。

このようなヨーロッパの視点から見れば、当然日本は極東(ファーイースト)です。中央アジアと呼ばれるのはキルギスを中心にウズベキスタン・トルクメニスタン・アフガニスタンなどのタンタンコンビになります。
中央アジアの下のパキスタンやインドは南アジアになり、中央アジアとの分け目はブータンや中国のチベット自治区からタジキスタンまでつながる世界最高峰エベレストを含むアジア高原がそれになります。この高原の北が中央アジア、南側が南アジアです。

そしてイランから西側ボスポラス海峡までが西アジアで中央アジアの隣、チベット自治区・ウイグル自治区を含んで日本までが東アジアになります。東アジアは中国がやたらにでかく、あとは北朝鮮・韓国・日本しかなく、地域としては台湾が微妙なところです。

そして東南アジアは、もうお分かりになるとおもいますが、インドの東で中国の下にあるので東南アジア、という名称になります。アジアは実質的にインドネシアからパプアニューギニアを含み、オーストラリアとニュージーランドがオセアニアになります。

ただ最近は西アジアという言い方はほとんどしません。なぜならアジアとは文化的人種的にあまりにも違うからです。
最近のアジアは南アジア・中央アジアまででここから極東の日本までは宗教的に仏教が伝来していますし、人種的にもアジア人種になります。

これに対してイランからトルコまでは中東または中近東(ミドルイースト)と呼ばれることが多く、アラブ諸国でありイスラム教を主な宗教とするアラブ人の世界になっていきます。ただし中近東などの用語はトルコから地中海南側のエジプト・シリアなどの北アフリカ沿岸諸国を含む場合がおおく、アジアの概念とは少し違います。

いずれにしても日本は欧米人の感覚でもっとも東にある島国なので極東になるわけです。

最後に中央アジアやモンゴルの上にある現在のロシアは、シベリアまで含みますがアジアではありません。なぜならもともとこのあたりはツンドラ地帯でほとんど人が住んでいなかったからです。今でも人口は非常に小さく街もほとんどありません。そのため19世紀にシベリアまで到達した帝政ロシアの土地として、この地域はアジアには入らずロシアかシベリアと呼ばれるのです。

アジアがものすごく広いからです。

元々「アジア」は当然ながらヨーロッパの人々の概念で、古くからトルコのイスタンブールにあるボスポラス海峡を境目にしてきました。

つまりイスタンブールはヨーロッパとアジアを両方持つ珍しい都市なのですが、この町はすぐに地中海ですから、ユーラシア大陸の3/4ぐらいがアジアになってしまいます。もちろんこの境目を考えた当時はヨーロッパ人が知っているのはせいぜいインドまででその先に中国や日本などがあるとは思っていない買ったのです。
地図:https://maps.goo...続きを読む

Q東アジア経済について

東アジア経済について
経済学を独学で勉強しています。東アジア経済について質問があります。
(1)東アジア経済統合とは?
(2)東アジア経済成長を支える貿易構造とは?
ちょっと漠然とした質問ですがよろしくお願いします。また、参考になる
サイト等ありましたら教えてください。

Aベストアンサー

簡単には要約できないのではと思います。

東アジアでも、韓国、台湾、中国、香港の経済は違います。
日本の技術・資本集約産業と、中国の労働集約産業、転換期にある韓国・台湾という分業構造があり、
中間財が中国に輸出されて組み立てられ、世界に輸出されるということ位は言えるでしょう。
しかし、それぞれの産業で、貿易・分業の構造が生まれていますが、
細かい部分では意見が一致しているわけではありません。

平川均・石川幸一「新・東アジア経済論」ミネルヴァ書房
伊藤元重他「日中関係の経済分析―空洞化論・中国脅威論の誤解」(東洋経済新報社)
等々、図書館に行って書籍を読みましょう。
ただ、中国に関しては短期間の変化が激しいので、
新しいものを見たほうがいいのかもしれない。

日中韓FTA、東アジア共同体などは、ここで聞かなくてもそれらのキーワードを検索した方がまともなものが見つかるかと思います。

Webサイトは、(偏っているとは思いますが)こんなのはどうでしょうか。
・通商白書2007(通商白書は東アジアの記述量が多い)
http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2007/index.html
・REITIディスカッションペーパー
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/act_dp.html
・赤門マネジメントレビュー
http://www.gbrc.jp/journal/amr/index.html
・富士通総研研究レポート
http://jp.fujitsu.com/group/fri/report/research/
・Ernst Dieter氏(英語)論文
http://ideas.repec.org/e/per44.html
・丸川知雄氏コラム・論文
http://www.iss.u-tokyo.ac.jp/~marukawa/
・渡辺利夫氏コラム
http://www.takushoku-u.ac.jp/students/president/article/list.html

簡単には要約できないのではと思います。

東アジアでも、韓国、台湾、中国、香港の経済は違います。
日本の技術・資本集約産業と、中国の労働集約産業、転換期にある韓国・台湾という分業構造があり、
中間財が中国に輸出されて組み立てられ、世界に輸出されるということ位は言えるでしょう。
しかし、それぞれの産業で、貿易・分業の構造が生まれていますが、
細かい部分では意見が一致しているわけではありません。

平川均・石川幸一「新・東アジア経済論」ミネルヴァ書房
伊藤元重他「日中関係の経...続きを読む

Q1852年前半、ペリーは東アジアの何処に居たか。

ペリーに関して、下記の記述に出合いました。
1852、53、54年の三度に亙り、日本を含む東アジアの海域に来航した。・・・(*)

1852年の11月24日に本国を発ち、53年、54年に江戸湾に来航しているのは承知しています。(*)が正しければ1852年の前半に東アジアの何処かに居た事になります。この時期、彼は何処に居ましたか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://www.history.navy.mil/branches/teach/pearl/kanagawa/friends4.htm
米軍の公式記録(かな?)では二度しかきていません。
http://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/jinmeiroku/perry/perry.htm
米国にいたようです。

Q日本人は農耕民族で、欧米人は狩猟民族?

「日本人は農耕民族で、欧米人は狩猟民族」と良くいわれますよね?

何故なのでしょうか?
日本人だって縄文時代は、狩猟採集生活だったでしょうし、
欧米人だって、何時からなのかは、詳しく知りませんが、農業が食料調達のメインになったと思います。

何故、「日本人は農耕民族で、欧米人は狩猟民族」とメディアで良く語られるのでしょうか?

外国でも、「〇〇は農耕民族で、欧米人は狩猟民族」という言い方がされる事があるのでしょうか?

Aベストアンサー

ある目的のために農耕民族的特質と狩猟民族的特質を
となえた人がいたと思われます。文字通り、民族の特質を分かりやすく説明するためであり、日本人対欧米人を対比するために考案された説ではないはずです。
一部の評論家、政治家、軍人などが自説を展開するために拡大解釈して利用したのでしょう。最後に俗説となって一般大衆に広がったものと考えます。

よく血液型(4種類)で人の性格を判断します(日本人)が農耕民、狩猟民は地球上の人類を二種類にするので血液型以上に便利です。

地球の風土を「モンスーン」「砂漠」「牧場」の三つに類型化して説明した学者がいました。日本から中近東を通り、ヨーロッパに至るルートを観察すればこの
三つの類型化で地域の特色とそこに住む人々の特徴が
説明しやすいからです。しかし、飛行機の時代を経て宇宙から地球を観察できる時代になれば古い学説になってしまいます。

欧米人と日本人を比較するとき、便宜的に農耕民・狩猟民説を利用する人は健在です。血液型に似ています。あたらないケースは除外し、当たるケースのみを対象とするから一見正しい理論のように見えます。

農耕民族(日本人)    狩猟民族(欧米人)
短い脚          長い脚
集団志向(共同作業)   個人志向(獲物の分配)
定住           移動
2拍子(鳥ー2本足)   4拍子(4足獣)
別れを重視        出会いを重視

ある目的のために農耕民族的特質と狩猟民族的特質を
となえた人がいたと思われます。文字通り、民族の特質を分かりやすく説明するためであり、日本人対欧米人を対比するために考案された説ではないはずです。
一部の評論家、政治家、軍人などが自説を展開するために拡大解釈して利用したのでしょう。最後に俗説となって一般大衆に広がったものと考えます。

よく血液型(4種類)で人の性格を判断します(日本人)が農耕民、狩猟民は地球上の人類を二種類にするので血液型以上に便利です。

地球の風土を「...続きを読む

Q天皇家(アマテラス)は、東アジア圏内の民族?

長文です。天皇及び皇族を、テレビで見るたび思うのですが、あの鼻は決して、東圏内の鼻じゃないですよね?
 天皇家の肌の色を褐色に変えたら、中東の民族に見えるのは私だけでしょうか?
天皇家の祖、その祖母であるアマテラス。名前もカタカナにすると東アジア圏内では無く、西洋の名に近い気がする。
 国譲りの神話で、アマテラスはきらびやかな天(アマ)の船に乗って、葦原の中つ国の稲佐湾(イナサ)に降り立って、大国主に国を譲るか否か迫る。(インナフか サーか)そして、草薙の剣(鋼の剣)とその剣でも貫けない鎧をまとい軍事力を見せ付ける。アジアの小国にそんな技術があったのか。?マークです。

天皇家、朝鮮説もあります。
朝鮮半島の壬那日本府が新羅に滅ぼされ、聖徳太子の祖父欽明帝が死ぬ間際に「汝は新羅を討って任那を回復せよ。また昔のように「夫婦の国」になるならば死すとも思い残すことはない」と語っている。夫婦の国は異常です。同じ志を持つ者は、義兄弟と呼ばれた時代に夫婦って、、、もう故郷でしょう。
 また、平安京遷都で有名な桓武天皇は、「天皇家は元は三韓と同じであった。」という書物を焼き捨てた。と江戸時代の国学者 本居宣長が語っている。
 でも、疑問です。日本を制圧できるぐらいの軍事力を持つ民族のルーツが朝鮮半島のごく一部でくらしていたとは信じがたい。それと、朝鮮半島の一部にも、「天の船伝説」が伝わっていることを考えると、最初に朝鮮半島にたどり着いて、その後に日本に訪れたと考えられないか?

後、訓読みも不思議です。
 東アジアは、当時中国の影響力が凄かった。現代におけるアメリカと日本の関係に匹敵するくらいに影響力が大きかった。だから、漢字が日本に伝わったのはわかるし、朝鮮なんて、中国の完全なコピーだった。それなのに訓読みっていったい何? 遠く離れたトルコには、訓読みの同音同義語が、200以上あるんだって。何故?

不思議で夜も眠れません。天皇家は、自分たちが元々は日本人ではないという事実を、今も尚、国民に隠しているのでは無いですか?

 出雲大社は、天皇家の守護、奈良の大仏の大極殿よりも、天皇の住処京都御所よりも、大きかったそうです。それは、大国主のタタリを恐れたアマ一族の供養だったのかも知れません。
 何度殺しても、復活してくる大国主に恐怖を抱いたのではないでしょうか?同じ民族同士なら、替え玉を使っても、微妙な違いはわかりますが、天皇家にはそれが、判別できなかったのではないでしょうか?
 歴史ミステリーです。宮内庁が歴史学者に協力的になれば、もっと真実が見えてくると思います。
空白の4世紀も解明されるかもしれない。本来の日本の歴史を知りたいです。
 皆さん。否定的な意見。肯定的な意見。いっぱい待ってます。

長文です。天皇及び皇族を、テレビで見るたび思うのですが、あの鼻は決して、東圏内の鼻じゃないですよね?
 天皇家の肌の色を褐色に変えたら、中東の民族に見えるのは私だけでしょうか?
天皇家の祖、その祖母であるアマテラス。名前もカタカナにすると東アジア圏内では無く、西洋の名に近い気がする。
 国譲りの神話で、アマテラスはきらびやかな天(アマ)の船に乗って、葦原の中つ国の稲佐湾(イナサ)に降り立って、大国主に国を譲るか否か迫る。(インナフか サーか)そして、草薙の剣(鋼の剣)とその剣...続きを読む

Aベストアンサー

日本民族はまあ、いろんな民族のごちゃまぜです。
ですので、純日本人(少なくとも数代遡っても外人の血は入っていない)でもネプチューン名倉のように東南アジアの顔立ちのかたもいますし、色をもっと白くすれば白人と間違うような人もいます。また逆にかなり黒人ぽい人もいますね。

有史以前の日本を見ると、北方系として地続きになった樺太海峡あたりから日本にやってきて定住した人々、朝鮮半島を通って定住した人々、アジアの太平洋南岸の島々を渡ってやってきた人々など、日本人の源流には様々なルートがあり、遺伝子解析などでも日本人と南米インデオ(原住民)にしか見つからないミトコンドリアDNAとか日本人と中近東及びチベット族しか見つからない遺伝子系統種とか、とにかく日本はアフリカから出た人類がユーラシア大陸を横断してたどり着いた吹き溜まりの場所なのでしょう。

ただしこれは1万6000年以上遡る話になります。ただ、これは日本語を考える上で重要な示唆があります。
日本語は旧石器時代を経て縄文・弥生時代には日本語の原型が出来ていたと考えるのが相当です。もちろんこの時代にはまだ文字はありませんが、文字をもっていない言語など現在でもたくさん残っていますので、日本語の原型はすくなくとも弥生時代の終わりには確定していたと思います。一度出来た言語は、外来語がやってきても簡単にはなくなりません。

日本には紀元前後の頃には、中国の内乱たとえば紀元前3世紀の春秋戦国時代などには難民などがたくさんやってきた漢字を伝えることもあったでしょうか、日本と大陸を隔てる海が体系的・組織的な流入を阻んでいたといえますし、たとえ船で民族がまるまるやってきたとしてもその民族の発展を邪魔できるぐらの組織的社会は日本にはすでに存在していたといえます。ですから、日本が体系的に漢字を輸入したころには、日本語は非常に発達しており、逆をいえば発達した日本語と日本社会を記録するために漢字を苦労して輸入し租借して訓読みを作ったといえるでしょう。
古事記は7世紀の成立ですが、ここで使う万葉仮名の法則性を得るまでに少なくとも1世紀ぐらいの漢字の受容と漢字の日本語化の格闘の歴史があると思います。その結果が万葉仮名であり、その進化系がひらがな・カタカナによる訓読みだといえます。

また、天皇家が朝鮮半島に関係してるのは別に普通のことでしょう今上陛下は2001年に「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と発言され、朝鮮半島とのつながりを肯定する発言をされています。

ただ「民族」を考える場合には、ちょっと注意が必要です。日本人は自国の歴史感から他の民族も同様に「○○民族」というのがあり、民族=国だと考えがちですが、そうではないからです。

たとえば中国の歴史を見ると、確かに漢字を発明し中華文明の基礎を作ったのは漢人なのですが、日本が最初に中国に派遣した遣隋使の時代の隋国は、漢人は非征服民族で支配階級はトルコ系民族(たぶんにウイグル辺りの人々)でしたし、次の唐もやはりトルコ系の民族が支配者でした。さらに最後の王朝である清国も支配者は女真族であり「愛新覚羅」という苗字は漢族にはありえない名前だったといえます。
また、有名な孔子も漢人ではなく女真族の出身だった言われており、朝鮮半島の北側(北朝鮮領咸鏡北道あたり)は女真族の国だったため、朝鮮人(韓国人)が「孔子は朝鮮民族出身」というのは多少根拠があり、逆に中国人が孔子は中国人と言う場合には必ずしも中国人=漢人ではなく、中国人=長江と黄河の間の平原に住む数々の民族、という意味合いが強く、その点では平原を舞台に活躍した孔子は間違いなく中国人と言えます。

話を日本に戻しますが、日本人という場合現在では大和朝廷が成立して以降、日本列島に住む人々が日本人で差し支えないと思いますが、それ以前の日本の歴史を見ると、各地に豪族が成立し群雄割拠の時代が紀元前から6世紀ぐらいまで続いていた、ということでしょうし、1世紀ぐらいには日本から中国大陸に使者を遅れるぐらいの文化的経済的発展はあったわけです。

ですから4世紀ぐらいになれば、対馬を通じて朝鮮半島と行き来した豪族もいたでしょうし、逆に朝鮮半島に日本の分家国家があってもおかしくはなく、任那日本府説のようなものもあながち否定できないところもあります。最近では日本式の前方後円墳(この形式は完全に日本オリジナルと証明されている)が朝鮮半島南部で見つかっていますので、日本から進出した勢力もあり朝鮮半島からやってきた勢力もあり、で日本国内の豪族ももしかしたら国際結婚などをしていたかもしれません。

> 出雲大社は、天皇家の守護、奈良の大仏の大極殿よりも、天皇の住処京都御所よりも、大きかったそうです。それは、大国主のタタリを恐れたアマ一族の供養だったのかも知れません。

個人的には、アマ一族は優れた技術を持って日本に渡来し、圧倒的な地位を築くことに成功したのだと考えています。
その優れた技術とは「量産可能な製鉄技術」です。実際に天皇家とたたら製鉄の関連を明示・暗示する記述はたくさんあり、いろんな学者も論を出しています。
世界各地を見ても、青銅器の時代から鉄器に移る時代には大きな民族移動が起きており、鉄器を得た民族が領地を広げてきたという見方が有力です。

大国主が天照に国譲りした本当のところは分かりませんが、大和という名前が出てくることから、なんらかの取引をすることで天照が日本の統一支配者になり、大国主は身を引いたのだろうというのが定説です。

これらの本当のことを調べるには、天皇陵に指定されている古墳を調べれば分かることも多いのでしょうが、宮内庁はこれを拒否しています。このことで「天皇家と朝鮮のつながりがばれるのが怖い」といううわさが立つのでしょうね。

しかし歴史を見てみれば、独立した国家が1500年も同じ統一王朝で、領土も変わらず、文化も変わらずにやってきたのですから、日本は堂々と日本だと主張できます。
もし天皇家が完璧に朝鮮民族だったとしても、日本民族と現在の朝鮮民族が同じということにはなりません。
そんな1000年以上も前のことを持ち出すなら、もっと新しい英国王室はフランス人でフランス国家ですし、中国はモンゴルと同じ国になってしまいます。朝鮮半島なんて高句麗の時代が一番大きかったのですから、その源流である扶余族(モンゴルともツングース族とも言われる)を元に考えれば、シベリアを征服したロシアの属国でもおかしくないわけです。

あまり、民族間の対立をあおってもしかたがありませんが、それぐらい民族と国・文化を考えるのは複雑な経路があるということです。

日本民族はまあ、いろんな民族のごちゃまぜです。
ですので、純日本人(少なくとも数代遡っても外人の血は入っていない)でもネプチューン名倉のように東南アジアの顔立ちのかたもいますし、色をもっと白くすれば白人と間違うような人もいます。また逆にかなり黒人ぽい人もいますね。

有史以前の日本を見ると、北方系として地続きになった樺太海峡あたりから日本にやってきて定住した人々、朝鮮半島を通って定住した人々、アジアの太平洋南岸の島々を渡ってやってきた人々など、日本人の源流には様々なルートがあ...続きを読む

Q東大日本史・戦後史の出題

東大文三目指している現役受験生です。
地歴選択は世界史・日本史で,センターでは世界史を受験します。
東大日本史二次試験での戦後史分野の出題頻度は低いですが,どれほど勉強に力をいれればよいか悩んでいます。特に,予備校の冬期講習で日本史戦後史の講座があるのですが,受講するべきか,それとも戦前までの復習に時間を回すか・・・
アドバイスをお願いします。

Aベストアンサー

迷う気持ちもわかりますが、世界史の場合、戦後史が出ていないから全く考えていなかった年に、朝鮮戦争とベトナム戦争という戦後世界史の重要事項が出題されて面食らった経験が私にもあります。

日本史の場合も戦後史といっても65年も経っているし、現代社会の諸問題は戦後の10年くらいの間にかなり根源がありますし、長く続いた自民党支配が終わったことにより、かなり客観的に歴史の問題を出題してもよい環境になってきていると思います。
やらないよりはやったほうがいいと思います。
戦後史への理解があると戦前までの歴史がきっとよく分かるようになると思います。
戦後史を捨てるのも、もちろん一つのやり方だとは思います。「しまった、出題された!」という後悔の気持ちを大学に入ってからは大切にして戦後史への理解を深めてほしいと思います。

実は日本人の多くは戦後史の理解を欠いています。
だから世の中が悪くなってもそれが悪くなったのだと気付けないでいます。

東大受けようとする人は戦後史をきちんと理解しておいてもらいたいと思います。
東大を出た人の歴史認識~教養の度合い、これが近年低下しているのではないかと思われますので、
質問者が気になさっておられることは、尊いことだと私は思います。

予備校でやってくれるなら受講なさったらいかがでしょう。
ご自分でやるのは大変かもしれないし。
ご自分では手が回らないものについて予備校を利用すればいいと思います。

迷う気持ちもわかりますが、世界史の場合、戦後史が出ていないから全く考えていなかった年に、朝鮮戦争とベトナム戦争という戦後世界史の重要事項が出題されて面食らった経験が私にもあります。

日本史の場合も戦後史といっても65年も経っているし、現代社会の諸問題は戦後の10年くらいの間にかなり根源がありますし、長く続いた自民党支配が終わったことにより、かなり客観的に歴史の問題を出題してもよい環境になってきていると思います。
やらないよりはやったほうがいいと思います。
戦後史への理解があると...続きを読む

Q「湾岸問題」と、対テロ戦争の焦点である「東アジア・東南アジア問題」

趣味で読んでいる「対テロ戦争」とイスラム世界
(板垣雄三編 岩波新書)
の記述に関する質問をします。

■質問箇所の要約
「パレスチナ問題」の難渋により、「湾岸問題」が設定された。
これは、2つの焦点を持つ中東構造の楕円構造化、つまりイラン・イスラエル枢軸の構造化であった。
しかしこれは、イラン・イスラム革命で破壊された。
その対策として、イラク政権、アフガンのイスラム戦士の育成・強化が図られたが、前者が湾岸戦争、後者がイスラム運動ネットワークの脅威のグローバル化をもたらした。
また、湾岸戦争でソ連崩壊し、中央アジアが中東と連結し「中央アジア問題」が起こった。
「対テロ戦争」の焦点は、今後国際紛争の深刻な第四焦点になるに違いない「東アジア・東南アジア問題」への東漸をみてとれる。


■質問
「イラン・イスラエル枢軸」とは、具体的にどのようなアメリカの外交行動によって形作られたのですか?

「東アジア・東南アジア問題」の具体例とは何ですか?アメリカはこの地域に対して、何を憂慮しているのですか?

お願いします。

Aベストアンサー

この問題はかなり複雑な経緯があります。
まずアメリカの戦略は、イランの王制をテコいれし近代的親米の国家としイスラエルと共にイザという場合の米軍基地化する下地を作ることでした。

所がイラン・イスラム革命を引き起こし王制が倒れてアメリカの戦略は破綻してしまいました。
しかもアメリカのもっとも恐れる原爆を持つに至りました。
それを阻止する為イラクのフセインを扇動してイランイラク戦争を仕掛けたのですが、イランの健闘で失敗に終わりました。

この付近に基地を持ちたいアメリカはイラクがクエートに侵攻したのを好機とみて湾岸戦争でイラクの半ばを勢力圏下に納めました。
しかしそれ以上の勢力拡大は国際世論からみて無理と判断したのです。
本格的な戦争の準備が不足していたのです。

この反イスラム戦略が9・11テロを呼び世界的な反テロの空気を招いたので好機到来とイラクへ侵攻したわけです。

これに先立ちロシアのアフガンでの失敗でアフガンの親米化の可能性をみて対テロを口実にアフガン介入を図りましたがこれはまだ成功していません。

中近東、中央アジアに基地候補を作る戦略はソ連の崩壊でその必要性が薄くなりましたから、次の目標が東アジア、東南アジアと成ったのです。
しかも東南アジアには石油資源があります。
しかも最大のイスラム国家であるインドネシアが存在します。
そしていまや国力を付けつつある中国が存在するのです。
アメリカが日本、台湾を重視するのはこの為です。

この問題はかなり複雑な経緯があります。
まずアメリカの戦略は、イランの王制をテコいれし近代的親米の国家としイスラエルと共にイザという場合の米軍基地化する下地を作ることでした。

所がイラン・イスラム革命を引き起こし王制が倒れてアメリカの戦略は破綻してしまいました。
しかもアメリカのもっとも恐れる原爆を持つに至りました。
それを阻止する為イラクのフセインを扇動してイランイラク戦争を仕掛けたのですが、イランの健闘で失敗に終わりました。

この付近に基地を持ちたいアメリカはイラ...続きを読む

Q東アジア市場の魅力とは?

欧米諸国などの先進国の企業が東アジア市場に進出する理由とは何ですか?

欧米諸国企業が同欧米諸国市場に進出することと、どう違いがあるのでしょうか?

例えば米ウォールマートやフランスのカルフールなどが進出する理由とは何でしょうか?

Aベストアンサー

(1)市場の新規開拓とパイの絶対的増加(顧客の増加)
(2)市場の占有とヘゲモニー(欧米文化の影響力の増大)

(1)は分かりやすそうですが、(2)が肝心。

先進国、特に欧米諸国の文化や生活習慣への憧れと不信感みたいなものがアジアの未開拓の市場などでは存在していますので、小売業など人々に身近で生活に密着したものから広めていくことで、アジア市場でのシェアを勝ち取ると共に、欧米諸国の文化や生活習慣への抵抗感を取り払い、積極的なニーズを呼び込みたいと考えられます。

同欧米諸国市場では上記の可能性は考えられません。

Q何故アジアは近代、地球規模での世界の一体化をなしえなかったのか。

ヨーロッパ進出は近代、すさまじいものでありました。それまでにあったアジアは大きな存在だったにも関わらず、衰退し世界はヨーロッパ先導の元一体化していきました。何故、アジアは地球規模での世界の一体化をなしえなかったのでしょうか。具体的な事例を示して教えてください。

Aベストアンサー

まあ歴史の大きい謎ですね。インドやイスラムは疎いので中国に関してだけの推測です。

・15世紀辺りまで中国における工業的技術水準が西洋を凌駕していたとは聞きます。火薬も羅針盤も中国の発明とされます。モンゴル帝国によって東西の文化がくっついたと言うのは杉山正明先生ですね。モンゴルなり中東なりを経て西洋に伝わった文化がその後に生きたという点は評価されてよいかと思います。

・15世紀初頭の明代鄭和の艦隊は、西洋の大航海時代の開拓者の艦隊よりも大規模で、技術的にも優れたものだったといわれます。スペインやポルトガルのように商業地盤を作らずに帰っていったのは、東アジアの外交が、威勢を第一にして商業的利益を重視してはいなかったのでしょうかね。スペインやポルトガルは経済的にそれほど強力ではない状態なのに征服活動に成功しています。朱子学は排外主義・商人蔑視という意味では弊害があったようには感じます。明代では西洋の文化が手に入っていても尊ばれなかった記述を見かけます。

・中国の中央集権的君主体制下よりも、ヨーロッパの地方分権的封建体制の下で資本主義の萌芽が発達できたと捉えられます。明代中国もジャンク商人(倭寇は日本人の事ではなく商業活動を行っていた集団)を弾圧せず利用していれば富を蓄積できたようにも思えますが。

・中国の人口は13億、ヨーロッパは6億人です。中国がくっついているだけでもすごい一体化です。ローマ帝国崩壊後、中世西ヨーロッパはくっつこうと思ってもくっつけませんでしたし、近代くっつこうとしたのはえらい戦争になってます。

・1500年辺りにはもうヨーロッパとアジアの所得格差が生まれてきているようです(Maddisonの資料による)。産業革命によって経済が離陸すると、これは短期間では越えられない壁になりました。高度に武装した近代国民国家の徴兵制の軍隊に対して、旧来の軍隊は到底かないません。

・清代の中国では人口爆発によって所得水準の向上が妨げられています。この面では日本は人口抑制に成功したことが近代化を早く成し遂げられた一因かと。

・アメリカやドイツでは19世紀に技術導入や幼稚産業保護に成功していますが、植民地ではこれは無理だったのでしょう。ちなみにイギリスでも17世紀にはオランダから技術導入を行っていたようです。

まあ歴史の大きい謎ですね。インドやイスラムは疎いので中国に関してだけの推測です。

・15世紀辺りまで中国における工業的技術水準が西洋を凌駕していたとは聞きます。火薬も羅針盤も中国の発明とされます。モンゴル帝国によって東西の文化がくっついたと言うのは杉山正明先生ですね。モンゴルなり中東なりを経て西洋に伝わった文化がその後に生きたという点は評価されてよいかと思います。

・15世紀初頭の明代鄭和の艦隊は、西洋の大航海時代の開拓者の艦隊よりも大規模で、技術的にも優れたものだったと...続きを読む


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