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1)決闘は文化を超えていろいろな国で行われていたと思います。しかし、今も残っている地域はありますか?

2)慣習が廃れたのはいつごろですか?

3)決闘をしたことで知られる歴史的有名人を紹介してください。

A 回答 (4件)

戦場での「一騎討ち」とはまた性格が異なるものですよね。



1)世界の国で、法律上、状況によって決闘が許されるのはウルグアイだけだそうです。もっとも、法律で許されない国でも決闘が死に絶えたわけではないでしょう。日本の「タイマン」なんかも広義の決闘ですし。

2)現代でも続いていますので完全に廃れたというわけではないみたいですが、例えばフランスで衰退したのは二度の世界大戦の時期のようです。その後わずかに復活しました。
現在では世界で年に数百件の決闘が行なわれています。

3)カインとアベル(人類最初の決闘。伝説ですが)
数学者のエヴァリスト・ガロア(決闘の傷で死亡しました)
アメリカ大統領のアンドリュー・ジャクソン(軍人時代に)
などがいます。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%BA%E9%97%98
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回答ではありませんが参考までに・・・



No.2の方も指摘されていますが、明治22年の制定の決闘罪は、参考URLのとおり現在もしばしば適用されているようです。

戦後、大日本帝国憲法が廃止されて日本国憲法が制定されたとき、新憲法下で矛盾する法律のみ改正され、それ以外はそのまま戦後に引き継がれたのです。

2)慣習が廃れたのはいつごろですか?

仇打ちといえば有名なところでは元禄年間の忠臣蔵があります。
これも当時すでに珍しくなっていたからこそ、市民が喝采を送ったのだと聞いたことがあります。
真偽のほどはよく分かりませんが・・・

参考URL:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kettouni …
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この回答へのお礼

いずれの回答も甲乙つけがたい有意義な回答でした!

お礼日時:2006/03/27 10:23

伝統を重んじて形式的に剣で決闘したのは第一次大戦までのドイツの大学生です、どちらか一方が疵付けば勝負ありだったそうです



その為に顔にサーベルの疵の跡を残した男性は男らしいと尊敬されたそうで第二次大戦にもサーベル疵のある上級将校が多数居たそうです
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明治22年12月30日法律第34号)は、決闘および決闘への関与を禁止する日本の法律。


決闘罪は、決闘を申し込んだ人、申し込まれた人、決闘立会人、証人、付添人、決闘場所提供者など決闘に関わった全ての人に該当する。決闘の結果、人を殺傷した場合は、決闘の罪と刑法の殺人罪・傷害罪とを比較し、重い方で処罰される。

どうやら当時はまだ「仇討ちは罪ではない」という江戸時代の風潮が残っていたため、これを戒めるために制定されたとか。
仇討ちなんてものが消えていった後もなぜかこの罪は残っていてホコリをかぶっていたのだが...。

ところが最近になって警察はあることに気付いたということである。
決闘罪では、実際の傷害に及ばなくとも、決闘を挑んだもの、受けた者、そしてそれに立ち会った立会人までも処罰できるのである。
簡単に言えば、暴走族や暴力団の「タイマン」を取り締まることが出来るということに気付いたのである。もちろん制定当時はそんな目的のために作ったのではないが、ある意味「法の穴」である。

江戸の名残の「仇討ち」の風潮を正すための明治の法律が、平成の世を裁く時が来るかもしれませんね。
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