浄瑠璃床本を読み出しましたが江戸文字に苦戦。
最初の20ページ程で結構です。読み下し文をメール願えればーーー。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

江戸文字」に関するQ&A: 江戸文字

A 回答 (1件)

菅原伝授手習鑑 床本テキスト版が参考URLにあります。



ほかの床本のテキスト版もあります。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwgf7170/yukahon.h …

参考URL:http://village.infoweb.ne.jp/~fwgf7170/yukahon/s …
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q『容競出入の湊』ー 浄瑠璃、歌舞伎、浮世絵。

浄瑠璃や浮世絵の外題になっている『容競出入の湊』ですが、外題の意味を教えて頂けますか?

『容競』とは容姿を競うの意味でしょうか?
何れの細目も、主役が侠客であるところを考慮すると、『出入』とはこの場合では、喧嘩、もめ事、いざこざの事を指すのではと考えます。
『湊』とは、行き着くところ。即ち、もめ事の行き着くところと勝手に解釈していますが、皆様のご意見をお聞かせ願えれば幸いです。

宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

こんにちは。

これまでの私の観劇歴では、この作品を見る機会がなかったので、推測になります。
「容競出入湊」は、寛延元年(延享5年[1748年])に大阪豊竹座で初演された人形浄瑠璃で、並木丈輔・豊岡珍平・安田蛙桂・浅田一鳥らの合作による作品です。その後すぐ、歌舞伎でも上演されました。あじ川の段、ひやうたん町の段、新町橋出入の段、かまくらやの段、大江橋仕返の段の全五段から成ります。
侠客が登場する芝居で、黒船忠右衛門は、根津四郎右衛門という大坂堂島の米仲仕がモデルになっています。そして、もう一人、奴の小万という女侠客が登場します。これも実在の人物で、お雪という女性がモデルです。いい男、いい女が登場するということで、舞台上の役者が姿の華やかさを競い合うという、文楽や歌舞伎特有の題名の付け方でしょう。
「出入」という日本語には、もともと「もめごと」「もんちゃく」「けんか」の意味があります(広辞苑)ので、お察しの通りと思います。
「湊」は、まず、芝居の舞台が道頓堀であることから、道頓堀川八丁のひとつである「道頓堀湊町」という地名からきている可能性がありますが、もちろん船着き場の意味もあると思います。「詳解漢和中辞典」(富山房)には、「みなと、ふなつきば(港は水、湊は陸)」と書かれているほか、「あつまる」、「よる」という意味があると書いてあります。侠客が集まる船着き場の意味が掛けてあるのかもしれません。文楽、歌舞伎の題名には、ほかにも「恋湊博多諷」、「由良湊千軒長者」などで「湊」という言葉が出てきますが、いずれも実際の港や船着き場が舞台になっているようです。「もめ事の行き着くところ」という解釈もおもしろいと思います。あり得るとは思いますが、そういう説明が今のところ見つからないので、何とも言えません。

黒船忠右衛門
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc18/natsu/yomoyama/y2/b.html

奴の小万
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc18/natsu/yomoyama/y2/c.html

http://blog.goo.ne.jp/kachikachika/e/07656a85527505d75ee606c5a12e7e2f

御参考まで。

こんにちは。

これまでの私の観劇歴では、この作品を見る機会がなかったので、推測になります。
「容競出入湊」は、寛延元年(延享5年[1748年])に大阪豊竹座で初演された人形浄瑠璃で、並木丈輔・豊岡珍平・安田蛙桂・浅田一鳥らの合作による作品です。その後すぐ、歌舞伎でも上演されました。あじ川の段、ひやうたん町の段、新町橋出入の段、かまくらやの段、大江橋仕返の段の全五段から成ります。
侠客が登場する芝居で、黒船忠右衛門は、根津四郎右衛門という大坂堂島の米仲仕がモデルになっています。...続きを読む

Q弔辞文ーとくに谷崎のものー

川端の翻訳で有名なサイデンステッカーの「谷中、花と墓地」という本を読んでいたら次の一節がありました

高橋秀子と京マチ子が谷崎潤一郎の弔辞をしたが、高橋は演技過剰気味で京のものは簡素で良い

と、ここで高橋秀子と京マチ子の二つのものが読みたいと思いました

ご存知ないですか?

あと、よろしければ、蛇足で弔辞文が素晴らしいものを他に教えて下さい

Aベストアンサー

高橋秀子は高峰秀子のことでは?
それにしても、サイデンステッカーも不親切というか舌足らず。
両人の弔辞についてもうすこし具体的な記述がほしいですね。
直接的な回答にはなりませんが、
弔辞とか追悼文に興味を覚えたのでしたら、
こんな本はいかがでしょうか。
嵐山光三郎 「追悼の達人」
明治、大正、昭和の文士四十九人の死に寄せられた追悼文と弔辞が、
死にまつわるエピソードとともにとり上げられています。

Q小右記の読み下し文

『大日本古記録』所収の『小右記二』の読み下し文の調べ方がわからないのですが、どのような資料で、どのように調べたらよいのでしょうか。教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

左頭中将来して談じて云う、宋人を安置すべきの由と云々、須く天気を候じたしかに示し造るべしてえり、少しく選びて示し造りて云う、安置すべきの由宣旨を下されおわんぬてえり、
補足…さんずいにおおがいは須です。異体字ですね。者はといえりが訛っててえりとこの場合読みます。

この文から察するに、左頭中将(誰なのか調べてください)が実資に宋の人の処遇について相談に来たんですね。その答えとして実資は天皇の意を伺うべきだとした訳です。そして詮議の結果宣旨を頂戴したという事でしょう。

Q歌舞伎・浄瑠璃外題『昔鐙文武功』

歌舞伎・浄瑠璃の外題の解釈の仕方や、物語のあらすじ、を調べています。資料が中々見つからないので困っています。ロスアンゼルス在住ですので、オンラインでのサーチに頼っています。
何方か、資料を見つける為に良いツールがあれば、教えて頂けないでしょうか?

今は、『昔鐙文武功』を調べています。この外題の解釈をご存知の方、ご回答お願い致します。

Aベストアンサー

長谷川章久著「東京歴史物語」(角川選書162)を借りてきましたが、やはりそれほど詳しくは書かれていませんでした。「彦左と太助」という章があり、その中で紹介されています。
江戸末期、歌舞伎狂言の世界で、「大岡政談天一坊」のような裁判物や、「伊達騒動」、「鍋島騒動」といった御家物のような「実録物」が盛んに作られました。大久保彦左衛門の場合は、すでに書きましたように、まず『大久保武蔵鐙』という実録本が世に出、これをもとに、裁判事件をからませた歌舞伎脚本「名高手毬諷実録」(なにたかしてまりうたじつろく)が、三世桜田治助によって書かれ、安政二年(1855)七月に江戸中村座で上演されました。当時、江戸幕府に関連する史実を直接記すことは習わし上できなかったため、時代を室町時代に移し、大久保彦左衛門は大森彦七という名で登場します。回答No.1で、「名高手毬諷実録の中では、大久保忠教(大久保彦左衛門)は、大父母孫左衛門という名前になっているようです」と書きましたが、ネット上で書籍内の検索をした時に、文が飛び飛びに表示されて、間違った情報になったようです。正しくは、「名高手毬諷実録」中では「大森彦七」、「昔鐙文武功」では「大父母孫左衛門」です。
「名高手毬諷実録」には、松前屋五郎兵衛は「松台屋四郎兵衛」という名で登場します。将軍足利義詮の前で無実の罪を着た松台屋四郎兵衛を彦七が助け、腹黒い万里矢四郎を糾明して名判官ぶりを示し、喝采を浴びます。これが大受けだったため、翌年三月に清水賞七が若干手を加え、外題を「昔鐙文武功」と改めて大阪、中(なか)の芝居で上演、絶賛を博します。大父母孫左衛門の名で登場する大久保彦左衛門が、一心太助の協力を得て無実の罪に泣く松前屋五郎兵衛を救い、田代丹波守の陰謀を察知してこれをこっぴどくやっつけるという筋書きだそうです。いま、「松前屋五郎兵衛」と実名で書きましたが、「東京歴史物語」のこの箇所にはそう書かれていて、「昔鐙文武功」中での役名が書いてありません。アバディーンさんがお調べになったものに「松ヶ枝屋五郎兵衛」とあるのでしたら、そちらの方が正しい可能性もありますが、浮世絵の検索ですと、「松台屋四郎兵衛」と「松ヶ枝屋五郎兵衛」、両方とも「名高手毬諷実録」という外題と一緒に出るので、確認ができません。

http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=47657&haiyakukensaku=%BE%BE%A5%F6%BB%DE%B2%B0%B8%DE%CF%BA%CA%BC%B1%D2

http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-1.php?Max=30&haiyakukensaku=%BE%BE%C2%E6%B2%B0%BB%CD%CF%BA%CA%BC%B1%D2

清水賞七が「名高手毬諷実録」に手を加えて「昔鐙文武功」を作った折、ここまでの話に加えて、三代将軍家光のとき隅田川を乗馬で横断、名誉を博した阿部豊後守の故事や、東海道の難所、小夜の中山の夜泣石の伝説も取り入れて波乱に富ませたため、「名高手毬諷実録」よりもいっそう評判が高くなり、京阪地方ではこの「昔鐙文武功」が明治末年まで何回か上演された、と紹介されています。
内容についてわかったのはこれだけでした。なお、図書館に行ったおり、「歌舞伎事典」やその他の解説書を何冊か見てみましたが、「容競出入湊」、「名高手毬諷実録」、「昔鐙文武功」のいずれも記載がありませんでした。また、その他の有名演目に関しても、あらすじなどは詳しく書いてある書物もありますが、外題の漢字の意味について書かれているものは皆無でした。「名作歌舞伎全集」や、岩波文庫から出ていたいくつかの歌舞伎原作にも、外題の解説というものはなく、これを調べるのはかなり難しいと思います。「東京歴史物語」という書物を見る限り、「昔鐙文武功」の「昔」というのは、「昔の事件をまことしやかに脚色した演しもの」という意味のように思いますが、同時に、「頑固一徹ながら、是々非々をわきまえた昔気質の武辺者としての大久保彦左衛門」という解説もありましたので、もしかすると、そうい意味も含んでいるのかもしれません。あくまでも推測です。なお、「伝統歌舞伎保存会」という組織があり、メールで問い合わせができるので、外題の調べ方について何かよい方法がないか、御聞きになってみたらいかがでしょうか。

http://www.kabuki.or.jp/contact/

日本の伝統芸能を英語で紹介するというのは、大変意義のあるお仕事だと思います。私も昔、能楽についてドイツ語で論文を書きかけたことがあり、このような作業が簡単でないことはよく存じております。あまりお役にたてませんでしたが、御健闘をお祈りします。

長谷川章久著「東京歴史物語」(角川選書162)を借りてきましたが、やはりそれほど詳しくは書かれていませんでした。「彦左と太助」という章があり、その中で紹介されています。
江戸末期、歌舞伎狂言の世界で、「大岡政談天一坊」のような裁判物や、「伊達騒動」、「鍋島騒動」といった御家物のような「実録物」が盛んに作られました。大久保彦左衛門の場合は、すでに書きましたように、まず『大久保武蔵鐙』という実録本が世に出、これをもとに、裁判事件をからませた歌舞伎脚本「名高手毬諷実録」(なにたかし...続きを読む

Q江戸時代の日本語文を書くために参考になるものがありましたら教えてください

こんにちは。

江戸時代に書かれたという設定の文章(小説です)を書こうと思っています。
当時の文法規則や語彙などの知識が高校レベルでしかないので、
一から勉強をしようと考えているのですが、このような目的において
参考となる図書やWebサイトなどを教えていただけないでしょうか。

江戸時代だけでなく、明治時代、大正時代、昭和時代の文章も
書きたいと考えていますので、そちらの方でも参考になるものが
ありましたら教えてくださると助かります。

Aベストアンサー

所謂「江戸学」と云うものの嚆矢になりますが、よく調べが届いています。欠点は新本で入手できない事と巻数が多い事でしょうか。
三田村鳶魚の著書をお勧めします。(中公文庫にはいっていたが品切が大半)「捕物の話」「相撲の話」「お家騒動」等々色々あります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%94%B0%E6%9D%91%E9%B3%B6%E9%AD%9A
あと、明治になってから、旧幕時代の岡っ引きが、その思い出話をかたると云う趣向の岡本綺堂の「半七捕物帳」(光文社文庫)は、江戸と明治の入り混じっている時代をよくあらわしています。
御参考にならば幸甚です。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報