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次の事柄について自分の意見をふまえてレポートを書かなくてはいけないのですが、西洋文化初心者の私にはどのように書けばいいのかわかりません。
1.中世のルネサンス的運動と中世都市
2.ダンテとマキャベリの思想
3.イタリア・ルネサンスの3巨匠
4.ルターとエラスムスの論争
これらについて、意見や考えがおありの方はどーぞ(熱く)書き込んでください。
参考にさせていただきたいと思っております。また参考になるHP等ございましたらどなたか教えてください。

A 回答 (2件)

 


  まず、こういう質問の形式で問うと、答える側は馬鹿馬鹿しくなるのだということは、理解された方がよいでしょう。つまり、このような大きな問題を一質問にしているのが問題だということです。四つに分けて質問すれば、それなりに答えやすいでしょうが、四つ同時というのは、回答が難しいのです。
 
  以下に適当なことを書きます(こう書くと、本当に内容を見ずに、適当だと思う人がいるので困ったことがありますが。内容を見て、自分で判断してください)。
 
  >1.中世のルネサンス的運動と中世都市
 
  ルネッサンスは文化運動である訳で、文化の変革のためには、それなりの資金や、援助者、また新文化の支持者が必要なのです。でないと、文化運動は失敗するでしょう。中世都市は、自治都市が多く、政治的に、領主権力などから独立し、都市の市民参事会などが、都市を運営していました。中世都市は、城壁で囲まれた一つの世界で、独立性を市民が持っていたとも言えるのです。ルネッサンスの芸術文化運動には、先に述べたように、資金提供者や支持者が必要な訳です。イタリアでも、大商人が資金を提供し、また、職人ギルドも、これに寄与しましたし、何よりも、都市市民が、新しい運動を支持したというのが重要でしょう。ドイツのルネッサンスなどは、典型的な自治都市市民の文化運動とも言えるでしょう。
 
  >2.ダンテとマキャベリの思想
 
  よく分からないのですが、ダンテは、トマスの主張した、中世的調和世界を、文学において具象的に表現した訳で、このような世界観を提示したダンテの思想は、中世的調和秩序の世界についての思想だったでしょう。異端者は地獄で苦しみを受けており、悪魔は地獄の底で、氷のなかに逆さに漬けられているというのは、カトリックの榮光秩序思想でしょう。しかし、イタリアは、小国に分裂し、群雄割拠状態でもあった訳で、これが、調和世界とは到底言い難かったし、ドイツ、イギリス、フランス、スペインなどが強国として独立した統一体を築くのを見て(ドイツは分裂したままですが)、マキャベリは、「目的のためには、手段は正当化されるという思想」を肯定します。マキャベリは冷酷無情な人間だったのではなく、祖国を愛するが故に、悲惨を回避し、統一が望ましいと考え、その必要性を説いたとも言えます。ダンテは、分裂した政治状況のなかで、カトリックの調和世界を構想し、(ただ、ダンテのまとめあげは、この思想を越えるという意味もあったはずです。カトリックの中世に対する告別が、「神曲」だと考えることもできるのです)、しかし、やはり、イタリアの統一と平和を願っていたのでしょう。ダンテは宗教の中世の最後を表し、近世を告知し、マキャベリは、政治での中世の終焉を表して、近世の政治を告知し先取りしていた……というのは、少し無理かも知れないです。
 
  >3.イタリア・ルネサンスの3巨匠
 
  これは、レオナルドとミケランジェロとラファエロのことだということになりますが、レオナルドは、画家というより、技術者・科学者という方が近く、多面的才能を持つルネッサンス的理想人間像の典型でしょう。芸術家であり、思想家であり、技術者であり、科学者であった、こういうのがレオナルドで、これがルネッサンスの万能の人のモデルでしょう。ミケランジェロも、画家、彫刻家、建築家の面を持ち、もっとも穏やかに見えるラファエロも、画家であると同時に建築家であり、思想家でもあったということで、ルネッサンスの「万能人の理想」を具現した人々だということになるでしょう。
 
  >4.ルターとエラスムスの論争
 
  これは、エラスムスの「自由意志論」(1524)対、ルターの「奴隷意志論」(1525)で提示された対立でしょう。神学的に詳細な議論は分からないので、簡単に考えれば、エラスムスは、中世的合理主義の頂点で、「人間は、善と悪を為す自由意志を持つ」としたのに対し、ルターは反論として、「人間には自由意志はない。人間は悪を為す自由は持つが、善を為す自由意志はないからである」と答えました。エラスムスは、「善なる行為」によって、神は、人を救済してくださると主張したのですが、これは、中世の世俗的規範であったとも言えます。ルターは、「善を人が判断できはしないのであり、人が善であるか否かよりも、人がいかに神への信仰を持っているか、これが救済の与件である」と論じたのです。ルターの主張は、アウグスティヌスの救済についての基本的な神学に通じており、プロテスタント(新教)は、原始キリスト教への退化とも考えられるという、見解に肯定的根拠を示すでしょう。これはツヴィングリの二重救済予定説とも通じる部分があり、ルターは、「信仰による義認」を再度歴史において確認し、エラスムスの中世的存在規範である「存在の善による義認」を論駁したのだと言えるでしょう。これは、中世から近世への思想の進展の象徴ともなるのかも知れません……よく分かりません。
 
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1.についてのみですが・・・。



ルネサンス・中世とくれば避けて通れないのが、異端審問・魔女裁判の歴史です。

「魔女狩り」森田恒雄 岩波新書
これは、名著です。西洋文化を学ぶ以上、一度は読んでおいて絶対損はしません。
西洋文化と関係なくても、実に面白い本です。


で、2.について一言私見を。
マキャベリスムというのは「目的のためには手段を選ばず」ということから、どうもアメリカ映画を観ておりますと、マフィアの親分だの刑務所の囚人だのに好まれているようです。なにかと引用したり、マキャベリの本を読むシーンが出てきたりします。
なので、私にとってマキャベリはマフィアの神様みたいな所があります。
以上、この私見は無視してくださいね。
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