不殺生戒の指す様々な「殺生」について調べています。
不殺生戒って、ただ生物の命を奪うなと言っているだけではないですよね。
皆さんは、具体的にどういったことを「殺生」としているとお思いですか?

A 回答 (1件)

 以前、聞いたことが自分の考えになっていますので、それについて書きます。


 簡単に言うと、今を大事に、精一杯生きなさい。ということだと思ってます。
 ありのままの自分、例えば苦しんでいる自分とか、喜んでいる自分、悲しんでいる自分、そのすべてを受け入れて、現実から逃げることはしない。それが生きているということだ。
 もし、それから逃げたら、それは自分から、魂から逃げているようなものだから、それは魂の死である。
 変な解釈になっちゃいましたが、こんな感じでしょうか?
 自分は、何か嫌なことがあったときとか、苦しいときこの言葉を思い出して、その難題にぶつかっていきます。
 玉砕して、へこんでしまうときもありますが、、、
(^^; 皆様の意見も聞きたいですね。
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Q不殺生の戒と乳製品

単なる興味本位の質問で申し訳ありませんが,食事における”殺生”の
定義の境界線を知りたいと思いました.

宗教的な事情から,肉や魚を食することを禁じた教えを遵守する方々が多数
いらっしゃることと思います.
そういう方々は,乳製品や無精卵をどう捉えているのか知りたいと思いました.

もっとも,宗派の違いで見解はさまざまでしょうし,時代の移り変わりで
事情が変わっていたりすることもあったりで,長々としたご回答にならざるを
得ない場合もあろうかと思いますが,そのような場合は,どうぞ,概略の
ご説明に留めてくださればけっこうです.

ただ,殺生を禁じる思想のことをつらつら考えていますと,これには,
「天寿をまっとうした動物の遺骸なら食しても構わないのだろうか?」
などと,疑問がどんどん広がっていきます.

次のサイトのように,分類整理された情報があればいいと思っている
のですが.
http://www.kabinet.or.jp/kabinet/users/pito/jwhyveg.html

Aベストアンサー

 宗派にもよるかと思いますが、初期仏教の場合、肉食を禁じていたわけではありません。
 出家者は托鉢によって人々から食物を得ていました。当然、その際に肉を供養されることもあるわけですが、それが「その家庭で食べるために屠殺された肉をたまたま訪れた出家者に供養した」ものなのか、「出家者に供養するためにわざわざ家畜を屠殺した」ものなのかで、評価が異なります。前者なら食べても良い、後者は食べては(受け取っては)いけない。
 布施された食物を拒むことは基本的にタブーです。宗教修行に打ち込む代わり、非生産者である出家者は在家信徒の布施によって生命を保つことを許されるのですから。けれど、出家者のためにわざわざ殺生が行われることだけは、例外として禁じられていたわけです。

Q【具足戒(ぐそくかい)=大戒は】男僧250戒、尼僧348戒の全ての戒律を教えてください。 あとなぜ

【具足戒(ぐそくかい)=大戒は】男僧250戒、尼僧348戒の全ての戒律を教えてください。

あとなぜ「にそう」のことを「あま」と言うのでしょうか?

尼僧(にそう)自身が、「にそう」と言わずに「あま」という言い方を使っています。

仏教学校で「にそう」と習わないのでしょうか?

Aベストアンサー

具足戒のすべてを教えろなんて無茶なことを言いますね。
ですから、参考文献を紹介します。

具足戒の種類と名称
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono18_r25_002.pdf

鎌田茂雄 八宗綱要(講談社学術文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E5%85%AB%E5%AE%97%E7%B6%B1%E8%A6%81-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%87%9D%E7%84%B6-%E5%A4%A7%E5%BE%B3/dp/406158555X
の律宗の箇所に出ていますので、参考にしてみては如何でしょうか。

「尼(あま)」の語源ですが、インドの文語であるサンスクリットのambaa(ambA)が語源とされており、意味は善男善女の「善女」で、広く、女性の仏教信者、女性の仏弟子をさす言葉です。
女性の出家者をさす「比丘尼(びくに)」という言葉もあり、こちらも同じくサンスクリット語のbhikuSuNii(びくしゅにー)があります。

具足戒のすべてを教えろなんて無茶なことを言いますね。
ですから、参考文献を紹介します。

具足戒の種類と名称
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono18_r25_002.pdf

鎌田茂雄 八宗綱要(講談社学術文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E5%85%AB%E5%AE%97%E7%B6%B1%E8%A6%81-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%87%9D%E7%84%B6-%E5%A4%A7%E5%BE%B3/dp/406158555X
の律宗の箇所に出ていますので、参考にしてみては如何でしょうか。

「尼(あま)」の語源ですが、インドの文語であ...続きを読む

Q命は命で償えるのか?

京都府福知山市と言えば、明智光秀の居城があったところで有名ですが、2005年のJR脱線事故、去年の花火事故といい 災難に見舞われ、むしろ こっち方が連想されるようになった ちょっと可愛そうな町です。もっとも、明智光秀も 豊臣秀吉を裏切ったというので ネガティブな印象を持つ人も多いかもしれませんが。
さて、前置きはそのくらいにして、福知山の花火事故でも 事故を起こした店主に 禁固5年の実刑判決が下されましたね。
遺族としては 自分の子供を失ったのに 店主が助かって しかも禁固5年で済みましたが、遺族も理性で考えれば それで我慢せざるを得ないと思いつつも 感情的には到底許されない気持ちでいっぱいだと思います。さぞかし、店主が憎らしく感じるでしょう。
しかし、もし、店主も事故で死亡した場合は 遺族が納得できたでしょうかね。私は 憎しみの矛先を向ける相手もいずに 虚しさを感じ、むしろ、「あの時、わざわざ人が仰山いるところに 子供を花火に連れて行かなければ 子供も死ぬことはなかった。子供が死んだのは自分のせいだ」と自分を余計に責めて却って苦しんでいたのではないかと思います。
ケースは違いますが、東日本大震災の際 大川小学校で多数の児童が犠牲になった事件でも 裏山への避難を阻止した教頭先生も死亡してしまっただけに、やるせなさを感じ、遺族たちは 市や県に訴訟を起こしたのかもしれません。

そこで質問です。死刑は凶悪人を社会から排除するために必要だと認めるとし、ここでは 死刑の存廃の是非については問わないことにましょう。 しかし、殺人事件で犯人が死刑になったところで、遺族はどれくらい 気が晴れるもんでしょうか?

京都府福知山市と言えば、明智光秀の居城があったところで有名ですが、2005年のJR脱線事故、去年の花火事故といい 災難に見舞われ、むしろ こっち方が連想されるようになった ちょっと可愛そうな町です。もっとも、明智光秀も 豊臣秀吉を裏切ったというので ネガティブな印象を持つ人も多いかもしれませんが。
さて、前置きはそのくらいにして、福知山の花火事故でも 事故を起こした店主に 禁固5年の実刑判決が下されましたね。
遺族としては 自分の子供を失ったのに 店主が助かって しかも禁固5年で済みましたが...続きを読む

Aベストアンサー

”気が晴れる”の逆で遺族が悩む例もあるようです。
遺族として死刑を望み、実際に死刑になったことで自分の意見が命を奪うことになったのではないか、と悩み苦しむ例もあるらしいです。

Q命は命で贖うべき

人を殺すということを償うには、自分の命を捨てるしかない。そう思います。
殺人を犯した人間が得をする今の世の中は間違っているというよりは、狂っていると思います。
もしも自分の家族が殺されて、殺した本人が釈放されたのちに結婚したり、子供ができたりとかで幸せになっていたら、僕だったら我慢できません。
結局は死刑廃止派の人たちは被害者の心の傷を無視して、命を尊ぶ自分カッケーなやつらです。
そして、いざ自分の方にそんな不幸が訪れるとすぐ手のひらを返して死刑賛同派になる。
全くもって気持ち悪いですね。
死刑廃止派は殺人者と同等に無価値だと僕は思っています。

そこで質問です。私は高卒で馬鹿ですが、有識者の皆様は 命を命で贖うことについて 哲学的見地から いかが考えですか?

Aベストアンサー

死刑廃止は、冤罪回避ですよね。
冤罪により失った時間は取り戻せないですが、命まで失ってしまったら
無実の人が死ぬように追い込んだことになります。

つまり新たな殺人が行われてしまうと言うことです。

冤罪だと分かった時、冤罪をきせられた人の為に
次は誰が死刑になるのでしょう。

裁判長? 裁判員に選ばれた一般の人? 死刑執行に判を押した大臣?
死刑支持者の誰か? それともスイッチを押した被害者の家族?

もし、あなたの家族が逮捕され冤罪で死刑になったとします。
そうなった時、気持ちのやり場はどこでしょうか?

そういう事が誰にでも起き得るので、廃止は常に話しに上がります。


憲法は、恨みを晴らす「仕返し」として
定められているのではありません。

仕返しであれば、日本も中東のように仕返し合戦
つまり内乱が頻発し、常に暴力により罪のない人が殺されるのです。
仕返しの発想でしたら、必ずそうなって行きます。

仕返しを多くの人が取り入れて行けば、争いは絶えません。
そういう世界に住みたいのか? が問われてしまいます。

仕返しは、暴力が次の暴力を生み出します。
それを真摯に考えて生きなければ
日本も暴力が日常的に行われた時代に逆行してしまいますよね。

死刑廃止は、冤罪回避ですよね。
冤罪により失った時間は取り戻せないですが、命まで失ってしまったら
無実の人が死ぬように追い込んだことになります。

つまり新たな殺人が行われてしまうと言うことです。

冤罪だと分かった時、冤罪をきせられた人の為に
次は誰が死刑になるのでしょう。

裁判長? 裁判員に選ばれた一般の人? 死刑執行に判を押した大臣?
死刑支持者の誰か? それともスイッチを押した被害者の家族?

もし、あなたの家族が逮捕され冤罪で死刑になったとします。
そうなった時、気持ちのやり...続きを読む

Q命を命で償うことの不条理性

他人の命を奪ったら 自分の命で償うのは 当然と考えるのは 私だけでなく、日本人の多くがそうだと思います。
しかし、死刑反対の人は 命を命で償うこという 私たちが至極当然だと見做していることを どのように解釈しているでしょうか? どのような不条理があるとお考えでしょうか?
私と同レベルの愚かな同調意見は不要です。聡明な反論をお待ちしております。

Aベストアンサー

他人の命を奪ったら 自分の命で償、、つまり目には目を、、、の考え方は、まったく時代錯誤だと思います。

泥棒されたら、泥棒仕返してよいのいか。
障害で手を失ったら、加害者の手を切ってもよいのか、、。
これらは、残虐な行為であって、被害者の失ったものはそのままです。
これでは恨みに恨みがつのる「し返し」であって、建設的ではありません。

泥棒されたら、失った額の変換を求めるべきでしょう。
手を失ったら、例えばそれまでの仕事ができなくなり、そのことによって失う障害所得の弁償を求めるべきでしょう。

失ったものを、なるべくもとに戻す行為、これが「償い」です。
償いと、仕返しは、厳しく区別されなければなりません。

結局No3さんの回答のとおり、死刑は犯人から償う機会をうばう、残虐行為に過ぎません。


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