明日の文学の試験で論文を書かなければなりません。しかし、自分ではどうすればいいか分からないので皆さんに助けて頂けたらと思います。
テーマは「江戸時代からの物で現代に残るもの。」です。
レポート用紙1枚半~2枚程度の回答を頂けたらうれしいです。

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A 回答 (2件)

文学の試験というと,やはり文献に関するものでしょうか?


それともどんなジャンルで書けばよいのでしょうか?
明日であれば用意する時間が少ないのでインターネットで手軽に検索するのが良いかと思われます。
ちなみにノージャンルで私が思いつくものを書いて見ます。よろしければ参考にしてください。

・江戸時代のもので現存している書物について。
・旧東海道などの現存している古い町並みについて。
・それとは別に江戸時代に建てられた建物について。
・京都の条坊制ではないですが,今に引き継がれているもの。
・江戸時代のころから残っている風習。
・江戸時代の新田開発のころに名づけられた地名。(例:○○新田)
・江戸時代より残されている風習。

なんか,文学めいてないですが,何かテーマを見つけてその説明であるとか,考察をかけばよいのではないかな?
試験がんばってください。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。さっそく調べて頑張ります!

お礼日時:2002/01/24 01:06

今晩は。

さて、初めに断っておきますが、例え自分では何を述べたら良いのかすら見当が付かなくとも、ここで
>レポート用紙1枚半~2枚程度の回答を頂けたらうれしい
等と言うのは厳禁です。誰からもそっぽを向かれてしまう可能性大です。確かに本音はそうであっても、「ヒントを下さい」程度にして置きましょう。
 どうしても試験でそれなりの回答をしたいというなら、差し当たり最も調べ易いと思われる分野でのヒントを出して置きます。あと6時間くらいは有りますから、ネットを検索してみれば、或る程度は結果を出せるでしょう。

 試験の科目が何か判りませんが、どうも民族学に類する様な感じです。ですから江戸時代に始まったり、または盛んになった年中行事で、今も続いているものを調べてみてはどうですか? 鯉のぼりは間違いなく武家の習俗で江戸に起源が有りますし、雛祭りが現在のような段飾りになったのも江戸時代の筈です。
 挙げると当然まだまだ有ります。富士登山などというのも季節の行事とは言いがたいですが、やはりその例でしょう。あとは、暦でも見ながらご自分でどうぞ。頑張ってくんなまし。
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この回答へのお礼

お礼遅くなってすいません。雛祭りのことも参考に書かせて頂きました。ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/24 23:08

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Aベストアンサー

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# <(_ _)>

Aベストアンサー

まだ、間に合うかな?

まず、ラーナーは文学を「巧みに用いられた言葉」と定義します。文学に対する感受性は、言葉に対する感受性から始めなければならない、とも。

ここでは、表現形式や内容ではなく、言葉、という観点からアプローチしていることに注目してください。

その「巧みさ」をさらに、簡潔、新鮮、正確、活気の四項目にわけて、明確にしていこうとしているのです。

ご質問の「簡潔さ」ですが、ラーナーは、これら四つの特質の最初にあげています。
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以上第一章の中から、「簡潔さ」の項を要約してみました。
こんなところでいかがでしょうか。 

まだ、間に合うかな?

まず、ラーナーは文学を「巧みに用いられた言葉」と定義します。文学に対する感受性は、言葉に対する感受性から始めなければならない、とも。

ここでは、表現形式や内容ではなく、言葉、という観点からアプローチしていることに注目してください。

その「巧みさ」をさらに、簡潔、新鮮、正確、活気の四項目にわけて、明確にしていこうとしているのです。

ご質問の「簡潔さ」ですが、ラーナーは、これら四つの特質の最初にあげています。
「文章のもつあらゆる美点のうちでも、...続きを読む

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Aベストアンサー

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 こんにちは。
 菓子の分野のみですが有力な研究拠点を一つ紹介しておきます。東京圏にいるのなら必ず訪問するべきかと思います。
http://www.toraya-group.co.jp/gallery/dat_index.html#gallery002
ここの担当者(女性)も大学で和菓子に付いて調べているうちに、とうとうこの有名な店に勤めることになり、その後も引き続き研究されているとのことです(記憶違いが含まれる可能性在り)。
 少なくとも、差し当たりどのような本や文献を読むのが良いか、という教示はしていただけるでしょう。

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 実は私の近所の東海道筋にこんな店が在ります。
http://www.wagashi.or.jp/tokyo/shop/1915.htm
大森は江戸の市中ではないのですが、そういう機会が絶無ではなかったことが判ります。川崎大師にお参りに行くのが当時の遊山の一つでしたが、その往還にここにも寄ったかもしれません。
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どちらにしても上から字は書けます。
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お願いします
江戸時代の小説は暗いものが多い気がするので、明るいものでお願いします
一応、滝沢馬琴はもう全部よみました

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名前の読み方は、
『バマザキ フタオ』
さんでした。

出典は、

タイトル:松川15年・真実の勝利の為に
出版社:労働旬報社
出版年数:昭和39年8月
読み仮名記載ページ:44ページ

【補足】

1,現在、労働旬報社は「旬報社」に改称
2,上記の本は現在絶版ですが、復刻版として事件50年目に復刻。しかし流通してない為、現物がご希望の場合には松川事件研究の福島大学・伊部(イベ)教授までお問い合わせ下さい。

イベ先生の連絡先電話番号は、このサイトの性質上ここに記載出来ませんのでご理解下さい。

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観光庁は、国土交通省の外局のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%BA%81

このために、同じ省内で庁は増やさない原則から、スクラップ&ビルドで、明日から同省に属する海難審判庁が名前を変えて「海難審判所」(特別の機関)になるようです。
(参考)
http://www.mlit.go.jp/maia/sinsosiki.htm

気象庁と同じ並びです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E8%B1%A1%E5%BA%81

防衛庁は、次だと内閣府の外局扱いだったことになりますが、国家公安委員会と同様に格上の扱いを行っていて閣議参加メンバーになっていたことになります。
http://www5.hokkaido-np.co.jp/motto/20070106/

Q文学部で現代日本文学作品だけを学ぶのは無理?

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を考えたことがありません。

しかし、その文学部について調べていて引っかかる点が少しありました。
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その東洋文化系の必修科目や専門科目は、
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がほとんどという印象でした。
国語学や国文学もありますが、それ以上に外国語や他国の古典文学の授業がかなりを占めていると思います。
さらに国文学の授業でも、古典文学だけを扱うのが文学部の一般的常識だと聞きました。これは本当なのでしょうか。
教授の研究テーマを見ていても、現代日本文学を専門にしていらっしゃる方がいらっしゃいませんでした。
京大以外の国立大も軽く見てみましたが同じような印象を持ちました。

これは、大学の文学部に進学しても現代日本文学を本格的に学ぶことはあまりできず(卒論を除く)、他国のものを含む古典文学・外国語ばかりということになるのでしょうか?

古典文学も外国語も嫌いではありませんが、現代日本文学をあまり学べず、そちらにウェイトがかなり寄っているなら、他学部に進学して独学で文学を学ぶ方が幸せなのかなぁという気がして迷っています。
文学部で現代日本文学作品だけを、とまでは言いませんが、少なくともそれを専攻にしていると言えるようにはなりたいのです。
それが無理ならば、現代日本文学を学びたいという人が、古典文学や外国語をやる意味って何でしょうか?

文学部に在籍経験のある方や、その辺の事情に詳しい方の回答を頂けたらと思います。些細な情報でもかまいません。よろしくお願いします。

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学、政治学などの社会科学はもとより心理学や哲学といった思想系、時には人間が対象として観察している自然科学分野にまで及びます。そしてそうした全てをひっくるめた歴史にも脚を踏み入れねばならないことも普通です。
 「小説を読むのが好き」と仰る質問者からすれば、近代以前の作品は「小説」ではないのかもしれません。けれど『蜻蛉日記』や『更級日記』も解釈次第では「小説」でもあるとの事実を忘れてはならないでしょう。両者は共に「私小説」です。それは「私に降りかかった事象」を私の目線で見たこととして「自己対象化」の要件を完璧にクリアしていることによります。
 この要件を近代以後の作品に適用してみるならば、漱石、竜之介、そして公房や由紀夫、健三郎といった作家全てにあてはまることにもなります。
 こうしたことを考えてみると、最初の質問である「文学を学ぶ」とはどの様な意味を持ってくるといえるでしょう。そして具体的な内容はどの様な言葉として説明することになるでしょう。ここまで来た時、一先ずの定義を示すこともできます。少なくとも「文学なるもの」を研究対象とする時にしか、この言葉を使うことが出来なくなるとの話です。
 恐らく今後もノミネートされることはあっても村上春樹さんがノーベル賞を受賞することもないでしょう。それは文学が時空を越えて数多くの人と感動や認識を共有することで認められているからとの「文学の存在理由」との間でかなりの隔たりがあることも作用しています。
 『青が消える』が普遍の問題を扱っているといえるでしょうか。この作品をどの様な視点からターゲットとして観察することができるでしょうか。少なくとも僕には公房と類似するテーマを扱いながら彼の一連の作品を凌駕するとも考えられません。春樹が書いているのは「僕にとっては大切なもの」が他から見れば「さほどの意味はないもの」であるとの描写に留まっている点で、公房の足下にすら及ばない。だからどうしたの?で終わってしまうほどの作品ともいえます。
 質問者は「同時代の作家を対象とした」と肩に力を入れて力説していますが、戦後そして1945年以前の作家が同時代の空気を採り上げていないとの考えならば、それは大間違いともいえます。彼らは全員「自分の目線」とのフィルターを通じて社会そして世界を観察し、それを「言葉」として再び世界に放ち、読者(研究者も評論家も)に投げ返してきた、「社会とは…」「世界とは…」「私とは…」そして「これら私を取り巻くものと私の関係は…」との形で。
 少し厳しい言い方になりますが、質問者は「文学」を全く知らないといっても過言ではありません。公房が海外でF.カフカやS.ベケットさらにはA.カミュ、健三郎がG.グラスなどとの同時代の観察者として考察の対象になっていることをご存知でしょうか。またなぜ和歌や俳句に関する研究で外国の研究者の方がより本質的な部分にまで切り込むことができるのか考えたことがあるでしょうか。
 芭蕉の旅は西行の旅と重なる部分が数多くあります。清少納言や兼好の言葉には李・杜、白居易をはじめ多くの言葉がちりばめられてもいます。これはなぜでしょう。それを読む人からすれば、まさに現代の言葉でもあるからです。雪降る朝の光景が「香炉峰の雪」を想起させると清少納言が感じたから、それを言葉にしたのであり、そうした姿をペダンティックと評するのも一つの解釈です。けれどもそれは「清少納言という人物像に対する評価」であり「『枕草子』に対する評価」とは異質なものといえます。
 どうやら質問者は「大学で学ぶ」ことを勘違いしている可能性も多分にあります。専門の教員がいないから学ぶことができないとなれば、質問者の文学に対する姿勢は常に受け身といえ、そこから何を引っ張り出すかとの最も大切な作業を放棄することになります。このような生半可な姿勢では理論構築のない分野とはいえ、何を求めるかとの自らが立てた問いに対する答えを見つけることは到底叶わないともいえます。
 「京都大学の学風に惹かれる」とはあっても、文学部に学風は無関係です。京大文学で「学風」と呼ばれるのは歴史学での「内藤史学」や哲学での「西田哲学」といった「研究スタイル」や「アプローチ視角」での特色です。老婆心ながら誤解されませんように。
 なお「日本文学科」や「国文科」が対象領域として扱うのは必ずしも古典だけではありません。近代以後、「第三の新人」と呼ばれる作家までは対象範囲に含まれます。志望選択をする以前に少なくとも、近代文学史の概要程度は頭に叩き込んでおいていただきたいですね。それが常識ですよ。

 こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学...続きを読む


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