高橋和巳は、論語のことを説教くさく、道徳的でつまらないと思っていました。しかし、中島敦の論語について書いている本を読んでから、論語の面白さに気づき、感動を覚えたそうです。
そのことについて書いている本が出ているようです。
その本の名前分かる方、いらっしゃいますか?

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A 回答 (2件)

「論語 ― 私の古典」 という随筆であろうと思われます。



  儒教的倫理や制度は激しく攻撃され、『論語』は青年の
  手にする書物ではなくなっていた。
  それを手にした機縁は、道学的な関心ではなく、むしろ
  文学的なものだった。硬質の文体で知慧の悲しみとでも
  いうべきものを描き続けた中島敦の『李陵』という作品
  が私を中国文学に接近させ、『弟子』という作品が『論
  語』に開眼させたのだった。    (高橋和巳「論語」)

『高橋和巳全集 第十ニ巻 評論2』(1978年 河出書房新社)に収められています。

なお、Amazon と紀伊国屋で検索してみたところ、入手できなくなっています。わたしは図書館で借りて読みました。おもしろかったです。
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「弟子」という小説があります。

孔子の弟子である子路の運命を描いたもので、孔子も登場しますし、問答もあります。これでしょうか。
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Q中島敦の本

で、全集をさらったけど未だ見つけられないものがあるんですが…

なんか、中国か朝鮮の青年が日本に来て、タバコを咥え、主人公にむかって
「火を貸してくれ」と言いたいところを「タバコを…」
と言ってしまい、「言葉で覚えているとこういうことになる」
と憎憎しげにいう、とかいう場面があったやつです。

どなたか題名のわかる方いらっしゃったら教えてください!

Aベストアンサー

これかな?

http://text.cool.ne.jp/na/nakajima/tora_gari.html

Q読み方が分かりません。(出典;山月記 中島敦)

「車」ヘンに「召」の読み方が分かりません。
平べったいですけど、「車召」という字です。
山月記の漢文のとこにあるのですが、
教えてください。

Aベストアンサー

 『軺』ですね。
 「しょう、ちゅう、よう」です。一般的には「よう」ですね。
 意味は、

1)おぐるま。立ち乗りの小車。
2)ものみぐるま。展望車。
3)馬車。

Q中島 敦の山月記について

山月記についての質問です。
『なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、
このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠ける
ところがあるのではないか』

という部分の欠けるものとはなんでしょうか??

お願いします。

Aベストアンサー

 文学作品の解釈はいろいろあっていいと思うのですが、この作品に関してはかなりはっきりしていると思います。

 要するに李徴には「心の広さ、大きさ」がたりなかったのだと思います。お手元に山月記のテキストがあれば見ていただきたいのですが、「山月記」でこの部分を解釈する上で、ヒントになるのはその袁サンの台詞のすぐ後の部分です。もっと言えば、袁サンのこの発言は、あとの李徴の発言を導く為と、とれないこともないです。

 袁サンのこの発言を受けて、李徴は「何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない」と、自己分析を始めます。
 例えば師匠につかなかったこと、友達と詩の品評をしなかったことなどは、「臆病な自尊心」から来ています。小説でも絵でも音楽でもそうですが、芸術作品を作るうえでは、「他人の評価に耳を傾けること」がとても大切です。李徴は他人からの非難を恐れるあまり、これを怠ったのです。
 つまり、他人のことはバカにしているくせに、自らは他人と関わるのが怖い、という小さな人間だったのです。こんな人間に人を感動させる詩が書けると思いますか。
 裏返せば、謙虚な心を持って、他人の批評に耳を傾けていれば、李徴にもチャンスはあったのではないか、ということです。
 
 
 ただし、文学作品に正解はないですから、これも一つの解釈ととらえてください。質問があればどうぞ。

 文学作品の解釈はいろいろあっていいと思うのですが、この作品に関してはかなりはっきりしていると思います。

 要するに李徴には「心の広さ、大きさ」がたりなかったのだと思います。お手元に山月記のテキストがあれば見ていただきたいのですが、「山月記」でこの部分を解釈する上で、ヒントになるのはその袁サンの台詞のすぐ後の部分です。もっと言えば、袁サンのこの発言は、あとの李徴の発言を導く為と、とれないこともないです。

 袁サンのこの発言を受けて、李徴は「何故こんな運命になったか判ら...続きを読む

Q「論語」の現代語訳と英訳が載っている本を探しています。

「論語」の現代語訳と英訳が載っている本を探しています。
2年ほど前に出た本です。著者(あるいは共著のひとり)は、企業の社長さんだったと記憶しています。
以前、現物を本屋で見かけました。
いま買おうと思ってアマゾンで検索しましたが、見つかりません。どなたか教えて下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

著者が社長さんではないようですし、共著者があるような本でもないのですが、下記サイトで「論語」「英語訳」をキーワードに検索したら、『論語珠玉の三十章』という本がヒットしました。

検索したサイト↓
http://www.honya-town.co.jp/hst/HT/index.html

検索結果↓
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?free=%98_%8C%EA%81%40%89p%8C%EA%96%F3&free_andor=0&title=&title_andor=0&title_title=1&title_subtitle=1&title_series=1&title_original=1&author=&author_list=0&publisher=&date_yy_from=&date_mm_from=&date_yy_to=&date_mm_to=&vague_search=1&list_kensu=20&stamp_style=0&price_from=&price_to=&isbn_cd=&pub_stat=2&submit.x=0&submit.y=0&nips_cd=

が出てきました。

あるいは、「論語」「英訳」で検索しましたら、

『道教とはなにか』と『生きがいの論語』というのが出てきました。

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?free=%98_%8C%EA%81%40%89p%96%F3&free_andor=0&title=&title_andor=0&title_title=1&title_subtitle=1&title_series=1&title_original=1&author=&author_list=0&publisher=&date_yy_from=&date_mm_from=&date_yy_to=&date_mm_to=&vague_search=1&list_kensu=20&stamp_style=0&price_from=&price_to=&isbn_cd=&pub_stat=2&submit.x=0&submit.y=0&nips_cd=

『生きがいの論語』の方が、お求めの本に近いかな、という印象です。
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9975000509

このうちのどちらかでしょうか。
全然違うかもしれませんが……。

著者が社長さんではないようですし、共著者があるような本でもないのですが、下記サイトで「論語」「英語訳」をキーワードに検索したら、『論語珠玉の三十章』という本がヒットしました。

検索したサイト↓
http://www.honya-town.co.jp/hst/HT/index.html

検索結果↓
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?free=%98_%8C%EA%81%40%89p%8C%EA%96%F3&free_andor=0&title=&title_andor=0&title_title=1&title_subtitle=1&title_series=1&title_original=1&author=&author_list=0&publisher=&date_yy_from=&da...続きを読む

Q論語―憤を発して食を忘れではなく、不憤という句は?

 いかりとか、いきどおりを現す字としては、(怒、慍、憚、慷、慨、憤)があるようです。
 論語では人が自分(の高さ)が知られなくても、不慍。或いは、怒を遷さずとかは出てきます。

 【質問】
 1. 私の記憶では君子不憤というフレーズがあったような思いがあるのです。そういうものはなかったでしょうか?
 2. 論語では怒りというものを説明し、君子は不憤しないものだというフレーズなかったでしょうか?

 備考:以下のものは見つかったのですが。
     子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽
     子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼

Aベストアンサー

    #2です。寝言です。

>>しかし、私の思い違いか、やはりご回答も憤(いきどお)らずではなく、発憤(奮)の方ですね。

この下りの一解釈は

    先生が言われた。『憤るくらいでなければ啓蒙(教育)をしない。言いたくて仕方がないというくらいでなければ、教えの言葉を発しない。一隅を挙げて説明した場合に、三隅をもって返答してこないのであれば、二度と教えることはない。』

http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/rongo007.html

僕は、この解釈だと「憤」は発奮とは違うように思います。


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