仕事を頑張る人のおしりトラブル対策

友人から「知人親子が、浅草寺の念珠で命が助かった」(難しい手術が成功した・交通事故から免れた、だったと思います)と聞きました。それぞれの念珠は切れてバラバラになったそうです。私も是非欲しいと思ったのですが、思うところがあり、質問いたします。
<私の環境>
祖母は熱心な創価学会員で、母も一応学会員です。分家で仏壇がなかったので、祖母がくれた仏壇を置いています。父方のハッキリとした宗派は分からないのですが、お経は"南無阿弥陀佛"です。母方の祖母が熱心なため、私が心の内で唱えるお経?(題目と教えられて育ちました)は"南無妙法蓮華経"です。ですが、お世話になっている方に「それは神様ではなく学会のトップを拝んでいるに過ぎない」と言われ、正直戸惑っています。
以前両親と浅草寺へ行ったとき、ここは動物(蛇か龍?)の神様なんだね」と残念がっていました。過去の回答に、天台宗系は人間以外の神様を信仰する、と書いてありました。浅草寺も天台宗系ですよね。
祖母が昔、動物系の宗教(振興宗教だったのかも)で狐や蛇のようにおかしくなったという経験があり、母に今回の念珠購入の事を相談すると反対されました。最後に、私は現在、分家である実家からも離れて暮らしています。祖母から学会のお守りを渡され、学会員だった祖父(故人)と祖母に守ってもらいたいという意味で持ち歩いています。心から信じている宗教はありません。
<質問>
調べた限り、天台宗が人間以外の神様であるという記述は出てこないですし、むしろすべての宗派の元祖ではないか、と思いました。
こんな状態の私でも、念珠を買ってお守りにしても大丈夫でしょうか。この質問のような疑う気持ちや、宗教違いなどで、何か弊害はありますか?

※不適切な表現が多々あるかと思いますが、素直に記述させていただきました。中傷等ではございません。よろしくお願いいたいたします。

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A 回答 (1件)

曹洞宗の僧侶です。


<天台宗について>
天台宗はMELULUさんがお調べになったとおり、動物の神を信仰する宗派ではありません。
というよりも、ご存知のとおり天台宗は天台法華宗とも呼び、お題目「南無妙法蓮華経」の崇敬対象である妙法蓮華経を”諸経の王”と位置付け、その教理を日本ではじめて体系的に説いた法華信仰の本家本元です。
創価学会が尊崇する宗祖日蓮聖人も、日蓮宗を開くまでは天台宗の僧侶でした。日蓮宗を開いてからも、しばしば手紙などに「天台沙門」と署名されていて、お弟子さんも大半が天台宗から改宗、または天台宗のままの方でした。これは私の想像ですが、日蓮聖人ご本人はご自分の行跡について「日蓮宗」という宗派を新たに開いたという意識はあまりなく、むしろ天台宗内の改革運動(当時の天台宗は法華経よりも密教や浄土信仰が優勢だったので)ととらえておいでだったのではないでしょうか。日蓮聖人は「念仏無間、 禅天魔、真言亡国、律国賊」と言って他宗を排撃しましたが、この中には天台を含んではいないと見ることもできます。
<念珠について>
数珠(=念珠)はもともと、お経を繰り返し唱える時にその回数を覚えておくために手の中で一粒づつ繰り数える道具だったといわれます。日本に伝来するころには、仏さまへの信仰心をあらわす大切な法具になりました。念珠の功徳を説くお経も同じ頃に伝来し、次第に念珠そのものに仏さまの不思議な力が宿っているとも考えられるようになりました。
しかし、念珠そのものはあくまでも仏さまを信仰するための手段ですから、それを神社のお守りやお札と同一視するのは、本来の見方ではないようにも思われます。もし、本当に「浅草寺の念珠が身代わりに(?)切れて、おかげで命が助かった」というのであれば、助かったのは念珠のおかげではなく、浅草寺におわします仏さまのおかげではないでしょうか。念珠が切れるのは、そのシルシのようなものと考えた方が良いように思います。
<MELULUさんが念珠を買われることについて>
単に「お守り」として念珠を買われることは、お勧めしません。理由は上に書いたように、念珠はあくまでも仏さまへの信仰の気持ちをあらわすものだからです。
昔、日蓮聖人が佐渡に流刑になった時、嵐で船が沈みそうになったそうです。ところが、日蓮聖人が船底にあった竹竿で波間にお題目を書かれると不思議に嵐はおさまり、船を救ったと伝えられます。この時、嵐を鎮めたのは竹竿ではなく、お題目やそれを書いた日蓮聖人の信仰の力であったということは、よく分かっていただけると思います。
この例え話で伝わると思うのですが、大切なのは信仰心であって、念珠という道具そのものではないということです。
念誦を「お守りのようなもの」として欲しいと思われるのであれば、できるだけご自身の信仰に結びついたものであることが望ましいと思います。念珠そのものは浅草寺で買っても、100円ショップで買っても、その功徳に違いはありません。
「疑う気持ち」や「宗教違い」で念珠を買っても、別に弊害があるということはありません。そのために家族が不幸になるとか、出世できなくなるとかいったオカルト話を力説する人がいますが、そのような考えは仏教の教えとは相容れません。弊害は特にありませんが、信仰と結びつかない”道具”を持っていることは、ただ空しいだけであるということだと思います。

この回答への補足

速やかなご回答おりがとうございます。(補足が遅くてすみません)

<念珠について>の回答に「神社のお守りやお札のように」という記述がありますが、お守りやお札ならば信仰が無くても守ってくれるものなのですか?

そもそも神社(神様・イザナギの尊など神話の人物?)と寺(仏様・実在した人物?)の信仰対象の違いが分からないですし、どれが良いとも判断できません。無知なだけなのですが、宗教は難しいです。

補足日時:2006/03/30 12:14
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この回答へのお礼

補足に対する回答を待っていたのですが、期間がだいぶすぎましたので、締め切ります。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/13 12:36

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