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「同じ歴史を共有している我々国民」と言う考え方がありますよね。でも、それって一体いつ位から考えられて来たんでしょう?
 古代では九州の人を隼人、関東の人を東夷と呼んでいたくらいだからまだ考えてなかっただろうし、江戸時代では武士と町人で言葉が違っていたようだからこれも違うだろし・・・。
 易しい言葉で教えてください!お願いします。

A 回答 (2件)

 「国民という意識が存在するのはいつからなのか?」「なぜ、そのような意識が存在するのか?」 一般的に、これらの問いはナショナリズムとして研究されています。



 ベネディクト・アンダーソンによると、ひとつの想像された共同体が国民です。印刷技術の出現が「国語」の書物を広く普及させ、その結果、ひとつの地域の共通・共有のきずなが想像されたとしています。この「国語」の普及とは、ラテン語から地域語(ヨーロッパ諸語)に翻訳された聖書のことをさしています。アンダーソンによると、それがナショナリズムの始まりです。

 日本人という意識が出現するのは、やはり明治維新後だと思います。それ以前の日本は、幕府や朝廷を中心とした都市のネットワークがあっただけで、国家も国民も登場していないように思います。アンダーソンの言う「巡礼」の道が整備されたのは明治維新後でしょう。地方出身の役人が日本国内各地を転勤しながら、出身地だけに留まらない「国家」や「国民」を意識していく過程が巡礼です。

 アンダーソンによると、これらの意識は全て虚構なのだそうです。
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この回答へのお礼

 なるほど。参考になりました。
 有難う御座居ました。

お礼日時:2002/01/22 22:35

国民という考え方ができたのは、世界史レベルではフランス革命(1789年)以降です。

フランス革命とそれに対する干渉戦争(のちにナポレオンが活躍します)の中で「フランス国民」という感じ方ができあがっていき、これが国民の始まりであると私は考えます。

日本では、明治維新後の明治政府において国民を作り上げるべく努力していきます。これが定着して、日本国民という意識になるのは日清戦争(1894-95年)日露戦争(1904-05年)を待たなければならないと私は思います。

結局、戦争をやって国が一体となって敵国と戦ううちに同じ国民という意識が生じるのでしょう。
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この回答へのお礼

的確な御答え、有難う御座居ました。

お礼日時:2002/01/20 22:15

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