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確かにこの世の中、面白いことは、あまりないかもしれない。
しかし、音楽もメディアも「恋愛至上主義」な感じさえする。
純粋な恋愛を、ドキュメントとバラエティーのはざまで、演出
する番組。世の中に、溢れるカップル。つい白々しさを感じて
しまっている自分。
「恋」は誤解から始まって、誤解の消滅によって、関係は終わ
るのでしょうか?
そして、「結婚」とは「家庭」とは、その先にあるものとは何なんでしょうか?
皆さんの、率直な、ご意見を聞かせていただきたいです。

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A 回答 (6件)

一言だけ…好きな女性から「頑張って」と言われたら僕は何でもできてしまいそうなくらいのパワーが漲ってきます。

それが無ければ僕の人生は色あせてしまいます。
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えっと,自分の考えと言うよりは,一応の参考になる書物を。



橋本治 「恋愛論」 講談社文庫

私個人、恋愛でつらい事や迷いがあるときに手に取る一冊です。
(手ずれができるほど読んでる…(泣))
よければ読んでみてね。
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こんばんは、え~とあなたの質問は、テーマが抽象的なだけに私個人の考えてる事になりますので宜しく!



 巷で氾濫している、あなたが言うところの「恋愛至上主義」は一部マスコミの「他人の秘密」を見せる事で売上を上げる、視聴率を上げる、部数を伸ばす、などの商売が絡んでいると思える事が私もあります。
 その他、クリスマス、バレンタイン、などもその類に入るかも知れません。
 少し醒めた人や、興味の無い人にはそれが白々しい光景に映るでしょうね、でも私は、それはそれで良い様に思えるのです。
 
 人は色々な自分なりの価値観を持って生きていますからそれに乗っかって生きていく人がいったて何ら不思議でもないし、それが自由、文化ではないですか?

 「恋」も決して誤解から始まるものでも無いし、誤解の消滅で関係は終わるものではないでしょう。
 いやむしろ理解から「恋」は始まり、誤解から関係が終わりになるのではないですか!
もしあなたの言うようにすべて誤解から「恋」が始まったら、昔からある「恋」の物語も読む人に絶望を与え、世界を不毛の大地に変えてしまったのではないでしょうか!! 美しい景色も、キラキラ光る子供の瞳も、親子の愛情、人を助けようとする優しさも、誤解からは生まれないでしょう!
「結婚」は理解の連続で「家庭」は理解の連帯ではないですか?

 どうか、今いる世界を、「斜めに構えて」見ないで下さい!人を理解する、認めて上げて下さい、
そうしたら、「恋愛至上主義」って事も良いことに思えてきますよ!
 その先にあるものがとてつもなく素晴らしい物にも見えて来ます!

 あなたから見ると「楽観主義」の能天気に聞こえるかも知れませんが、これが私の意見です。 
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恋は不安定なもので、結婚や家庭は安定しているもの、ってのが私のイメージです。

離婚などもあるので、実際は安定ではないんだけど、まあ、学生から社会人になる時のような気分じゃないのかな、結婚や家庭って。責任がうれしくもあり、不安でもあり、時にうっとおしくもあるもののような。恋愛も結婚も、自分の居場所とか休息できる場所と言うか、オアシス的な存在であるような気がします。恋愛って、いつでもどこでもできますよね。心の中の愛しい存在っていうか。

恋愛至上主義なのかどうかわからないけど、人は誰かに必要をされていたいのもで、恋愛はそれを一番感じやすいもののように思います。自分が相手を必要とし、求め、相手は自分を必要とし求めるってことで。会社や仕事ってさまざまでなかなか相手の苦労をわからない事情みたいなものがあるけど、恋愛ってなんとなく「あ~そういう気持ちわかるわかる!」って共感しやすい気持ちのような気もします。学生は社会人の気持ちはよくわからないけど、恋愛する気持ちならわかりますよね。景気が良くても悪くても、恋愛ってなくならない。

恋は確かに誤解からはじまることが多いですね。それから誤解で終わることもあるし、はじめの誤解で消滅することもありますね。何が真実で何が誤解なのかは、わかりにくいものですね。人の気持ちは自分でさえ予測不可能で。

その誤解で始まった恋、ただ終わるわけじゃないと思います。私も何度か失恋を経験しましたが、その喪失感のつらさといったら・・・
肯定が否定に変わるその失望。そういうのを乗り越えていろんな痛み、いろんな気持ち、自分にもいろんな人にも感じられるようになったような気がします。

おもしろいものがないから恋愛ってわけじゃないと思います。恋愛には喜怒哀楽がぎっしりつまっていて、とっても人間らしい部分が見えやすいだけかも。温かさ、やさしさ、つらさ、冷たさ、さみしさ、悲しみ。個人主義で人と人の関係が希薄になりつつある現代社会では、恋愛くらいでしかそういう人間らしさみたいなものがわからなくなってるのかも。

「結婚」「家庭」のその先にあるもの・・・なんでしょうね。
未来や将来は自分で作るものじゃないかなあ。
「人生」の最後は「死」で、そこで終わりです。方丈記みたいになっちゃいますが、この世は無常です。はじまりがあれば終わりもあるもので。はかないものですね。それを知りつつ、誰しも何かしら「永遠」に憧れがあるんじゃないかしら。(注:宗教とは無関係です)「永遠」が無理なら、せめて「今」だけでも満足したい、と思うのが恋愛のような・・・

・・・なーんて。生意気言っちゃいました。
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私も同じようなことを思っています。



ドラマを見ても歌を聴いても街を歩いても、
愛だの恋だの好きだの嫌いだの、
「う~ん・・・」と思うこともあります。

でも本人たちが恋愛をすることに
人生の楽しみを見出しているなら、
それはそれでとてもシアワセなことだと思います。

私自身今好きな人がいます。
その人と生活も共にしています。
もう彼との関係は(いい意味で)変わらないです。
結婚して子どもを育てることだけです。
それは悲観的な意味ではなくて、
実質変わるモノと言えばそれぐらいなんです。

恋愛とか結婚とかいうのは二人による共同作業です。
だけど、人が生きていくことにおいては
単独作業での楽しみやシアワセや満足感も
必要だと思うんです。
それは私自身が今感じていることです。

少々極端な言い方かもしれませんが、
恋愛=受身的、個人の楽しみ=能動的、
人生=受身+能動とも思います。
そのバランスをどうとっていくかの違いが
個々の人生をおもしろくしていくんじゃないでしょうか。
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誤解から始まっても恋は恋。

その時自分が真実だと信じたいと思えるならば、それで十分。誤解でも、その人と出会えた確率を考えたら、十分に貴重な時間になります。

誤解で始まったことは誤解でしかあり得ないと思う無かれ、人間が相対して関係を築いていけば、その誤解が誤解のままで終わることもあろうが、誤解と思ったことが実は誤解だったということにも成り得るのです(経験者)。

そして結婚や家庭の先にあるもの・・・それはあらかじめ決められているものではなくて、自分たちで作りあげるものだと思います。私と彼の場合は、信頼・・・かな。まだ結婚はしてませんが、二人の間に育っていて、一番大事にしたい物です。
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