空海と親鸞と日蓮の思想・主張を簡単にまとめると、どんな主張なんでしょうか。簡単にまとめられるものではないと思いますが、主としてどういう思想だったのでしょうか。そして、それらが人々に支持されたのは何故だったのでしょうか。わかる方いたらお願いします。

A 回答 (2件)

下のURLに日本の今までの仏教諸宗派について、中立的な観点から、まとめられていますので参考にしてください。



参考URL:http://www.echizenya.co.jp/mini/colum/syuha2.htm
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。かなり細かく書いてあり、わかりやすかったです。今回質問した以外の宗教のこともわかって楽しかったです。

お礼日時:2002/01/29 01:32

 日蓮大聖人の教えは、純粋にして潔白、世の中に広まっている様々な宗教の誤りを明らかにして、これを「人々を不幸にする邪宗教なり」と喝破したために、諸宗を擁護する国家権力から迫害を受け、布教が思うに任せませんでした。


 親鸞(浄土真宗)の教えは、
 「念仏を称えて死ねば極楽へ行けるのだから、いつ死んでも不安はない。いつでも死ねる明るい心(?)で生きることが大事である」
などと立て、自力を排し、阿弥陀の絶対他力による往生を強調しています。自らの機根の下劣であることを鑑み、それにふさわしい易しい教法・修行として念仏を選択したのです。
 空海(真言宗)の場合には、
 「大日如来にくらべれば、釈尊などは草履取りにも劣る」
等と誇り、一念三千・即身成仏の実義も大日経に説かれていると主張しています。鎮護国家を標榜し、国家泰平と玉体安穏の加持祈祷を宮中で行なうことを願い出て天皇にとり入り、着々と基礎を固めたのです。
 如何ですか?
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この回答へのお礼

素早い回答ありがとうございました。各宗教を簡単にまとめていただき、わかりやすかったです。

お礼日時:2002/01/29 01:25

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Q空海の思想は、梵我一如思想と一線を画していたのでしょうか

私は秋月龍珉氏の「誤解された仏教」を先日読了しました。
その中に
「空海の思想は釈迦の縁起、無我思想にまだ近かったが、以後の真言宗の思想家はみな梵我一如思想に接近してしまった。」
とありました。
空海自身の思想は、梵我一如思想から一線を画していたとは、どういうことでしょうか?私は空海思想がよくわらないので、どなたか教えていただけないでしょうか。よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

このご質問に正確にお答えできるのは、仏教思想の専門の方がふさわしいように思います。
素人の私の感想になりますが・・・

mmkyさんが簡潔におっしゃられているように、空海という人物は桁外れの天才だったのでしょう。
最澄という学問肌の天才とはまた違って、実修を重んじ、実証さえ示す事のできた稀有の天才だったようです。

仏教思想の極至とも言われるその教えが、広く一般に受け入れられてこなかったのには、事相とも言われる実修面での複雑さが影響しているように思われます。
また、教相とも言われる教理面においても、あくまで実修を通してのみ確かな理解が可能のようにも思えます。
一般人が近ずけるのは、実証であるところの現世利益の面に限られてきてしまったように思えます。
学者からの目においても、遠巻きに論じられてきた感があります。
>空海の思想・・・云々・・・と言っても、果たしてそれが正鵠を射たものなのかどうか、疑問があります。
遠巻きの論評を参考にして、空海の思想の本質を探る事には無理があるのではないでしょうか(失礼ながら・・・)

少し大げさな表現かもしれませんが・・・
釈迦と空海は仏教史においての超弩級的な存在のようにも思えます。
空海の般若心経秘鍵に書かれていますが
釈迦が祇園精舎において、天人や菩薩に対して般若菩薩の印、真言、曼荼羅の法を説いたとあります。
これは釈迦が在世中に、既に密教の法を説いたという事にもなってしまいます。
この表現に対して仏教学者は一言も解釈をしていません。
解釈のしようが無いのでしょう、下手な解釈を下せば仏教思想の上で大変な事になってしまうからです。
空海が釈迦に等しい境地を得たことを現したもののようには思いますが
言い切ったところが凄いと思います。

この事一つをとってみても、空海の思想というものは
論評するのは自由だとしても、確かな解釈を下しずらいものだと思います。
しかし、その思想の本質の核そのものについては、一般人でも受け入れられる面があるようにも思えます。

加とは如来の大悲をいう
持とは衆生の信心をいう

空海の教えはこの言葉に尽きているとも言われます。
如来の大慈悲心を信じるという事ならば、我々一般人でも受け入れ易い教えになります。
加持というものを、ある方はこのように分かり易く言われたのを覚えています。
・・・真心で祈る・・・と
仏の大慈悲心を信じて、純粋な気持ちで祈るという事なのでしょう。

学ぶだけではなくて、祈る、というところに空海、お大師様の教えの本領があると思います。
そのあたりの事を念頭において学ばれる事をお勧めいたします。
ご参考になれば幸いです。

このご質問に正確にお答えできるのは、仏教思想の専門の方がふさわしいように思います。
素人の私の感想になりますが・・・

mmkyさんが簡潔におっしゃられているように、空海という人物は桁外れの天才だったのでしょう。
最澄という学問肌の天才とはまた違って、実修を重んじ、実証さえ示す事のできた稀有の天才だったようです。

仏教思想の極至とも言われるその教えが、広く一般に受け入れられてこなかったのには、事相とも言われる実修面での複雑さが影響しているように思われます。
また、教相とも言...続きを読む

Q法然・親鸞・道元・日蓮はお互いの面識は?

各聖人は生きた時代が重なってる様ですが、法然聖人と日蓮聖人は重なってませんが。  
  各聖人たちはお互いを知ってたのでしょうか?

  お互いの会った事は有るのでしょうか?


特に日蓮聖人は禅は魔界に入る  浄土宗真宗は無間地獄と言っていると認識いているのですが。

私自身凡人身では有りますが、確かに禅は難解で有りますが魔界転じて自覚が得られような気がするのですが、浄土系も取り様によっては現実逃避的に見えるのですがよくよく思案しますと立派な教えだと思うのですが。

聖人たち自覚の底は繋がっていると思うのですが、お互い面識が有り語り合えば解りあえた様な気がするのですが。

法然・親鸞両聖人は師弟関係の様ですから別ですが。

Aベストアンサー

>>法然・親鸞・道元・日蓮はお互いの面識は?
>>お互いの会った事は有るのでしょうか?
質問者ご自身がおっしゃるように法然上人と親鸞聖人は師弟関係にあったわけですから、面識はあったでしょう。道元禅師と日蓮聖人は、質問にある方とは面識はないと思います。

>>特に日蓮聖人は禅は魔界に入る  浄土宗真宗は無間地獄と言っていると認識いているのですが。
 「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」ってやつですね。この中でも、日蓮聖人は法然上人を中心とする日本浄土教に関しては非常に厳しい批判を加えていますね。
 こういった批判が行われたことは親鸞聖人の弟子(親鸞聖人は「弟子一人ももたず」といっていますけど)唯円が著わした『歎異抄』第二条の中にもうかがうことができます。

おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。

このように関東の念仏者は何かを不安に思い、親鸞聖人をたずねたわけですね。ひとつには浄土教の教えを曲解した同門のものたちへの不安という内的な要因と、もうひとつは浄土教外部からの批判というものがあったと考えられます。その外部からの批判としてあげられるのが日蓮聖人であったろうといわれます。しかし、当時親鸞聖人はマイナーな人だったはずですから、日蓮聖人も直接会って話してやろうということは思ってもみなかったと思いますよ。

>>聖人たち自覚の底は繋がっていると思うのですが、お互い面識が有り語り合えば解りあえた様な気がするのですが。
 これについては先にも述べている人がいらっしゃいますが、やはり末法の克服というのがその根底にあるでしょうね。「末法」とはわかりやすくいえば「修行できない、悟りを開けない時代」ということだと思っていただければいいと思います。
 法然上人や親鸞聖人は、末法という時代に住む自分の弱さや愚かさや醜さを徹底的に見つめ、悟ることができない私であるという自己反省から出発します。そして、悟りを開くためには阿弥陀仏の御本願を信じ「南無阿弥陀仏」と称えて、極楽というすばらしい環境で悟りを開くしかないと考えます。
 道元禅師はお釈迦様は誰もが悟れることを説かれている。また、お釈迦様ももとは凡夫であったはずだと考え、たとえ時代が末法であってもお釈迦様が悟られたときのように、座禅を組み座りぬくことこそ悟りへの近道と考えます。
 日蓮聖人は天台大師智ギの経典理解に基づき、「法華経」を最高の経典と考えます。この真実の法門たる『妙法蓮華経』にこそお釈迦様悟りのエッセンスが詰まっており、さらには「妙法蓮華経」の題目の中に集約されているといいます。そして、「南無妙法蓮華経」と唱え題目を受け取ることこそ、末法に凡夫の中に仏の世界が展開される唯一の方法と考えます。
(乱暴な説明ですが、ご容赦ください。)
 このように克服方法は違いますが、鎌倉新仏教と呼ばれる仏教の祖師たちの根底にあるのは「末法の克服」ということになります。
 まぁ、だからといって分かり合えたかどうかはわかりませんが、影響しあったかもしれませんね。例をあげれば、日蓮聖人が若いころには法然浄土教はもうメジャーな教えですから、必ず学んでいたでしょう。そうでなくては批判することはできませんしね。日蓮聖人は最終的には法然浄土教を批判する立場になられましたが、法然浄土教から多大な影響を受け「南無妙法蓮華経」の題目を生み出したと考えるのが一般的ですね。

 長々書き連ねましたが、まとまらぬ文章であることどうぞお許しください。文意を読み取っていただきたく存じます。
 合掌 南無阿弥陀佛

>>法然・親鸞・道元・日蓮はお互いの面識は?
>>お互いの会った事は有るのでしょうか?
質問者ご自身がおっしゃるように法然上人と親鸞聖人は師弟関係にあったわけですから、面識はあったでしょう。道元禅師と日蓮聖人は、質問にある方とは面識はないと思います。

>>特に日蓮聖人は禅は魔界に入る  浄土宗真宗は無間地獄と言っていると認識いているのですが。
 「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」ってやつですね。この中でも、日蓮聖人は法然上人を中心とする日本浄土教に関しては非常に厳し...続きを読む

Q西洋思想と東洋思想との比較思想について学ぶにはどうすればいいでしょうか

私は西洋哲学(主に分析哲学)や仏教哲学(インド・チベット中観思想、唯識思想、日本仏教思想、西田哲学)に興味を持っており、その両者を比較して研究することにも関心があります。
そこで次の2点について質問します。
1比較思想を行っている有名な学者さんはどのような方がいらっしゃるでしょうか?
2また比較思想の学科を置いている大学はどのようなところがあるでしょうか
何卒、ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

参考意見です。
 最初に注意しておきたいのは、安易に比較研究をしようとすると多くは薄っぺらな結果しか出てきません。これを行えるのは、実力のある学者か、天才だけです。
 とはいえ、普通の東洋思想の研究者は、西洋思想の中の自らの研究領域に似ている分野に関する知識は最低限もっています。現代は西洋人の研究者と交流することが多いので、東洋思想だけやって、西洋思想は知らないでは済まされない時代になっているからであり、なにより比較によってその思想が鮮明になるからです。
 例えば、唯識を学ぶのであればカント哲学のあたりは当然勉強していますし、道教を研究するならばキリスト教の知識は必須です(そして道教とキリスト教は驚くほど似ていることがわかる)。
 日本では何故か西洋思想研究が人気で、東洋思想研究は閑古鳥状態なので良質な学者が少なく、世間で売っている東洋思想に関する書物の大半は嘘つきだと思ってください。故に私は東洋思想を主軸にして研究を進めてゆくことを勧めます。
 
 比較思想研究を試みている人は多く、仏教学者では中村元、三枝充悳の名が挙がりますが、やはり井筒俊彦の著作は必読です。

 比較思想といったら京都学派の名が挙がりますが、問題も多いです。ハイデガーを禅の用語を使って訳してますが(『時と有』・・・。
 研究は基本的に原典の読み込みから出発しますので、文献学をしっかりと学べる大学が宜しいと思われます(以外に文献を読めない人が多く、特に仏教関係の読みはデタラメで、まともに読めている人はほんの一握りしかいません)。
 

参考意見です。
 最初に注意しておきたいのは、安易に比較研究をしようとすると多くは薄っぺらな結果しか出てきません。これを行えるのは、実力のある学者か、天才だけです。
 とはいえ、普通の東洋思想の研究者は、西洋思想の中の自らの研究領域に似ている分野に関する知識は最低限もっています。現代は西洋人の研究者と交流することが多いので、東洋思想だけやって、西洋思想は知らないでは済まされない時代になっているからであり、なにより比較によってその思想が鮮明になるからです。
 例えば、唯識を...続きを読む

Q思想としてのゴロツキやチンピラは、ふつうにまともな人たちに支持されてい

思想としてのゴロツキやチンピラは、ふつうにまともな人たちに支持されているのか。
または普通人の思考能力はゴロツキの跋扈を防げないほど脆弱なのか。
実を言うと普通人がまともかどうかも私は懐疑的です。
おかげでゴロツキは自分こそが常識を代表していると言わんばかりでした。

Aベストアンサー

 誰に対してゴロツキ と言っているのかはともかくとして、私が普段言っていることはどういったことでしょうか。

○組織が悪、多数は悪、法律で第三者が当事者を裁くことはできない、種の維持・存続が人間の目的ではない、「善悪」というものは本来ない。善と悪は一対のもの。幽霊や精霊は見る人にとっては在る。

 支持されるのが目的では常識とはかけ離れた、こんなことは言えません。

>おかげでゴロツキは自分こそが常識を代表していると言わんばかりでした。

 「幽霊なんてありゃしねー」これも、社会の常識です。

Q【宗教】親鸞は修行の末に人生はありのままで良いという悟りに行き着いたという。 親鸞は悟り後はありの

【宗教】親鸞は修行の末に人生はありのままで良いという悟りに行き着いたという。

親鸞は悟り後はありのままに自分のしたいように生きて亡くなった。

これって本当ですか?

親鸞は若い時は厳しい修行をして己を苛め上げていたが悟りを開いたあとの後世はのんびりきままに自分のやりたいことをやって宗教の呪縛から解放されて伸び伸びした生活をして死んだ。

Aベストアンサー

親鸞が悟りについて語ったとは思えませんが、ありのままの人生が悟りへの道だと言うのは、それが阿弥陀如来のはからいであれば、そのように考えていたとは思いますね。
親鸞の人生自体が阿弥陀如来のはからいでしょうから、何かから解放されたとか言う事は無いと思いますよ。(最初から阿弥陀如来のはからいがあったと言う事です)
親鸞は悟ったとは言わなかったんじゃないですか?(浄土教自体が、悟りを求めていないですからね)


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