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真珠湾攻撃で大成功をおさめた日本。その勢いでハワイを占領してしまえば、その後の戦いはかなり有利に進められたのではないかと思うのですが、何故それをしなかったのでしょうか。

単純に戦力不足で不可能だったということでしょうか。ハワイを占領することさえ出来ないのであれば、太平洋戦争を勝ち抜くことなど不可能だということになると思います。

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A 回答 (23件中1~10件)

ご回答ありがとうございます。

他人任せで教えてくれと言ってるのではありません。なぜ戦争を始めたかの答がアメリカのせいと聞いてとても情けない気持ちになります。
● アメリカのせいと言うより日本全体・世界全体が対日戦争に向かっていました
日本は当時暴走というかやりたい放題でしたから朝鮮併合や中国侵略など・・
もし本気で戦争を回避するなら中国撤退なら戦争回避可能だったでしょうが、当時の日本にそんな気さらさらないですから・・日中戦争も日本がこじつけて開戦しつたのです 正直いって日中戦争に関しての開戦理由は日本汚いです

1.なぜ占領を予定しなかったのか
>精神的ダメージと 敵艦隊撃破により太平洋作戦行動のラクにするためです
そうではなくて、それで本当に求めている成果が得られると考えますかということを聞いています。
■ 精神的ダメージを与えられると本当に思っていたと思います
それが逆の目に出たのは当時の分析不足といえるかも知れませんが
歴史上の出来事であとで あの時とかタラ、レバを言っていればきりがありません
当時の作戦の表向きの目標も主力艦(空母)撃破でしたから

2.なぜ空母を撃沈することを考えなかったのか
>当時はまだ戦艦が重要だと思われてたからです
本当にそうでしょうか。またそれが正しい答でしょうか。
■開戦当時は戦艦主力がまだ多くを占めていました山本・南雲など一部を除いて・・本当に空母・航空機の重要性が世界的に認知されたのはマレー沖開戦で当時 不沈艦といわれたプリンスオブウェールズとキングジョージが日本の航空機によってあっさり撃沈されたことからです

3.なぜ空母撃沈が実行できなかったのか
>●空母は港に出向中でタマタマいなかったからですしもともと攻撃目標は戦艦でした(以下略)
確かにうまい具合に事は運びませんし、あの1回の攻撃で危険を冒してそこまで行動していれば全く違った結果になった可能性もあります。私が聞きたいのは、実行の責任者南雲さんが、それを実行しない方がよいと考えた真の理由は何だと思いますか?ということです。
■ この作戦は軍本部からリスクが高くかなり反対もありましたし
もし、真珠湾空襲時で航空機の出払っているときに逆にアメリカ空母や艦隊と遭遇しなかったことやアメリカ戦艦隊がほとんど港にいたのは逆にラッキーだと考えられます
たしか当時  空母は3隻いてバラバラに行動していたはずです
当時空母を攻撃しなかったのでなく出来なかったが正しいです 南雲も空母の重要性は理解していましたが空母を発見できなかったからです
それと反対を押し切っての作戦だっただけに損害をだしたくなかった
もしあの状況で敵艦隊と遭遇していたら帰りの燃料もぎりぎりですし もし補給艦をやられていたら全滅の可能性もあります

4.なぜ真珠湾で決定的なダメージを与えることなく相手に精神的打撃を与えられ
ると考えたのか
>戦艦4隻撃沈したら 十分なダメージですよ
そうでしょうか?これからアメリカ相手に戦争を始めるのですよ。まともに考えてみてください。
■ 当時をそう考えられていたとしか考えられません 前述しましたがあとからではなんとでもいえます

あなたは大変勉強なさっていると思います。しかし勉強された結果、あなたは何を学びとられたでしょうか。私はあなたに比べれば全然不勉強です。それでも少しばかり本を読むと、本当に日本はなぜあんな戦争を始めてしまったのかと、考えてしまうのです。当時の戦争指導者の無責任な体質ばかり浮かび上がってきます。犠牲になった若くて尊い命を思うと、無念でなりません。(以下略)
■失礼いたしました無礼なこといいました。すいません 質問者サンの真意がわかりました
当時は日本には変な不敗神話があり(元寇以来不敗 神の国だからピンチになったら神風が吹くなど元寇が台風で撤退したのも神風扱いです)
ロシアの世界最強といわれたバルチック艦隊の撃破などから・・・
日中戦争から太平洋戦争までの経緯をみると日本は戦争がしたくてしたくてしょうがないように私個人は思えます 国民感情も対米戦争大賛成 日本は神の国だから負けないなど変に洗脳されていましたから 悲しい歴史だと思いますが
敗戦により 結果的に軍国主義が崩壊したことは良かったことだと思います
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この回答へのお礼

こちらこそ非礼な言い方をしてしまい申し訳ありません。私もp_pさんの考えが分かり嬉しく思います。

お礼日時:2006/03/27 20:10

戦後に出版された戦記物の記述より判断しますと、大日本帝国海軍は砲術科(戦艦の主砲操作)の連中が権力を握っていたため山本五十六のような戦艦より空母を重視する者たち主流でなかったらしい、従って大艦巨砲の大和を建造するが、航空戦力の重要性も充分認識されていたのは事実です、真珠湾に空母が停泊しているかいないかが当時最大の関心事


であったようです、南雲指令長官は空母攻撃の重要性の認識もなく二波3波の攻撃を航空参謀よりの申請を却下して、空母の探索も行わず逃げるようにハワイより帰還している、他の回答者が言われているように戦艦を重視する勢力と航空戦力を重視する勢力がミッドウエイ海戦まで拮抗していたようですが、この海戦の敗戦で決着したようです、すなわち
この海戦で日本海軍は先頭に空母郡を配置してその2,3百海里うしろに戦艦を配置したため空母の大半を失い戦艦は無傷で帰還とゆうぶざまなことになった、もしこの展開が逆で戦艦のうしろ2,3百海里に空母郡の配置なら戦艦が少々の空爆で撃沈されないので勝敗は逆転していただろう。他の回答者が指摘されている反共とゆう云々でアメリカは日本との戦争中は共産主義の脅威どころかソ連に武器援助までしてヤルタ会談にてソ連の力を借りようとしていました、共産主義の脅威を知るのは
1950年に始まる朝鮮戦争までアメリカは共産主義には無防備でマッカーサーがこの戦争で初めて日本は自衛戦争をしていたと認識するわけです。
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まともに当たっても勝ち目のない戦いなのになぜ真珠湾を攻撃し、フィリピンを占領したか?


1年半ぐらいの間、アメリカが蒋介石率いる国民党軍を支援している「援蒋ルート」を絶ち、国民党との戦いに決着をつけたかった。
国民党という基盤を失えば、アメリカ側との交渉で有利な立場を日本が作ることができ、後は「反共」という共通の目的をもった同盟国として石油資源の供給などを受けることができる。
だから、ハワイは占領せず叩くだけで、フィリピンは直接の供給基地だから占領した。
しかし、占領地を広げたことに酔ってしまい、「援蒋ルート」も叩かず、国民党との戦闘に力をいれず、アメリカとの交渉もせず、相手の分析を怠り、そのことについて誰も思考することをやめてしまった。
本来ならば順番として「援蒋ルート」を完全に絶ち国民党軍との戦闘に力を割き、はやく中国との戦闘を日本勝利に導くか、アメリカとすばやい交渉で日本の占領地などの拡大を認めさせるかをするべきなのです。
しかし、天皇を中心とする御前会議など司令部が全くそれを怠って、アメリカ軍の強力な反撃が、1年もたたずに行われて、後は「大本営発表」の出鱈目な情報や作戦により多くの人命が失われ、原爆投下、ソ連参
戦、敗戦へ続くのです。
参考になれば。
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この回答へのお礼

中国との戦いをどう決着つけるか、これは誰も触れなかったけれども、これを無視して太平洋戦争を考えることは出来ませんね。

なぜハワイを占領しなかったかの理由で、日中戦争の視点でフィリピンと対比させているのは興味深かったです。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2006/03/27 20:25

こんにちは。


まだ締め切られていなかったのですね。議論が発散してきているようにも見えますが、おもしろそうなので私も仲間に入れてください。
ポイントは、「戦争の検討とは、結局は所要戦力の算出。その意味ではハワイ占領も検討されていた。それどころかサンフランシスコ上陸も検討されていたらしい。でもそもそも“検討”っていったい・・・?」

質問者さんがハワイ占領に興味を持った背景がわからず、ご質問の趣旨をきちんと理解している自信がなく、さらに資料として残されているものも少ないのですが、いくつかの記録・回想や新旧変わらぬお役所の仕事の流れから次のような推定はなりたちそうです。

○ ミッドウエー占領
明確な所要戦力を含め上級会議で提案・承認されて実行された。ハワイに比べて占領所要戦力が極端に小さい。失敗を予見する(我艦隊護衛航空機などもっと戦力を必要とする等)資料も若手により作らていた可能性もある。

○ ハワイ占領
 一部の記録や回想から、かなり労力を割いた所要戦力検討が行われた可能性がある。しかし上級会議に資料は付議されず、将来の実施可能性程度として上級会議での口頭議論や、下級会議(担当課内会議など)で使い捨ての簡単な資料が作られたにとどまり、結果としては、短期的実施には十分な所要戦力の準備・輸送・維持の一部又は全部を準備できない結果とされた模様

○ サンフランシスコ占領
 一部の回想から、所要戦力検討が行われた可能性がある。ただし、残される資料までは至らず、机をならべた同僚同士の勤務時間内での会話・・・程度で結了した模様。(戦域研究記録はある)

○ 米本土全面占領
 一部の回想から、所要戦力検討が行われた可能性がある。若手の軍人を中心に大いに議論され、相当の時間が費やされた。ただし、そのほとんどが虎ノ門の赤提灯で自然発生的に行われた・・・

 質問者さんのご質問の趣旨が、「ハワイを上陸占領するまでの戦力投入に自信がないのなら、なぜ中途半端の奇襲を行ったのか」とすれば、私も同感です。一方、「中途半端な奇襲ではあるがそれをもとに戦争を有利に短期で終了する見込み」もある程度の論理性をもって存在しており(それなりに良くできている)、時代のなかでは私も同じような分析を行ってしまった可能性も否定できないので、結局それが見込みハズレになったとはいえ結果をもって揶揄することはできにくいでしょう。

さてさて、ご参考になりますでしょうか

 一方、少々気になることが・・・。
 質問者さんは「正しい答え」、「本当のところ」、「まともな」という言葉を比較的単純に使っておられるところ、歴史議論においてこれらの用語(考え方)は避けるべきでしょう。
 ご自身でもお気づきかもしれませんが、国の大きな動きはとても複雑であり、流れを理解し議論を円滑にするために事態を単純化した表現は必要ながらも、「正しい」「本当」はぎりぎりまで口や文章に出しては言わないほうがよいです。
(何人かの回答者さんにも見受けられますが、自分が言葉に呑まれてしまい、多様な考え方の道を閉ざしてしまうほか、視野の狭さを予見させて専門家からの助言を受けにくくしてしまう。)

 「山本五十六は日米開戦には反対だった」のは多分「正しい」(多数の、あるいはその認識を持つことで次の議論が行いやすい)認識でしょうが、彼とても「開戦せずにアジア占領を維持する見込み」については迷っていた形跡があり、「軍人の分」の範囲の中でさえ十分な反論努力をしたとはいえない見方もありますので・・・。

 その意味では、今回の質疑をもとに、「ハワイ占領は、将来性まで否定されていないものの、少なくとも1941年実施事項としては所要戦力対効果比から日の目を見なかった」と単純理解し、次に「では戦力対効果比はどのような手段で議論されたのか」(尉官級止まり?それとも将官級会議まで?等)や、「詳細な算出がされたとしたら、却下要件はどんな順位だろうか」(いちばんは上陸部隊規模?輸送手段?兵站?・・・それとも防衛圏の定義範囲?)という方向に議論をしてみたいところですね。残念ながら私もそのような議論に足る記録発見や回想出版物に接していないのですが。

お役に立てれば幸いです。
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この回答へのお礼

joshua01さんには丁寧にご回答くださり感謝致します。

今回の質問によって私は、色々と教えてもらい、考えさせられました。そうでありながら失礼な言い方をしたことをこの場を借りてお詫びしたいと思います。

正直言って私のような不勉強な者にはテーマが大き過ぎたと感じています。出直してきます。

ここでこの質問を締め切りたいと思います。皆さんの回答を正しく評価するだけの知識が私には無いのですが、具体的で深い考察が為されていると私なりに感じるものにポイントを付けさせていただききました。

皆さん有難うございました。

お礼日時:2006/03/27 20:19

maruo_sueo さんに逆に質問です。



貴方ならハワイ占領をどのような戦略で行いますか?

ついでにもう一つ戦前の日本が国際社会の中で生き残る為にどのような外交をしますか?

ぜひ意見を お聞かせ願いたいのですが 宜しくお願いします。
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戦争にタラレバは通じません。

それを行った事実と、その結果があるだけです。
タラレバが通じるのは戦争が終わって、後世になってからです。当時はそれが事実です。

「このようにすればこういった結果が得られると考える」
「だからこのようにした」
「その結果、~~となった」
おおよそ事実と結果はこの3つで形が作られています。

そして、求める結果が得られたかどうかは問題ではありません。その時その時考えうる最善を尽くす。それが戦争です。
その時の行動が最善であったかどうかは、後世の判断であって、その時間に生きている人にとって、最善であったという事実のみです。
当時自国でできうる最上の技術力で作った兵器を持って、自国の最高クラスの頭脳をもちよって編み出した戦略をもってはじめるのが戦争です。それで負けたのならば、それが結果です。

歴史的評価はともかくとして、真珠湾を攻撃して戦艦5隻を大破させたがアメリカの反日感情をあおってしまった。それが事実であり、後世「それでは求めていた結果が得られない」と評価されようが、それは後世のことです。
一番間違ってはいけないのは、そのときのおこした行動の結果はその時間に生きている人(行動した人)とは無縁ということです。たとえその人が回想で「結果が得られなかった」と言っても、それは後世の自分が言ったことであり、その時間に生きている自分とは無縁です。

正直
>それで本当に求めている成果が得られると考えますかということを聞いています。
この質問は愚問であるとおもいます。その時は得られると考えていたから行動したのです(そう考えなければ行動できませんし、しません。行動原理というのは案外単純なものです)。後でどう考えようとその事実は覆りません。得られないという考えは、後世の歴史家の考えです。

>当時はまだ戦艦が重要だと思われてたからです
これも事実です。覆りません。当時生きていた人にとってその認識があったというのは、事実です。やはりすでに空母が重要だった、というのは、後世の歴史家の理論です。

>本当にそうでしょうか。またそれが正しい答でしょうか。
その時に生きている人にとっては、それが正しい答えです。それが間違っていたかどうかは、後世の人の判断であって、その人たちとは無縁です。
そして、どうしてその行動をとったのか・・・これはその人にしかわかりません。私たちは証言とかを元に「空想」するしかないのです。「損失を恐れたから」「十分とおもったから」などなど色々な見解がありますが・・・結局これらは後世の歴史家がそうと考えたからです。

失礼ながら質問者さんのほしい回答が読めません。あなたがほしいのは「当時その人たちはどう考えていたのか」なのでしょうか?それとも「後世の歴史家はどう考えているのか」なのでしょうか?

言葉足らずの部分もありわかりにくいところもあるとおもいますが、私の考えはこんなところです

この回答への補足

あんまり制約を設けないで、自由に色んなこと考えるのは大事なことだと思いますよ。意味ないからといって考えないよりずっといい。特に歴史に関することは。つぎの教訓にするためでもね。

今の価値観だけで決めつけて歴史に評価を下すのは良くないことだけど、私が言ってるのはそれとは全然次元の違う話ですよ。

やる前とか、やってる間は分からなかったことも、終わった後では色々情報が出てきて、分かるようになる。個人的なことでも、そういうことってありますよね。後でこうしておけば良かったと言っても始まらないけど、だからと言って省みなかったら、何も学習してないことになるもんね。

太平洋戦争はするべきだったのか、別の方法を採るべきだったのか。どうせアメリカと戦争するんならどういう風にすれば良かったのか。こういうこと、考えても意味ないですか?

>当時自国でできうる最上の技術力で作った兵器を持って、自国の最高クラスの頭脳をもちよって編み出した戦略をもってはじめるのが戦争です。それで負けたのならば、それが結果です。

正直言ってこの辺の部分は読んでいてとても怖いものを感じました。お偉いさんが考えたことだから失敗しても仕方が無いという意見なのでしょうか?なんで自ら思考停止しようとするんだろうか。

当時の人たちがどのように考えていたのかも知りたいし、後世の人がどのように考えるかも知りたい。

多くの人々が制約を設けることなく自由に自分の頭で考えるべきだと思う。koon1600さんは思考停止するべきだと思いますか?

補足日時:2006/03/27 20:28
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>私は情報を与えてほしいということで聞いてるのではありません。

本当の知識と言いますか、本当のことは何なのかを考えたいし、人が考えたことを聞かせてほしいということで聞いているのです。
皆さんの言われていることは本当のことです。これがなぜ知識にならないんですか?
人が考えたことを聞かせて欲しいなら礼儀をもって接してください。偉そうな応対するなら誰も親身になって応対しません。偉そうなことを言う前に自分の態度を改めてください。
それに回答に対するお礼のところの日本語が意味不明な部分が多いです。偉そうにする前に日本語の勉強でもされては如何ですか?
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>私が聞きたいのは、なぜ占領が容易でないようなハワイを攻撃し戦争を始めたのかということです。



真珠湾攻撃は、開戦劈頭にアメリカ太平洋艦隊を壊滅さえるためでしょう。
そして、南方での作戦展開に集中するためです。

太平洋戦争は、一面では、南方の資源地帯を押さえるための戦いです。
ハワイを押さえたとしても日本必要とする天然資源は得られません。
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マレー作戦とフィリピンの占領をあきらめ


インドネシアの占領を諦めて
中国から全兵力を撤退させ
隠密裏にハワイを奇襲して占領しても
アメリカにとって、痛くないような気がする
どうせなら、西海岸に上陸してワシントンを目指して
攻め込んだ方が・・・

ミッドウェイで勝敗が逆転しても
日本が優勢なのは一時的だぞ
昭和17年末からエセックス級が竣工してくるから
真珠湾を急襲したのは、日本海軍がエセックス級を
恐れていたからでしょう
個人的意見ですが

昭和17年の日本の新聞では米国造船能力として
1万トン級の船を2週間で竣工させると書いてあるし
(ガダルカナルの補給戦当時)
この造船所、西海岸です
その頃の日本の造船事情は、木造船の会社を設立しています
凄い差です

真珠湾の石油タンクを攻撃しても
米国は100隻のタンカーを造るのは
簡単な事です
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この回答へのお礼

2週間で1万トン級と木造船ですか…、凄い差ですね。

石油タンクを破壊しておけば2年間は時間稼ぎが出来ただろう、というようなことをどこかで聞いたことがありますが、アメリカの反撃はもっと凄いものになったかも知れませんね。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2006/03/27 20:59

1.なぜ占領を予定しなかったのか


初めから 精神的ダメージと 敵艦隊撃破により太平洋作戦行動のラクにするためです

2.なぜ空母を撃沈することを考えなかったのか
当時はまだ戦艦が重要だと思われてたからです

3.なぜ空母撃沈が実行できなかったのか
●空母は港に出向中でタマタマいなかったからですし
もともと攻撃目標は戦艦でした そんなにうまい具合にことは運ぶことはありません 相手がいることですから この時空母を1隻でも撃沈していれば 
採点でいうなら 100点満点の150点答案になります

4.なぜ真珠湾で決定的なダメージを与えることなく相手に精神的打撃を与えられ
ると考えたのか

● 戦艦4隻撃沈したら 十分なダメージですよ
野球でレギュラー4人一度にけがしたら大変でしょ?
精神的ダメージが大きかったから アメリカ国民の反発も大きかったんでしょう・・
たいしたことないなら国中が反日感情にならないでしょう・・
ちなみに 反日感情をあおる為 アメリカ政府は国内発表を宣戦布告まえに攻撃されたと発表して より日本が姑息なやつらと意識付けしています
●野球で変化球連発してる日本野球を馬鹿にする国柄ですから
奇襲なんて卑怯と考える国民性です
もともと国力が歴然としていましたから まっこう勝負ではハナから勝ち目はありませんでした
●日本はアメリカと開戦したくてしたのではありません
政府間では直前まで開戦回避の交渉はされていましたが、
国民感情や 中国侵攻からの貿易閉鎖などで 当時はアメリカから開戦せざるえない状況になっていました
●説明不足があればすいません
この4つの質問は少し考えたり本を読めばわかります

厳しいいいかたですが
上記でなっとくいかないようであれば あなたの学習不測です
教えて教えての他人まかせでなく本を読んだり、自ら学習する努力をしましょう
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。他人任せで教えてくれと言ってるのではありません。なぜ戦争を始めたかの答がアメリカのせいと聞いてとても情けない気持ちになります。

1.なぜ占領を予定しなかったのか
>精神的ダメージと 敵艦隊撃破により太平洋作戦行動のラクにするためです

そうではなくて、それで本当に求めている成果が得られると考えますかということを聞いています。

2.なぜ空母を撃沈することを考えなかったのか
>当時はまだ戦艦が重要だと思われてたからです

本当にそうでしょうか。またそれが正しい答でしょうか。

3.なぜ空母撃沈が実行できなかったのか
>●空母は港に出向中でタマタマいなかったからですしもともと攻撃目標は戦艦でした(以下略)

確かにうまい具合に事は運びませんし、あの1回の攻撃で危険を冒してそこまで行動していれば全く違った結果になった可能性もあります。私が聞きたいのは、実行の責任者南雲さんが、それを実行しない方がよいと考えた真の理由は何だと思いますか?ということです。

4.なぜ真珠湾で決定的なダメージを与えることなく相手に精神的打撃を与えられ
ると考えたのか
>戦艦4隻撃沈したら 十分なダメージですよ

そうでしょうか?これからアメリカ相手に戦争を始めるのですよ。まともに考えてみてください。

>●野球で変化球連発してる日本野球を馬鹿にする国柄ですから
>●日本はアメリカと開戦したくてしたのではありません

この辺はなんとも言いがたいものがあります。WBCだけでなくBSEやその他もろもろのアメリカの態度は私も恥ずべきものだと思います。

あなたは大変勉強なさっていると思います。しかし勉強された結果、あなたは何を学びとられたでしょうか。私はあなたに比べれば全然不勉強です。それでも少しばかり本を読むと、本当に日本はなぜあんな戦争を始めてしまったのかと、考えてしまうのです。当時の戦争指導者の無責任な体質ばかり浮かび上がってきます。犠牲になった若くて尊い命を思うと、無念でなりません。

私は情報を与えてほしいということで聞いてるのではありません。本当の知識と言いますか、本当のことは何なのかを考えたいし、人が考えたことを聞かせてほしいということで聞いているのです。

お礼日時:2006/03/25 11:28

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Qなぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

僕は死ぬほど歴史が苦手で、ろくに勉強してこなかったことを後悔しています。

最近知ったのですが、真珠湾攻撃に参加した零戦パイロットの原田要(はらだかなめ)氏(97)は、真珠湾に米軍空母はいなかったと証言しています。

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?偶然にしては出来すぎではありませんか?

Aベストアンサー

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました。

エンタープライズは、ウェーク島に飛行機を運んでいた帰りに母港の真珠湾が襲われたので、日本艦隊を1隻で探していましたが空振りであります。6隻もいる空母機動部隊に一隻で立ち向かうのですから、温存どころか無謀に近い勇気があるものだと感心します。

航空母艦は英語でCarrier 単なるキャリアーです。文字通り飛行機運びをしていたわけですね。で、戦艦は大事に要塞地帯である真珠湾に温存されていました。

空母が温存、どころか、飛行機運びと修理していただけでです。運んでいただけですから攻撃能力もありません。

空母しか残らなかったので、空母でしか初期の戦争行動ができなかったのが真相で、珊瑚海ではレキシントンまで沈められてしまうし、ミッドウェイでは1隻が半分こわれた状態で使われています。

情勢はガダルカナルが終わるまでアメリカにとって決して楽ではありません。

陰謀とか空母を温存しておいたというウソがこの時代になっても大手をふって出てくるということこそ、歴史を学ぶ上でひっかかってはいけないホラ、都市伝説でしかないことを、見抜けるようになってください。

その証拠に、陰謀を言い立てる人は、証拠を出すことができません。ネタとしても、もう賞味期限切れでしょう。

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました...続きを読む

Q真珠湾攻撃で空母を大破していたら?

真珠湾攻撃の日に空母3隻は湾にはおらず打ち漏らした事は良く聞きますが、この3隻を大破していたら歴史は変わったのでしょうか? 3年8ヶ月の太平洋戦争が4年になったのでしょうか?? 大勢には影響しなかったと思いますが、実際はどうでしょうか? 歴史にたら、ればで論じても仕方のないことですが、こうなった事には変わりないくらいのコメントでも頂けると参考になります。

Aベストアンサー

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられますが)、それと空母に所属する飛行隊も壊滅したと仮定しますが・・・
まず、最初の日本軍の真珠湾攻撃において空母を大破させたなら、日本軍は史実では行われなかった第二撃を行う可能性もあるかと。第二次攻撃を行わなかった理由の一つが敵空母の所在不明です。それが真珠湾で大破し、ましてや史実での戦果予測ではハワイの敵航空部隊も壊滅に追い込んでいる状況です。特に日本側の水平爆撃隊は損失機0でもありました。第二次攻撃を行いさらなる戦果を得たかもしれません。
それはともかく、当然、米国としては空母を大西洋から回すと考えます。

当時、大西洋には就役したばかりで訓練中のホーネット(1942年2月より任務開始)、レンジャー、ワスプ、ヨークタウンの4隻の大型空母がいました。
ただし、レンジャーは防御に問題のある艦であり、史実でも太平洋での戦闘は無理だと判断され主に大西洋で輸送、護衛、訓練、上陸支援などの任務につきました。1942年10月の南太平洋海戦で米国は無傷の大型空母が0隻となる「アメリカ史上最悪の海軍記念日」と米国側が言うほどの最悪の状況だったにも関わらず、レンジャーが太平洋に投入される事はなかった事から、真珠湾で空母3隻が大破してもレンジャーだけは大西洋で任務につくかと考えます。
なお、ワスプは史実では1942年に太平洋艦隊に編入されるまでは、マルタ島への戦闘機輸送任務を数回従事するなどしており、日本との開戦後、すぐに太平洋に投入するとすれば、その分、マルタ島の航空戦力が低下し、地中海を通る北アフリカ戦線のドイツ軍への補給路への攻撃がその分、和らぎ、ドイツ軍に多少有利な状況になるかもしれません。

そんなわけで、おそらくワスプ、ホーネット、ヨークタウンが太平洋に回されると考えます。
そして、ミッドウェー海戦までは史実と同じような展開になるのではないかと考えます。
そして珊瑚海海戦でも史実と同じように米国空母1隻が撃沈され、1隻が中破となり、ミッドウェー海戦になるかと思いますが、ここで仮定の上に推測でしかありませんが、真珠湾で大破した空母が修理を完了し戦線復帰。
米国は無傷の空母1隻に復帰した3隻の計4隻の空母で日本艦隊を迎え撃ちますが、問題は空母の航空部隊です。
史実では、ミッドウェー海戦での米空母部隊は訓練が完了していないパイロットまで作戦に参加させるほど切迫した状況でした。
今回はハワイ攻撃時に3隻の空母の航空部隊は打撃を受けているので、なおさら酷い状況かと思います。空母は戦線復帰しても技量の未熟なパイロットを多数使う事になり、この点において、日本側は非常に有利になるかと思います。

ただし戦争に絶対はありませんから、日本が史実通りミッドウェーで敗北する可能性も充分あります。
その場合は、やはり史実通りの展開となり敗戦の道を辿っていくかもしれません。

しかし、ミッドウェー海戦で勝利した場合は戦局が大きく動くかもしれません。
まず、ミッドウェーで米国側がパイロットの低い技量が災いして敗北し、空母が全滅したとして、日本軍が次に狙うのはハワイです。
これは史実でもミッドウェー海戦前に、9月以降を目処にしてハワイ攻略戦の準備命令が陸軍では既に出されています。
ですが、その前にインド洋が焦点になります。
史実では6月に北アフリカ要衝のトブルク要塞を陥落させたドイツ軍が勢いに乗っており、ドイツとイタリアからインド洋での通商破壊強化と有力な艦隊派遣の要請が来ていました。
この状況に日本もインド洋で潜水艦隊や水上艦部隊を派遣する命令を出し準備していましたが、ガダルカナルの戦いが生じ、インド洋での作戦は極少数の部隊に任される事になりました。
しかし、ミッドウェーで勝利すれば米国はハワイの防備強化と航空部隊、艦隊再建に忙しく、ガダルカナルへの反攻は行わないでしょうから、日本は史実で予定されていた通りか、それ以上の戦力をインド洋に投入して通商破壊戦を行うかと思います。

インド洋は連合軍にとって、北アフリカ戦線、ソ連へのレンドリース(ソ連への軍事援助で全体の約3割がインド洋を通りました)、ビルマ戦線、中国戦線への補給路であるばかりか、インドからイギリスへ戦略物資を運ぶ海上交通路でもありました。
もし、この海上交通路が阻害されれば、各戦線は崩れるかもしれませんし、イギリスは戦争遂行に大きく響くでしょう。
特にイギリスは1942年にはドイツのUボートの通商破壊戦により、穀物などの輸入量が低下し消費量が輸入量を上回り備蓄で何とか凌いでいました。また貯蔵していた商船の燃料も3ヶ月分を切っている危険な状況でした。これにインド洋でさらに大きな被害を被ればイギリスは持ち堪える事ができないかもしれません。
元々日本には政府上層部の言う「通商破壊戦により英国の死命を制し米国の態度を変える」「英米連合軍の弱点は英国にあると考えられる。海上交通を断ち英国を餓死せしめて英国を屈服せしむること最も捷径なり」「英国の屈服に際し之と直ちに講和する事なく英国をして米国を誘導せしめる」という、まず英国を叩き、それにより米国との講和へ持ち込もうと言う戦略がありました。これが実際に成功するかどうかはともかく、英国の死命は海上交通路にあり、もしインド洋を日本が制すれば、前述した各戦線に致命的であり、英国にも大打撃だった事でしょう。

また、日本の潜水艦隊は開戦時に南方とハワイ方面に大きく二分され作戦しており、ミッドウェーで勝利した場合も当然、インド洋だけでなくハワイ~米本土、オーストラリア~米本土間で通商破壊戦に全力をあげる事になるかと思います。
史実では大戦初期は日本の潜水艦も遠く米本土沿岸で暴れ周りましたが、戦局の推移とともにそれもできなくなりました。しかし、ミッドウェーで勝利し米国の大型戦闘艦艇も多くを沈めたとなれば太平洋で通商破壊戦に力を入れる事も可能になるかと思います。
そうなれば、米軍も大西洋にばかり護衛艦を投入するわけにもいかず、その分、大西洋のUボートが楽になり戦果を拡大し英国を一層苦しめる事になるかもしれません。

そして、太平洋ではハワイ攻略戦となりますが、日本の潜水艦の通商破壊戦がうまくいけば、ハワイの防備も思うようには進まないかもしれません。
攻略自体は制海権、制空権をとれれば可能かと思います。あまり陸軍の大兵力を投入できないでしょうが制海権、制空権を握れば圧倒的有利になります。フィリピン攻略戦やマレー攻略戦、ジャワ攻略戦でも日本軍は連合軍より兵力が少ないにも関わらず勝利したのは、そうした要素において勝っていたからです。

ハワイの失陥は米国にとり大きな衝撃となるでしょう。
そもそも開戦前の米国の新聞には「日本は我々を攻撃する事はできない。軍事的にも不可能な事だ。ハワイの基地にしろ日本艦隊の有効攻撃圏の外にある」と載っていたくらいです。
おそらく、ここで活気付くのが米国内の黒人などの有色人種です。
開戦時、米国は一つに纏まっていたかのように言われますが、実はそうでもありません。
第一次世界大戦で黒人は待遇改善、地位向上を目指し、戦争に積極的に協力しましたが終わってみれば何も実りはなく失望だけが残りました。その経験から第二次世界大戦に米国が参戦した時も、有色人種の間では冷ややかに戦争を見ている部分がありました。
また、大戦を勝ち抜くため軍の増強と軍需産業での人員確保に黒人も組み込まれますが、黒人のこれまでの不満を和らげ、また人手不足を解消するために、これまで働けなかった職場や地位に黒人が就きました。
それに反発したのが白人労働者で職場放棄や暴動を起こしています。黒人側も歴史的に差別されている事から当然不満と反発がありました。1943年だけでも全米47都市で100以上もの人種暴動が発生しています。これにより、軍需産業の生産にも影響が出ています。デトロイトの暴動では黒人が軍の武器庫に突入しようとしました。軍内部でも黒人対白人の暴動が発生しています。
暴動で逮捕された黒人指導者の中には「黒人は米国内の日本軍だ」「東条首相に日本の勝利を祈る」と言い放った人もいました。
日本の勝利がこうした米国内の不満分子である有色人種を刺激し、より一層、反政府運動を大きくするかもしれません。
もしそれが広がれば米国内は酷い紛争状態となり兵器や物資の生産は遅れ、生活用品の流通にも影響を及ぼし、市民の不満を更に募らせるかもしれません。ただでさえ戦争で食肉やバター、ガソリンや暖房用燃料等色々な物が配給で不足気味なのです。それが更に悪化したら・・・
そうなれば、米国は日本と戦うより先に国内問題を解決しなければならず、日本に有利な状況で講和という事になるかもしれません。

史実では、前述した1942年10月の「アメリカ史上最悪の海軍記念日」の後に、米国では上下両院議員選挙が行われましたがルーズベルトの民主党は51議席も減らしました。ミッドウェーで負け、ハワイも攻略されたら民主党はもっと大敗し、ルーズベルト政権ももたないかもしれません。

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられます...続きを読む

Q第二次世界大戦で日本は絶対勝てなかったのでしょうか

第二次世界大戦で日本は絶対勝てなかったのでしょうか
もし日本がミッドウェーで勝利しアメリカ空母艦隊が崩壊したうちに
ハワイ・パナマを占領しアメリカ西海岸を爆撃、細菌兵器をアメリカ本土にばら撒き、
結果アメリカ国民の世論を反戦に動かし、日本が有利な形で講和できなかったのでしょうか。

Aベストアンサー

当時の帝国海軍及び陸軍の致命的な欠点の一つとしてあげられるのが「補給の軽視」です。
そもそも海軍の対米戦略は「艦隊決戦による早期講和」でそのために艦隊の整備を行って来ました。

長大な航続距離と偵察機を装備した「イ号潜水艦」はその典型で「艦隊決戦を行う前に敵艦隊の戦力をすり減らすため」といった通商破壊を主とするWW2での各国の潜水艦戦略とは大きく異なった運用法からも見てわかるとおり、「潜水艦はあくまで補助戦力」といった考え方から抜け出せず、米軍の魚雷の劣悪な性能も相まって「輸送・補給船団が潜水艦に攻撃されたとしても大した損害はないだろう」、「護衛は旧式駆逐艦でもつけとけばいいだろう」と考えた結果もともと少ない輸送船及び護衛艦は大損害を出し、次第に作戦遂行に影響を与え始めます。

昭和18年11月になってようやく「海上護衛総司令部」を設置し12月には護衛空母4隻を編入するなど、それなりの体裁を整えますが、主力となるはずの駆逐艦は「峯風型」や「神風型」といった旧式艦ばかりでした。

帝国海軍の駆逐艦は対潜戦闘よりも上記の艦隊決戦構想のため対艦戦闘と主眼とした装備で対潜性能が低く、狩るはずの潜水艦に逆に沈められるケースも多く、もっとも米潜水艦による駆逐艦の損害が多かった昭和19年だけでも30隻の駆逐艦が撃沈されています。

長々と書いてまいりましたが、
(1)日本海軍は開戦初頭に占領したウェーク島の補給が限界地点だといわれており、ウェークよりもさらに遠いハワイやパナマを占領し維持し続けるための輸送能力及び護衛戦力があるのか?

(2)ガトー級だけでも200隻あまりを計画し大戦中にほとんどを整備した米国の造船能力・潜水艦戦力に対抗できるのか?

(3)北方(ソ連)を重視し、泥沼の中国戦線を抱え、南方に戦力を割かなければならない状況を苦々しく思っていた陸軍からハワイ・パナマを占領し維持するために必要な戦力を抽出することが可能か?

等々、ハワイ・パナマを占領し維持するだけでも「日本軍には不可能」と言わざるを得ません。


西海岸の爆撃ともなると防弾性能の貧弱な日本軍機が、管制された雲霞のような米軍迎撃機群、対空砲火網を突破し、爆撃し、帰還出来る機体が何パーセントあるのか、など考えるだけでも恐ろしい損害を出すことが予想されます。

細菌兵器の使用に関しては昭和19年から実行された米本土爆撃作戦(ふ号作戦)で計画されたものの作戦内容を知った天皇陛下によって細菌兵器の使用が禁止されたことがあるため、今回のケースでも実行されることはないと思います。

長文失礼しました。

当時の帝国海軍及び陸軍の致命的な欠点の一つとしてあげられるのが「補給の軽視」です。
そもそも海軍の対米戦略は「艦隊決戦による早期講和」でそのために艦隊の整備を行って来ました。

長大な航続距離と偵察機を装備した「イ号潜水艦」はその典型で「艦隊決戦を行う前に敵艦隊の戦力をすり減らすため」といった通商破壊を主とするWW2での各国の潜水艦戦略とは大きく異なった運用法からも見てわかるとおり、「潜水艦はあくまで補助戦力」といった考え方から抜け出せず、米軍の魚雷の劣悪な性能も相まって「輸送...続きを読む

Qアメリカに戦争で最も人的被害を与えた国はどこ?

少し前ですが、テレビ特番の「世界サミット たけしJAPAN 2009日本を考えるTV」にて
町山智浩氏が、アメリカが戦争によって最も人的被害(死傷者の数)を出した国は日本であると発言していたのですが、
これは本当なのでしょうか?

なんとなく、一番は第二次世界大戦でのドイツだと思っていたので、日本というのは少し意外でした。
実際のところはどうなのでしょうか。
(南北戦争が最も死者は多いとは思いますが、内戦なので回答はアメリカ以外の国でお願いします。)

ソース元なども含めて教えて頂ければ幸いですが、大体でも教えていただければありがたいです。

Aベストアンサー

おいみんな、「第二次大戦 戦死者」とか「欧州戦線 戦死者」と検索すりゃ一発で出てくるじゃないか。

欧州戦線における米軍の戦死者が約18万人、太平洋戦線における米軍の戦死者が約10万人、合わせて約29万人です。ただし、欧州戦線ではドイツ軍の他にイタリア軍だって(一応)いたわけですから単純に対ドイツ戦のみというわけではありませんが。
投入した物資の量となると、イギリスやソ連への武器貸与分を含めると圧倒的に欧州戦線となります。アメリカがどのくらいソ連を支援したのかというと、ソ連軍が使ったトラックの約9割がアメリカ製だったくらいです。アメリカがトラックや弾薬、燃料をソ連に送ったので、ソ連はほとんど戦車とか戦闘機だけ作っていれば良かったのです。そもそもアングロサクソン人国家であるアメリカにとって大西洋と太平洋では圧倒的に大西洋のほうが重要であり(ワシントンDCは東海岸であることをお忘れなく)、太平洋戦線なんて言葉は悪いですが片手間でやっていたようなものです。

どうしても私たちは日本人なので自分たちを買いかぶってしまいますが、そもそもアメリカは対ドイツ戦に勝利してから太平洋戦線で反撃しようと考えていました。けれど、(欧州戦線でメインの)陸軍が反撃しているのに(太平洋戦線でメインの)海軍は反撃しないのでは国民への体裁も悪いことから主に米海軍が強く主張して太平洋戦線でも反撃することにしました(あとは国民的人気が高かったマッカーサーも主に自分の体裁から強く主張した)。だから、1943年まで太平洋戦線に投入された主な地上部隊というのは海兵隊一個師団程度です。

おいみんな、「第二次大戦 戦死者」とか「欧州戦線 戦死者」と検索すりゃ一発で出てくるじゃないか。

欧州戦線における米軍の戦死者が約18万人、太平洋戦線における米軍の戦死者が約10万人、合わせて約29万人です。ただし、欧州戦線ではドイツ軍の他にイタリア軍だって(一応)いたわけですから単純に対ドイツ戦のみというわけではありませんが。
投入した物資の量となると、イギリスやソ連への武器貸与分を含めると圧倒的に欧州戦線となります。アメリカがどのくらいソ連を支援したのかというと、ソ連軍が...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Qソ連がナチスドイツに勝てた理由

第二次世界大戦で日本がアメリカに負けた理由は資源や兵器の物量の差が理由だったというのは、そう言われたら確かにそうだろうと思うのですが、ナチスドイツに国土を蹂躙され、生産設備をほとんど破壊されたはずのソ連がドイツに侵攻し、最終的にベルリンを占領できるほどの力を蓄えることができた理由がよくわかりません。焦土と化した国内でどうやって兵士を訓練し、兵器を増産できたのでしょうか。
普通に考えたら、独ソ戦は日中戦争のヨーロッパ版みたいなもので、ソ連は最終的にドイツを追い出すことには成功するでしょうが、相手方の国土に攻め込むほどの余力はとても持てないのではないかと思うのですが。

Aベストアンサー

1942年6月当時、ドイツ軍が北アフリカ戦線に投入したのは3個師団。これに対し東部戦線は171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

それからイギリスが受け取ったレンドリースは、大戦を通じてソ連の3倍にも及ぶ。

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                              2,872
Total lend-lease aid                               43,615
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5.html

 だが、現実は違った。ヒトラーは、対ソ侵攻開始直前の四一年六月十一日に発令した総統指令第32号「バルバロッサ以後の事態の準備について」の中で、対ソ戦が終結した後の四一年から四二年にかけての冬の期間に、陸軍の60個師団をロシアに駐留させるとの計画を立て、この駐留で必要となる冬季用装備についても陸軍側で手配が完了していた。
 ところが、四一年十月以降、ソ連国内での鉄道輸送網がパンク状態に陥っていたことから、用意された冬季用装備は、輸送手段がないためポーランドのワルシャワで山積みになったまま放置されてしまう。
http://wau.private.coocan.jp/wwtef/gaso/kampfe_vor_moskau.pdf

「終戦までのドイツ国防軍全体の損失は1348万8000人を数えた。このうち1075万8000人が東部戦線で戦死するか捕虜になった」
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784059011736

 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、それに反対の見解をとっている。
http://japanese.ruvr.ru/2011/06/22/52225119/


戦線別ドイツ軍戦死者統計
Losses per theater
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater


<各戦線のドイツ軍機損失 GRUのデータ3476号>
En frente sovietico-aleman(独ソ戦線)
Durante 1941 (desde 22.6) 4 200
Durante 1942 11 550
Durante 1943 15 200
Durante 1944 17 500
Durante 1945 (hasta 9.5) 4 400
En frente occidental(西部戦線)
Durante 1941 (desde 22.6) 500
Durante 1942 800
Durante 1943 1 800
Durante 1944 14 550
Durante 1945 (hasta 9.5) 4 200
En Alemania y en los paises ocupados {2}(ドイツ国内)
Durante 1941 (desde 22.6) 800
Durante 1942 1 300
Durante 1943 4 850
Durante 1944 2 500
Durante 1945 (hasta 9.5) 1 500
Total aviones perdidos
Durante 1941 (desde 22.6) 5 500
Durante 1942 13 650
Durante 1943 21 850
Durante 1944 34 550
Durante 1945 (hasta 9.5) 10 100
http://www.rkka.es/Estadisticas/VVS_stat/01/01_10.htm

 ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフトバッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
 11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたるも地上部隊の上空援護を保障できないでいる」
<モスクワ上空の戦い 知られざる首都航空戦1941~1942年
ドミートリィ・ハザーノフ/著 アレクサンドル・ペレヴォースチコフ/監修 小松徳仁/訳>

ノルマンディー上陸作戦
▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html

ちなみに米軍死者は欧州戦線で25万二千、太平洋戦線で15万6千人。

MILITARY      HOSTILE               NON-HOSTILE
ACTION       DEATHS      WOUNDED    DEATHS              
World War II
(1941-45)
Total          293,1216       670,846       115,185
European Theater  185,179        498,948       66,805
Pacific Theater    107,903        171,898       48,380
http://www.vfw.org/PR/Media%20Room/AmericasWarDead1775_2009.pdf  

1942年6月当時、ドイツ軍が北アフリカ戦線に投入したのは3個師団。これに対し東部戦線は171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0  ...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む


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