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小野小町は、『古今和歌集』に18首の恋歌を書いています。
小町は様々なところに登場しています。
『無名草子』52段、『伊勢物語』25段、『仮名草子』、
『平家物語―小宰相身投―』、『宝物集』、
『徒然草』173段、『玉造小町壮衰書』、謡曲「通小町」「卒塔婆小町」
『首書九想詩』、『小町草紙』などに小町のことが書かれています。
 これはどうしてでしょうか?
 小町像とは・・・?
 小町は本当に存在していたのでしょうか?私にはたくさんの疑問があります。
 小町のこと分かる方がいたら何か教えて下さい。

A 回答 (4件)

小野小町は、秋田県雄勝町の生まれという伝説がありますね。


よろしかったら、下記URLをどうぞ。

小野小町のおまつり、史跡なども残っています。

参考URL:http://www.yutopia.or.jp/~ogachi/txt/d01.htm
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  小野小町という女流歌人は、少なくとも一人は歴史的に実在したでしょう。「古今集」にその名で歌があるということは、そう通称されたか、本名の人がいて、少なくとも一つか幾つかの歌は詠んだのです。
 
  少なくとも一人というのは、似たような女流歌人が二人いて、合成されている可能性もあるからです。また、小野小町作となっている歌も、すべてが彼女の真作でないのかも知れません。別人の作品でよく似たものが、彼女の作にされているのかも知れません。しかし、「古今集」に「詠み人知らず」でなく出ているのですから、最初に言ったように、少なくとも一人は歴史的に、それに相当する人がいたのです。
 
  小野小町については、彼女の作とされる歌から考えるのがもっとも妥当でしょう。一般的に、美人で、恋の遍歴を行い、年老いて、人生の儚さを嘆いたという程度のイメージがコアでしょう。
 
  在原業平も歴史的人物で、「ほぼ学はできず。されどうたをよくする」とか、記録に出てくるはずです。「学(漢文)」はできなかったが、和歌は上手だったということです。こちらは、美男で、数多くの恋で、浮き名を流したことで有名です。「伊勢物語」は、彼が主人公だと言われていますが、無論、歴史書である訳がなく、物語=創作でしょう。
 
  小野小町について列挙されている文書も、ほぼ物語か創作です。「徒然草」は随想集ですが、しかしやはり歴史書ではありません。小野小町について伝わっていることを、題材に文章を書いているのでしょう。
 
  小野小町も在原業平も、共に、尾鰭が後世一杯ついて、物語が作られ、伝説が生まれ、実像が曖昧きわまりないものになりましたが、コアとなる人物は間違いなくいたでしょう。「古事記」「日本書紀」の古い記述ならともかく、「古今集」に名前入りで作品が出てくるのは、実在したということです。
 
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先に書いてる方々の言う通りですが私からも  小野小町って当時の宮廷で更衣だって書いてる小説とかマンガが多いですよね   小説とかマ

ンガによると更衣だったけどあまり天皇には愛されなかったとか・・・  だから悲しい恋の歌はいいですよね  正しいのは忘れたけど 衣を裏返して寝れば・・・とかってやつとか    小町は在原業平や出家した貴族の人や 落ち目の貴族達と一緒に歌会なんかをしていたらしいですよ  政治的に難しい時の宮廷だったらしいですが  しっかり宮勤めをしていてお給料はためこんでいたとか   父親だかおじさんだかが 小野たかむら だとか書いてたのもありました  私は小町は実在すると思います  言い伝えの通り全部の歌が小町のじゃなくても  代表的なのはやっぱり小町のだと思うし・・・   和歌集もいいですが小町については  小説やマンガが色々と出ていますよ  面白いものも多いので図書館などで借りてみては
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以前小町に関して、横浜の遺跡に関連して調べたことがあります。


小町そのものは現実に存在した人物ですが、謡曲などで詠われた、『玉造小町壮衰抄』、謡曲「通小町」「卒塔婆小町」 などの小町とは全く関連はありません。
作り上げられたものです。
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