No.4ベストアンサー
- 回答日時:
日本初めての使用は、薩摩にあった島津家の武将、伊集院忠朗が薩摩統一戦の間に起こった「大隈加治木城攻め」で使用したのが実戦で初めてです。
これが1549年(天文18年)です。伝わったのは歴史でも有名なとおり1543年ですので、それから改良を加えて、ようやく形になりました。
1の人が言っている雑賀が行ったのは斉射ですね。信長が長篠の戦で行ったことで有名な鉄砲三段とほとんど同じ手法です。
なお、上杉家についてなのですが、これは玉薬の調合について絡んできます。当時鉄砲玉の最重要部分である火薬の調合は、種子島氏内部で秘術とされていたのですが、それを近衛前久を通じて教えてほしいと頼んだ足利将軍家、時の足利将軍義輝に種子島当主時堯は教えます。しかし、秘術であるはずのこの調合方法が上杉家に流れていたという資料が、上杉側の上杉家文書に記されているのです。
そこから上杉が最初という説がでたと考えられますね。
なお、1543年以前に鉄砲が伝来していたという説は前々からあります。武田家には火薬を使って玉を打ち出す兵器があったとも言われています。ただしこれらは資料上でのみ(おぼろげながら)確認できて、実際に存在が不明ですので、通史では扱われません。
ただし、火薬を使う兵器については倭寇がすでに明よりもたらしていたとされています。
なお、大陸で初めて火薬を使った兵器を開発したのは13世紀初頭、中国北部を領していた金国が初といわれています。
参考URL:http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tanega_k.h …
No.8
- 回答日時:
No7さんのものについて補足です。
>島津忠良、貴久の黒川崎の戦
先に出した伊集院は忠良の家臣です。実際の戦では総大将が雑兵までの指揮を執るわけではなく、ピラミッド式に指揮が降りていきます。
>黒川崎の戦
加治木城は現在の鹿児島県の加治木町にあるのですが、地図で確認していただければわかりますが黒川と加治木城は2Kmも離れていません(およそ1.5Km)。そのため、加治木城攻防戦と同じときに黒川崎の戦が起こったと考えるのが妥当です。
なので厳密に言うと、加治木城攻城戦の中の黒川崎の戦いとなるのでしょうかね?
主力として使用し始めた勢力ですが、雑賀は鉄砲隊が主力であったようです。1570年に織田から攻められたときも鉄砲隊の交互射撃で蹴散らしています
島津氏説が今では一番有力みたいですね。
よく考えたら、種子島スタートで鉄砲が入って来たんなら、南から大陸伝って、九州や中国地方の武将が先に使い出すのが自然な形ですよね。。
いきなり尾張までハイジャンプする鉄砲を想像すると、自分がどれだけアホだったのか思い知りました。
にもかかわらず、沢山の情報と補足をありがとうございます!!
No.7
- 回答日時:
種子島と呼ばれた火縄銃が、始めて日本で使われた戦は、ポルトガル人がもたらした翌年の、天文13年(1544)種子島恵時等が、屋久島に攻め込んだ戦といわれています。
ただその火縄銃はまだ筒底がネジでない不完全なもので、完全な銃になって最初の戦は、天文18年(1549)島津軍の使用と考えられています。 その武将名は No.4さんのと異なり、島津忠良、貴久の黒川崎の戦といわれています。 しかしその後の幾多の合戦を見ても、鉄砲は補助武器にしか過ぎず、主力武器として始めて活用したのは、長篠の信長です。 お友達が上杉謙信にこだわるのは、鉄砲の使い方を指南する砲術のことでしょうか。 永禄2年(1559) 長尾景虎(後の上杉謙信)は九州の大友氏が将軍に献上した砲術伝書を足利義輝より譲りうけたとあり、上杉流の砲術は有名です。 No.3さんの尼子氏の鉄砲については、永禄5年(1562)の久米田寺の合戦が有名とあります。 1542年の戦については不明で種子島ではない、としかいえません。これらは石原結実さんの著書にあります。
自身満々な割りには、友人の口からは、砲術のほの字も出てきませんでしたよ。
きっとどこかでさらっと聞いただけの話だったんだろうと思います。
ここではっきり知れてよかったです。
ありがとうございました!
No.6
- 回答日時:
#1の方が紹介されている内容に付け加えます。
種子島に伝わった2丁の鉄砲のうちの1丁は、当時70万石の領地と2万人の僧兵を有する根来寺の津田某に譲渡されました。そして、津田氏が紀州に持ち帰った鉄砲を元にして堺、泉州、国友村で製造されるようになり世の中に広まっていった。雑賀衆は鉄砲で武装した紀州の地侍です。
津田氏が鉄砲1丁を譲ってもらえたのは、根来寺が種子島を中継地として貿易を行い種子島氏に多額の手数料を支払っていたからです。要は儲けさせてあげてたってこと。
僧兵は行者の格好であれば日本全国通行可能であるので、
種子島に鉄砲が伝わった話も情報としてすぐに津田氏の耳に入った。だからこそ訪れて手にいれることが可能だったと思います。もしくは、津田氏が鉄砲の存在を誰かに聞いて知っていて、種子島氏にその話をしていたか、相手の船が持ってるのを見たら買っておいてくれと頼んだか。
あと、根来寺の行者が鉄砲を売りに来たという記録を北条氏が残しているので、武田や上杉にも売りに歩いた可能性は十分有ります。1543年当時、織田信長は9才です。
根来寺の津田氏が鉄砲の量産を考えたのも、ベースに商人的発想がまずあって、それに根来寺の財力と宗教的ネットワークが加わって全国販売を想像できたからだと思う。
しかしながらその生産状況を理解し戦を変革できたのは信長が最初であった。
ボクはこのように考えてます。
鉄砲の普及で、これからの戦の形が大きく変わってしまう事に、いち早く気付いたのが信長という事でしょうか。
そういう意味ではやっぱり一番に相応しいですね!
でも当時、鉄砲の威力を見たら、皆絶対使えるって思っただろうから。
きっと津田氏はしこたま儲けたんだろうな…
ありがとうございました^^
No.5
- 回答日時:
補足です。
1543年以前に鉄砲が伝わっていたという説でつくられているのが、有名な「もののけ姫」ですね。ただしあれクラスの威力を持つ兵器が存在していたかは不明です。
また、尼子氏は明と通商を行っていたため、そういった兵器を入手していた可能性はあります。
島津貴久は鉄砲配備に力をいれていたので、戦国で最初期に鉄砲を大量配備した勢力としては妥当であると思います。
1543年以前の鉄砲は、先に言ったとおり、まだ通史には認められていないのですが・・・今後の研究によって変わる可能性は十分にあるとは思います。ただ、現状では武田の火薬兵器と同等の扱いしか受けていないのが実情です。
No.2
- 回答日時:
下記のサイト内の鉄砲伝来の項目に島津貴久(関ヶ原で有名な島津義弘のお父さん)が1554年(天文23)の大隅合戦で用いたのが最初のようです。
参考URL:http://www1.neweb.ne.jp/wb/kajikikai/kagosima-ha …
No.1
- 回答日時:
こちらのサイトにも少しだけありますが、
雑賀衆という集団ではないですが傭兵隊みたいなものがいました。
それらが最もはじめに使ったと思われます。
しかし、それ以前に伝来していた可能性もあり、
私は、専門家ではないので、この辺にしておきます。
参考にしてください
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